白銀オメガに草原で愛を

phyr

文字の大きさ
49 / 78
宮殿

46.黒髪のアルファ

しおりを挟む
 だるい体を持て余しながら寝返りをうって、キアラはふと目を開けた。
 小さなランプはついているが、とばりの向こうはすっかり暗くなっているようだ。いつのまにか寝入っていて、夜になっていたらしい。ため息をついて起き上がり、服が肌にこすれる感触に身を震わせる。

 キアラがカガルトゥラードに来てから、二度目のヒートだった。

 マナヴィカに抑制剤というものはもらったのだが、体がどう反応するかわからないから、まずは弱いものから試しましょうと勧められて、一番効果が弱いものを飲んでみた。体が狂おしく支配されるほどの熱は薄れているが、どうしても、普段なら気にならないような刺激に過敏に反応してしまう。番に来てほしくてたまらない気持ちが、いくらかの冷静さを取り戻してしまっているせいで、余計に心に響く気がした。
 あの、安心する香りに包まれたい。

「……神子様」

 ドアをノックして呼ぶ声に、キアラはゆっくりと視線を向けた。ヒートの間はなるべく部屋に入らないよう、ミオもシアも気をつけてくれている。

「いらしてください、シア」

 震えてしまわないよう気をつけて、なんとか声を張り上げる。声が届くか少し心配だったが、滑り込むように扉の隙間から姿を現したシアが、慎重にベッドの傍まで近づいてきてくれた。

「どうか、なさいましたか」
「……神子様に、どうしてもお会いしたいという方がいらっしゃって……お断りしたのですが、命令だから譲れないと……」

 シアもかなり困っているらしい、というのはわかって、キアラも小首を傾げた。
 キアラがオメガだという話は、おそらくカガルトゥラードでは広く知られてしまっていて、ヒートを迎えたら伏せってしまうというのも、推測できないことではないはずだ。
 ヒートの間でも、どうしても会わなければならないほどの命令とは、何だろうか。

「どのような、方ですか」
「……黒髪の、兵士です」

 はたり、とキアラは目を瞬いた。

「……目は、何色でしたか」
「目、ですか? 茶色……だったかと、思いますが……」

 茶色の瞳をした、黒髪の兵士。
 一人、心当たりがいる。

 しかし、もし違う人だったら、という心配もあって、キアラは束の間ためらった。

 いつか、傍に来てくれると言っていた。危ないことはしないでほしいと思ったけれど、信念を持って伝えてくれたのはわかったから、その気持ちを受け取って、大切なものを託した相手がいる。

「……シア、その方に、お名前を伺ってみてください」
「名前、ですか?」

 小さくうなずいて、キアラはそっと声を潜めた。

「ルガート、とおっしゃったら、お通ししてください」
「……ルガート、ですか……」

 いぶかしげな様子に苦笑し、シアの手を取って両手で包む。会ったことがないだろうから、シアが心配するのもおかしくない。

「大丈夫です。もしその方がルガート様なら、私を、助けてくださる方です」

 ただ、それに返事をする声もあまりにも不満げで、キアラはくすくす笑ってシアの手を撫でた。

「……シア、あなたも、私を助けてくださる方、ですね」
「神子様……」
「心配してくださって、ありがとうございます、シア」

 きちんとお礼を告げると、むにゃむにゃと口を動かし、最後には小さくため息をついて頭を下げ、シアは扉のほうに戻っていってしまった。何かまだ気になることがあったのだろうか。

 また首を傾げたもののベッドの上に座り直し、キアラは訪問者を待った。シアが行ってしまったので、もはや確かめようもないし、仮に黒髪の兵士がルガートでないなら、次にどうするか考えておかなくてはいけない。

 しかしいい案が思いつく前に扉が開き、静かに入ってきた二人を見て、キアラはそっと息を漏らした。シアに連れられてゆっくりベッドの傍まで来ると、少し距離を空けたまま、大柄な男が膝をつく。

「……ご無沙汰しております、神子様」
「……お久しぶりです、ルガート様」

 あの日キアラが見上げた茶色の目が、今度はキアラを見上げている。あのときより少し顔つきが険しくなっているような気もするが、ルガートの周りにいる精霊は、あのころと同じように、彼を避けようとはしていない。

「皆様は、お変わりないですか」

 他の四人の様子を聞こうと尋ねたものの、ルガートは軽く頭を下げただけで、何も言わなかった。温かな気配の精霊がルガートの傍で揺らめいて、ぽわぽわとシアのほうへ漂っていく。よく見れば、シアの視線も、じっとルガートを見据えたままだ。
 こういうとき、何と言うのだろう。

「……ルガート様、そちらのシアは、私を助けてくださる侍従です。シア、ルガート様は、私を戦場いくさばからカガルトゥラードの国境くにざかいまで、守ってきてくださった方です。ですから、二人とも……あの……意地悪をしなくても、よいの、ですよ……?」

 今言うべきは意地悪という言葉ではないのはわかっていても、他にぴったりくる言葉も思いつかず、キアラは仕方なくそのまま口にした。ルガートも、シアも、一瞬きょとんとしたもののすぐに表情を緩めてくれたので、まったく伝わらなかったというわけではないだろう。

「申し訳ありません、しるべ灯火ともしびのもののように見受けられましたので……警戒いたしました」
「シアは、しるべ灯火ともしびの人、ですが……えっと……」
「……私ともう一人の侍従は、神子様に改めて忠誠を誓っております」
「なるほど」

 キアラが言葉を探しているうちに、ルガートとシアで話が済んでしまった。間に立ったほうがいいと思ったのだが、うまく話せないとそれも難しいようだ。

「私はルガート、元は傭兵だが、今はカガルトゥラード軍の末端に名を連ねている。故あって、神子様を主と定めている」
「……私はシアです。しるべ灯火ともしびの求灯士ですが、神子様の御心に触れ、もう一人の侍従、ミオとともに、神子様に忠誠を捧げております」

 ここは、名前を言うところなのだろうか。しかし、名前のあとに何を言えばいいか思いつかない。

「わ、私、は」
「神子様……?」
「神子様、神子様のことは、私もこの方も存じ上げておりますので……」
「そ、そう、ですか」

 何か違ったらしい。
 首を傾げていたらシアが頭を下げてから近づいてきて、キアラの襟元を直してくれた。そのまま後ろの襟まで直すようにしてキアラの耳元に唇を寄せ、小さな声で教えてくれる。

「私はこのまま下がりますが、何かあればすぐにお呼びください」

 そしてキアラが何か答える前に、すっと部屋を出ていってしまった。まだ少し、ルガートに対して、警戒、しているらしい。
 構えることはないのに、と思いつつ、ルガートが立ち上がると、キアラもびくりと身を震わせてしまった。どきどきと、胸が実際に脈打って見えるのではないかと思うくらい、激しく動いている。

「……ここでお話しいたしましょう」

 気づいたルガートが再び膝をついてくれて、キアラはそっと上掛けを引っ張った。ルガートは、恐ろしくない人だとわかっているはずなのに、服一枚で向かい合うのが心もとない。

「も、申し訳ありません……」
「いえ……ゲラルドの蛮行については、私も聞き及んでおります」

 その名前にも反応してしまって、キアラは意識的に息を吸い込んで、吐き出した。ルガートはキアラに何か用事があって来たのだろうから、気持ちを落ちつけて、きちんと話をしなければいけない。

「……私に、会いにいらしたのですよね」
「はい。ご説明申し上げます」

 カガルトゥラードにいる神子はオメガである、という話は国内では周知の事実だ。それはつまり、神子がヒートを迎える期間があるということであり、ヒートを鎮めるアルファがいなければならない、ということになる。
 しかし筆頭候補であったゲラルドが神子を襲い、精霊の加護を失った。ゲラルドがおらずとも、神子にはアルファが必要だ。
 そこで、まずはと宮殿内や軍にいるアルファが探された。集められた候補の中に偶然黒髪のアルファがおり、もとより黒髪なら精霊の加護を取り上げられる心配もなかろうと、神子のヒートに合わせてルガートが送り込まれた。

「ルガート様は……アルファでいらしたのですか」
「……お気づきではありませんでしたか」

 ふとした瞬間にルガートからユクガに似たものを感じていたのは、アルファだったからなのだろうか。

「……私は今回、神子様のヒートをお鎮めし、あわよくば番になるように、という命を受けております」

 キアラは思わず、上掛けをぎゅっと握りしめた。
 ルガートのことは嫌いではないし、恐ろしい人ではないとわかっている。
 それでも、体がこわばるのを止められない。

「……何もいたしません」
「……はい」

 穏やかに告げられて、キアラは小さく息をついた。自分ではもう落ちついたつもりでいるのに、体が反応してしまう。

「……申し訳、ありません。もっと、しっかりしなくてはいけない、ですね」

 意識して口の端を上げて、ルガートに微笑む。ルガートも、命令されて来たのだ。キアラが怯えてばかりいては、きっと困ってしまう。

「……神子様、少し、お話をさせていただけませんか」
「お話し、ですか」
「はい」

 こて、と一度首を傾げたものの、キアラはルガートにうなずいてみせた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

巣ごもりオメガは後宮にひそむ【続編完結】

晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売
BL
後宮で幼馴染でもあるラナ姫の護衛をしているミシュアルは、つがいがいないのに、すでに契約がすんでいる体であるという判定を受けたオメガ。 発情期はあるものの、つがいが誰なのか、いつつがいの契約がなされたのかは本人もわからない。 そんななか、気になる匂いの落とし物を後宮で拾うようになる。 第9回BL小説大賞にて奨励賞受賞→書籍化しました。ありがとうございます。

回帰したシリルの見る夢は

riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。 しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。 嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。 執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語! 執着アルファ×回帰オメガ 本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。 性描写が入るシーンは ※マークをタイトルにつけます。 物語お楽しみいただけたら幸いです。 *** 2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました! 応援してくれた皆様のお陰です。 ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!! ☆☆☆ 2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!! 応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。

僕はあなたに捨てられる日が来ることを知っていながらそれでもあなたに恋してた

いちみやりょう
BL
▲ オメガバース の設定をお借りしている & おそらく勝手に付け足したかもしれない設定もあるかも 設定書くの難しすぎたのでオメガバース知ってる方は1話目は流し読み推奨です▲ 捨てられたΩの末路は悲惨だ。 Ωはαに捨てられないように必死に生きなきゃいけない。 僕が結婚する相手には好きな人がいる。僕のことが気に食わない彼を、それでも僕は愛してる。 いつか捨てられるその日が来るまでは、そばに居てもいいですか。

あなたは僕の運命なのだと、

BL
将来を誓いあっているアルファの煌とオメガの唯。仲睦まじく、二人の未来は強固で揺るぎないと思っていた。 ──あの時までは。 すれ違い(?)オメガバース話。

【完結】運命の番に逃げられたアルファと、身代わりベータの結婚

貴宮 あすか
BL
ベータの新は、オメガである兄、律の身代わりとなって結婚した。 相手は優れた経営手腕で新たちの両親に見込まれた、アルファの木南直樹だった。 しかし、直樹は自分の運命の番である律が、他のアルファと駆け落ちするのを手助けした新を、律の身代わりにすると言って組み敷き、何もかも初めての新を律の名前を呼びながら抱いた。それでも新は幸せだった。新にとって木南直樹は少年の頃に初めての恋をした相手だったから。 アルファ×ベータの身代わり結婚ものです。

運命を知っているオメガ

riiko
BL
初めてのヒートで運命の番を知ってしまった正樹。相手は気が付かないどころか、オメガ嫌いで有名なアルファだった。 自分だけが運命の相手を知っている。 オメガ嫌いのアルファに、自分が運命の番だとバレたら大変なことになる!? 幻滅されたくないけど近くにいたい。 運命を悟られないために、斜め上の努力をする鈍感オメガの物語。 オメガ嫌い御曹司α×ベータとして育った平凡Ω 『運命を知っているアルファ』というアルファ側のお話もあります、アルファ側の思考を見たい時はそちらも合わせてお楽しみくださいませ。 どちらかを先に読むことでお話は全てネタバレになりますので、先にお好みの視点(オメガ側orアルファ側)をお選びくださいませ。片方だけでも物語は分かるようになっております。 性描写が入るシーンは ※マークをタイトルにつけます、ご注意くださいませ。 物語、お楽しみいただけたら幸いです。 コメント欄ネタバレ全解除につき、物語の展開を知りたくない方はご注意くださいませ。 表紙のイラストはデビュー同期の「派遣Ωは社長の抱き枕~エリートαを寝かしつけるお仕事~」著者grottaさんに描いていただきました!

うそつきΩのとりかえ話譚

沖弉 えぬ
BL
療養を終えた王子が都に帰還するのに合わせて開催される「番候補戦」。王子は国の将来を担うのに相応しいアルファであり番といえば当然オメガであるが、貧乏一家の財政難を救うべく、18歳のトキはアルファでありながらオメガのフリをして王子の「番候補戦」に参加する事を決める。一方王子にはとある秘密があって……。雪の積もった日に出会った紅梅色の髪の青年と都で再会を果たしたトキは、彼の助けもあってオメガたちによる候補戦に身を投じる。 舞台は和風×中華風の国セイシンで織りなす、同い年の青年たちによる旅と恋の話です。

【本編完結済】巣作り出来ないΩくん

こうらい ゆあ
BL
発情期事故で初恋の人とは番になれた。番になったはずなのに、彼は僕を愛してはくれない。 悲しくて寂しい日々もある日終わりを告げる。 心も体も壊れた僕を助けてくれたのは、『運命の番』だと言う彼で…

処理中です...