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「君が僕以外のところへ行く話は――別の話だよ。」
その一言が、頭の中で何度も反芻されていた。
やさしい声のはずなのに、鎖のように足首に絡みついて離れない。
行くなと言われたわけでもない。
けれど、行ってはいけないような気がしてしまう。
その曖昧さが、いちばん苦しかった。
“できないままでいい”――そう言われても、素直にうなずけなかった。
あの頃の自分に、どうしても未練がある。
誰より早く剣を振り、誰より先に答えを導き出し、
王子の隣に立つのが当然だと思っていた、あの頃の自分。
その誇りを取り戻したくて、リリーは今日もまた動いていた。
***
非番の日。
鎧を脱ぎ、久しぶりに“令嬢”の服を着る。
淡い藤色のドレスに白いショール。
鏡に映る姿は、どこか他人のようだった。
いつの間にか、戦うことが“私らしさ”になっていたのだと気づく。
(今日は――知りに行く日。)
そう自分に言い聞かせ、リリーは王都の図書館へ向かった。
扉を押し開けると、静寂と紙の香りが迎えてくれる。
そこには既に、レベッカが待っていた。
机の上には積み上がる資料の山。
リリーが近づくと、レベッカは顔を上げて笑った。
「やっぱり来た。もう少し寝てるかと思ったのに」
「寝てたら夢にまで出てきそうだから、起きてきたの」
軽口を交わせる、それだけで少し息がしやすくなる。
騎士としてではなく、ひとりの少女として並んでいるような気がした。
***
「逆転の女神ノルティア」
その名は古代神話集の奥のほうにひっそりと記されていた。
ページの端が古びている。
書かれていたのは、こうだ。
――ノルティアは“気まぐれの神”。
人の運命が一方へ傾きすぎたとき、退屈を嫌ってそれをひっくり返す。
与えすぎた者から奪い、奪われすぎた者に与える。
均衡を正すのではなく、“面白く”するために。
「……私だ」
リリーは、思わず声を漏らした。
完璧に積み上げた自分の努力も、誇りも、
女神にとっては“退屈な秩序”だったのだ。
「リリー、これも見て」
レベッカが別の本を差し出す。
そこには、王家の森と古い石碑の記録が載っていた。
――王家は代々、ノルティアの眠る地を守り続けた。
怒らせぬよう、刺激せぬよう。
彼女の好む“守り人の樹”の根元に、封印の石を置き、静寂を保った。
「でも……私、あの夜、登ったの」
「石碑の上に?」
レベッカの目がわずかに見開かれる。
リリーは頷いた。
「夜道が見たくて。高いところなら王都が見えると思って」
「それが……封印だったのね」
「そう。知らなかった。けど、あのとき――確かに、割れた音がした」
言葉にするほど、胸の奥が冷たくなっていく。
原因を突き止めたのに、何ひとつ救われない。
ページをめくる指先が止まった。
そこには短く、残酷な一文。
――ノルティアの逆転を“正転”に戻す術、現在のところなし。
「……ないんだ」
ぽつりと呟いた声が、静まり返った書架に溶けた。
レベッカは何も言わなかった。
ただ、そっとリリーの肩に手を置くだけ。
“頑張ったね”と言われても、涙は出なかった。
むしろ、涙が出るほどの力すら、今は残っていない気がした。
***
図書館を出たのは夕暮れだった。
橙色の光が街並みを染め、石畳に長い影を落とす。
レベッカと別れたあと、リリーはまっすぐ帰る気になれなかった。
行きつけでもない店の灯りに吸い寄せられるように、
足が勝手に向いていた。
そこは、貴族たちの憩いの場――サロン。
昼はお茶、夜は果実酒。
普段なら縁のない場所。けれど今日は、少しだけ違った。
(……飲んでみようか)
嫌なことは、忘れられるかもしれない。
騎士団の先輩たちがそう言っていたのを思い出す。
運ばれてきた青いグラスを両手で包み、
リリーは静かに一口飲んだ。
甘く、けれど喉の奥に残る熱は、不思議と痛みに似ていた。
――私は、戻りたい。
誰かに許されるより、自分で納得できる場所に。
“できないままの私”を受け入れるなんて、まだ無理だ。
外では、冬の風が吹いていた。
グラスの氷が、かすかに音を立てて溶けていく。
リリーはそっと呟く。
「ノルティア……気まぐれなあなたに、また会いたくはないけど」
「もし聞こえているなら――ほんの少しでいいから、戻してほしい」
その願いが届くことはないと分かっていても。
それでも祈るしかなかった。
静かな夜が、ゆっくりと降りていく。
そして、その夜のどこかで――
誰かがまた、運命の糸をほんのわずかにねじった。
その一言が、頭の中で何度も反芻されていた。
やさしい声のはずなのに、鎖のように足首に絡みついて離れない。
行くなと言われたわけでもない。
けれど、行ってはいけないような気がしてしまう。
その曖昧さが、いちばん苦しかった。
“できないままでいい”――そう言われても、素直にうなずけなかった。
あの頃の自分に、どうしても未練がある。
誰より早く剣を振り、誰より先に答えを導き出し、
王子の隣に立つのが当然だと思っていた、あの頃の自分。
その誇りを取り戻したくて、リリーは今日もまた動いていた。
***
非番の日。
鎧を脱ぎ、久しぶりに“令嬢”の服を着る。
淡い藤色のドレスに白いショール。
鏡に映る姿は、どこか他人のようだった。
いつの間にか、戦うことが“私らしさ”になっていたのだと気づく。
(今日は――知りに行く日。)
そう自分に言い聞かせ、リリーは王都の図書館へ向かった。
扉を押し開けると、静寂と紙の香りが迎えてくれる。
そこには既に、レベッカが待っていた。
机の上には積み上がる資料の山。
リリーが近づくと、レベッカは顔を上げて笑った。
「やっぱり来た。もう少し寝てるかと思ったのに」
「寝てたら夢にまで出てきそうだから、起きてきたの」
軽口を交わせる、それだけで少し息がしやすくなる。
騎士としてではなく、ひとりの少女として並んでいるような気がした。
***
「逆転の女神ノルティア」
その名は古代神話集の奥のほうにひっそりと記されていた。
ページの端が古びている。
書かれていたのは、こうだ。
――ノルティアは“気まぐれの神”。
人の運命が一方へ傾きすぎたとき、退屈を嫌ってそれをひっくり返す。
与えすぎた者から奪い、奪われすぎた者に与える。
均衡を正すのではなく、“面白く”するために。
「……私だ」
リリーは、思わず声を漏らした。
完璧に積み上げた自分の努力も、誇りも、
女神にとっては“退屈な秩序”だったのだ。
「リリー、これも見て」
レベッカが別の本を差し出す。
そこには、王家の森と古い石碑の記録が載っていた。
――王家は代々、ノルティアの眠る地を守り続けた。
怒らせぬよう、刺激せぬよう。
彼女の好む“守り人の樹”の根元に、封印の石を置き、静寂を保った。
「でも……私、あの夜、登ったの」
「石碑の上に?」
レベッカの目がわずかに見開かれる。
リリーは頷いた。
「夜道が見たくて。高いところなら王都が見えると思って」
「それが……封印だったのね」
「そう。知らなかった。けど、あのとき――確かに、割れた音がした」
言葉にするほど、胸の奥が冷たくなっていく。
原因を突き止めたのに、何ひとつ救われない。
ページをめくる指先が止まった。
そこには短く、残酷な一文。
――ノルティアの逆転を“正転”に戻す術、現在のところなし。
「……ないんだ」
ぽつりと呟いた声が、静まり返った書架に溶けた。
レベッカは何も言わなかった。
ただ、そっとリリーの肩に手を置くだけ。
“頑張ったね”と言われても、涙は出なかった。
むしろ、涙が出るほどの力すら、今は残っていない気がした。
***
図書館を出たのは夕暮れだった。
橙色の光が街並みを染め、石畳に長い影を落とす。
レベッカと別れたあと、リリーはまっすぐ帰る気になれなかった。
行きつけでもない店の灯りに吸い寄せられるように、
足が勝手に向いていた。
そこは、貴族たちの憩いの場――サロン。
昼はお茶、夜は果実酒。
普段なら縁のない場所。けれど今日は、少しだけ違った。
(……飲んでみようか)
嫌なことは、忘れられるかもしれない。
騎士団の先輩たちがそう言っていたのを思い出す。
運ばれてきた青いグラスを両手で包み、
リリーは静かに一口飲んだ。
甘く、けれど喉の奥に残る熱は、不思議と痛みに似ていた。
――私は、戻りたい。
誰かに許されるより、自分で納得できる場所に。
“できないままの私”を受け入れるなんて、まだ無理だ。
外では、冬の風が吹いていた。
グラスの氷が、かすかに音を立てて溶けていく。
リリーはそっと呟く。
「ノルティア……気まぐれなあなたに、また会いたくはないけど」
「もし聞こえているなら――ほんの少しでいいから、戻してほしい」
その願いが届くことはないと分かっていても。
それでも祈るしかなかった。
静かな夜が、ゆっくりと降りていく。
そして、その夜のどこかで――
誰かがまた、運命の糸をほんのわずかにねじった。
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