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27.傍らにあるぽわぽわ
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ガタゴトと動いていた馬車が止まると、少ししてからこんこんと扉が叩かれる。
「はい」
返事をすると外からゆっくり扉が開けられて、ローロがゆっくり顔を出した。
「こんにちは、ローロ様。休憩でしょうか」
こくこく頷いたローロのいる扉のほうに近づくと、すぐに太い腕が伸びてきて、優しく抱き上げられる。大柄で力も強そうだが、ローロがキアラに触れるときは、いつも気を遣ってくれているのがわかる。
先日、高貴という言葉と下賤という言葉を教えてもらったとき以来、彼はとても優しい。
「ローロ様、私は自分でも歩けます」
何回もそう伝えているのだが、ローロはにこにこ頷くばかりだ。大した距離もない馬車とたき火の間を、キアラを歩かせることなく椅子まで運んでくれる。
「ありがとうございます、ローロ様」
運んでもらっているのは事実だから、毎回きちんとお礼を言って、自分で歩けるのだからそんなことをしなくてもいいのですよ、とついでに伝えているのだが、わかってもらえているのかいないのか。ローロは頷くだけで、言葉を交わせないのが少しもどかしい。
ローロが連れてきてくれたまま椅子に腰かけて、キアラは他の三人がいないのに気がついた。ローロと、いつも料理を作ってくれている人の二人しかいない。
見えないところにいるのかときょろきょろ見回していると、鍋をかき混ぜていた人が苦笑してスープをくれた。お礼を言ってキアラが受け取ると、ローロは横で食べ始めてしまった。待たなくていいのだろうか。
「隊長はいつもの通り話し合い、他の二人は所用があって出かけています。気にせず召し上がってください」
「そうなのですか……」
キアラはただ運ばれているだけだが、彼らは他にも仕事があるのかもしれない。
程よく冷ましてくれていたらしいスープをありがたく口に運ぶ。いつもおいしい。料理をしてくれる人が自分も食器を片手に座ったかと思うと、キアラに視線を向けてきた。
「どうかなさいましたか」
おかしなことをしたつもりはないが、何かしてしまっただろうか。尋ねたキアラに首を横に振ったものの、彼は穏やかな表情をすっと消した。
「……逃げようとは、お考えになりませんか」
思いがけない言葉に、何度か瞬きをくり返す。キアラに逃げられたら、そもそも彼らが困るのではないだろうか。
「……私が走るより、お二人のほうが速いのではないでしょうか……」
単純な話、キアラは走るのが速いほうではない。それに周囲には彼らの味方の兵士がたくさんいるようだから、すぐに捕まってしまうと思う。
「……それに私は、守るために来たのです」
キアラ一人がその身を投げ出したからといって、戦がそこで終わるわけではないだろう。けれど、多少なりとも、あのまま戦を続けているよりは早く、戦いを終わらせることができたのではないかと思う。イェノアを失うまで行動できなかったのは愚かだったかもしれないが、だからこそ、これ以上誰かを失いたくない。
もし、あそこでユクガを失ってしまっていたら、きっとこの先を生きることに耐えられない。
「私が逃げては、守りたかったものが、守れません」
「……そうですか」
「はい」
会話はそこで途切れてしまって、三人で黙々と食事を終える。
そう、今は三人しかいないのだ。
「……神子様、なぜ腕まくりを?」
「人数が少ないのですから、私がお皿を洗います」
料理をしてくれる人が口を引き結んで、じっとキアラを見下ろしている。それからため息をついて、視線がそらされた。
「……ローロ」
ローロがのそのそと動いて、キアラを抱き上げてしまう。
「な、なぜですかローロ様、これではお手伝いができません」
下ろしてくれるようお願いしても、子どもをあやすようにぽんぽんと背中を撫でられてしまった。その間にキアラたちの使った食器をてきぱきと片づけた上で、料理をしてくれた人が残りの三人の分の用意を進めてしまう。
どうしても何もさせてもらえないらしい。
「私だって、お料理もお洗濯もお掃除もできるのですよ? お裁縫も、馬のお世話もできます」
ローロに一生懸命訴えてみても、うんうんと頷くばかりだ。これは、キアラもきちんと家事ができるということを、理解してもらえていないのではないだろうか。やはり実際に目の前でやって見せなくてはと思うのに、下ろしてもらえる気配はない。
「ローロ様、下ろしてください、ローロ様……っ」
「……何があった?」
じたばたしているところに隊長の人が戻ってきて、怪訝そうな声を出した。キアラの言うことは聞いてくれなくても、隊長の人の言うことなら、ローロも聞いてくれるだろうか。
「隊長様、私を下ろしてくださるように、ローロ様にお願いしてください」
名前は教えてもらっていないので、結局隊長様と呼ぶしかない。キアラが何度もそう呼んでいるうちに注意されなくなったから、たぶん、その呼び方で許してもらえているのだと思う。
「……リンドベル?」
「神子様が炊事を手伝おうとなさるので、ローロに抱っこしてもらっています」
「……なるほど」
隊長の人が近づいてきて、ローロの腕をぽんぽんと叩く。
「ローロ、そのまま抱っこだ」
どうして。
戻ってきた二人とも同じやりとりをする羽目になって、キアラはローロの腕でむくれるしかなかった。
「当然だろ、お前は神子なんだから」
隊長の人との話が終わったのか、意地悪な人がローロの傍に来て話しかけてくる。
「神子だと、どうしてだめなのですか」
他の四人に比べて、意地悪な人はキアラと歳が近いように思われた。もちろんキアラより背が高いし力も強そうなのだが、意地悪さえなければ、隊長の人よりは話しやすい、気がする。
何より、今はローロに抱き上げられているので力ずくで何かされる心配がなくて、普段よりは落ちついて話すことができる。
「どうしてって……神子は高貴な人なんだから、皿洗いとかさせるわけないに決まってるだろ」
「……私は、高貴、ではない、と申し上げたではありませんか」
「神子なら高貴なんだよ。んな髪の色してんだから、神子じゃないわけないし」
イェノアに教えてもらったが、人は髪の色で、どのような精霊の加護を賜っているのかわかるそうだ。キアラの銀色というのはどの精霊の色でもなくて、きっと複数の精霊の加護を賜っているのだろう、と言われた。
ただ、そのあとベルリアーナがこっそり教えてくれたことには、キアラは全ての精霊の祝福を受けているから、銀色の髪をしているらしい。その祝福が、血を与えればどんなけがや病も治せる力として表れているのだそうだ。
キアラはじっと意地悪な人を見て、それからローロを見て、話し込んでいる隊長の人たちをちらりと見た。
彼らの黒い髪というのも、どの精霊の色でもない、ように見える。
「お伺いしても、よろしいでしょうか」
「な、なんだよ」
「……黒い髪というのは、どの精霊のご加護なのですか」
途端に意地悪な人が目を吊り上げて襲いかかってきて、キアラは小さく悲鳴を上げた。実際にはローロが身を翻してかばってくれたので、特に何もされてはいないのだが、彼は確実に、とても、怒っていた。
「レテ! 落ちつけ! やめろ!」
「うるせぇ離せ! あいつぶっ飛ばす!」
「ラグノース!」
ククィツァに似た人と隊長の人が、意地悪な人を捕まえて引っ張っていく。きっと、悪いことをしたのはキアラのほうなのだが、どうしていいかわからない。
ローロに抱き上げられたまま震えていると、料理をしてくれる人が静かに近づいてきた。
「お話を伺えますか」
「……はい」
先に歩いていく彼にローロがついていって、馬車に移動する。料理をしてくれる人と二人で中に入り、向かい合って座ることになった。開けたままの扉のところに、ローロが心配そうな顔で立っている。
「彼と何をお話しなさっていたのか、お伺いできますか」
「……神子だから、お皿洗いはだめだと言われました」
どう話していいのか、よくわからなかった。おそらく彼は、意地悪な人がどうして怒ったのか知りたいのだろうと思うが、どうして怒られたのか、キアラにはわからないのだ。
「高貴な方に、そんなことをさせるわけにはいきませんからね」
「……ですから、私は、高貴、ではないと申し上げたのです」
ふむ、と相槌を打って続きを促されたので、そんな髪の色をしていて神子に違いないのだから、高貴なのだと言い返されたことを話す。
そうだ、髪の色だ。
「その、私が、黒い髪というのはどの精霊のご加護なのですか、と、申し上げたのが……よくなかった、の、でしょうか……」
意地悪な人があれほど怒っていたのだから、目の前の人も怒るかもしれなかった。
びくびくしながら尋ねたキアラに、料理をしてくれる人が苦笑する。
「そうですね。黒髪のことを、特に神子様に聞かれたのなら、レテがあれだけ怒るのも理解できます」
「そう、なのですか……」
彼に謝らなくては。しかし、どうしていけないことだったのかきちんと理解してからでないと、きっと的外れな謝罪になってしまう。
膝の上に置いた手をきゅっと握りしめて、キアラは頭を下げた。
「……申し訳ないのですが、黒い髪がどういう意味を持つのか、私に教えていただけませんか」
本当は、こうして聞かれること自体、目の前の人も不愉快に思っているかもしれない。しかし、聞かなければわからない。わからないままではきっとまた、誰かを傷つけてしまう。
「……知って、どうします?」
「彼に謝ります。私が悪かったのですから」
「彼が謝罪を求めているとは限らないと思いますが」
そうかもしれない。
「……それでも、私が謝らなくていいということにはなりません」
傷つけたのは事実なのだから、キアラが謝るのは必要なことだ。
両手を握りしめたまま正直に答えると、目の前の人がふっと表情を緩め、キアラの拳の上に手を置いてきた。
「……お話ししますから、ごめんなさいは少し落ちついてからにしましょうか」
諭すように言われて、キアラは体の強張りに気がついた。少しずつ、力が抜けていくのと合わせて、目元が熱くなってくる。
「黒髪というのは、どの精霊の加護も与えられていない、ということです」
誰もが生まれながらに与えられているはずの精霊の加護を、ごくまれに、持たないで生まれてくる子どもがいる。黒髪はその印だ。
「……そんなことが、あるのですか」
「精霊に祝福されている神子様には、信じられないかもしれませんが」
しかし、キアラの前には五人の黒髪の人がいるのだ。信じないなどというつもりはなくて、キアラは首を横に振った。
「あまりに信じられないので、精霊を怒らせるほどの悪事をなしたせいだろう、という人もいますね」
「それは……」
「生まれたばかりの赤子に何の悪事ができるのか、伺ってみたいところです」
キアラはそっと、拳に触れている硬い手を両手で包み返した。
「……怖い、ときもありますが……皆様は、優しい方たちです。精霊も……皆様を避けていません」
「……精霊が、お見えに……?」
「いいえ。ただ傍にいてくださるのを、感じるだけです」
キアラの周囲には、いつもぽわぽわと何かがいる。目には見えないが確かに気配はあって、それが精霊と呼ばれるものだろうと何となく気づいたのは、ヨラガンに行ってからだった。火の傍には温かいぽわぽわが集まって、草原を眺めていると楽しそうなぽわぽわが飛んでいく。
そして人を相手にしたとき、キアラの傍のぽわぽわが寄っていく人もいれば、さっと避ける人もいるのだ。彼ら五人には、ぽわぽわがぎゅっと寄っていくわけでもなく、あからさまに避けるわけでもない。ごく自然に、ともにある。
「悪い人からは、逃げてしまうようなので……皆様が悪い人だとは、私は思いません」
「……あなたを、望まないどこかに連れて行こうとしていても?」
「それが悪いことなら、あなたのお傍に精霊はいらっしゃらないでしょうから」
一緒に行くと言い出したのはキアラのほうだし、彼らは戦を終わらせるために尽力してくれたはずだ。ヨラガンが今どうなっているかわからないし、キアラにはもうひどいことが起きませんようにと願うことしかできないが、争い自体は終わっているはずだ、と思う。
「……神子様」
「はい」
「……私の名は、リンドベルと申します」
きょとんと眼を瞬いて、キアラはしばらく彼を見つめた。
「リンドベル、様?」
「はい。どうぞこれから、お役立てください」
「はい……?」
よくわからないが、何かを許されたらしかった。
「はい」
返事をすると外からゆっくり扉が開けられて、ローロがゆっくり顔を出した。
「こんにちは、ローロ様。休憩でしょうか」
こくこく頷いたローロのいる扉のほうに近づくと、すぐに太い腕が伸びてきて、優しく抱き上げられる。大柄で力も強そうだが、ローロがキアラに触れるときは、いつも気を遣ってくれているのがわかる。
先日、高貴という言葉と下賤という言葉を教えてもらったとき以来、彼はとても優しい。
「ローロ様、私は自分でも歩けます」
何回もそう伝えているのだが、ローロはにこにこ頷くばかりだ。大した距離もない馬車とたき火の間を、キアラを歩かせることなく椅子まで運んでくれる。
「ありがとうございます、ローロ様」
運んでもらっているのは事実だから、毎回きちんとお礼を言って、自分で歩けるのだからそんなことをしなくてもいいのですよ、とついでに伝えているのだが、わかってもらえているのかいないのか。ローロは頷くだけで、言葉を交わせないのが少しもどかしい。
ローロが連れてきてくれたまま椅子に腰かけて、キアラは他の三人がいないのに気がついた。ローロと、いつも料理を作ってくれている人の二人しかいない。
見えないところにいるのかときょろきょろ見回していると、鍋をかき混ぜていた人が苦笑してスープをくれた。お礼を言ってキアラが受け取ると、ローロは横で食べ始めてしまった。待たなくていいのだろうか。
「隊長はいつもの通り話し合い、他の二人は所用があって出かけています。気にせず召し上がってください」
「そうなのですか……」
キアラはただ運ばれているだけだが、彼らは他にも仕事があるのかもしれない。
程よく冷ましてくれていたらしいスープをありがたく口に運ぶ。いつもおいしい。料理をしてくれる人が自分も食器を片手に座ったかと思うと、キアラに視線を向けてきた。
「どうかなさいましたか」
おかしなことをしたつもりはないが、何かしてしまっただろうか。尋ねたキアラに首を横に振ったものの、彼は穏やかな表情をすっと消した。
「……逃げようとは、お考えになりませんか」
思いがけない言葉に、何度か瞬きをくり返す。キアラに逃げられたら、そもそも彼らが困るのではないだろうか。
「……私が走るより、お二人のほうが速いのではないでしょうか……」
単純な話、キアラは走るのが速いほうではない。それに周囲には彼らの味方の兵士がたくさんいるようだから、すぐに捕まってしまうと思う。
「……それに私は、守るために来たのです」
キアラ一人がその身を投げ出したからといって、戦がそこで終わるわけではないだろう。けれど、多少なりとも、あのまま戦を続けているよりは早く、戦いを終わらせることができたのではないかと思う。イェノアを失うまで行動できなかったのは愚かだったかもしれないが、だからこそ、これ以上誰かを失いたくない。
もし、あそこでユクガを失ってしまっていたら、きっとこの先を生きることに耐えられない。
「私が逃げては、守りたかったものが、守れません」
「……そうですか」
「はい」
会話はそこで途切れてしまって、三人で黙々と食事を終える。
そう、今は三人しかいないのだ。
「……神子様、なぜ腕まくりを?」
「人数が少ないのですから、私がお皿を洗います」
料理をしてくれる人が口を引き結んで、じっとキアラを見下ろしている。それからため息をついて、視線がそらされた。
「……ローロ」
ローロがのそのそと動いて、キアラを抱き上げてしまう。
「な、なぜですかローロ様、これではお手伝いができません」
下ろしてくれるようお願いしても、子どもをあやすようにぽんぽんと背中を撫でられてしまった。その間にキアラたちの使った食器をてきぱきと片づけた上で、料理をしてくれた人が残りの三人の分の用意を進めてしまう。
どうしても何もさせてもらえないらしい。
「私だって、お料理もお洗濯もお掃除もできるのですよ? お裁縫も、馬のお世話もできます」
ローロに一生懸命訴えてみても、うんうんと頷くばかりだ。これは、キアラもきちんと家事ができるということを、理解してもらえていないのではないだろうか。やはり実際に目の前でやって見せなくてはと思うのに、下ろしてもらえる気配はない。
「ローロ様、下ろしてください、ローロ様……っ」
「……何があった?」
じたばたしているところに隊長の人が戻ってきて、怪訝そうな声を出した。キアラの言うことは聞いてくれなくても、隊長の人の言うことなら、ローロも聞いてくれるだろうか。
「隊長様、私を下ろしてくださるように、ローロ様にお願いしてください」
名前は教えてもらっていないので、結局隊長様と呼ぶしかない。キアラが何度もそう呼んでいるうちに注意されなくなったから、たぶん、その呼び方で許してもらえているのだと思う。
「……リンドベル?」
「神子様が炊事を手伝おうとなさるので、ローロに抱っこしてもらっています」
「……なるほど」
隊長の人が近づいてきて、ローロの腕をぽんぽんと叩く。
「ローロ、そのまま抱っこだ」
どうして。
戻ってきた二人とも同じやりとりをする羽目になって、キアラはローロの腕でむくれるしかなかった。
「当然だろ、お前は神子なんだから」
隊長の人との話が終わったのか、意地悪な人がローロの傍に来て話しかけてくる。
「神子だと、どうしてだめなのですか」
他の四人に比べて、意地悪な人はキアラと歳が近いように思われた。もちろんキアラより背が高いし力も強そうなのだが、意地悪さえなければ、隊長の人よりは話しやすい、気がする。
何より、今はローロに抱き上げられているので力ずくで何かされる心配がなくて、普段よりは落ちついて話すことができる。
「どうしてって……神子は高貴な人なんだから、皿洗いとかさせるわけないに決まってるだろ」
「……私は、高貴、ではない、と申し上げたではありませんか」
「神子なら高貴なんだよ。んな髪の色してんだから、神子じゃないわけないし」
イェノアに教えてもらったが、人は髪の色で、どのような精霊の加護を賜っているのかわかるそうだ。キアラの銀色というのはどの精霊の色でもなくて、きっと複数の精霊の加護を賜っているのだろう、と言われた。
ただ、そのあとベルリアーナがこっそり教えてくれたことには、キアラは全ての精霊の祝福を受けているから、銀色の髪をしているらしい。その祝福が、血を与えればどんなけがや病も治せる力として表れているのだそうだ。
キアラはじっと意地悪な人を見て、それからローロを見て、話し込んでいる隊長の人たちをちらりと見た。
彼らの黒い髪というのも、どの精霊の色でもない、ように見える。
「お伺いしても、よろしいでしょうか」
「な、なんだよ」
「……黒い髪というのは、どの精霊のご加護なのですか」
途端に意地悪な人が目を吊り上げて襲いかかってきて、キアラは小さく悲鳴を上げた。実際にはローロが身を翻してかばってくれたので、特に何もされてはいないのだが、彼は確実に、とても、怒っていた。
「レテ! 落ちつけ! やめろ!」
「うるせぇ離せ! あいつぶっ飛ばす!」
「ラグノース!」
ククィツァに似た人と隊長の人が、意地悪な人を捕まえて引っ張っていく。きっと、悪いことをしたのはキアラのほうなのだが、どうしていいかわからない。
ローロに抱き上げられたまま震えていると、料理をしてくれる人が静かに近づいてきた。
「お話を伺えますか」
「……はい」
先に歩いていく彼にローロがついていって、馬車に移動する。料理をしてくれる人と二人で中に入り、向かい合って座ることになった。開けたままの扉のところに、ローロが心配そうな顔で立っている。
「彼と何をお話しなさっていたのか、お伺いできますか」
「……神子だから、お皿洗いはだめだと言われました」
どう話していいのか、よくわからなかった。おそらく彼は、意地悪な人がどうして怒ったのか知りたいのだろうと思うが、どうして怒られたのか、キアラにはわからないのだ。
「高貴な方に、そんなことをさせるわけにはいきませんからね」
「……ですから、私は、高貴、ではないと申し上げたのです」
ふむ、と相槌を打って続きを促されたので、そんな髪の色をしていて神子に違いないのだから、高貴なのだと言い返されたことを話す。
そうだ、髪の色だ。
「その、私が、黒い髪というのはどの精霊のご加護なのですか、と、申し上げたのが……よくなかった、の、でしょうか……」
意地悪な人があれほど怒っていたのだから、目の前の人も怒るかもしれなかった。
びくびくしながら尋ねたキアラに、料理をしてくれる人が苦笑する。
「そうですね。黒髪のことを、特に神子様に聞かれたのなら、レテがあれだけ怒るのも理解できます」
「そう、なのですか……」
彼に謝らなくては。しかし、どうしていけないことだったのかきちんと理解してからでないと、きっと的外れな謝罪になってしまう。
膝の上に置いた手をきゅっと握りしめて、キアラは頭を下げた。
「……申し訳ないのですが、黒い髪がどういう意味を持つのか、私に教えていただけませんか」
本当は、こうして聞かれること自体、目の前の人も不愉快に思っているかもしれない。しかし、聞かなければわからない。わからないままではきっとまた、誰かを傷つけてしまう。
「……知って、どうします?」
「彼に謝ります。私が悪かったのですから」
「彼が謝罪を求めているとは限らないと思いますが」
そうかもしれない。
「……それでも、私が謝らなくていいということにはなりません」
傷つけたのは事実なのだから、キアラが謝るのは必要なことだ。
両手を握りしめたまま正直に答えると、目の前の人がふっと表情を緩め、キアラの拳の上に手を置いてきた。
「……お話ししますから、ごめんなさいは少し落ちついてからにしましょうか」
諭すように言われて、キアラは体の強張りに気がついた。少しずつ、力が抜けていくのと合わせて、目元が熱くなってくる。
「黒髪というのは、どの精霊の加護も与えられていない、ということです」
誰もが生まれながらに与えられているはずの精霊の加護を、ごくまれに、持たないで生まれてくる子どもがいる。黒髪はその印だ。
「……そんなことが、あるのですか」
「精霊に祝福されている神子様には、信じられないかもしれませんが」
しかし、キアラの前には五人の黒髪の人がいるのだ。信じないなどというつもりはなくて、キアラは首を横に振った。
「あまりに信じられないので、精霊を怒らせるほどの悪事をなしたせいだろう、という人もいますね」
「それは……」
「生まれたばかりの赤子に何の悪事ができるのか、伺ってみたいところです」
キアラはそっと、拳に触れている硬い手を両手で包み返した。
「……怖い、ときもありますが……皆様は、優しい方たちです。精霊も……皆様を避けていません」
「……精霊が、お見えに……?」
「いいえ。ただ傍にいてくださるのを、感じるだけです」
キアラの周囲には、いつもぽわぽわと何かがいる。目には見えないが確かに気配はあって、それが精霊と呼ばれるものだろうと何となく気づいたのは、ヨラガンに行ってからだった。火の傍には温かいぽわぽわが集まって、草原を眺めていると楽しそうなぽわぽわが飛んでいく。
そして人を相手にしたとき、キアラの傍のぽわぽわが寄っていく人もいれば、さっと避ける人もいるのだ。彼ら五人には、ぽわぽわがぎゅっと寄っていくわけでもなく、あからさまに避けるわけでもない。ごく自然に、ともにある。
「悪い人からは、逃げてしまうようなので……皆様が悪い人だとは、私は思いません」
「……あなたを、望まないどこかに連れて行こうとしていても?」
「それが悪いことなら、あなたのお傍に精霊はいらっしゃらないでしょうから」
一緒に行くと言い出したのはキアラのほうだし、彼らは戦を終わらせるために尽力してくれたはずだ。ヨラガンが今どうなっているかわからないし、キアラにはもうひどいことが起きませんようにと願うことしかできないが、争い自体は終わっているはずだ、と思う。
「……神子様」
「はい」
「……私の名は、リンドベルと申します」
きょとんと眼を瞬いて、キアラはしばらく彼を見つめた。
「リンドベル、様?」
「はい。どうぞこれから、お役立てください」
「はい……?」
よくわからないが、何かを許されたらしかった。
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