白銀オメガに草原で愛を

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宮殿

36.いち、に、さん

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 宮殿の中でさえ、普段行かないようなところに行くのはそれなりに準備のいることのようで、キアラが書庫というものに行けたのは数日後のことだった。

「これがすべて本なのですか……」
「はい。宮殿の書庫には、カガルトゥラード中の本の他に、他国で作られた本の一部も集められております」
「すごいですね……!」

 書庫は薄暗くて危ないので、特別にベールを外してもいいと言ってもらえて、自分の目で見られるのが嬉しい。
 天井まで届きそうな高い棚が壁のように並び、そのすべての段に、様々な大きさや色の本がきっちり並べられている。書庫から本を持ち出してはいけないので、読みたい本が見つかったら、書庫の中にある閲覧室というところで読むのだそうだ。

「神子様、どういった本をお読みになりたいですか」

 また、本来は司書という人が読みたい本を探すのを手伝ってくれるそうなのだが、ベールを外したキアラとは会ってはいけないらしい。そのため、ミオとシアに手伝ってもらって本を探さなければいけなかった。
 ミオとシアの二人も、すらすらというほどではないが、文字の読み書きはできるそうだ。

「えっと……」

 まず何を知ったらいいだろう。
 居並ぶ本をきょろきょろと見回すキアラの傍に、楽しげな気配の精霊が近づいてきた。それからくるりと周囲を回って離れていったかと思うと、また近づいてくる。

「……ミオ、シア、あちらに行ってみましょう」
「み、神子様?」

 精霊が何を考えているのかわからないけれど、なんとなく、キアラをどこかに連れていこうとしている気がする。気配を感じるだけだから見えてはいないが、つかず離れずの距離で待ってくれているのはわかるし、はぐれるとからかうように傍に戻ってきて、また少し先を飛んでいく。
 ぽわぽわと進んでいく精霊のあとをゆっくりついていくと、ほの暗さはあるものの凛とした静けさの場所に出た。普段あまり人の来ないところなのかもしれない。埃っぽさに小さくくしゃみをして、精霊を探すと、少し上のほうにとどまっている。

「神子様、この辺りは……古い本ばかりのようですが……」
「……ミオ、シア、あの本を読みたいです」

 ここに連れてきてくれた精霊だけではなく、他の精霊もその本にまとわりついている。キアラの背では届かないのだが、ミオかシアが背伸びをしたら、届くだろうか。

「……どれですか?」
「あの、青い……あ、それではなくて、その上の」

 シアが背伸びをしても、届かないようだ。ミオとシアでキアラを持ち上げてもらったら、何とかなるかもしれない。ただ、棚に近づいてキアラが背伸びをしていると、後ろからミオでもシアでもない誰かの手が伸びてきて、目的の本を手に取ってしまった。

「あ……」
「お求めの本は、これですか?」

 目の前に差し出された本を両手で受け取って、慌てて後ろを振り返る。

「ありがとう、ございます……」

 赤い髪に赤い瞳だが、ゲラルドではない。ゲラルドほど縦にも横にも大きい人ではないが、ミオやシア、キアラよりは背が高い。精霊が避けている様子もないから、悪い人、というわけではなさそうだ。
 誰だろう、と首を傾げて、キアラはミオとシアが膝をついているのに気がついた。偉い人なのだろうか。

「初めてお目にかかります、神子様。エドゥアルドと申します」
「えど、えでゅ……エドゥ、アルド、様」

 うまく声に出せなくて、たどたどしい口ぶりになってしまった。そっと口元を押さえて見上げるキアラに、エドゥアルドが怒っている様子はない。

「申し訳、ありません」
「いえ、難しければ、どうぞエディとでもお呼びください」

 それなら呼びやすそうだと思ったものの、ミオが控えめに首を横に振っている。エディと呼んではいけない相手なのだろう。

「……正しい、お名前でお呼びしたい、です」
「これは失礼いたしました、神子様は努力家でいらっしゃる」

 エドゥアルドが穏やかに返してきたので、キアラはほっと肩の力を抜いた。せっかくの申し出を断ったら、エドゥアルドが怒り出すかもしれないと思っていたのだ。

「閲覧室は手配済みでいらっしゃいますか?」
「はい。そうですよね、ミオ」

 ミオに視線を向けたものの、膝をついて顔を伏せたままだ。どうかしたのだろうか。
 ただ、キアラが尋ねる前にエドゥアルドがミオを振り返った。

「発言を許す。神子様がお求めだ」
「……感謝いたします。閲覧室は手配済みです、神子様」
「……ありがとうございます、ミオ」

 ミオが話すのに、どうしてエドゥアルドに許しをもらわなければいけないのだろう。
 エドゥアルドはカガルトゥラードの人だから、今質問をしたら怒るかもしれない。キアラが言葉を探していると、エドゥアルドに視界を埋められてしまった。

「閲覧室までご案内しましょう。侍従、どの閲覧室だ」
「……三の閲覧室をご用意しております」
「三の閲覧室だと?」

 さんの閲覧室、というのがどういう意味を持つのかわからないが、エドゥアルドは気に入らなかったようだ。ミオが何かひどいことをされないか不安になって、急いでエドゥアルドとミオ、シアの間に立つ。

「わ、私、は、本が読めればよいのです。ミオは、場所を、きちんと用意してくれています」

 どきどきしている胸を抱きかかえた本で隠して、キアラはエドゥアルドをじっと見上げた。
 赤い目に射抜かれそうで、恐ろしい。

「……驚かせてしまいましたね、申し訳ありません」

 エドゥアルドの気配がふっと緩み、キアラの前に手が差し出された。

「ですが、三の閲覧室は神子様にふさわしい場所とは思えません。よろしければ私といらしてください。一の閲覧室にご案内します」

 さんの閲覧室と、いちの閲覧室で、何が違うのだろう。
 戸惑いつつ、エドゥアルドの手に自分の手を乗せて、本の立ち並ぶ中を閲覧室まで連れていってもらう。実際のところ閲覧室がどこにあるのかよく知らないし、ここまで精霊についてきてしまったから、元の場所に戻れるかも怪しいのだ。案内してもらえるのなら、もちろん助かる。
 段差に気をつけて、などと気づかってもらいながら、見えてきた扉をさらに別の人に開けてもらって中に入る。

「……きれい」
「お気に召していただけたようで、何よりです」

 薄暗かった書庫とは違って、宮殿にいくつもある庭の一つが見下ろせるような大きな窓から、室内に明るい日差しが降り注いでいた。なめらかそうなとばりがきれいに編まれた紐で留められているから、普段はとばりが閉められているのかもしれない。草花の絵が規則的に描かれた壁は落ちついた色で、備えつけられた椅子や机は優しい白地に金色の縁取りで装飾されている。

「神子様、こちらへ。硬い椅子は御身にふさわしくないでしょう」

 エドゥアルドに手を引かれるまま、キアラは柔らかい色合いの布が張られた椅子に腰を下ろした。

「ふ……」
「ふ?」

 びっくりして漏らした声を拾われて、エドゥアルドに目を向ける。

「ふわふわ、です……」

 途端にエドゥアルドが笑みをこぼして、キアラの傍に膝をついた。部屋の扉を開けてくれた人が慌てるが、エドゥアルドが気にする素振りはない。

「ゲラルドが夢中になるわけですね、かわいらしい方だ」
「ゲラルド様、ですか?」

 先ほどの人が別の椅子を持ってきて、キアラの椅子の傍に置いた。当然のようにその椅子に座り、エドゥアルドがキアラの手を取る。

「ええ。私が神子様と会えないよう、いろいろと手を尽くしていたほどです」
「……そうなのですか」

 キアラとエドゥアルドが会おうが会うまいが、ゲラルドには何も関係なさそうだが、何か困るのだろうか。
 首を傾げたキアラにエドゥアルドがまた微笑み、優しく手を撫でてくる。

「ここでお会いできてよかった。また拝謁の機会をいただけますか?」

 難しい言葉が出てきてしまった。助けてほしくてミオとシアの姿を探すと、入り口のところに立って顔を伏せたままだ。
 声をかけていいのか迷っていると、キアラの視線を追ったエドゥアルドが、そっと顎に指を添えてキアラの顔の向きを変えてきた。話の途中で顔をよそに向けたのは、やはり失礼だったかもしれない。

「どうかなさいましたか?」
「も、申し訳ありません、あの……はいえつ、という言葉が、わからなくて……」

 少し目を丸くしたエドゥアルドは、すぐに頬を緩めてキアラの顎に触れていた手を離してくれた。言葉がわからず聞き返してしまったけれど、怒られる様子はなさそうだ。

「またお会いしたい、という意味だと思ってください」
「……エドゥアルド様がお求めでしたら、どうぞお声がけくださいませ」
「……嬉しいことを、おっしゃってくださる」

 触れられていた手に口づけられて、キアラが目を瞬いているうちにエドゥアルドが立ち上がる。

「申し訳ありませんが公務も控えておりまして、今日はこれで失礼いたします。今後神子様が書庫をご利用になる際には、一の閲覧室をご用意するよう、司書たちに申し伝えておきますね」
「……ありがとう、ございます」

 もう一度微笑んでから閲覧室を出ていくエドゥアルドを見送り、キアラは口づけられた手に視線を落とした。
 ゲラルドのときほどではないけれど、手を拭きたい。

「……ミオ、シア、傍に来てくださいませんか」

 エドゥアルドがいる間はじっと控えていた二人を呼んで、キアラは本を膝の上に置いた。表紙には、神秘の国ファルファーラ紀行と書かれている。

「エドゥアルド様は、どういった方なのですか」
「……カガルトゥラードの第一王子殿下です。ゲラルド殿下の兄君ですね」

 カガルトゥラードには王子が二人いて、エドゥアルドとゲラルド、どちらが現王の跡を継ぐか未だに決まっていない。そのため二人の仲は悪いといって差し支えなく、貴族やしるべ灯火ともしびをも巻き込んだ勢力争いを続けているのだそうだ。

「大変、ですね」

 仲良くしたらいいのにと思いつつこぼすと、ミオとシアが何とも言えない顔をした。きょとんとしてキアラが目を瞬いているうちに、小さな机を運んできて傍に置いてくれる。

「……神子様も、すでに巻き込まれていらっしゃいますよ」
「……そうなのですか……?」

 思いがけない言葉に聞き返すと、二人は顔を見合わせてしまった。
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