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六
しおりを挟む執事を掌握する
最初に押さえたのは、父ではない。屋敷を統括する執事だった。灰色の髪をきっちり撫でつけ、背筋は常に真っ直ぐ。
二十年以上この屋敷に仕え、主人が変わっても空気を変えず、誰の味方にも見えない男。
彼は、知っている。帳簿の癖も、改ざんの跡も、「見なかったことにされてきた数字」も。それでいて、何も言わない。
――一番、厄介で、一番、使える。
「少し、確認したいことがあります」
そう声をかけると、執事は一瞬だけ瞬きをした。案内したのは、書庫だった。分厚い扉。埃と紙の匂い。窓は小さく、昼でも薄暗い。人の出入りはほとんどなく、ここにあるのは、言い訳をしない記録だけ。私は棚から一冊を抜き取り、机に置いた。
「こちらの小麦の納入記録ですが」
頁をめくる。
「不良品として申告されていますね」
「虫害、湿気、規格外――理由はいくつも」
執事は、視線を帳簿に落としたまま答えた。
「……はい」
「でも、実際には?」
一拍。
沈黙。
私は、淡々と続ける。
「もし、あなたが横領していた場合」
「罰は免れません」
顔が、わずかに強張る。
「王家に報告すれば、責任はあなたに集中する」
「父は、間違いなくそうします」
そこで、ようやく彼は口を開いた。
「……通常品です」
即答だった。
(……早いな)
私は内心で息を吐く。正直すぎる。
この屋敷、大丈夫かしら。
「では、ここも」
別の帳簿を開く。
「収入と支出が、合っていません」
「知っていますよね?」
執事は、否定しない。
「訳を、一つずつ確認します」
「逃げ道は、ありません」
淡々と、事実だけを並べる。
「不良報告を出して支援金を受給」
「同時に、王家への税は“減収”として減額申請」
「小麦自体は、横流し」
指で頁を叩く。
「差額は、義母様の宝飾」
「義妹様の“寄付”名目の出金」
「父上名義の別口座」
執事は、沈黙したまま動かない。
「安心してください」
私は、声を落とした。
「あなたを切るつもりはありません」
彼が、顔を上げる。
「むしろ、必要です」
「……何を、お望みで?」
「正しい帳簿を」
「それだけです」
私は、微笑んだ。
「これからは、私が当主代理」
「あなたは、“気づいていなかった”」
「そういう立場でいてください」
執事は、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
――これで、入口は押さえた。
♦︎
父を呼び出したのは、その夜だった。
書斎。
重い机。
いつもの椅子。
いつもの威圧。
「話とは何だ」
私は答えない。代わりに、帳簿を机に叩きつけた。
――バン。
「脱税です」
一言。
父の眉が、わずかに動く。
「小麦の不良申告」
「支援金の不正受給」
「税の減免申請」
頁をめくり、指で示す。
「すべて、詐欺です」
「……証拠は?」
「全部あります」
即答した。
「原本」
「改ざん前後」
「納入先の証言」
「倉庫の在庫」
「執事も、把握しています」
父の顔色が、はっきりと変わった。
「義母と義妹の散財は?」
「説明できますか?」
沈黙。
「王家への税、減らしてますよね」
「“領地が苦しい”って」
私は、少し身を乗り出す。
「その一方で、宝石は増えている」
「おかしいと思いませんか?」
父の手が、震えた。
「……お前は、何がしたい」
「簡単です」
私は、静かに告げる。
「実権の譲渡」
「屋敷、財務、人事、対外対応」
「すべて、私に」
「拒否すれば?」
「明日、王家に提出します」
にこり、と笑う。
「脱税と詐欺の“是正報告”として」
父は、椅子に深く沈んだ。
長い沈黙。
やがて。
「……分かった」
掠れた声。
「権限を与える」
私は、頷いた。
「賢明な判断です、父上」
父は、帳簿から目を離せずにいた。その沈黙を見て、私は最後の札を切る。
「それから――愛人の件ですが」
ぴくり、と父の肩が揺れた。
「城下の薬師街」
「二階建ての家」
「“遠縁の未亡人”という名目」
私は、何でもないことのように続ける。
「生活費は、公爵家とは無関係の商人を経由」
「でも、資金の出どころは同じ口座」
「……証拠は?」
声が、かすれている。
「今は、提示しません」
私は、静かに言った。
「でも、義母様は薄々気づいています」
「義妹様も、知っています」
「神殿にも、“不貞の噂”は流れ始めています」
父の拳が、机の上で固く握られる。
「もし、これが表に出たら」
私は、少しだけ首を傾げた。
「脱税」
「詐欺」
「不貞」
「どれから処理します?」
沈黙。
重たい沈黙。
やがて父は、力なく椅子にもたれた。
「……分かった」
敗北を認める声だった。
「すべて、お前に任せる」
「公爵家の実務権限」
「財務」
「対外折衝」
「……当主代理として、動け」
私は、頷いた。
「ありがとうございます、父上」
立ち上がり、扉へ向かう。
「ご安心ください」
「愛人の件は――“今は”伏せておきます」
“今は”。
その一言が、父の背中を、完全に折った。書斎を出た瞬間、私は深く息を吐く。
(はい、チェックメイト)
これで、屋敷も、金も、人も、全部、私の管轄。
あとは――屋敷の清掃が必要ね。
残るは、王家と神殿。
どちらが先に、踏み込んでくるか。
……楽しみね。
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