忘れられない君の香

秋月真鳥

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アレクシス(受け)視点

8.懐かしい香り

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 アレクシスは悩んでいた。
 ハインケス子爵家でのお茶会が近付いている。そのことに関しても不安はあるのだが、それ以上に自分の制御できない行動について悩んでいた。
 ヴォルフラムの着ていたもの、手にしたもの、持っていたもの、使ったもの。とにかくヴォルフラムのフェロモンがついたものを無意識のうちに集めてしまうのだ。
 一度はヴォルフラムがアスコットタイがないことに気付いてアレクシスのものと混じっていないか聞いたので、慌てて全てのものを返したのだが、アレクシスは無意識のうちにまたヴォルフラムのものを集めていた。

「なんでわたしはこんなことを……」

 二度とこんなことをしないと誓ったはずなのに、ヴォルフラムの置き忘れた手袋を握り締めて部屋に帰ってきてしまったアレクシスは頭を抱えて座り込む。白い羊革の手袋からはヴォルフラムの爽やかで好ましい香りがしている。
 真摯なヴォルフラムが無断でアレクシスの部屋に入ることがないことをいいことに、アレクシスの収集癖は日に日に酷くなってきている気がしていた。
 いけないと思ってヴォルフラムが不在のときに部屋にこっそりと返しに行くのだが、ヴォルフラムの部屋に入ってしまうと、全てのものからヴォルフラムの香りがして、一つ返したはずなのに二つ持ち帰ってしまっているというようなことまである。
 これはいつかは露見する。
 絶対によくないと分かっているのに、オメガの本能なのかヴォルフラムの匂いがついているものを集めることが止められない。

 今ではヴォルフラムの匂いに囲まれていないと熟睡できないようになってしまっている。

 侍女たちはそれに気付いているのだが、アレクシスが屋敷の主人でヴォルフラムに知られたくないことを分かっているため、ヴォルフラムには何も言わない。元々使用人とは空気のようなもので、主人の求めなしには口を開いてはいけないことになっているのだ。

「屋敷の者を疑いたくないのだけれど、最近、頻繁にものがなくなるような気がするのです。部屋に鍵をかけた方がいいのですかね」
「あなたが必要だと思うならかけたらいいと思います」
「でも、なくなったと思ったものは二、三日すると出て来るのですよね。おれの部屋を片付けている侍女が掃除のときに置き場所を間違えているだけなのかな」

 できれば鍵はかけてほしくない。
 鍵をかけられたら、ヴォルフラムの忘れ物を持って帰ってしまったときに、こっそりと返せなくなる。
 葛藤を隠しつつアレクシスが涼しい顔で言えば、ヴォルフラムは大らかにそれを受け止めたようだった。
 屋敷のもう一人の主人であるヴォルフラムがこれだけ穏やかで大らかだからこそ、アレクシスの収集癖もばれていないのだろうが、ヴォルフラムがアレクシスの部屋を見てしまったら言い訳ができなくなりそうで、アレクシスこそ部屋に鍵をかけた方がいいのではないかと考え始めていた。

 ハインケス子爵家でのお茶会は冬の始めに行われた。
 ハインケス子爵家は、元が商家なので商売を生業としていて、領地は所有していない。バルテル侯爵領の中にハインケス子爵家の屋敷はあるので、移動はすぐだった。
 馬車に乗るときにヴォルフラムがアレクシスに手を差し伸べる。
 きれいな顔立ちに似合わぬ剣を握る硬い手に、アレクシスも同じく硬く大きな手を乗せる。
 長身で体格も立派なアレクシスは手を貸さなくても馬車に乗れるどころか、馬にすら乗れるのだが、ヴォルフラムがしてくれると思うと無碍にもできなくてその白い手を借りた。
 アレクシスの体躯が立派なので馬車もそれに合わせた大きさになっている。
 ヴォルフラムと並んで座ると、ヴォルフラムから爽やかな好ましい香りが漂って来て、アレクシスは落ち着かなくなる。

「アレクシス、あなたはいつも桃のような甘い瑞々しい香りがする」

 アレクシスがヴォルフラムの香りに心が落ち着かないでいるときに、ヴォルフラムの方もアレクシスの香りが気になっていたようだった。

「わたしのフェロモンは桃の香りですか?」
「あなたの香りを嗅いでいると心が落ち着くし、すごく心地いい。おれたちはとても相性がいいんじゃないだろうか」

 最近はヴォルフラムはふとしたときに敬語がなくなる。
 それもアレクシスの心を波立たせる。

「あなたもいい香りがします」
「おれも? どんな?」
「懐かしい香りです」

 十一年前の少女と同じ香りだなどと言ってもヴォルフラムには意味が分からないだろうから、懐かしい香りと誤魔化しておくと、ヴォルフラムがアレクシスの手を握った。ヴォルフラムの方が手は小さいが、指が長く爪の形まで美しい。

「無理強いするつもりも、急かすつもりもないんだが、あなたを早くおれのものにしたい」

 熱っぽい目で見つめられて、アレクシスは大いに戸惑ってしまう。
 ヴォルフラムは侯爵位が欲しくてアレクシスと結婚したのだし、こんな風に迫られると勘違いしてしまいそうになる。
 巣作りを始めている時点で、アレクシスはヴォルフラムに好意を抱いているのは間違いないのだ。

 結婚してからもうすぐ四か月。ヴォルフラムはアレクシスに何かを強要することは決してなかったし、常に配慮してアレクシスのことを気遣ってくれていた。アレクシスが遅くまで執務室で仕事をしていると熱いお茶や夜食を持って来てくれるし、アレクシスが寒くないように気を付けてくれる。
 執務室で疲れて机に突っ伏して眠っていたときなど、声をかけずにアレクシスに毛布をかけてくれていたこともあった。誰が毛布を掛けてくれたのかは、アレクシスには毛布に残るフェロモンの香りですぐに分かった。

「あなたは、わたしのようなオメガが嫌ではないのですか?」
「嫌? どうして?」
「わたしは普通のオメガのように儚くも美しくもないし、身長はあなたより大きいし、体格もあなたより立派だし……」

 自分でもコンプレックスだと思っていたことを口にすると、ヴォルフラムが青みがかった緑色の目を見開いている。

「おれは……学園にいたころから、あなたに憧れていた」
「あ、憧れ?」
「一つ上の学年にものすごく優秀なオメガがいると有名だった。オメガなのに剣術でも体術でも誰も敵うものはいなくて、成績は首席、アルファの追随を許さないものすごく格好いいオメガ、それがあなただ」
「そ、そんなこと、言われたことがないです」
「みんな、あなたが格好良すぎて言えなかっただけなのだと思う。おれはずっとあなたに憧れていた。学園に入学したときから、あなたのことをやっと見つけたと……」
「見つけた?」

 もっと詳しく話を聞きたかったが、ハインケス子爵家はバルテル侯爵家から近くて馬車が到着してしまう。
 馬車から降りると、ハインケス子爵と子爵夫人がアレクシスとヴォルフラムを迎えてくれた。

「ようこそいらっしゃいました、アレクシス様。お帰り、ヴォルフラム」
「ただいま、父上、母上」
「ヴォルフラム、アレクシス様にチョーカーをお贈りしたのね。ヴォルフラムの目の色そっくりであなたの独占欲が見えるわよ」
「母上、アレクシスの前でそういうことは言わないでくれ」

 焦っているヴォルフラムが母親の前では子どものように見えてアレクシスは小さく笑ってしまった。その笑顔を見てヴォルフラムが青みがかった緑色の目を輝かせる。

「初めて笑った。アレクシスが笑った」
「ヴォルフラム、お前はアレクシス様を笑わせることもできていなかったのか?」
「アレクシスは繊細なんだ。少しずつ近付かないと、怯えてしまう」

 自分のようなでかくて厳つくてごついオメガに繊細も何もないのだが、ヴォルフラムは本気でそう思っているようで、壊れ物でも扱うようにアレクシスの手を取って屋敷の中に招く。
 屋敷の広間では、お茶の用意がされていた。
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