白銀オメガに草原で愛を

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戦乱

24.お願い

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 次の戦いは勝ってくれ、というククィツァからの伝言を受け取って、ユクガはぐっと剣の柄を握りしめた。おそらく次を、最後の戦いにするという意味だろう。

 美しい緑の広がっていた草原は踏みにじられ、血と泥にまみれたほの暗い場所に変わってしまっていた。死者を弔ってやる余裕などなく、獣や鳥が己の糧にするのをそのままにしておくしかない。彼らにせっせと新たな贄を饗するかのように戦い続け、ユクガは自分に血のにおいが沁みついているような気さえした。
 キアラと抱き合ってまどろんでいた、温かい寝床に帰りたくてたまらない。

 太鼓の音とともに、郷愁を追い出すように意識を集中させ、つがえた矢の先を見る。
 赤い髪はカガルトゥラード兵、まばらに見えるその他の髪色は傭兵だろうか。茶色い髪はおそらくヴァルヴェキアからの友軍だろう。

「撃て!」

 号令に従って太鼓が鳴り、ヨラガンの放った矢が飛んでいく。二射、三射と続け、相手の数は確実に減っているが、それでも身をもって迎え撃たなければならない敵はまだまだいる。

「備えろ!」

 展開された盾に向かって、カガルトゥラード軍が突撃してくる。
 この攻撃をしのいだらどうするか、次の展開を考えている己に気づいてユクガは眉間にしわを寄せた。こんなものに慣れるべきではないし、恐怖を感じられなくなれば早死にする。
 戦士というものは、恐ろしいものにはきちんと恐怖を感じ、それでもなお自らを奮い立たせて戦うものだ。

 ガツン、と鈍く衝突する音を合図に、混戦が始まった。

 くり出される剣、槍をかわし、なぎ払い、ルイドが狙われているのに気づいてユクガは自ら地面に降り立った。ルイドはそのまま駆け去らせ、群がってくる敵とただひたすら向き合う。
 この戦闘では、勝たねばならない。美しい草原はずいぶんとカガルトゥラードに掠め取られてしまったが、すべてを奪われないために、易々と勝てる相手と思わせてはならない。

 切りかかってきた兵士の刃を払い、逆に切り捨てたところで囲いがわずかに広くなって、ユクガは足を止めた。

「……鷹の目とは、お前か」

 あの日、腹を刺し貫いてきた男だ。後ろに、同じような黒髪の男を四人従えている。あのときはばらばらの装備に見えたが、今は揃いの鎧のようだ。

「カガルトゥラードに下ったのか」
「……傭兵と正規兵では、できることが違うのでな」
「……そうか」

 すらりと引き抜かれた剣は、あのときのように冷たく輝いていた。後ろの二人がほぼ同時に剣を抜き、切りかかってくる。隊長格ではなく、部下二人と戦わされるらしい。そして二人だけに集中すれば、おそらく控えている三人にやられるか、周りをさらに取り囲んでいる兵士たちの横槍が入るだろう。

 他の戦士たちを気にする余裕もなく、ユクガはひたすら剣を振るった。
 縦に振り、横に払い、斜めに下ろし、休まず足を動かす。息が上がってくる。消耗させるのが目的なのか。
 だが、やらねばならない。ククィツァの望みはこの戦いに勝つことで、勝って、生き残って、キアラのもとに帰るのだ。

 歯を食いしばり、抗って剣を弾くが、とうとう押さえ込まれる。
 何とか押さえつけられた体勢から抜け出そうともがくが、男二人分の重さや力をはねのけられるほど、余力が残っていなかった。

「……強いな」

 近づいてきた隊長格の男を見上げ、睨みつける。泥にまみれようが地を這わされようが、敗者になるつもりはない。
 男が高く剣を構えるのに合わせ、頭を押さえつけられ、首をさらされる。死ぬわけにはいかない。唸って体に力を入れるが、ほとんど動かせない。

「殺すのが惜しい」

 剣が振り下ろされるのだろう、と感じた瞬間、この場にいるはずのない声がした。

「お待ちください」

 声を張り上げている様子もないのに不思議と戦場を吹き渡り、凄惨な場に似つかわしくない清廉さを湛えている。

 わずかに緩んだ手の力をはねのけ顔を上げると、月毛の馬が見えた。ユクガも何度も世話をしてきた、馬だ。ユクガと黒髪の男たちのところまで駆けてくると、人垣が割れ、小さな人影がユクガと剣を構えたままの男の間に降り立った。
 着ている服が血まみれで、誰かに傷つけられたのかと思ったが、服のどこにも裂け目はない。けがをしたのではなく、何かに巻き込まれたのだろうか。

 ほっそりした手が労わるように撫でると、月毛の馬は主に軽く鼻面を寄せ、駆け去っていった。

「……何者だ?」

 黒髪の男が、剣を下ろす。

「カガルトゥラードの方々が、神子を探していると伺いました」

 やめろ。

「私が、その神子です」

 握りしめられた小さな手が、震えて見えた。

 銀色の番を、守らねばならない。
 抗って暴れようとする体をきつく押さえつけられて、手を伸ばすことすらできない。

 黒髪の男が、何気ない動作で剣を横に払った。
 白く柔らかい頬に、少し遅れて赤い線が走る。

「貴様ァァァァァ!」
「うっわ、ちょっ、ローロ!」

 新たな重みが加わって、ますます体が動かせなくなった。手足がもげようが、骨が砕けようが、そう思うのに現実は少しも思い通りにならない。

 ユクガがそうすべきなのに、黒髪の男が愛しい番に近づいて、頬の血を拭っている。

「……確かに、そのようだ」

 神子の力のことも知っている。ますます、渡せない。
 もがくことすらできない体が、忌々しい。

「……あなた方が私を求めていらっしゃるなら、差し上げます。どうか……戦をやめて、いただけませんか」
「だめだ!」

 唯一思い通りになる声を張り上げると、薄青の瞳がぱっとこちらを振り返った。黒髪の男が面白がるような顔に見えるのが憎々しいが、今はどうでもいい。

 番を人身御供になど、できるわけがない。

 おずおずと近づいてきた華奢な体が、汚れるのもいとわずユクガの前で地面に腰を下ろす。伸びてきて頬に触れた手が、泥を拭ってくれる。

「行くな」

 ユクガを押さえつける戒めは少しも緩まず、触れてくる冷えた手を温めてやることができない。

「お願い、が、あります」
「何だ」

 泣きそうな体を今すぐ抱きしめて、こんなところから連れ出したかった。ユクガの贈った帯を締めて、ユクガの贈った簪を差して、春の草原のようにふわふわと笑っている姿でいてほしい。

「守らせて、ください」

 何も、言葉を出せなかった。
 呆然と見上げるユクガの前で、薄氷の瞳が一度伏せられ、くしゃ、と不器用に唇が弧を描く。

 違う。

 それではまるで、乾いてひび割れた大地のようではないか。

「……お願い、です」

 かそけき祈りのように小さな声をこぼし、冷たい指先がもう一度頬に触れた。そのまま白い手が離れていって、戦場では弱々しくさえ見える体が、静かに立ち上がる。
 行くなと叫びたいはずなのに、声を失ったかのように、腹の中から何も言葉が出てこない。毅然とした歩みで黒髪の男に近づき、男の指示に従って歩いていくのを、ただ、見送ってしまう。

 気づけば体を押さえつける圧力は消え、周囲にカガルトゥラード兵はいなくなっていた。呆然と地面に転がり、キアラが消えていった方向をただ見つめているしかできないユクガのもとに、誰かが近づいてくる。

「ユクガ殿! 大丈夫ですか、動けますか? 立てます?」

 のろのろと首を巡らすと、ジュアンが何人かの男を連れて走ってきたところだった。返事をする前にてきぱきと指示を出し、ユクガを担架に乗せて運び始める。
 実際傷は多く、疲れてもいて、何より番を失った喪失感が大きすぎて、歩ける気はしなかった。

「……ジュアン」
「はい」

 何を話せばいいというのだろう。心のどこかは暗く深いところに落ちていっているのに、口から勝手に言葉が出ていく。

「……ククィツァは、無事か」
「ご無事です。その……ショックは、受けてらっしゃるようですが」
「……そうか」

 何に対するショックなのか、聞く気にはなれなかった。誰かの痛みを受けとめるには、己が傷みすぎている。

 運ばれた救護用天幕で手当てを受けていると、人がざわついてがたがたと物の倒れる音がした。よせ、やめろ、などと制止するような声も聞こえてくる。
 何か起きたのかとは思ったが、ユクガにはそちらを見る気力も意欲もなかった。しかし、無視して目を閉じていたのに、何かが袖を引っ張ってくる。

 いったい何だとうんざりしながら顔を向け、見覚えのある馬にユクガは目を瞬いた。

「……カヤ……?」

 カヤは、賢い馬だ。人の領分と馬の領分とをきちんと弁え、両者の線引きを冒すような真似などしたことがない。
 それがしきりに、ユクガの袖を引っ張ってくる。

「……何かあるのか」

 医者の手当てをそこそこで終わらせ、カヤを連れて外に出てはみたが、今度は別の天幕のほうへ行こうとする。

「……ククィツァか?」

 忙しそうにしていたものの、無理を言ってククィツァを連れ出し、ユクガはカヤに跨った。手綱こそ手に取ったが、行き先を知っているのはカヤなので、好きに走らせる。

「何なんだ?」
「わからん。俺とお前をどこかに連れていきたい……らしい」

 戦場からずいぶん東に進み、日が傾いて星が見え始めたころ、行く先に何か、塊が見えた。

 途端に、ククィツァが馬の速度を上げた。いっそ落ちるように地面に飛び降りて転がり、なりふり構わず駆け寄っていく。

「イェノア! なぁ……イェノア!」

 少し遅れて辿りついたユクガの前で、ククィツァが叫ぶ。ククィツァの腕に抱かれたイェノアの肌は白く、服は黒く染まって見えた。先ほど塊に見えたものが動いて、ククィツァの馬と顔を寄せる。イェノアの馬だ。

「イェノア……イェノア……!」

 呼びかけに応えの返る気配はない。当然だ。イェノアの服は切り裂かれ、そこから体が黒く染まっている。ただ、暗くなってきたからそう見えるだけで、おそらく、本当は赤いのだろうと思う。
 降りたユクガにカヤが顔を寄せてきたので、そっと撫でてやる。ここに連れてくるのが目的だったのだろう。

 イェノアは、キアラや他の戦えないものたちとともに、集落ごと東へ逃げているはずだった。カガルトゥラードがここまで深く攻め入ってきていたか、あるいは、別動隊か何かがいたのかもしれない。イェノア自身の剣の腕前は確かだったから、他のものたちを逃がすために、戦ったのだろう。

 そしておそらく、イェノアが死ぬところにキアラもいた。だから、我が身を差し出して戦を止めようとした。

 痛みを感じ、ユクガはそっと己の手のひらを見た。小さな弧を描いた傷が、並んでいる。無意識に、拳を固く握りしめていたらしい。

「……ククィツァ」

 兄弟のように育った男が、のろのろとこちらを向く。その顔を見て、ユクガは自分がどういう表情をしていたのかを知った。

 同じ痛みを味わってほしくなど、なかった。

「……俺は、カガルトゥラードに行く」
「……何言ってんだ、お前」

 そっとイェノアを横たえ、ククィツァがつかつかと歩いてくる。胸倉を掴まれても、ユクガはその手を払いのけることはしなかった。

「キアラを取り戻す」
「……だから、何言ってんだよ、お前……!」

 殴られるのかと思ったが、ククィツァのもう片方の手は、ユクガの胸倉をさらに捻り上げただけだった。

「俺たちがやんなきゃいけねぇのは……そんなことじゃねぇだろ……!」
「そんなこと、だと……!」

 とっさにククィツァの腕を掴んで、ユクガはぎりぎりとククィツァと睨み合った。
 失った痛みをわかっているからこそ止めてほしくなかったし、失った痛みがあったとしても、ククィツァがそうはしないことも、何となくわかっていた。

「今、やんなきゃいけねぇのは……失ったものを取り戻すことでも、死者のために嘆くことでもねぇ……生き残ったやつらを、守ることだろうが……!」

 わかっている。ククィツァもユクガも、ただ自分のことだけ考えていればいいような立場ではない。
 ただ、わかっていなかった。ククィツァの大事なものは、もう、取り戻せない。

 しばらくして、ユクガはククィツァの腕を離した。

「……すまん」
「……おう」

 二人してイェノアの傍に座り込み、空を見上げる。もうすっかり、きれいな星空だ。

「……すまん。お前の剣として、力不足だった」
「それを言うなら、俺の頭だって計算不足だった。すまん」

 三頭の馬が、二人を囲むように立ってくれる。風よけになってくれているのかもしれない。

「……戻るか」

 立ち上がってようやく、ユクガは体の痛みと重さを自覚した。ここまでカヤを走らせてきたのも、今考えれば無茶な行為だ。
 立ち上がるのを助けようと手を差し出したものの、ククィツァにじっと見つめられ、ユクガは眉間にしわを寄せた。

「来てくれんのか」

 ぽつりと返ってきた声に、ほんの少し、ククィツァの痛みを感じる。

「……今は、お前とともに行くべきだと思った」
「……そっか」

 ユクガの手を取って、ククィツァも立ち上がった。
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