白銀オメガに草原で愛を

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宮殿

48.ずっとお友だち

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 マナヴィカのくれた抑制剤とルガートの滞在もあって、キアラは今回のヒートを比較的穏やかに過ごすことができた。何日か伏せってしまったが、その間に神子の安全を確保する体制も確立できたそうだ。おかげで部屋から出ることもできるようになって、礼拝堂でのお祈りや施療院での手伝いも再開した。
 ただ、書庫や庭の散策は、安全とは言いきれないからしてはいけないそうだ。

「お久しぶりです、マナヴィカ様」
「お元気そうで何よりです、神子様」

 部屋から出られない間もマナヴィカとの手紙のやり取りはできたが、こうして直接会えるのは久々だった。温かく整えられた部屋に迎えられて、しっかりした作りの椅子に身を沈めると、穏やかな気配の精霊がぽわぽわと寄ってきて挨拶してくれる。
 いつもキアラのほうがマナヴィカの離宮に訪問するのは大変だろうから、キアラの部屋にマナヴィカを招いてもいいか尋ねたら、ミオとシアに止められてしまった。神子の部屋に人を招くのは、最低限にしないといけないそうだ。

「今日は、いつもと違うお茶を用意しましたの。香りを楽しんでいただきたくて」

 そう言われて出されたカップからは、今までのお茶よりも強い香りがした。ミオが戻してくれたカップからちびりと一口含んで、息を漏らす。

「……変わった、香り、ですね」
「お気に召さなかったかしら」
「いいえ、おいしいです」

 そのままお茶を楽しみながら、マナヴィカが新しく用意したドレスという服の話とか、宮殿の中の花盛りの庭だとか、キアラが部屋から出られなかった間の話を教えてもらう。ミオとシアも伝えてはくれるが、マナヴィカの考えを聞くのも楽しい。

「それから……ゲラルド様は、北方に到着されたそうです」
「……そう、なのですね」

 少しだけ胸が詰まったが、声はほとんど震えていなかったはずだ。キアラはそっと息をついて、お茶を口に含んだ。よい香りがする。

「……このお茶は、心を落ちつける効果があると言われていますの」

 ヴァルヴェキアではいろいろな草花からお茶を作っていて、体調を整えるために飲んだり、ちょっとした不調のときに薬の代わりに飲んだりするそうだ。
 今回も、キアラのためにお茶を選んでくれたらしい。

「……ありがとうございます、マナヴィカ様」

 今日はお茶自体がそこまで甘くないからか、甘いお菓子が用意されている。少し重めの生地に果物が入っていて、横にクリームが添えられている様子は、見た目もきれいだ。
 口に入れたお菓子があまりにもおいしくてほわっと頬を緩めていたら、ミオに口元を拭かれてしまった。クリームがついていたようだ。

「……神子様、秘密のお話をしても、よろしいかしら」

 くすくす笑ったマナヴィカに尋ねられてキアラが慌ててうなずくと、離宮の人たちにあわせて、ミオとシアもすっと部屋から出ていってしまった。

「あら……ずいぶん、変わったのね」
「そう、みたい、ですね……?」

 以前、マナヴィカが二人だけで話したいと言い出したときは、キアラがお願いして、それでも仕方なくといった様子で出ていったはずだ。
 何か変わったかと言えば、キアラに改めて仕えたいと言われたことくらいだが、それで何が変わるのか、実のところキアラにはよくわかっていない。

「まあ……構いません。それよりも、お話ししたいことがいくつもありますの」

 二人してお茶を飲んでひと息つき、そっと声を潜める。

「まだ、公にはなっていないのですけれど……私、ヴァルヴェキアに帰ることになりましたの」
「え……っ」

 思わず大きな声を出しそうになって、キアラは慌てて両手で口元を覆った。苦笑したマナヴィカに促され、長椅子に二人並んで腰かける。

「どうして、ですか」
「私が……カガルトゥラードにいる必要が、なくなってしまいましたから」

 マナヴィカは第二王子の正妃としてカガルトゥラードに嫁いできたが、その第二王子は神子に仇なそうとした罪で配流になってしまった。その妻とはいえ、マナヴィカは元々ヴァルヴェキアという異国の姫であって、本人に咎はなく、連座させるわけにはいかない。
 改めて第一王子の側妃に、という話もあったが、肝心の第一王子は神子の関心を得ることに熱心で、縁もゆかりもない地に取り残されたヴァルヴェキアの姫君のことには、ほとんど意識が向いていない。

「二国の小康を保つための婚姻のはずですけれど……どなたも関心をお持ちでないようでしたら、私も意識する必要はございません」

 マナヴィカの言葉は、たまに難しくなる。うまく理解できずにキアラが首を傾げると、マナヴィカの花びらのような唇がふっと弧を描いた。

「この国にはもう、私と仲良くしようとしてくださる方がいらっしゃらないの」
「わ、私は、マナヴィカ様とお友だちでいたいです……!」

 先ほどの言葉を易しく言い換えてくれただけだろうとは思ったが、キアラは急いでマナヴィカの手を取った。
 知らない人ばかりのカガルトゥラードで、初めてキアラの友だちになってくれた人がマナヴィカなのだ。キアラにとってとても大切な人なのは変わらないし、遠くに離れてしまったとしても、友だちでいたいと思う。
 目を丸くしていたマナヴィカは、また微笑んでくれて、そっとキアラの手を包み返してくれた。

「あなたは、高貴な方のはずなのに、とっても優しくて、素直で、かわいらしいんですもの。私も、ずっとお友だちでいたいわ」

 急にたくさん褒められてしまって、キアラはちょっと頬を赤くした。こういうとき、すぐにマナヴィカの素敵なところも伝えられたらいいのに、慌ててしまってうまく言葉が見つからない。

「ま、マナヴィカ様も、お優しいです……」

 ふふ、と楽しそうに笑って、マナヴィカはそっと視線を巡らせた。それから一段と声を潜めて、じっと薄茶の視線を向けてくる。

「もう一つ、私の秘密もお伝えしようと思っていましたの」
「秘密、ですか」

 うなずくと、マナヴィカが穏やかな気配の精霊のほうに視線を向けた。けれど今まで、マナヴィカが精霊の見えているようなそぶりをしたことはないはずだ。キアラが驚いて目を瞬いているうちに、精霊がマナヴィカの肩のあたりに漂ってくる。

「本当は、私も神子なのです。あなたと違って……地の精霊の祝福だけですけれど」

 ヴァルヴェキアは地の精霊の加護が強い国であり、マナヴィカが茶色の髪をしていることもあって、精霊の祝福について隠しておきやすかったのだそうだ。
 何と言っていいかわからずじっと見つめるキアラに、マナヴィカが目を伏せる。

「黙っていてごめんなさい。神子であることが知られてしまえば、カガルトゥラードに縛りつけられてしまうと思って……」

 カガルトゥラードは貪欲に神子を求める国だ。マナヴィカが神子であることが知られれば、キアラと同じように囲い込まれかねず、第二王子の正妃でありオメガであるのをいいことに、望まぬ行為を強いられるかもしれなかった。

「……ごめんなさい。私が隠していたせいで、あなたが……」
「い、いいえ、それは……あれは、マナヴィカ様は、何も悪くないです……」

 神子であることを隠し、強めの抑制剤でヒートもごまかしながら、マナヴィカは自分を守ってきた。ヴァルヴェキアとカガルトゥラードの関係が悪くならないよう、両国を結ぶ立場であることは理解していたけれど、ゲラルドを受け入れがたかったのだそうだ。

 ごめんなさい、とくり返すマナヴィカの背中に手を伸ばし、キアラはゆっくりと彼女を撫でた。
 キアラが恐ろしい目に遭ったのは、マナヴィカのせいではない、と思う。キアラが神子で、オメガで、ゲラルドにそのつもりがあって、彼がアルファだったからだ。マナヴィカが神子であることが知られていたとしても、同じことになっていただろう。

「……あなたは、私と同じ神子で、オメガで……それに、もう、番だっているのに……」

 ぐす、と鼻を鳴らし、マナヴィカは顔を上げた。普段は穏やかな薄茶の瞳に、強い光が宿っている。

「だから、私、あなたの力になると決めたの」
「ちから……?」

 うなずいて目元を拭い、マナヴィカが長椅子に座り直した。穏やかな気配の精霊が、励ますように彼女の体を取り巻いている。

「……あなたが帰りたい場所に、帰れるようにするの」

 ぎゅっとキアラの手を握った顔に、キアラは言葉を失った。
 あのときの、イェノアに、似ている。とても。

「……マナヴィカ様、危ないことは、しないでくださいませ……」

 もっと強く、止めればよかったと思う。それか、しがみついてでも、一緒に逃げればよかった。イェノアに言い聞かされて、カヤに乗って逃げて、でも、不安になってカヤをなだめすかして戻って。
 血まみれで、きらきらと輝いていた瞳の光を失って、ぐったりと地面に投げ出されていたイェノアを見つけたあの悲しみは、二度と味わいたくない。

「……本当に優しいのね」

 柔らかな手に頬を撫でられて、キアラは視線を下に落とした。

 あの戦のとき、激しい戦いの裾野も、真っただ中も、痛みや苦しみばかりだった。美しかった草原はどろどろに踏み荒らされて、悲しみがたくさん横たわっていた。
 今、ヨラガンがどうなっているかわからないけれど、あれは二度と草原に持ち込んではならないものだ。戦の嘆きなど、誰も知らないほうがいい。
 キアラがヨラガンに戻ろうとしてまた戦が起きるなら、この胸の痛みを、キアラ一人が大事にしまい込んでいたほうがずっといい。

「カガルトゥラード、は……神子を得る、ためなら、戦をいとわない国です。あれは……二度と、起こしたくありません」

 頬を撫でる手が止まったかと思うとそっと抱きしめられ、キアラは少し身を固くした。

「マナヴィカ、様?」
「……キアラ、剣を振り回すばかりが、戦う手段ではなくてよ」

 体を離してにっこりと微笑み、マナヴィカが自分の胸に手を当てる。

「それに私、武器を持ったことなんてありません」

 はっとして、キアラは視線をさまよわせた。
 イェノアのことを思い出していたから、ついそういう受け答えをしてしまったけれど、マナヴィカは戦士ではない。キアラは、イェノアが剣を振るうのを見てベルリアーナが驚いていたのも思い出した。

「も、申し訳ありません、そういう、つもりでは、なくて」
「わかっています」

 ふふ、とまた笑って、マナヴィカはキアラの手を取った。

「私は、カガルトゥラードの第二王子の正妃ではなくて、ヴァルヴェキアの姫に戻ります。あなたは、その人とお友だちなのよ、キアラ」

 言われた意味がすぐには理解できず、キアラはちょっと首を傾げた。そのまま少し考えて、おそるおそる、尋ねてみる。

「……ヴァルヴェキアの、姫君は……私を、助けてくださるでしょうか」
「ええ。お友だちのことを、大事になさる方ですもの」

 つん、と鼻の奥が痛いような気がしたが、キアラもぎゅっとマナヴィカの手を握った。

「ヨラガンに……私の、番のところに……帰りたい、です……っ」
「わかりました。私は、そのために戦いましょう」

 帰りたい。ユクガのところに。

 マナヴィカを危険な目に遭わせたくない。キアラは何も、してあげられないのに。

 いろんな思いが混ざり合って、ぽろぽろと涙があふれて、言葉が出せなくなる。何か言わなければいけないのに、赤子のような泣き声しか出てこない。

「……大丈夫よ、キアラ。大丈夫」

 きれいな服を濡らしてしまってはいけないと思うのに、マナヴィカはずっと、キアラを抱きしめて背中を撫でてくれていた。
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