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五
聖女が、二人いる
王城の執務室は、午後の光に満ちていた。
分厚い石壁に囲まれた広間。
重厚な黒檀の机は、三代前の王の時代から使われているものだ。
机上には、積み上げられた書類と封蝋の痕。壁には、歴代国王の肖像画が並んでいた。
剣を携えた初代王。
内乱を鎮めた第七代。
飢饉を越え、交易路を広げた第十二代。
そして――
中央に飾られているのは、現王。
第十五代国王
ザイード・フォン・ヴェルトリナス
この国を、武ではなく“均衡”で動かしてきた男。神殿と貴族、王権の三者を天秤にかけ、どこにも傾きすぎない政治を続けてきた。
その静寂を破ったのは、一通の報告書だった。
「……ほう」
王は、紙に目を落としたまま、低く声を漏らす。
「歩行不能だった少女が、その場で立ち上がった、と?」
側近が一歩前に出る。
名は、エドガー・ヴァルハイム。
王家直属の宰務卿。
子爵位を持つが、爵位以上に王の信頼が厚い男だった。
「はい。神殿からの正式報告ではありませんが、現場の証言は一致しています」
「祈ったのは、誰だ」
「……二人、です」
その言葉に、王の指が止まった。
「二人?」
エドガーは、慎重に言葉を選ぶ。
「義妹殿下――現在、“聖女”として神殿が認定している方」
「もう一人は?」
「公爵家の長女様です」
沈黙。
王は、ゆっくりと椅子に背を預けた。
「……聖女が、二人いるということか」
「形式上は、違います」
エドガーが即座に否定する。
「神殿の認定は、義妹殿下のみです」
「だが、結果は?」
王は、報告書を軽く指で叩いた。
「結果は、長女の方が“即時回復”を起こしている」
エドガーは頷く。
「光が降りそそぎ、虹が絶え間なく周囲を巡ったと」
「病は消え、歩けなかった少女が立ったそうです」
「神殿方式では、あり得ないな」
王は、静かに笑った。それは、楽しげでも嘲笑でもない。確信の笑みだった。
「……陛下?」
「思い出す」
王は、遠くを見るような目をした。
「隣国から降嫁してきた王女のことを」
エドガーの背筋が、自然と伸びる。
「聖魔法を扱った姫君……」
「あの方は、神殿に縛られなかった」
王は、ゆっくりと続ける。
「祈らず、儀式を拒み、それでも国を安定させた」
「――彼女の傍にいた男も、また、自由な力を使っていたな」
神殿が最も嫌った存在。エドガーは、息を呑んだ。
「……では、長女様は」
「血を引いている」
王は、断言した。
「そして――神殿は、また同じ過ちを繰り返した」
王は、報告書を閉じる。
「聖女は、称号ではない」
「認定でもない」
「結果だ」
「結果を出した者が、聖女だ」
エドガーは、慎重に問う。
「では、どうなさいますか」
王は、即答した。
「動く」
「神殿より先に」
その一言で、王家の方針は決まった。
「二人の聖女がいる、という噂は――
止めるな」
「むしろ、広げろ」
エドガーは、思わず目を見開いた。
「……陛下」
「神殿が慌てる」
王は、静かに言った。
「慌てれば、余計な手を打つ」
そして、ふっと口元を緩める。
「それに……面白いものが大好きな、わしの息子も、目を輝かせて動き出すだろうな」
エドガーは、内心でため息をついた。
――王太子殿下。好奇心と行動力の塊。
厄介極まりない。
「その前に、こちらが“本物”に近づく」
王は、立ち上がった。
「公爵家の長女を、“保護”する」
その言葉は、善意にも聞こえた。
同時に、はっきりとした政治的宣言でもあった。
「神殿には、こちらから伝える」
「“聖女が二人いるのではないか”と」
王は、微かに笑う。
「さて」
「どちらが、本物かな」
王城の窓の外で、鐘の音が鳴った。
それは、神殿の鐘とは違う音色。
王家が、盤上に駒を置いた合図だった。
王城の執務室は、午後の光に満ちていた。
分厚い石壁に囲まれた広間。
重厚な黒檀の机は、三代前の王の時代から使われているものだ。
机上には、積み上げられた書類と封蝋の痕。壁には、歴代国王の肖像画が並んでいた。
剣を携えた初代王。
内乱を鎮めた第七代。
飢饉を越え、交易路を広げた第十二代。
そして――
中央に飾られているのは、現王。
第十五代国王
ザイード・フォン・ヴェルトリナス
この国を、武ではなく“均衡”で動かしてきた男。神殿と貴族、王権の三者を天秤にかけ、どこにも傾きすぎない政治を続けてきた。
その静寂を破ったのは、一通の報告書だった。
「……ほう」
王は、紙に目を落としたまま、低く声を漏らす。
「歩行不能だった少女が、その場で立ち上がった、と?」
側近が一歩前に出る。
名は、エドガー・ヴァルハイム。
王家直属の宰務卿。
子爵位を持つが、爵位以上に王の信頼が厚い男だった。
「はい。神殿からの正式報告ではありませんが、現場の証言は一致しています」
「祈ったのは、誰だ」
「……二人、です」
その言葉に、王の指が止まった。
「二人?」
エドガーは、慎重に言葉を選ぶ。
「義妹殿下――現在、“聖女”として神殿が認定している方」
「もう一人は?」
「公爵家の長女様です」
沈黙。
王は、ゆっくりと椅子に背を預けた。
「……聖女が、二人いるということか」
「形式上は、違います」
エドガーが即座に否定する。
「神殿の認定は、義妹殿下のみです」
「だが、結果は?」
王は、報告書を軽く指で叩いた。
「結果は、長女の方が“即時回復”を起こしている」
エドガーは頷く。
「光が降りそそぎ、虹が絶え間なく周囲を巡ったと」
「病は消え、歩けなかった少女が立ったそうです」
「神殿方式では、あり得ないな」
王は、静かに笑った。それは、楽しげでも嘲笑でもない。確信の笑みだった。
「……陛下?」
「思い出す」
王は、遠くを見るような目をした。
「隣国から降嫁してきた王女のことを」
エドガーの背筋が、自然と伸びる。
「聖魔法を扱った姫君……」
「あの方は、神殿に縛られなかった」
王は、ゆっくりと続ける。
「祈らず、儀式を拒み、それでも国を安定させた」
「――彼女の傍にいた男も、また、自由な力を使っていたな」
神殿が最も嫌った存在。エドガーは、息を呑んだ。
「……では、長女様は」
「血を引いている」
王は、断言した。
「そして――神殿は、また同じ過ちを繰り返した」
王は、報告書を閉じる。
「聖女は、称号ではない」
「認定でもない」
「結果だ」
「結果を出した者が、聖女だ」
エドガーは、慎重に問う。
「では、どうなさいますか」
王は、即答した。
「動く」
「神殿より先に」
その一言で、王家の方針は決まった。
「二人の聖女がいる、という噂は――
止めるな」
「むしろ、広げろ」
エドガーは、思わず目を見開いた。
「……陛下」
「神殿が慌てる」
王は、静かに言った。
「慌てれば、余計な手を打つ」
そして、ふっと口元を緩める。
「それに……面白いものが大好きな、わしの息子も、目を輝かせて動き出すだろうな」
エドガーは、内心でため息をついた。
――王太子殿下。好奇心と行動力の塊。
厄介極まりない。
「その前に、こちらが“本物”に近づく」
王は、立ち上がった。
「公爵家の長女を、“保護”する」
その言葉は、善意にも聞こえた。
同時に、はっきりとした政治的宣言でもあった。
「神殿には、こちらから伝える」
「“聖女が二人いるのではないか”と」
王は、微かに笑う。
「さて」
「どちらが、本物かな」
王城の窓の外で、鐘の音が鳴った。
それは、神殿の鐘とは違う音色。
王家が、盤上に駒を置いた合図だった。
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