6 / 42
裏切りの宣告2
「さあ、イザベラ。入りたまえ。こんな貧相な家で驚いただろうが、ここが俺の家だ」
「まあ、本当に。騎士団長様のお屋敷にしては、ずいぶんと質素で地味ですこと。まるで庶民の住処のようだわ」
甲高い声で女が笑う。その言葉の一つ一つが、ミミの心をナイフのように切りつけた。この家は、ミミが愛情を込めて、毎日毎日磨き上げてきた、大切な二人の城だったからだ。
ガロウはミミを完全に無視して、当たり前のようにその女を家の中に招き入れる。
その態度は、もはやミミを妻として、この家の主婦として扱ってはいなかった。まるで、そこにいるのが、ただの家具か、物の言わぬ家政婦であるかのように。
呆然と立ち尽くすミミの横を、二人は通り過ぎていく。
その瞬間、ミミの鼻腔を、あの忌まわしい香りが突き刺した。
一週間前、彼の服から香った、甘く、華やかで、むせ返るような、あの香水の匂い。
ああ、そうか。この匂いは、この女のものだったのか。
ミミは、全身の血が凍りつくのを感じながら、まるで操り人形のように、のろのろと二人の後を追った。
リビングに入った女――イザベラは、ミミが心を込めて用意した食卓を一瞥すると、あからさまに眉をひそめ、扇で口元を隠した。
「あら、庶民的なお料理ですこと。それに、安物の燭台…。ねえ、ガロウ様。わたくし、このようなものでは食欲が湧きませんわ」
「はは、すまないな。すぐに王都で一番のレストランに連れて行ってやるさ。ここは、もうじき引き払うことになるのだから、我慢してくれ」
もうじき、引き払う?
どういう、こと…?
ミミは震える声で、ガロウに問いかけた。
「ガロウ様…あの…この方は、一体…。そして、今のお話は、どういう意味なのですか…?」
ガロウはようやく、ミミの方へと視線を向けた。
だが、その灰色がかった瞳に宿っていたのは、もはやミミの知っている温かな光ではなかった。それは、吹っ切れたような、冷酷な光。まるで、道端の石ころでも見るかのような、何の感情も映さない、無慈悲な光だった。
彼は、イザベラの腰を馴れ馴れしく抱き寄せると、残酷なほど平然とした声で、宣告した。
「紹介する。彼女が俺の『真の番』、イザベラ・ヴォルフガング伯爵令嬢だ」
しん、と部屋が静まり返る。
ミミには、その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「まことの…つがい…?」
オウム返しに呟くのが精一杯だった。
真の番、とはどういうこと?番に、真も偽りもあるというの?だって、ガロウ様の番は、この私。神の前で、永遠の愛を誓った、この私のはずなのに。
そんなミミの混乱を愉しむかのように、ガロウは言葉を続けた。
「獣人の番には、稀に『間違い』が起こるそうだ。家柄や、周囲からの期待、あるいは一方の強い思い込み…そういった外的要因によって、魂が誤認してしまうことがあるらしい」
世界観の設定にある「番の間違い」 。その言葉が、ガロウの口から語られる。
ミミの足元が、ぐらり、と揺れた。
「お前との番は、それだったんだ。若さゆえの、過ち。魂の誤認によって起きた、ただの間違いだったんだよ」
「うそ…」
「嘘じゃない。俺は、先日イザベラと出会い、それを確信した。彼女こそが、俺の魂が真に求める、唯一無二の存在なのだと。彼女こそが、数百年に一度だけ現れるとされる、伝説の『運命の番』なのだと」
ガロウの言葉は、巨大な鉄槌のように、ミミが信じてきた世界のすべてを、根底から粉々に打ち砕いていった。
「嘘ですッ!!」
ミミは、自分でも驚くような、張り裂けんばかりの声で叫んでいた。
「そんなはず、ありません!だって、私たちは、ちゃんと魂の結びつきを感じたはずです!あなたと出会ったあの日、私の魂は震えました!あなたこそが運命の人なのだと、そう告げていました!あなたも、そう言ってくださったではありませんか!」
必死の形相で訴えるミミ。
そうだ、あれは幻なんかじゃない。この腕の中に抱いた幸福感も、彼の胸で感じた安らぎも、すべて本物だったはずだ。間違いなどであるはずがない。
しかし、ミミの悲痛な叫びは、甲高い、鈴を転がすような嘲笑によって、無慈悲に遮られた。
「まあ、お黙りなさいな、卑しい猫獣人」
イザベラが、ゆったりとした仕草でミミに歩み寄る。そして、頭のてっぺんからつま先まで、まるで汚らわしい虫でも見るかのような目で見下ろした。
「あなたが、ガロウ様が『間違えて』番にしてしまったという、あの子ね」
「……っ!」
「ガロウ様ほどの、高貴な上級貴族である狼獣人の魂が、あなたのような、何の取り柄もない下級の猫獣人を真の番に選ぶはずがないでしょう?少し考えれば分かりそうなものなのに。思い込みも激しいのね、本当に」
侮蔑の言葉が、容赦なくミミに突き刺さる。
イザベラはさらに続ける。
「そもそも、あなたでは、騎士団長の妻として、ガロウ様の隣に立つにはあまりにも不釣り合いだわ。そのみすぼらしい恰好。教養も、品性も感じられない。それに比べて、わたくしはヴォルフガング伯爵家の令嬢 。家柄も、美貌も、すべてにおいて、あなたとは比べ物にならない。ガロウ様の隣に立つべきは、このわたくしよ。そうでしょう?ガロウ様」
甘えを含んだ声でイザベラが振り返ると、ガロウは恍惚とした表情で頷いた。
「ああ、もちろんだ、我が愛しのイザベラ。お前こそが、俺の隣に立つべき唯一の光だ」
そして、ガロウは再びミミへと向き直る。その瞳は、もはや一片の同情すら浮かべてはいなかった。
「そういうことだ、ミミ。もう、お前は俺の妻ではない」
その最後の言葉が、引き金だった。
ミミの世界から、完全に色が、音が、消え失せた。
耳の奥で、キーン、という甲高い耳鳴りが鳴り響く。目の前の光景が、まるで水の中にあるかのようにぐにゃりと歪み、現実感を失っていく。
ああ、そうか。
全部、全部、私の勘違いだったんだ。
魂が震えたのも、運命だと感じたのも、すべて私の、愚かで、浅はかな、「思い込み」。
彼は、一度も、心の底から私を愛してなどいなかったんだ。
私が信じていた幸せは、最初から、どこにも存在しない、砂上の楼閣だったんだ。
がくん、と膝から力が抜ける。
ミミの華奢な体は、糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
床に手をつき、かろうじて倒れるのを堪える。
目の前では、ガロウとイザベラが、まるで自分などもう存在しないかのように、見せつけるように唇を重ねていた。
その光景が、スローモーションのように、ミミの瞳に焼き付く。
裏切られた。
捨てられた。
私の世界は、終わった。
意識が、暗く、冷たい闇の底へと、どこまでも沈んでいく。
最後にミミが見たのは、床に崩れ落ちる自分を、冷たい目で見下ろす、かつて愛した男と、その隣で勝ち誇ったように笑う女の姿だった。
あなたにおすすめの小説
竜帝は番に愛を乞う
浅海 景
恋愛
祖母譲りの容姿で両親から疎まれている男爵令嬢のルー。自分とは対照的に溺愛される妹のメリナは周囲からも可愛がられ、狼族の番として見初められたことからますます我儘に振舞うようになった。そんなメリナの我儘を受け止めつつ使用人のように働き、学校では妹を虐げる意地悪な姉として周囲から虐げられる。無力感と諦めを抱きながら淡々と日々を過ごしていたルーは、ある晩突然現れた男性から番であることを告げられる。しかも彼は獣族のみならず世界の王と呼ばれる竜帝アレクシスだった。誰かに愛されるはずがないと信じ込む男爵令嬢と番と出会い愛を知った竜帝の物語。
一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語
救世の結界師マールちゃん~無能だと廃棄されましたが、敵国で傭兵のおっさん達に餌付けされてるので、今さら必要と言われても戻りません~
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
ファンタジー
「ウチの子、可愛いうえに最強すぎるんだが――!?」
魔の森の隣、辺境伯家。 そこで八歳のメイド・マールは、食事も与えられず“要らない人間”として扱われていた。
――そしてある日ついに、毒と魔獣の禁忌領域《魔の森》へ捨てられてしまう。
「ここ……どこ?」
現れた魔獣に襲われかけたその瞬間。
救いに現れたのは――敵国の”イケオジ”傭兵隊だった。
「ほら、食え」
「……いいの?」
焚き火のそばで差し出された“温かいお粥”は、マールに初めての「安心」と「ごはん」を教えてくれた。
行き場を失った幼女は、強面のおじさん傭兵たちに餌付けされ、守られ、少しずつ笑えるようになる―― そんなシナリオだったはずなのに。
旅の途中、マールは無意識に結界を張り、猛毒の果実を「安全な食べ物」に変えてしまう。
「これもおいしいよ、おじさん!食べて食べて!」
「ウチの子は天才か!?」
ただ食べたいだけ。 だけどその力は、国境も常識もくつがえす。
これは、捨てられた欠食幼女が、敵国でお腹いっぱい幸せになりながら、秘められた力で世界を巻き込んでいく物語。
※若干の百合風味を含みます。
この度、青帝陛下の運命の番に選ばれまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
吹雪の中に捨てられた「無能」な私、最果ての死神伯爵に拾われてとろとろに愛される ~今更戻れと言われても、私は彼の太陽になると決めたので!〜
みみ
恋愛
王都で「聖女の出がらし」と蔑まれてきたロザリーは、婚約者の王子と実の姉に裏切られ、魔物が蠢く極寒の辺境へと捨てられた。
死を覚悟した彼女を救い上げたのは、「氷の死神」と恐れられる辺境伯・ヴァンドレッド。
冷徹な瞳を持つ彼は、なぜかロザリーを離宮に閉じ込め、驚くほどの熱量で溺愛し始めて――!?
わたしさえいなければ、完璧な王太子だそうです。
ふらり
恋愛
人並外れた美貌・頭脳・スタイル・武勇を持つウィンダリア王国の25歳の王太子は、完璧な王太子だと言われていた。ただし、「婚約者さえいなければ完璧な王太子なのに」と皆が言う。12歳の婚約者、ヴァイオレット・オルトニーは周囲から憐みの目を向けられていた。
「私との婚約は、契約で仕方なくなのかい? もう私に飽きてしまっている? 私は今でも君にこんなに夢中なのに」
13歳年下の婚約者少女に執着溺愛する美貌も能力も人間離れした王太子様と、振り回される周囲のお話です。小説家になろうにて完結しております。少しずつこちらにもあげていくつもりです。ファンタジー要素はちょっぴりです。
【完結】身勝手な旦那様と離縁したら、異国で我が子と幸せになれました
綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
腹を痛めて産んだ子を蔑ろにする身勝手な旦那様、離縁してくださいませ!
完璧な人生だと思っていた。優しい夫、大切にしてくれる義父母……待望の跡取り息子を産んだ私は、彼らの仕打ちに打ちのめされた。腹を痛めて産んだ我が子を取り戻すため、バレンティナは離縁を選ぶ。復讐する気のなかった彼女だが、新しく出会った隣国貴族に一目惚れで口説かれる。身勝手な元婚家は、嘘がバレて自業自得で没落していった。
崩壊する幸せ⇒異国での出会い⇒ハッピーエンド
元婚家の自業自得ざまぁ有りです。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2022/10/07……アルファポリス、女性向けHOT4位
2022/10/05……カクヨム、恋愛週間13位
2022/10/04……小説家になろう、恋愛日間63位
2022/09/30……エブリスタ、トレンド恋愛19位
2022/09/28……連載開始
無能令嬢、『雑役係』として辺境送りされたけど、世界樹の加護を受けて規格外に成長する
タマ マコト
ファンタジー
名門エルフォルト家の長女クレアは、生まれつきの“虚弱体質”と誤解され、家族から無能扱いされ続けてきた。
社交界デビュー目前、突然「役立たず」と決めつけられ、王都で雑役係として働く名目で辺境へ追放される。
孤独と諦めを抱えたまま向かった辺境の村フィルナで、クレアは自分の体調がなぜか安定し、壊れた道具や荒れた土地が彼女の手に触れるだけで少しずつ息を吹き返す“奇妙な変化”に気づく。
そしてある夜、瘴気に満ちた森の奥から呼び寄せられるように、一人で足を踏み入れた彼女は、朽ちた“世界樹の分枝”と出会い、自分が世界樹の血を引く“末裔”であることを知る——。
追放されたはずの少女が、世界を動かす存在へ覚醒する始まりの物語。