白銀オメガに草原で愛を

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宮殿

47.昔話

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 しばらく他愛のない話をして緊張も解けてきたころ、ルガートがすっと頭を下げたので、キアラは目を瞬いた。
 兵士であるというのに剣を取り上げられ、鎧も脱がされて下着一つで持ち物検査をされて、と大変だった話をおかしそうに聞かせてくれていたのに、どうしたのだろう。

「……申し訳ありません、神子様をお救いするには……まだ、力が及ばず。しかし御前に参る機会があるのならと、こうしておめおめと現れましてございます」

 深く頭を下げるルガートに何を言っていいかわからず、キアラはそっと手を伸ばし、宙をさまよわせた。

 この宮殿から抜け出して、あの草原に行って、ユクガのもとへ帰れたらとは思う。鷹のような黄色の瞳が見つめてくる光が、鋭いけれど優しくて、たくましい腕が抱きしめてくる力は、強くて繊細なのを知っている。
 できるならもう一度、ユクガのぬくもりを感じたい。

 しかし、キアラがユクガのもとに行くことを、カガルトゥラードが見逃してくれるとは思えない。神子の祈り、神子に集まる精霊、神子のもたらす癒やしの力、すべてがカガルトゥラードという国に編み込まれてしまって、織物の一部にされてしまったような感覚があった。

「……お元気な姿を見られましたから、いらしてくださって、嬉しいです」

 ルガートを責める気持ちなどなく、キアラは素直にそう告げた。
 実際、カガルトゥラードに入る前に別れて以降、ルガートたちのことを知るすべはなくて、どこにいるのか、元気にしているのか気にかかっていたのだ。リンドベルたちもルガートと同じ部隊にいて、今は国境警備に当たっているという。

「……神子様」

 顔を上げたルガートは、どこか穏やかな顔になったかと思うと、また姿勢を正した。

「一つ、提案がございます」

 キアラがオメガであることは、変えようがない。だから定期的にヒートは来るし、周囲がアルファをあてがおうとすることも避けられないだろう。
 しかし神子は高貴な存在であり、顔は常にベールで秘されていて、美しい銀の髪を持つことくらいしか知られていない。また、王都の施療院で、分け隔てなく病人やけが人を癒やす優しさを持つと言われているが、一方で、神子の意に背けば精霊の加護を取り上げられる、と恐れられている。
 加護を奪われることは多くの人間にとって耐えがたい恐怖であり、神子がルガートを許しているとなれば、進んで神子のヒートを鎮める役目につこうとするアルファは現れないはずだ。

 そのため、表向きルガートを受け入れているふりをしてもらえないか、というのが、ルガートの提案だった。

「私は神子様に触れるつもりはございません。ですから、ヒートのとき御前に参じるアルファを私のみにできれば、御身を守れましょう」

 小さく首を傾げて、キアラは少し考え込んだ。
 ゲラルドの精霊の加護について、キアラに自覚はないし、あのとき何が起きたのか、本当によくわかっていない。もしかしたらとっさに何かしてしまったのかもしれないが、再現できるとも思えなかった。

「……それは、ルガート様に、ご負担なのではないですか」

 それに、アルファであれば、自分のオメガを得たいのではないだろうか。ルガートに番がいるのかキアラは知らないが、いないにしても、ヒートの間のキアラに付き合っていれば、探す機会は限られてしまう。
 何もできないまま、ただ、熱に浮かされたようなキアラの傍に何日もいなければならないのは、つらいと思う。

「……神子様のご意思に反するようなことがあれば、耐えがたく」

 ややぼかされた言い方だったが、ルガートの言おうとしていることはわかって、キアラはぎゅっと上掛けを握りしめた。

 ゲラルドにのしかかられたときは、本当に恐ろしかった。あのときは抑制剤もなかったから頭がぼんやりしていて、力も入らなかったし、声も出せなかった。
 ヒートを鎮めようとするアルファなら、ゲラルドと同じように、キアラを無理やり押さえつけてきてもおかしくない。

「……助けて、くださるのですか」

 意識的に体の力を抜こうとゆっくり息をして、キアラは静かな声で尋ねた。
 ルガートがなぜここまでしてくれるのか、はっきりした理由は教えてもらえていないが、キアラを守ろうとしてくれていることはわかっている。

「無論、お守りいたします。ただ……この案には、問題もございます」
「問題、ですか」
「……事実関係はなくとも、神子様と私がそのような仲であると……カガルトゥラードのみならず、国外にも流れるでしょう」

 オメガのキアラがヒートの間をアルファと過ごせば、体を許したのだと理解されてしまう。その話がカガルトゥラード内でとどめられるとは考えにくく、他の国へも広がっていくのは避けられない。そのうちヨラガンにも届くだろう。

「……私の、番、にも……?」
「……誤解される可能性は、ございます」

 事実ではないのだとしても、そういう話だけが伝われば、ユクガもきっと不快に思うだろう。キアラには、その誤解を解くすべがなかった。
 まつげを震わせてゆっくりと目を潤ませるキアラを、ルガートがじっと見つめている。

「……神子様の番の方は、神子様を信じてはくださいませんか」
「い、いいえ……! いいえ、きっと、お話しすれば、わかってくださいます……!」

 ぽたぽたと、涙がこぼれていく。鼻がつんとして、目のあたりが熱くて、のどが勝手に震えてしまう。

「……でも……もう、お会いできるか、わか、らな……っ」

 会って話をすれば、きっとユクガはわかってくれるだろうと思う。キアラが言葉を知らなければ丁寧に教えてくれて、キアラが言葉に詰まれば静かに待ってくれていた人だから、きっと信じてくれるはずだ。
 ただそれは、会って話ができるなら、という前提があってのことで、キアラがヨラガンに戻れる見込みも何もなければ、意味はない。

 本当は、わかっている。キアラがユクガのもとに、帰れることなどない。キアラが、ユクガに信じてもらう方法は、何もない。

 困らせてしまうこともわかっているのに、ルガートの前で泣きじゃくるのを止められなかった。息がうまくできなくて、咳をするようにのどをからして、ぼたぼたと服や上掛けを濡らしていく。

「……神子様、お傍に近づくことを……お許し、いただけますか」

 言葉で返事をすることもできず、キアラはただ子どものようにうなずいた。傍に来たルガートが、失礼いたしますとまた断って、そっと背中を撫でてくれる。

「……少し、昔話をしてもよろしいですか」

 そうしてキアラが落ちついてくるまで撫でてくれたあと、ルガートはキアラから少し離れてベッドに座り直した。

「むかし……ばな、し……?」
「はい……私の故郷について、少し」

 ルガートの生まれた国が、ヨラガンでもカガルトゥラードでもないだろうことは予想できたが、他の国というとヴァルヴェキアしか知らない。
 まだ、話そうとするとしゃくりあげてしまいそうで、キアラはまたこくりとうなずくだけにした。

「……私の故郷は、ファルファーラという国です」

 ファルファーラは水の精霊の加護が強い土地で、きれいな川がいくつも流れ、豊かな森林の多い国だった。人々は森を拓いて畑を作ったり、池や川で魚を取ったり、水の精霊はもちろんのこと、精霊の働きに感謝しながら暮らしていた。

「私は、元はファルファーラの兵を務めておりました」

 ファルファーラは積極的に戦をするような国ではなかったが、身を守る力は持っていなければならなかった。国民の中で望むもののみを兵士として集め、いざというときに備えていた。

「……他の国ほどではありませんが……ファルファーラでも、黒髪はあまり好まれませんでしたので」

 両親はルガートを大事にしてくれていたが、どこか遠慮があるようにも感じられていた。アルファと言えど、黒髪では持て余すに違いない。軍に入れば宿舎で生活することになるし、親もいくらか気が休まるだろう。
 兵士として国を守っていれば、人からも認められるのではないかという淡い期待を持って、ルガートはファルファーラ軍に入隊した。

「そして……幸運にも、国王陛下から直にお声がけいただくという貴重な機会を、得ることができました」

 何か特別な行事があったわけではなく、ルガートが何か際立った功を上げたわけでもない。たまたま、ルガートのいた新人部隊が訓練場の片付けの当番であり、たまたま、国王が何かしらの用事でその近くを通りかかったのだ。
 ルガートたちに気づいた国王は、そのまましばらく働きぶりを眺め、忙しいだろうに一人ひとりに声をかけてくれた。

「我々にそれぞれご質問くださって……私には、夢はあるかとお尋ねでした」

 そのときまで夢など考えたこともなかったから、とっさに、近衛兵になりたいと答えた。国王は少し驚いたような顔をしたものの、元の穏やかな笑みを浮かべると、ゆっくりうなずいてくれた。

「そのとき……君の傍には精霊がいるから、きっと大丈夫だと、お言葉をくださったのです」

 はたり、とキアラは目を瞬いた。

「……精霊の、見える方なのですか」
「はい。ファルファーラの国王陛下は……精霊と言葉を交わし、精霊と手を取り合い、精霊とともにある方でした」

 精霊の加護がないと言われる黒髪のルガートにとって、国王の言葉は確かな支えになった。
 その言葉を信じてルガートが鍛錬を重ねている間に月日も流れ、国王に待望の王子が生まれた。

「陛下のご配慮で、我々も王子殿下拝謁の機会を賜り……私は、この方の近衛兵になろうと、目標を定めたのです」

 だが、それは叶わなかった。

「どうして、ですか」
「……ファルファーラは、すでに滅んだ国です。そしてファルファーラを滅ぼした国も、すでにございません」
「え……」

 ファルファーラ滅亡の際に、国王は殺されてしまい、王子は行方知れずになってしまった。
 王子の遺体は確認されておらず、もしかしたら生き延びているかもしれない。その一心で、同じくファルファーラの兵士でルガートの部下だったラグノースとリンドベルを伴って、混乱の中を必死に逃げ延び、ルガートは王子を探し続けてきたのだという。

「……王子様は、今も見つかっていないのですか」
「……ファルファーラの、王子殿下は」

 そこで言葉を区切って、ルガートはキアラに視線を向け、穏やかな顔で微笑んだ。

「美しい銀の髪をお持ちで、薄氷のような、淡い青の瞳をしておいででした」
「……そ、れは……」

 銀の髪をした人など、キアラは今まで会ったことがない。キアラが会ったことのある人の数は、きっと他の人より少ないだろうとは思うが、それでも、銀の髪に薄青の瞳をした人物など、一人しか知らない。

「……神子様」

 キアラが戸惑っている間にルガートがベッドを下りていて、すぐ傍にひざまずいていた。瞳を揺らしながら、それでも視線を向けるキアラに、力強い茶色の瞳が向き合っている。

「あきらめては、なりません。あきらめなければ何事も叶う、などと申し上げるつもりはありませんが……もしあきらめていれば、私は今、御前にいなかったでしょう」

 遠慮がちにキアラの手を取り、ゆっくりと両手で包むと、ルガートはその手を額に当てた。

「今はまだ、力及びませんが……必ず、お約束の蝶を、神子様のもとへお返しいたします。どうか……あきらめないで、いただきたい」
「ルガート、様……」

 キアラはまた、ぽたりと涙をこぼした。
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