逆転の花嫁はヤンデレ王子に愛されすぎて困っています

蜂蜜あやね

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その夜、眠りは浅かった。
 目を閉じれば、冷たい石碑の感触と、何も起こらなかった虚しさがすぐに蘇る。
 あのとき本当に光ったのは、私の気のせいだったんじゃないか――そんな不安が胸の奥でぐるぐると回っていた。
 けれど朝は来る。
 王都はいつもと同じ、人々の声と馬車の音に満ちていた。
 でも、胸のざわつきだけは消えてくれない。
(できるかもしれないって、思っちゃったんだもん……)
 一度そう思ってしまったら、もう前の“できないままでもいい”には戻れなかった。
◇ ◇ ◇
 午前中、リリーは久しぶりに騎士団の訓練場に顔を出した。
 剣を振るう騎士たちの掛け声が響き、木剣がぶつかる乾いた音が続く。
 最近のリリーは怪我をしやすく、皆からは“守られる側”として見られていた。
 けれど今日は、何かが違った。
「一本だけ。軽くでいいから相手して」
 そう言って、いつも優しい年上の騎士を指名する。
 彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
 木剣を構えた瞬間、昔の感覚がふっと戻る。
 足の置き方、重心の乗せ方、呼吸のタイミング――全部完全じゃない。けれど、全部ゼロでもない。
 一歩踏み込み、受けられる。押し返される。それでも崩れなかった。
(やっぱり……私、全部なくなったわけじゃない)
 たったそれだけの手応えなのに、胸がじんわりと熱くなった。
「おーい、その顔。なんか良いことあったでしょ」
 訓練が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、レベッカがひょいと柵越しに顔を出した。
 昨夜、一緒に山を降りたはずなのに、もういつも通りの調子だ。
「良いことっていうか……ちょっと、諦めきれないだけ」
「うんうん、そういうリリーのほうが“らしい”わ」
「らしいって何よ」
「秒でできて何でも完璧なリリアンヌ様より、ちょっと転んで、でも“もう一回やる”って言う今日のリリーのほうが、私は好き」
 レベッカがにっと笑う。
「それに――あれ、本当に何かあると思うよ。
 文字は読めたけど、起動条件まではわかんなかっただけ。
 学者でも一日で解けないんだから、私たちが一晩で分からないのは普通」
「……ありがとう」
「だからさ。もう一回やるときも呼んで。どうせ私、甘い物もらえるならどこへでも行く女だから」
「そこが本音でしょ」
 二人で笑った。
 笑ったけれど、リリーの胸の奥の焦りはやっぱり消えなかった。
(もう一回……行きたい)
 今度こそ、何かを起こせるかもしれない。
 でも次は――アシュレイが絶対に止める。
◇ ◇ ◇
 夕方。
 城の回廊でアシュレイに出くわしたのは偶然だった。
 けれど彼は、まるで待っていたかのようにすぐ歩み寄ってきた。
「今日も訓練に出てたって聞いた。無理してない?」
「無理はしてないわ」
「本当に?」
 アシュレイの手が伸び、リリーの肩に触れる。
 昨日よりも近い距離。
 彼の香りと体温がふわっと押し寄せてきて、リリーは思わず背を伸ばした。
「君が頑張るのはいい。けど……この前みたいに、僕に黙って危険なところに行くのはやめて」
「それは――」
「リリー」
 名前を呼ぶ声が低くなる。
 怖いわけじゃない。けれど、逆らうと抱きしめられてそのまま動けなくなるような、そんな圧があった。
「僕は君が今のままでもいいと思ってる。
 できないことがあったって、忘れちゃったことがあったって、それも君だから」
「……うん」
「けど、君はまた“できるほうの君”になりたがってる。
 僕にはそれが……ちょっと、怖い」
 最後の言葉だけ、彼は少し目を伏せて言った。
 それが本音なのは、すぐに分かった。
 ――このままの私を愛してくれてるのに。
 ――でも、このままの私で終わりたくない。
 両方が胸の中でぶつかって、リリーは拳をぎゅっと握った。
「アシュレイ」
「うん?」
「私ね……昨日、何も起こせなかったの。
 レベッカと行って、石碑に触っても。だから、もう一回行きたいの」
「……もう一回?」
 アシュレイの目が細くなる。
 それは明確な“反対する前の目”だった。
「危険かもしれないんだよ、リリー」
「危険だから行かないって、それ本当に騎士の言葉?」
 口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。
 でも、もう引っ込められなかった。
「私は守られてるだけのドジな騎士で終わりたくないの」
「リリー……」
「あなたを守るって昔言ったの。本当にそうなれるなら、試せるなら、怖くてもやってみたい」
 アシュレイの指先が、今度は頬ではなく顎のラインをなぞった。
 すごくゆっくり、なだめるように。
「……そういうところ、変わってないなぁ」
 彼は困ったように微笑んだ。
 けれど笑っているはずなのに、目だけが寂しそうだ。
「ねぇ、アシュレイ」
「うん?」
「私のこと、信じて」
 その言葉に、彼は一瞬目を閉じた。
 そしてほんの少しだけリリーを引き寄せ、肩に額を落とす。
「信じてるよ。……だから、怖いんだ」
 静かな声だった。
 けれどその一言に、リリーの胸が小さくざわめく。
「どういう意味よ、それ」
 問い返す声は少し強がりだった。
 アシュレイはゆっくりと目を伏せて、
 それから彼女の頬をなぞるように指先で触れた。
「君は、一度やるって決めたら――本当にやるから」
 低く、けれど確かな声。
 まるで祈るように。
 リリーは返す言葉を失い、ただその瞳を見つめ返した。
 優しいのに、どこか切ない。
 その視線の奥に宿るのは、彼が本当に“恐れている”もの――
 リリーがまた遠くへ行ってしまうことだった。
◇ ◇ ◇
 その夜、リリーは自室の机に向かっていた。
 窓の外では、王家の森の木々の影が揺れている。
 ほんの少し前まで、そこは“怖い場所”だったのに、今は“希望の場所”に変わっていた。
(もし本当に“誓いの剣”が鍵なら……私が誓ったこと自体が鍵なのかもしれない)
 幼い日の記憶が浮かぶ。
 岩の上で、アシュレイの手を取って笑いながら言った――
 “私が守る”というあの約束。
「あのときの私になりたいわけじゃない」
 小さく呟く。
「でも、あのときの私を捨てたままにはしておきたくない」
 窓の外を見ると、森の向こうに淡い月が昇っていた。
 その光がまるで呼んでいるように見えて、リリーは思わず笑う。
「待っててね。ちゃんと掴むから」
 その夜、リリーの中でひとつの覚悟が芽生えた。
 ――次は、アシュレイがいてもいなくても行く。
 止められても行く。
 それを見てもらうかどうかは、そのとき決める。
 小さな決意だったけれど、
 それはもう二度と折れない強さを持っていた。
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