8 / 14
五
しおりを挟む
聖女が、二人いる
王城の執務室は、午後の光に満ちていた。
分厚い石壁に囲まれた広間。
重厚な黒檀の机は、三代前の王の時代から使われているものだ。
机上には、積み上げられた書類と封蝋の痕。壁には、歴代国王の肖像画が並んでいた。
剣を携えた初代王。
内乱を鎮めた第七代。
飢饉を越え、交易路を広げた第十二代。
そして――
中央に飾られているのは、現王。
第十五代国王
ザイード・フォン・ヴェルトリナス
この国を、武ではなく“均衡”で動かしてきた男。神殿と貴族、王権の三者を天秤にかけ、どこにも傾きすぎない政治を続けてきた。
その静寂を破ったのは、一通の報告書だった。
「……ほう」
王は、紙に目を落としたまま、低く声を漏らす。
「歩行不能だった少女が、その場で立ち上がった、と?」
側近が一歩前に出る。
名は、エドガー・ヴァルハイム。
王家直属の宰務卿。
子爵位を持つが、爵位以上に王の信頼が厚い男だった。
「はい。神殿からの正式報告ではありませんが、現場の証言は一致しています」
「祈ったのは、誰だ」
「……二人、です」
その言葉に、王の指が止まった。
「二人?」
エドガーは、慎重に言葉を選ぶ。
「義妹殿下――現在、“聖女”として神殿が認定している方」
「もう一人は?」
「公爵家の長女様です」
沈黙。
王は、ゆっくりと椅子に背を預けた。
「……聖女が、二人いるということか」
「形式上は、違います」
エドガーが即座に否定する。
「神殿の認定は、義妹殿下のみです」
「だが、結果は?」
王は、報告書を軽く指で叩いた。
「結果は、長女の方が“即時回復”を起こしている」
エドガーは頷く。
「光が降りそそぎ、虹が絶え間なく周囲を巡ったと」
「病は消え、歩けなかった少女が立ったそうです」
「神殿方式では、あり得ないな」
王は、静かに笑った。それは、楽しげでも嘲笑でもない。確信の笑みだった。
「……陛下?」
「思い出す」
王は、遠くを見るような目をした。
「隣国から降嫁してきた王女のことを」
エドガーの背筋が、自然と伸びる。
「聖魔法を扱った姫君……」
「あの方は、神殿に縛られなかった」
王は、ゆっくりと続ける。
「祈らず、儀式を拒み、それでも国を安定させた」
「――彼女の傍にいた男も、また、自由な力を使っていたな」
神殿が最も嫌った存在。エドガーは、息を呑んだ。
「……では、長女様は」
「血を引いている」
王は、断言した。
「そして――神殿は、また同じ過ちを繰り返した」
王は、報告書を閉じる。
「聖女は、称号ではない」
「認定でもない」
「結果だ」
「結果を出した者が、聖女だ」
エドガーは、慎重に問う。
「では、どうなさいますか」
王は、即答した。
「動く」
「神殿より先に」
その一言で、王家の方針は決まった。
「二人の聖女がいる、という噂は――
止めるな」
「むしろ、広げろ」
エドガーは、思わず目を見開いた。
「……陛下」
「神殿が慌てる」
王は、静かに言った。
「慌てれば、余計な手を打つ」
そして、ふっと口元を緩める。
「それに……面白いものが大好きな、わしの息子も、目を輝かせて動き出すだろうな」
エドガーは、内心でため息をついた。
――王太子殿下。好奇心と行動力の塊。
厄介極まりない。
「その前に、こちらが“本物”に近づく」
王は、立ち上がった。
「公爵家の長女を、“保護”する」
その言葉は、善意にも聞こえた。
同時に、はっきりとした政治的宣言でもあった。
「神殿には、こちらから伝える」
「“聖女が二人いるのではないか”と」
王は、微かに笑う。
「さて」
「どちらが、本物かな」
王城の窓の外で、鐘の音が鳴った。
それは、神殿の鐘とは違う音色。
王家が、盤上に駒を置いた合図だった。
王城の執務室は、午後の光に満ちていた。
分厚い石壁に囲まれた広間。
重厚な黒檀の机は、三代前の王の時代から使われているものだ。
机上には、積み上げられた書類と封蝋の痕。壁には、歴代国王の肖像画が並んでいた。
剣を携えた初代王。
内乱を鎮めた第七代。
飢饉を越え、交易路を広げた第十二代。
そして――
中央に飾られているのは、現王。
第十五代国王
ザイード・フォン・ヴェルトリナス
この国を、武ではなく“均衡”で動かしてきた男。神殿と貴族、王権の三者を天秤にかけ、どこにも傾きすぎない政治を続けてきた。
その静寂を破ったのは、一通の報告書だった。
「……ほう」
王は、紙に目を落としたまま、低く声を漏らす。
「歩行不能だった少女が、その場で立ち上がった、と?」
側近が一歩前に出る。
名は、エドガー・ヴァルハイム。
王家直属の宰務卿。
子爵位を持つが、爵位以上に王の信頼が厚い男だった。
「はい。神殿からの正式報告ではありませんが、現場の証言は一致しています」
「祈ったのは、誰だ」
「……二人、です」
その言葉に、王の指が止まった。
「二人?」
エドガーは、慎重に言葉を選ぶ。
「義妹殿下――現在、“聖女”として神殿が認定している方」
「もう一人は?」
「公爵家の長女様です」
沈黙。
王は、ゆっくりと椅子に背を預けた。
「……聖女が、二人いるということか」
「形式上は、違います」
エドガーが即座に否定する。
「神殿の認定は、義妹殿下のみです」
「だが、結果は?」
王は、報告書を軽く指で叩いた。
「結果は、長女の方が“即時回復”を起こしている」
エドガーは頷く。
「光が降りそそぎ、虹が絶え間なく周囲を巡ったと」
「病は消え、歩けなかった少女が立ったそうです」
「神殿方式では、あり得ないな」
王は、静かに笑った。それは、楽しげでも嘲笑でもない。確信の笑みだった。
「……陛下?」
「思い出す」
王は、遠くを見るような目をした。
「隣国から降嫁してきた王女のことを」
エドガーの背筋が、自然と伸びる。
「聖魔法を扱った姫君……」
「あの方は、神殿に縛られなかった」
王は、ゆっくりと続ける。
「祈らず、儀式を拒み、それでも国を安定させた」
「――彼女の傍にいた男も、また、自由な力を使っていたな」
神殿が最も嫌った存在。エドガーは、息を呑んだ。
「……では、長女様は」
「血を引いている」
王は、断言した。
「そして――神殿は、また同じ過ちを繰り返した」
王は、報告書を閉じる。
「聖女は、称号ではない」
「認定でもない」
「結果だ」
「結果を出した者が、聖女だ」
エドガーは、慎重に問う。
「では、どうなさいますか」
王は、即答した。
「動く」
「神殿より先に」
その一言で、王家の方針は決まった。
「二人の聖女がいる、という噂は――
止めるな」
「むしろ、広げろ」
エドガーは、思わず目を見開いた。
「……陛下」
「神殿が慌てる」
王は、静かに言った。
「慌てれば、余計な手を打つ」
そして、ふっと口元を緩める。
「それに……面白いものが大好きな、わしの息子も、目を輝かせて動き出すだろうな」
エドガーは、内心でため息をついた。
――王太子殿下。好奇心と行動力の塊。
厄介極まりない。
「その前に、こちらが“本物”に近づく」
王は、立ち上がった。
「公爵家の長女を、“保護”する」
その言葉は、善意にも聞こえた。
同時に、はっきりとした政治的宣言でもあった。
「神殿には、こちらから伝える」
「“聖女が二人いるのではないか”と」
王は、微かに笑う。
「さて」
「どちらが、本物かな」
王城の窓の外で、鐘の音が鳴った。
それは、神殿の鐘とは違う音色。
王家が、盤上に駒を置いた合図だった。
37
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
『お前を愛する事はない』なんて言ってないでしょうね?
あんど もあ
ファンタジー
政略結婚で妻を娶った息子に、母親は穏やかに、だが厳しく訊ねる。
「『お前を愛する事は無い』なんて言ってないでしょうね?」
義母と義妹に虐げられていましたが、陰からじっくり復讐させていただきます〜おしとやか令嬢の裏の顔〜
有賀冬馬
ファンタジー
貴族の令嬢リディアは、父の再婚によりやってきた継母と義妹から、日々いじめと侮蔑を受けていた。
「あら、またそのみすぼらしいドレス? まるで使用人ね」
本当の母は早くに亡くなり、父も病死。残されたのは、冷たい屋敷と陰湿な支配。
けれど、リディアは泣き寝入りする女じゃなかった――。
おしとやかで無力な令嬢を演じながら、彼女はじわじわと仕返しを始める。
貴族社会の裏の裏。人の噂。人間関係。
「ふふ、気づいた時には遅いのよ」
優しげな仮面の下に、冷たい微笑みを宿すリディアの復讐劇が今、始まる。
ざまぁ×恋愛×ファンタジーの三拍子で贈る、スカッと復讐劇!
勧善懲悪が好きな方、読後感すっきりしたい方にオススメです!
何かと「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢は
だましだまし
ファンタジー
何でもかんでも「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢にその取り巻きの侯爵令息。
私、男爵令嬢ライラの従妹で親友の子爵令嬢ルフィナはそんな二人にしょうちゅう絡まれ楽しい学園生活は段々とつまらなくなっていった。
そのまま卒業と思いきや…?
「ひどいわ」ばっかり言ってるからよ(笑)
全10話+エピローグとなります。
悪役令嬢は断罪の舞台で笑う
由香
恋愛
婚約破棄の夜、「悪女」と断罪された侯爵令嬢セレーナ。
しかし涙を流す代わりに、彼女は微笑んだ――「舞台は整いましたわ」と。
聖女と呼ばれる平民の少女ミリア。
だがその奇跡は偽りに満ち、王国全体が虚構に踊らされていた。
追放されたセレーナは、裏社会を動かす商会と密偵網を解放。
冷徹な頭脳で王国を裏から掌握し、真実の舞台へと誘う。
そして戴冠式の夜、黒衣の令嬢が玉座の前に現れる――。
暴かれる真実。崩壊する虚構。
“悪女”の微笑が、すべての終幕を告げる。
王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました
水上
恋愛
【全18話完結】
「君は中身まで腐っている」と婚約破棄されたエリアナ。
そんな彼女は成り行きで辺境へ嫁ぐことに。
自身の知識と技術で辺境を改革するエリアナ。
そんな彼女を、白い結婚のはずなのに「膝枕は合理的だ」と甘やかす夫。
一方、エリアナを追放した王都では、彼女の不在の影響が出始めて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる