獅子王の運命の番は、捨てられた猫獣人の私でした

天音ねる(旧:えんとっぷ)

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不協和音1

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あの温かなシチューの夜から、一月ほどが過ぎた。
ガロウが獣人王国騎士団の頂点たる騎士団長に就任してからの日々は、ミミにとって、それまで以上に満ち足りたものになるはずだった。

事実、最初のうちはそうだったのだ。
朝、誰よりも早く起きて彼の朝食と弁当を用意し、純白の制服に身を包んだ凛々しい姿を玄関で見送る。日中は、彼の留守を預かる妻として、広くなった官舎を隅々まで磨き上げ、庭のハーブを手入れし、夕餉の献立に心を砕く。そして夜、愛しい夫の帰りを待ち、一日の出来事を聞きながら共に食卓を囲む。
それは、ミミがずっと夢見ていた、ささやかで、完璧な幸せの形そのものだった。

変化の兆しは、本当に些細なことから始まった。

「申し訳ありません、ガロウ様。私、何か粗相をしてしまいましたでしょうか…?」

ある日の夕食後、暖炉の前でいつものように彼の制服の綻びを繕っていたミミは、おずおずとそう切り出した。ここ数日、ガロウの口数が明らかに減っていたからだ。以前なら、騎士団での出来事を面白おかしく、時には熱を込めて語ってくれたのに、今はミミの問いかけに「ああ」「そうか」と短い返事をするばかり。食事中も、どこか上の空だった。

ミミの言葉に、執務机から持ち帰った書類に目を通していたガロウは、一瞬だけ面倒くさそうに眉をひそめ、すぐにそれを取り繕うようにため息をついた。

「…いや、お前のせいではない。少し、仕事で立て込んでいるだけだ」
「お仕事、ですか…」
「ああ。団長になったのはいいが、引き継ぎやら、貴族派閥への挨拶やら、面倒事が山積みでな。下の者たちはまだ俺のやり方に慣れず、些細なミスも多い。その尻拭いに追われているんだ」

そう言う彼の横顔は、確かに疲れの色が濃かった。目の下にはうっすらと隈が浮かんでいるように見える。
それを目にした途瞬間、ミミの心に芽生えかけていた小さな不安は、夫への深い同情と申し訳なさに取って代わられた。
なんてことだろう。自分は、一番近くで彼を支えるべき妻なのに、彼の苦労も理解せずに、自分の寂しさを優先して彼を問い詰めるような真似をしてしまった。

「ごめんなさい、ガロウ様。お疲れのところ、つまらないことを聞いてしまって…」
「…いや、いい。気にするな」

そう言って、ガロウは再び書類に視線を落とす。二人の間に、また沈黙が下りた。
パチ、パチ、と暖炉の薪がはぜる音だけが、やけに大きく部屋に響く。

(そうだわ。ガロウ様は、騎士団長という大きな責任を、たった一人で背負っていらっしゃるんだもの。疲れているのは当たり前。私が、もっとしっかり支えて差し上げなくちゃ)

ミミはきゅっと唇を結ぶと、繕い物を終えた制服を丁寧に畳み、立ち上がった。

「ガロウ様。お夜食に、何か温かいものをお作りしましょうか?消化に良くて、体の温まるハーブスープなどいかがでしょう」
「…ああ、頼む」
「はい!」

短い返事でも、頼ってくれたことが嬉しくて、ミミはぱっと顔を輝かせた。彼女は軽い足取りでキッチンへ向かうと、庭で摘んだばかりの新鮮なカモミールとミントをポットに入れ、丁寧に湯を注いだ。彼の疲れが、少しでも和らぎますように、と祈りを込めて。

この時のミミは、まだ信じて疑わなかった。
二人の間に流れる少しぎこちない空気も、彼の疲れた横顔も、すべては彼が背負う重責ゆえなのだと。そして、自分の献身的な愛があれば、必ず彼を癒し、支えることができるのだと。

しかし、その日から、二人の歯車は、目に見えないところで少しずつ、しかし確実に狂い始めていった。

「急な会議が入った」「上級貴族との会合だ」「王城への呼び出しだ」――
ガロウの帰りが遅くなる理由は、日に日に増えていった。
最初は週に一度だったものが、やがて二度になり、三度になり、気づけば、彼と夕食を共にしない日の方が多くなっていた。

がらん、と静まり返ったダイニングで、ミミは一人、ぽつんとテーブルにつく。
彼の分まで腕によりをかけて作った料理は、彼が座るはずだった席で、虚しく湯気を立てている。一口、二口とスプーンを口に運ぶものの、味がしない。どんなにご馳走を並べても、一番大切な人が隣にいなければ、それはただの味気ない餌でしかなかった。

「……」

結局、食事の大半を喉に通すことができず、ミミはため息と共にお皿を下げる。まだ温かいそれらを、泣きたいような気持ちで鍋に戻す。彼がいつ帰ってきても、すぐに温め直せるように。

夜が更けていく。
壁時計の針がカチ、コチ、と無機質な音を立てて時を刻む。その音が、広い官舎に一人きりのミミの孤独を、じりじりと炙り出すようだった。
ソファで彼の好きな歴史書を読みながら待ってみたり、彼の書斎を埃ひとつないように磨き上げてみたり。それでも時間は遅々として進まず、窓の外の闇は深まるばかり。

(ガロウ様は、ちゃんとお食事を召し上がっているかしら…)
(貴族の方々とのお付き合いも、気を使うでしょうに…)

心配と、ほんの少しの寂しさと。
それでもミミは、健気に自分に言い聞かせ続けた。「番」である自分が、彼を信じなくてどうするのだ、と。騎士団長の妻とは、こういう孤独にも耐えなければならないのだ、と。

そんなある夜のことだった。
すでに時計の短針は真上を通り過ぎ、月が空の頂で白く輝いている。ミミはうたた寝もできず、暖炉の前に置いた揺り椅子に座り、ひたすら玄関のドアが開く音を待っていた。

カチャリ。

待ちわびたその音に、ミミははっと顔を上げた。弾かれたように立ち上がり、玄関ホールへと駆け出す。

「お帰りなさいませ、ガロウ様!」

扉を開けて入ってきた彼は、ひどく疲れた顔をしていた。いつもは完璧に着こなしている制服も、少し着崩れている。そして、ふわりとミミの鼻腔をかすめたのは、強い酒の匂いだった。

「…ああ」
「大丈夫ですか?ずいぶんお疲れのご様子で…。今、温かいスープをお持ちしますね」
「…いらん」

拒絶するような、低い声。ミミの心臓が、とくん、と小さく跳ねた。
彼が自分の手料理を、こんな風にはっきりと断ったのは初めてのことだった。

「ですが、何も召し上がっていないのでしょう?お体に障りますわ」
「しつこいな!いらないと言っているだろう!」
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