逆転の花嫁はヤンデレ王子に愛されすぎて困っています

蜂蜜あやね

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「リリー、悪いわね。わざわざ家まで来てもらって」
 レベッカが笑顔で迎えてくれた。
 彼女の家は貴族ではあるが、それほど位の高い家ではない。
 リリーの屋敷に比べるとこじんまりしていたが、手入れの行き届いた庭には季節の花が咲き、木々が穏やかな風に揺れている。
 どこか懐かしさを覚えるような屋敷だった。
「リリアンヌ様、娘がお世話になっております」
 玄関を開けると、レベッカの母が優しく頭を下げた。
 貴族の礼節を保ちながらも、その微笑みには温かみがあった。
 奥の部屋へ通されると、テーブルには湯気の立つ紅茶と焼き菓子が並んでいる。
 香ばしい香りが広がり、リリーの緊張をやわらげた。
「今日はね、父がどうしても直接話したいって言うの」
 レベッカの言葉に促され、リリーは微笑んで席につく。
◇ ◇ ◇
 レベッカの父――カール・ハーヴィス卿。
 貴族でありながら、考古学者として名を馳せた学識者だ。
 穏やかで柔らかな物腰のまま、カールは机上に開いた古文書を指でなぞりながら語り始めた。
「“逆転の女神ノルティア”……古代語では“Nortia-Phora”。
 意味は“均衡を揺るがす者”とされている」
 静かな声が部屋に響く。
 レベッカも息を潜めて父の言葉に耳を傾けていた。
「神々の中でもノルティアは少し異質でね。
 この神は、与えすぎた者から奪い、奪われすぎた者に与える。
 ――秩序を正すためではなく、“面白くするため”に、だよ」
「……面白くする?」
 リリーが首を傾げると、カールは静かに頷いた。
「そう。“人の運命”というのは、神にとってはあまりに整いすぎている。
 ノルティアはそれを退屈だと感じ、時に逆転を与える。
 それによって何が生まれるかを見届ける……それが彼女の興味なんだ」
 学者の語る理は難解でありながら、どこか人間的な温かみを帯びていた。
 カールはカップを口に運び、再び資料に目を落とす。
「けれど、それは気まぐれではない。
 真の誓いを果たした者にだけ、ノルティアは“光”を返す。
 それが“正転の儀”と呼ばれる現象だ」
 その言葉に、リリーの胸が強く反応した。
「正転とは、過去を戻すことではなく――
 “過去に縛られた心を、今の誓いで塗り替える”こと。
 だからこそ、“誓い”がなければ正転は起きない」
 リリーの指先がわずかに震える。
 そのとき、カールはふと声を落とした。
「ただし――一つだけ、注意点がある」
 指で古文書の一節をなぞりながら、彼は言葉を続けた。
「ここにこう記されている。“与えすぎた者から奪い、奪われすぎた者に与える”と。
 ――恐らく、リリアンヌ嬢が“逆転”された時、奪われすぎた者が近くにいたはずなんだ」
 リリーの心臓がひときわ強く打つ。
「もし君から“何か”を奪ったのだとしたら、その分を必ず誰かに与えている。
 神は均衡を取る。……心当たりはあるかい?」
 カールの穏やかな目が、静かにリリーを見つめた。
 その視線に、逃げ道はなかった。
(――アシュレイ)
 あの夜。
 自分の光が消える瞬間、傍にいたのは彼だった。
「……いました。私と一緒に」
 かすれた声でそう答えると、カールは深く頷いた。
「やはりそうか。
 “正転の儀”を行うには、奪われた者と与えられた者――その二人が揃わねばならない。
 まさしく正転だ。
 元に戻すには、“逆転の瞬間”と同じ条件が必要なんだよ」
 リリーは思わず息を呑む。
 アシュレイの姿が脳裏に浮かび、胸の奥が痛んだ。
「……つまり、リリー一人では成せないということですね」
 レベッカが穏やかにまとめるように言う。
 カールは微笑み、娘に視線を向けた。
「そうだ。理は常に対で成る。奪う者と与えられる者、その均衡が神の“式”だ」
 リリーは拳を握りしめた。
 心の奥で、静かに熱が生まれる。
(アシュレイ……結局、あなたが鍵なのね)
(でも――今度こそ、私の意思で誓うわ)
 その瞳に宿る光は、確かな決意を帯びていた。


「レベッカ、今日はありがとう」
 玄関先でリリーはそう言いながら、いつになく力強い笑みを浮かべた。
 その表情には、どこか昔の“完璧少女リリアンヌ”の面影があった。
「あれ? ドジっ子騎士リリー、完璧少女リリアンヌ様に覚醒間近?」
 レベッカがからかうように笑い、軽く拳でリリーの肩を小突く。
「もう、レベッカったら」
 苦笑するリリーの頭を、レベッカはよしよしと手荒に撫でた。
「リリー、私はね。完璧少女リリアンヌ様のファン!
 でも――ドジっ子騎士リリーのことも好き。多分、そういうことなのよ」
 にこりと笑うレベッカの顔が、夕暮れの光に照らされて優しく揺れた。
 その言葉が胸の奥にあたたかく染み込んでいく。
 リリーは大きく頷き、まっすぐにその瞳を見返した。
「きっと、アシュレイ王子も……」
 そこでレベッカは言葉を切った。
 けれど、その先を言わなくても、リリーにはわかっていた。
 彼女は“背中を押してほしい言葉”を、確かにくれたのだ。
 風がふたりの間を通り抜け、リリーの髪を揺らす。
 その瞳には、もう迷いはなかった。
(アシュレイ……もう一度、あなたの前で誓うわ)
 リリーは小さく息を吸い込み、空を仰いだ。
 そこには、ノルティアの月が静かに光を放っていた。

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