忘れられない君の香

秋月真鳥

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アレクシス(受け)視点

5.エメラルドのチョーカー

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 ヒートが終わってからすぐに執務に戻ったアレクシスに、ヴォルフラムは休んでいた期間の執務の引き継ぎをするだけでなく、ひざ掛けを持ってきたり、温かな紅茶をいつでも飲めるように保温ポットに入れて用意してくれたり、細々と世話を焼いてくれた。
 子どもを産むための母体としてアレクシスを大事にしなければいけないと思っているのかもしれないが、その気遣いにアレクシスは戸惑ってしまう。

「わたしは体の弱いオメガではないので必要ありません」
「ヒートで消耗したのではないですか? おれが抑制剤を使ってほしくないと言ったばかりに」

 これまでは強い抑制剤を使うことに抵抗はなかったが、強い抑制剤は副作用として不妊を引き起こすことがあると分かっているので、結婚した今となっては使わない方がいいのはアレクシスも分かっていた。
 伴侶のアルファがいるのだから一緒に過ごせばヒートも楽になることも分かっているが、借金返済のめどは立ってきたとはいえ、アレクシスはまだ妊娠できないという気持ちがあった。それと同時にヴォルフラムと体を交えることに抵抗感を覚えている自分に気が付いていた。

 ヴォルフラムのかけてくれたひざ掛けは温かく、保温ポットの紅茶もアレクシスがヒートの期間中に運ばれてきたフレーバーで、アレクシスの好きなものに違いなかった。

「わたしにそんなに構うことはないのです」
「あなたはおれの伴侶です。まだ番にはなっていないけれど、番だと思っています」
「番……」

 もう結婚してしまっているし、ヒートの期間中にヴォルフラムがアレクシスの部屋に来て、無理やりに番ってしまうことは犯罪でもなんでもなかった。結婚のときに交わした契約書にもアレクシスとヴォルフラムは番になると決まっている。
 それなのに、ヴォルフラムはアレクシスに指一本触れなかった。
 ヒートの期間は寝室を共にするという契約をアレクシスが破っても、ヴォルフラムは文句を言うこともなかった。

 優しくて誠実な性格なのだろう。
 ヒートの期間にアレクシスが食べられそうなものを選んで侍女に運ばせていることや、今、ひざ掛けや保温ポットで紅茶を用意していることからもその人柄が感じられる。
 番になるのだって、ヴォルフラムはハインケス子爵に命じられて望まない結婚をしたはずなのに、実際には番になっていないのにアレクシスを番のように思ってくれている。

「アレクシス、これを身に着けてくれませんか?」

 ヴォルフラムが差し出してきたのは幅広のチョーカーだった。首の前にエメラルドが飾ってあって、そこをスライドさせると鍵穴が現れて鍵がかかるようになっている。

「わたしの剣技と体術の成績を知っているでしょう? 不意に襲い掛かられても噛まれることはありません。それにヒートは終わったばかりだし……」
「あなたの強さは知っています。けれど、首に噛み跡がないのを知られるのは困るでしょう?」
「そうでしたね」

 ヴォルフラムと結婚して三か月以上経っている。ヒートが起こる期間の長いオメガでも一回はヒートが起きていると考えられておかしくはないだろう。その期間にヴォルフラムと番っていないことが露見すれば、アレクシスが契約を破ったことが分かってしまう。
 契約を破れば肩代わりしてもらっている借金もどうなるかは分からない。

「両親が何か言ってきてもおれが黙らせますが、それでも貴族社会では噂が広がりやすいものです。自衛のためだけではなく、うなじに噛み跡が付いていないのを隠すためにも付けていてください」

 アレクシスがヒートの間、ヴォルフラムはこのチョーカーを注文して作ってもらっていたのだろう。少し青みがかったエメラルドはヴォルフラムの目の色にそっくりだった。

「付けさせてもらいます」
「鍵はあなたが管理していて構わないので」
「いいのですか? あなたが管理しなくて」
「アレクシス、おれはあなたを無理やり番にしようと思っていません。あなたと心が通じ合って、あなたがおれを番にしてもいいと思ってくれるまでは待ちます」

 てっきり鍵はヴォルフラムが管理するものだと思っていたから、チョーカーの鍵も渡されてアレクシスは大いに困惑していた。首にチョーカーを巻くと、エメラルドの飾りをスライドさせて現れた鍵穴に小さな鍵を差し込んでしっかりと鍵をかける。
 チョーカーは鋭いアルファの歯を通さないだけでなく、内側は柔らかな素材でできていて着け心地も悪くなく、アレクシスの太い首に着けても苦しくないくらいのちょうどよさだった。
 指先でエメラルドに触れると、それが大粒の高価なものであることが分かる。

「よく似合いますね。アレクシスは褐色の肌が艶々として健康的なので、チョーカーの黒い色とエメラルドがよく映えます」

 歯を見せて微笑んだヴォルフラムにアレクシスは落ち着かない気分になってくる。
 結婚式の日はあんなに不機嫌で、式が終わると披露宴の途中で退出してしまったのに、しっかりとヴォルフラムと向き合うと、その美しさに目がくらみそうになる。

 ストレートの長い金髪は背中まで伸びていて、普段はそれを一つに括っているが、今日は解いている。肌も陶器のように白く滑らかで、睫毛など上に物が乗るのではないかというくらい長い。
 整った顔立ちのヴォルフラムにアレクシスはふと初恋の少女の面影を重ねていた。
 あの少女の目の色は何色だっただろう。
 一緒にいたときには胸がどきどきしてそこまでじっと少女の顔を見ていられなかった。

「あなたは、なぜそんなに長く髪を伸ばしているのですか? 似合っていないという意味ではありません。とても似合っているのですが……」
「おれは幼いころから髪がきれいだから伸ばすように母に言われていたのです。男三人しか子どものいない母は、おれを産んだ後で、これ以上の出産は止められていて、女の子が欲しかったと言っていました」

 確かにこれだけ美しい顔立ちならば子どものころは女の子のようだっただろう。
 成長してアレクシスほどではないが立派な体躯になり、男性のアルファだとよく分かる姿になっていたがヴォルフラムの少年時代は相当美しかったに違いない。

「もしかして、あなたは小さなころ……」

 言いかけてアレクシスはそんなわけがないと口を閉じる。
 女の子が欲しいといってもヴォルフラムは男性でアルファなのである。女の子の格好をしていたなどということがあるわけがない。
 初恋の相手とどうしてももう一度会いたい。できれば結婚したかったというアレクシスの願望がヴォルフラムとあの少女を重ねさせるだけなのだ。

「アレクシス?」
「執務に戻ります。チョーカーはありがとうございます。そこまで気が付きませんでした」

 チョーカーに飾られたエメラルドをひと撫でして、アレクシスは政務に戻った。

 ヴォルフラムが政務を代わっていてくれたとはいえ、アレクシスにしかできない政務もたくさんある。ヒートの期間中に溜まっていた書類を、急ぐわけではないのに、アレクシスは夜遅くまでかかって仕上げてしまおうとしていた。
 一週間しか不在にしなかったし、ヴォルフラムが的確に指示を出してくれていたようなので、ヴォルフラムだけでは判断できない難しい書類しか残っていない。十八歳のときから領地経営に携わっているアレクシスにしか裁量できない問題を片付けていると、日付が変わっていた。
 秋口とはいえ夜は冷えるのだが、ヴォルフラムが用意してくれたひざ掛けが温かくてアレクシスはそんなに寒くはなかった。
 ヒートの期間で消耗してはいたが、今日は何か食べられそうだと思ってから、夕食を忘れて政務にかかりきりになって、こんな時間になってしまっていたことに気付く。
 何か食べてから眠りたかったが、この時間に厨房のものを起こすのも申し訳ないし、諦めてアレクシスが部屋に戻ろうとしたときに、執務室のドアがノックされた。

「誰だ?」
「おれです。ヴォルフラムです」

 穏やかに答えが返ってきて、執務室のソファに移動してヴォルフラムに入るように促すと、ヴォルフラムは手にお盆を持って入ってきた。
 お盆の上にはティーセットとサンドイッチが乗っている。

「夕食のときに声をかけたのに気付いてもらえなかったので、何も食べていないかと思って、ちょっと厨房を借りて作ってきました」
「あなたが作ったんですか?」
「これくらいのことはできます」

 ソファのローテーブルにお盆を置いたヴォルフラムがアレクシスに「どうぞ」とサンドイッチの皿を差し出し、ティーカップに湯気の上がる温かな紅茶を注ぐ。

「成長期に食事が足りなくて、厨房に入り込んで最初はハムやパンを齧っていたんですが、そのうち、厨房の料理長が簡単な料理を教えてくれるようになって、ある程度のことはできるようになりました。おれの作った焼き菓子は美味しいと実家でも有名だったんですよ」
「焼き菓子……」
「アレクシスは甘いものはあまり好きではありませんでしたね。アレクシスには甘くないものを作ります」

 これからも何か作ってくれるというヴォルフラムにアレクシスは驚いてしまう。
 アレクシスも成長期には身長が急激に伸びていつもお腹を空かせていたが、自分で厨房に行って何か食べようとか、作ろうとか思ったことはなかった。

「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。冷めないうちにどうぞ」

 紅茶のカップを渡されて、温かい紅茶を吹き冷まして飲みながら、アレクシスはヴォルフラムの作ったサンドイッチを食べた。ハムとキュウリが挟まったものや、潰したゆで卵を挟んだものなど手の込んだものではなかったが、サンドイッチはとても美味しく、空腹のアレクシスにはありがたく感じられた。
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