忘れられない君の香

秋月真鳥

文字の大きさ
2 / 32
アレクシス(受け)視点

2.結婚

しおりを挟む
 アルファがオメガのヒートのときに接合を行いながらうなじを噛むことによって、番関係になれる。番はお互いのフェロモン以外に作用しなくなるというもので、オメガは番になってしまうと一生その相手の影響を受け続けるが、アルファは番を解消することができる。
 ヴォルフラムがアレクシスに飽きれば、番を解消して自由になることができるのだ。
 アレクシスは番を解消することができないので、番を解消されてしまうとヴォルフラムを求めて一生ヒートに苦しむことになる。番になったオメガは番のアルファ以外を受け付けなくなってしまうのだ。

 かなりアレクシスにとっては条件の悪い結婚ではあったが、アレクシスはその契約書にサインをした。
 ハインケス子爵とアレクシスが話している間、ヴォルフラムは一度もアレクシスの方を見なかった。

 婚約から結婚まであっという間に決まってしまって、アレクシスが二十二歳、ヴォルフラムが二十一歳のときにバルテル侯爵家で結婚式を挙げた。
 ハインケス子爵家は王家にも名の知れている家である。
 結婚式には王家から第三王子も出席した。
 ヴォルフラムと第三王子は同じ年で学園で学友だったようなのだ。

「ヴォルフラムは想っている相手ではないと結婚をしないと学生時代に言っていた。無事に結婚ができてわたしも安心している。おめでとう」
「ありがとうございます、殿下」

 アレクシスがヴォルフラムの意中の相手な訳がないので、想っている相手でないと結婚しないと言っていたヴォルフラムは、アレクシスの侯爵位のために無理やりに結婚させられてしまったのだろうか。
 政略結婚だとしてもこの結婚はヴォルフラムにとっては了承しがたいものだっただろう。
 相手がとてもオメガとは思えないようなごつくて厳めしいでかい男で、ヴォルフラムはそんな相手を一時的にとはいえ番にしなければいけないなんて。

 申し訳なさが胸に広がるが、アレクシスは笑顔で第三王子に礼を言った。

 結婚式で誓いの言葉を口にして、アレクシスはヴォルフラムと誓いの口付けを交わした、ふりをした。手で隠すようにして唇が触れるぎりぎりで止めた口付けに、ヴォルフラムは緑色の目で責めるようにアレクシスを睨んでいた。
 本当ならば息が触れるような距離まで接近したくなかったのだろう。

 アレクシスは金目当てでヴォルフラムと結婚した。
 ヴォルフラムは爵位目当てでアレクシスと結婚した。
 これは完全な政略結婚だった。

 結婚式の途中でヴォルフラムが退席していったのも、仕方がないことだった。
 残りの時間はアレクシスだけで参列客の相手をして、結婚式を終えて、夫夫ふうふの部屋に行くとヴォルフラムは青白い顔でソファに座っていた。

「ヒートではないようだが、今日は……」
「そのことなのですが」

 ヒート中は寝室を共にすると契約書には書いてあったが、アレクシスにはそれでは都合が悪かった。
 ヴォルフラムもこの結婚は無理やり結ばれたものなので、できればアレクシスと寝室を共にする機会は少ない方がいいだろう。

「事業が立て直るまでの間は、ヒート中でも寝室を共にすることは許していただきたいのです」
「それでは、番になれないではないですか」
「その……わたしも一応オメガなので、ヒート中に交われば妊娠する可能性があります。事業が立て直るまでは妊娠で執務を離れるわけにはいかないのです」

 正直な心の内を口にすれば、ヴォルフラムが若干不機嫌そうな表情をした気がした。結婚したくもない相手と結婚した挙句、契約書の内容を破ろうとしているのだから仕方がないだろう。

「執務はわたしが手伝う」
「手伝っていただけるのはありがたいのですが、わたしはバルテル侯爵で、この領地に責任があります。それに、あなたも納得して婿入りしてきたわけではないのでしょう?」
「そんなことは……」
「気にしないでください。事業は立て直します。借金も全て返します。あなたは愛人を作ってもいい。愛人との間に子どもが生まれたら、その子を後継者に据えても構いません」

 自分の血を遺すことにアレクシスはそれほどこだわっていなかった。この領地を引き継いで、正しく導いてくれる相手ならば誰でもいい。侯爵位を求めているハインケス子爵家の血が入っている子どもならば、この領地を大事にしてくれるだろう。

「あなたは、無理にわたしと過ごす必要はないのです」

 アレクシスの言葉に、ヴォルフラムは緑色の目に不満そうな感情を宿していた。

 幼いころから両親の姿を見て育ち、アレクシスは自分もいつかあのような結婚をして愛のない家庭を作るのだと覚悟していた。
 ヴォルフラムとの結婚は借金を返すうえでは渡りに船だったし、ヴォルフラムにとっても侯爵位が手に入るのだから悪くはない取り引きだっただろう。
 後はできるだけ接触せずに日々を過ごして、ヒートのときだけ寝室を共にして、バルテル家の血を引く後継者を産めばいい。貴族として生まれた以上、結婚は領地の利益のためにするものであって自分の意思も感情もないものだとアレクシスには分かっていた。

「ヴィー……」

 ヒートのとき以外夫婦の寝室は使わないし、ヒートが来ても事業が立て直って借金が全て返済できるまではヴォルフラムに抱かれることはない。
 自分の寝室で四つ葉のクローバーの刺繍の入ったハンカチを握りしめ、アレクシスは十一歳のころを思い出していた。
 まだアレクシスがオメガだと分かっていなくて、父の借金も少なかった時期のこと。
 アレクシスを連れて父は領地内の別荘に連れて行ってくれた。
 その別荘の近くの林の中で、アレクシスは一人の少女に出会った。

 長いストレートの金色の髪を背に流した、ワンピース姿の美しい少女。
 彼女はアレクシスを見て驚いていたが、すぐに薄紅色の唇に人差し指をあてて、悪戯っぽく笑った。

「ここで出会ったことは内緒にしてください」
「わたしは、アレクシス・バルテル。君は?」
「ヴィーと呼ばれています」

 彼女はアレクシスと一緒に林を散歩し、別れ際に四つ葉のクローバーの刺繍の入ったハンカチをくれた。

「アレクシス様、大人になったら結婚してくれますか?」
「それは……」

 ヴィーの願いにいい返事ができなかったのは、アレクシスが自分は政略結婚で領地の利益となる相手と結婚させられると理解していたからだった。

 あのとき、嘘でも「はい」と言っていたら。
 後悔したところでどうしようもない。

 アレクシスはオメガで、女性と結婚したところで役に立たないと分かっている。
 それでも、アレクシスは十一歳のときの初恋を忘れられずにいた。

 恋心はあのときの少女に一生捧げて、抜け殻の体はどうなっても構わない。
 アレクシス・バルテルは今日、ヴォルフラム・ハインケスと結婚した。契約書もあるのだからこのことは決して覆せない。
 自室についているバスルームで体を洗って、アレクシスはベッドに入った。

 翌日からアレクシスは執務室で事業の立て直しに真剣に取り組むことにしたのだが、そこにヴォルフラムの姿があった。
 爵位だけが目的で執務は全部アレクシスに任せるのだろうと思っていたヴォルフラムだが、積極的に執務を手伝ってくれる。

「領地内の織物産業だが、女性の社会進出をもっと進めた方がいいと思います」
「例えば?」
「女性の労働者のための寮を作って、若い労働者が働きやすくするのです」

 学園も卒業しているし、ハインケス子爵家で商業の勉強もしていたのであろうヴォルフラムの意見は一考に値するものだった。
 執務の最中に口を出されても、それが的を得ているから不快ではない。

「よろしければ、一緒に昼食を」
「いや、わたしはここで食べるので、ヴォルフラム様は食堂でどうぞ」
「それなら、わたしもここで食べます」

 執務室は書類で溢れていて、アレクシスは昼食はいつも簡単に食べられるものしか口にしていなかった。ヴォルフラムと食事をするとなると、そういうわけにはいかないだろう。

「ここは狭いので」
「あなたがここで食事をするというのなら、わたしもそうします」

 押し切られてしまって、さすがにヴォルフラムを執務室で食事させるわけにはいかず、アレクシスは食堂に移動した。

「敬語でなくてもいいのですよ」
「アレクシス様こそ。わたしたちはもう夫夫なのですから」

 お互いに敬語でなくてもいいといいつつ、敬語の取れないぎこちない二人で昼食を摂って、アレクシスとヴォルフラムは執務に戻った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

運命のつがいと初恋

鈴本ちか
BL
三田村陽向は幼稚園で働いていたのだが、Ωであることで園に負担をかけてしまい退職を決意する。今後を考えているとき、中学の同級生と再会して……

運命はいつもその手の中に

みこと
BL
子どもの頃運命だと思っていたオメガと離れ離れになったアルファの亮平。周りのアルファやオメガを見るうちに運命なんて迷信だと思うようになる。自分の前から居なくなったオメガを恨みながら過ごしてきたが、数年後にそのオメガと再会する。 本当に運命はあるのだろうか?あるならばそれを手に入れるには…。 オメガバースものです。オメガバースの説明はありません。

獣人王と番の寵妃

沖田弥子
BL
オメガの天は舞手として、獣人王の後宮に参内する。だがそれは妃になるためではなく、幼い頃に翡翠の欠片を授けてくれた獣人を捜すためだった。宴で粗相をした天を、エドと名乗るアルファの獣人が庇ってくれた。彼に不埒な真似をされて戸惑うが、後日川辺でふたりは再会を果たす。以来、王以外の獣人と会うことは罪と知りながらも逢瀬を重ねる。エドに灯籠流しの夜に会おうと告げられ、それを最後にしようと決めるが、逢引きが告発されてしまう。天は懲罰として刑務庭送りになり――

僕はあなたに捨てられる日が来ることを知っていながらそれでもあなたに恋してた

いちみやりょう
BL
▲ オメガバース の設定をお借りしている & おそらく勝手に付け足したかもしれない設定もあるかも 設定書くの難しすぎたのでオメガバース知ってる方は1話目は流し読み推奨です▲ 捨てられたΩの末路は悲惨だ。 Ωはαに捨てられないように必死に生きなきゃいけない。 僕が結婚する相手には好きな人がいる。僕のことが気に食わない彼を、それでも僕は愛してる。 いつか捨てられるその日が来るまでは、そばに居てもいいですか。

金曜日の少年~「仕方ないよね。僕は、オメガなんだもの」虐げられた駿は、わがまま御曹司アルファの伊織に振り回されるうちに変わってゆく~

大波小波
BL
 貧しい家庭に育ち、さらに第二性がオメガである御影 駿(みかげ しゅん)は、スクールカーストの底辺にいた。  そんな駿は、思いきって憧れの生徒会書記・篠崎(しのざき)にラブレターを書く。  だが、ちょっとした行き違いで、その手紙は生徒会長・天宮司 伊織(てんぐうじ いおり)の手に渡ってしまった。  駿に興味を持った伊織は、彼を新しい玩具にしようと、従者『金曜日の少年』に任命するが、そのことによってお互いは少しずつ変わってゆく。

【完結】僕の匂いだけがわかるイケメン美食家αにおいしく頂かれてしまいそうです

grotta
BL
【嗅覚を失った美食家α×親に勝手に婚約者を決められたΩのすれ違いグルメオメガバース】 会社員の夕希はブログを書きながら美食コラムニストを目指すスイーツ男子。αが嫌いで、Ωなのを隠しβのフリをして生きてきた。 最近グルメ仲間に恋人ができてしまい一人寂しくホテルでケーキを食べていると、憧れの美食評論家鷲尾隼一と出会う。彼は超美形な上にα嫌いの夕希でもつい心が揺れてしまうほどいい香りのフェロモンを漂わせていた。 夕希は彼が現在嗅覚を失っていること、それなのになぜか夕希の匂いだけがわかることを聞かされる。そして隼一は自分の代わりに夕希に食レポのゴーストライターをしてほしいと依頼してきた。 協力すれば美味しいものを食べさせてくれると言う隼一。しかも出版関係者に紹介しても良いと言われて舞い上がった夕希は彼の依頼を受ける。 そんな中、母からアルファ男性の見合い写真が送られてきて気分は急降下。 見合い=28歳の誕生日までというタイムリミットがある状況で夕希は隼一のゴーストライターを務める。 一緒に過ごしているうちにαにしては優しく誠実な隼一に心を開いていく夕希。そして隼一の家でヒートを起こしてしまい、体の関係を結んでしまう。見合いを控えているため隼一と決別しようと思う夕希に対し、逆に猛烈に甘くなる隼一。 しかしあるきっかけから隼一には最初からΩと寝る目的があったと知ってしまい――? 【受】早瀬夕希(27歳)…βと偽るΩ、コラムニストを目指すスイーツ男子。α嫌いなのに母親にαとの見合いを決められている。 【攻】鷲尾準一(32歳)…黒髪美形α、クールで辛口な美食評論家兼コラムニスト。現在嗅覚異常に悩まされている。 ※東京のデートスポットでスパダリに美味しいもの食べさせてもらっていちゃつく話です♡ ※第10回BL小説大賞に参加しています

二人のアルファは変異Ωを逃さない!

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
★お気に入り1200⇧(new❤️)ありがとうございます♡とても励みになります! 表紙絵、イラストレーターかな様にお願いしました♡イメージぴったりでびっくりです♡ 途中変異の男らしいツンデレΩと溺愛アルファたちの因縁めいた恋の物語。 修験道で有名な白路山の麓に住む岳は市内の高校へ通っているβの新高校3年生。優等生でクールな岳の悩みは高校に入ってから周囲と比べて成長が止まった様に感じる事だった。最近は身体までだるく感じて山伏の修行もままならない。 βの自分に執着する友人のアルファの叶斗にも、妙な対応をされる様になって気が重い。本人も知らない秘密を抱えたβの岳と、東京の中高一貫校から転校してきたもう一人の謎めいたアルファの高井も岳と距離を詰めてくる。叶斗も高井も、なぜΩでもない岳から目が離せないのか、自分でも不思議でならない。 そんな岳がΩへの変異を開始して…。岳を取り巻く周囲の騒動は収まるどころか増すばかりで、それでも岳はいつもの様に、冷めた態度でマイペースで生きていく!そんな岳にすっかり振り回されていく2人のアルファの困惑と溺愛♡

処理中です...