逆転の花嫁はヤンデレ王子に愛されすぎて困っています

蜂蜜あやね

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「リリー、ごめんね。僕、歪んじゃったみたいだ。」
 その声はどこか悲しげで、けれどはっきりとした響きを持っていた。
 アシュレイはもう、自分が元には戻れないことを知っていた。
 リリーの涙を拭う指が、頬の上を迷うように彷徨う。
 親指が涙の粒に触れると、それをまるで宝石のように撫でつけた。
「アシュレイ……」
 リリーはただ呆然と、言葉を失ったまま彼の瞳を見つめる。
 紫紺の瞳――穏やかで、優しくて、あの頃と同じ色。
 けれどその奥には、熱があった。
 歪み、焦がれるような熱が。
「好きだって伝えたかっただけなのにね。」
 かすかに笑って、アシュレイはリリーの濡れた頬に張りついた髪を耳にかけた。
「リリー、あの頃の完璧な君より、今の君の方が大好きなんだよ……。」
 その言葉は、甘い鎖のようにリリーの胸に絡みついた。
 戻りたい――あの頃の自分に。
 けれど、彼の言葉がその想いを打ち砕く。
 戻らなくていい。
 今の“できない”リリーでいてほしい。
 アシュレイの我儘と歪んだ欲が、静かにリリーを縛る。
「待って……アシュレイ……」
 かすれた声が唇からこぼれた。
 戸惑い、混乱、理解の追いつかない心。
 好きだという甘いはずの告白は、どこか影を落としている。
 守りたかった――
 支えたかった――
 アシュレイの騎士になりたかった――
 その願いは、今も確かに胸の奥に残っているはずなのに。
「待たないよ、リリー。もう待てない。君が僕から離れていった五年間で、僕は拗れちゃったんだ。
 ……僕の恋心をおかしくさせたのは君だよ?」
「私は……そんなつもりじゃ……アシュレイに情けない姿を見せたくなかっただけ……!」
「僕はね、その“情けない君”が好きでたまらないって言ってるんだよ?」
「そんなの……嫌だ……」
 声が震えた。
 アシュレイが欲しているのは、今の“できない”自分。
 でも、リリーの心は過去を取り戻したくてたまらない。
 置いてきぼりにされた想いが、胸の奥で痛む。
「ごめんね、リリー。好きになっちゃって。
 できない君を欲しくてたまらなくて……弱い僕を、許して。
 今の君になら触れられる――そんな甘い考えを、持ってしまった僕を。」
 懺悔のような、宣告のような言葉。
 ひどく残酷で、それでいて甘い。
 アシュレイはリリーの唇に、そっと触れた。
 最初は羽のように優しく。
 けれど次の瞬間、顎を掴み、無理やりに唇をこじ開けた。
 熱い息と舌が入り込み、逃げようとするリリーの舌を追い、絡め取る。
 ふんわりとした優しさの残響のあとに、荒々しい支配が残った。
「……んっ、ふ……」
 息を奪われ、苦しげに眉を寄せるリリー。
 その身体をアシュレイは引き倒し、天井を仰がせる。
 覆いかぶさる彼の顔が近い。
 目と目が合った――
 そこにいたのは、もう“優しい少年”ではなかった。
「こんな僕に好かれて、可哀想だね……リリー。」
 その言葉は、嘲笑でも告白でもなく、祈りのように響いた。
 愛が形を失い、優しさの裏側で狂気に変わる音がした。


「やめて……アシュレイ」
「やめられないよ。リリー、また逃げるだろ?」
 その声は苦しげで――けれど、どこか懇願するようだった。
 銀の髪が頬にかかり、アシュレイの影が近づく。
 リリーは息を飲んだ。心臓が痛いほど早く脈打つ。
「逃げないよ……逃げたりしない」
「……信じられない。
 今すぐ、君を僕のものにしなくちゃって思ってるんだ」
 あのときも、今も――。
 リリーは、自分が“逃げた”と思われていることが、
 まだ胸の奥に刺さったままだった。
 違う。ただ、見せたくなかっただけ。
 弱いところも、惨めな姿も。
 それだけだったのに。
「……“僕のもの”って、どういう意味?」
「言っていいの? 本気で逃げたくなるかもしれないよ」
 アシュレイの唇が耳に触れ、熱を含んだ声が低く落ちた。
「――リリーを抱きたいんだ」
 その言葉はまっすぐで、ひどく静かだった。
 欲望というより、祈りのように響く。
 リリーは思わず、彼を見つめた。
「それって……好きってこと?」
「そう。ずっと言ってる。
 でも、完璧だった君には……僕は、触れられなかった」
「こんな情けない私が……?
 何もできないし、努力しても報われないし……
 そんなの、好きになる理由にならないよ」
「理由なんて、もうどうでもいいんだ。
 ――今の君が、僕にはちゃんと“届く”」
 ノルティア。あの日の逆転。
 リリーは失った。
 アシュレイは、それでやっと届いた。
 運命は、理屈よりも皮肉で、少しだけ優しい。
「……どうしていいか、わからない。
 戻りたかった。前の私に。
 でもあなたは、このままでいいって言う。
 私、騎士になりたかったのに……」
「リリー、それなら僕だけの騎士になってよ。
 僕のそばで僕だけを守って。そして僕に守られて?」
「アシュレイだけの……騎士?」
「うん。騎士団は今の君には荷が重い。
 僕は君に何かあったらって心配で夜も眠れないよ。
 だから……僕だけの騎士になって。」
 優しく紡がれるその言葉は、包み込むようで――
 同時に、どこか危うい。
 守られることが、こんなにも温かくて、
 けれど少しだけ息苦しいなんて、思いもしなかった。
 リリーは黙って彼を見た。
 胸の奥で、何かがほどけるような感覚がする。
 完璧じゃなくても、たぶん――もう大丈夫。
 守るためじゃなく、ただ“隣に立つ”ために。
「……変な人だね、アシュレイ」
「君にだけは言われたくないな」
 ふたりの間に、かすかな笑いがこぼれた。
 涙とも笑みともつかない声が、夜に溶けていく。
 その温度だけが、静かに残った。

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