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追放1
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時間が、凍り付いていた。
冷たい木の床の感触だけが、かろうじてミミの意識をこの場に繋ぎとめている。
耳の奥で鳴り響いていた甲高い耳鳴りは、いつしか遠い潮騒のような音に変わり、目の前で繰り広げられる光景は、まるで分厚いガラス越しに見ているかのように、どこか現実感を失っていた。
かつて愛した男、ガロウ。
彼の腕の中には、見知らぬ豪奢な女、イザベラが猫のように甘え、寄り添っている。
二人は、床に崩れ落ちたミミのことなど、もう目に入っていないかのように、互いの瞳を見つめ合い、未来の夢を語っていた。
「ああ、イザベラ。これからはもう、何も我慢することはない。お前を王都で一番美しい宝石で飾り、夜会では誰よりも輝かせてみせよう」
「まあ、素敵ですわ、ガロウ様!わたくし、父であるヴォルフガング伯爵にも、あなた様とのことをすでにお話ししてありますの。父も、次期公爵と名高いあなた様が娘の『運命の番』だと知り、大変お喜びでしたわ。これでシュヴァルツ家とヴォルフガング家が結びつけば、王国での我々の地位は盤石なものになりますわね」
「ああ、その通りだ。お前という存在こそ、俺の野望を完成させるための最後のピースだったのだ…」
地位。家柄。野望。
二人の口から紡がれる言葉は、ミミが今まで生きてきた、ささやかで温かい世界とはあまりにもかけ離れていた。
そして、その会話の中に、ミミという存在が入り込む余地は、もはや一片たりとも残されてはいなかった。
不意に、イザベラが扇で口元を隠し、ちらりとミミに侮蔑の視線を投げた。
「それにしても、ガロウ様。いつまで、こんな汚いものをこの部屋に置いておくおつもりですの?わたくし、これがあるだけで、空気が澱んで気分が悪くなってしまいますわ」
「…ああ、そうだな。すまない、イザベラ。すぐに片付けさせよう。目障りだ」
汚いもの。目障り。
その言葉が、鈍器のようにミミの心を殴りつけた。
ほんの数週間前まで、彼は自分を「宝物だ」と言って抱きしめてくれたはずなのに。
愛おしそうに髪を撫で、「お前が妻で幸せだ」と、そう囁いてくれたはずなのに。
(ちがう…)
違う。これは悪夢だ。何か、酷い間違いが起きているだけだ。
私が目を覚ませば、きっと、いつもの朝がやってくる。キッチンには温かいスープの匂いが立ちこめ、「おはよう、ミミ」と、優しい彼が微笑みかけてくれるはずなんだ。
「お願い…です…」
か細い、蚊の鳴くような声が、ミミの唇から漏れた。
彼女は最後の力を振り絞り、震える腕で床を掻き、ガロウの足元へと這い寄っていく。泥水の中を這いずり回るような、惨めで、哀れな姿だった。
そして、彼の硬い軍靴に、すがるようにその手を伸ばした。
「お願いです、ガロウ様…嘘だと言ってください…!これは、何かの間違いなのだと…!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、彼の顔を見上げる。
しかし、そこにあったのは、氷のように冷え切った、完全な無の表情だった。かつてミミを映していたはずの灰色がかった瞳は、今や道端の汚物でも見るかのように、彼女を冷ややかに見下ろしている。
「まだそんな戯言を言っているのか。見苦しい」
「戯言なんかじゃ、ありません…!私たちの誓いは…!神の前で交わした、番の誓いは、何だったのですか…!?」
ミミは彼のズボンの裾を、必死の思いで掴んだ。それが、彼女が今にも溺れそうな絶望の海で掴んだ、最後の藁だった。
「初めてシチューを作った日のこと、覚えていらっしゃいますか…?あなたは、『世界で一番うまい』と、子供みたいに笑って、おかわりまでしてくれました…!」
「……」
「私が熱を出して寝込んだ時、あなたは一晩中、私のそばで、冷たい濡れタオルを取り替えてくださいました…!私の手を握って、『早く元気になれ』と、そう言ってくださいました…!」
「……」
「『お前が妻で幸せだ』と…そう、言ってくれたではありませんか!あの言葉も、あの優しさも、あの温もりも…!全部、全部、嘘だったというのですか!?」
過去の幸せな思い出が、次から次へと言葉になって溢れ出す。それは、ミミがこれまで生きてきた証そのものだった。
一つ一つの思い出を口にするたびに、胸が張り裂けそうに痛む。
どうか、思い出して。あの頃の優しいあなたに戻って。
しかし、ガロウは忌々しげに顔を歪めると、ミミが掴んでいた足を、容赦なく振り払った。
「やめろッ!!」
冷たい木の床の感触だけが、かろうじてミミの意識をこの場に繋ぎとめている。
耳の奥で鳴り響いていた甲高い耳鳴りは、いつしか遠い潮騒のような音に変わり、目の前で繰り広げられる光景は、まるで分厚いガラス越しに見ているかのように、どこか現実感を失っていた。
かつて愛した男、ガロウ。
彼の腕の中には、見知らぬ豪奢な女、イザベラが猫のように甘え、寄り添っている。
二人は、床に崩れ落ちたミミのことなど、もう目に入っていないかのように、互いの瞳を見つめ合い、未来の夢を語っていた。
「ああ、イザベラ。これからはもう、何も我慢することはない。お前を王都で一番美しい宝石で飾り、夜会では誰よりも輝かせてみせよう」
「まあ、素敵ですわ、ガロウ様!わたくし、父であるヴォルフガング伯爵にも、あなた様とのことをすでにお話ししてありますの。父も、次期公爵と名高いあなた様が娘の『運命の番』だと知り、大変お喜びでしたわ。これでシュヴァルツ家とヴォルフガング家が結びつけば、王国での我々の地位は盤石なものになりますわね」
「ああ、その通りだ。お前という存在こそ、俺の野望を完成させるための最後のピースだったのだ…」
地位。家柄。野望。
二人の口から紡がれる言葉は、ミミが今まで生きてきた、ささやかで温かい世界とはあまりにもかけ離れていた。
そして、その会話の中に、ミミという存在が入り込む余地は、もはや一片たりとも残されてはいなかった。
不意に、イザベラが扇で口元を隠し、ちらりとミミに侮蔑の視線を投げた。
「それにしても、ガロウ様。いつまで、こんな汚いものをこの部屋に置いておくおつもりですの?わたくし、これがあるだけで、空気が澱んで気分が悪くなってしまいますわ」
「…ああ、そうだな。すまない、イザベラ。すぐに片付けさせよう。目障りだ」
汚いもの。目障り。
その言葉が、鈍器のようにミミの心を殴りつけた。
ほんの数週間前まで、彼は自分を「宝物だ」と言って抱きしめてくれたはずなのに。
愛おしそうに髪を撫で、「お前が妻で幸せだ」と、そう囁いてくれたはずなのに。
(ちがう…)
違う。これは悪夢だ。何か、酷い間違いが起きているだけだ。
私が目を覚ませば、きっと、いつもの朝がやってくる。キッチンには温かいスープの匂いが立ちこめ、「おはよう、ミミ」と、優しい彼が微笑みかけてくれるはずなんだ。
「お願い…です…」
か細い、蚊の鳴くような声が、ミミの唇から漏れた。
彼女は最後の力を振り絞り、震える腕で床を掻き、ガロウの足元へと這い寄っていく。泥水の中を這いずり回るような、惨めで、哀れな姿だった。
そして、彼の硬い軍靴に、すがるようにその手を伸ばした。
「お願いです、ガロウ様…嘘だと言ってください…!これは、何かの間違いなのだと…!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、彼の顔を見上げる。
しかし、そこにあったのは、氷のように冷え切った、完全な無の表情だった。かつてミミを映していたはずの灰色がかった瞳は、今や道端の汚物でも見るかのように、彼女を冷ややかに見下ろしている。
「まだそんな戯言を言っているのか。見苦しい」
「戯言なんかじゃ、ありません…!私たちの誓いは…!神の前で交わした、番の誓いは、何だったのですか…!?」
ミミは彼のズボンの裾を、必死の思いで掴んだ。それが、彼女が今にも溺れそうな絶望の海で掴んだ、最後の藁だった。
「初めてシチューを作った日のこと、覚えていらっしゃいますか…?あなたは、『世界で一番うまい』と、子供みたいに笑って、おかわりまでしてくれました…!」
「……」
「私が熱を出して寝込んだ時、あなたは一晩中、私のそばで、冷たい濡れタオルを取り替えてくださいました…!私の手を握って、『早く元気になれ』と、そう言ってくださいました…!」
「……」
「『お前が妻で幸せだ』と…そう、言ってくれたではありませんか!あの言葉も、あの優しさも、あの温もりも…!全部、全部、嘘だったというのですか!?」
過去の幸せな思い出が、次から次へと言葉になって溢れ出す。それは、ミミがこれまで生きてきた証そのものだった。
一つ一つの思い出を口にするたびに、胸が張り裂けそうに痛む。
どうか、思い出して。あの頃の優しいあなたに戻って。
しかし、ガロウは忌々しげに顔を歪めると、ミミが掴んでいた足を、容赦なく振り払った。
「やめろッ!!」
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