恋と愛とで抱きしめて

鏡野ゆう

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番外小話 5 【貴方の腕に囚われて】

鉄鍋警報継続中 2 side - 奈緒&信吾さん

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 そして病院に到着すると受付で美景みかげさんがいる病室の場所を聞いてそこへと向かった。

 エレベーターを降りて廊下を歩いていくうちに、何やら言い合いをしている元気な声が聞こえてくる。どうやら二人で言い争いをしているみたい。つまるところ言い合いが出来るぐらいは元気ってことよね。まずその点は安心した。

「病院だっていうのにあんなに大騒ぎして叱られないのかしら」

 普通だったら看護師さんが飛んできて静かにしてくださいって注意をするところだけど、ここは医師も看護師も自衛官。病室言い合いも上官と部下の言い争いと判断されて放置状態なのかも……。

 部屋の前でドアを軽くノックして静かになるのを待ってから顔を出した。ベッドの上であゆむに頭を押さえつけられている美景さんが、私のことを見て目を丸くしている。

「こんにちは。これ、江崎えざきさんって人から預かってきたわよ」

 そう言いながら紙袋を持ち上げてみせた。美景さんに直接渡してあげようと思っていたのに、渉の表情が絶対に渡すなって顔だったからベッドの足元に置くことにする。ここなら美景さんの手も手が届かないものね。ごめんなさいね、美景さん。私やっぱり息子には甘いお母さんみたい。

「ちゃんと会えた?」
「もちろん。……制服の人が来るとばかり思っていたら違ってね、あやうく前を通り過ぎそうになったけど」

 渉の表情からして疑っているのは間違いないからバレる前に正直に白状しておくことにした。だけどやっぱりねって顔をされるとやっぱりムカつくんだけど。

「あの、なんて二尉のお母さんが?!」

 我に返った美景さんが、頭を抑え込んでいる渉の手を乱暴に払いのけて口を挟んでくる。

「駐屯地の人がこっちに出てきてまた戻るのは大変でしょ? 私は今日は仕事がお休みだから、最寄りの駅まで荷物を受け取りに行ってきたのよ」

 そう返事をしてからギプスの部分を注意深く観察した。どうやら折れているのは足の甲だけで、そこにプレートを入れる手術をしたらしくしっかりと固められているようだ。この様子だと、骨がきちんとくっついて完全に元通りになるまではかなりの時間がかかりそう。ご飯を作る仕事をしている彼女が演習に参加するかどうかは分からないけれど、少なくとも当分は立ち仕事は無理だと思う。

「思ったより酷いのね」
「全治二、三ヶ月程度だそうだ。それが普通?」

 渉が質問してきた。

「足の甲って力がかかりやすいところだから完治まで時間がかかるのよ。この様子だとプレートか何か入れたのね。骨がくっつくまで二週間程度、松葉杖を使わなくてもよくなるまでは二ヶ月程度ってとこかしら」
「医官と同じ見解だ」
「ただし、貴方達自衛官の治癒能力はちょっと変だから、もう少し短縮するかもね」

 信吾しんごさんのこともあるしと付け加えながら、ベッドから不安げにこっちを見上げている美景さんにお医者さんの顔をして微笑みかける。

音無おとなしさんの御両親には連絡したの?」
「彼女の上司である班長の方からするって話だった。俺は直属の上官じゃないから」
「なるほどね。ああ、そうだ。班長さんがこっちのことは心配しなくても良いからって、伝言を頼まれたって江崎さんが言っていたわ。前にご飯作りをしていた班の子が、しばらく戻ってきてくれるように手配したって言ってた」
「そうですか、ありがとうございます」

 美景さんはそれを聞いて安心した様子だった。その様子は、自分がご飯を作らなければ駐屯地の皆が飢え死にするとでも思っていたみたい。それだけ彼女は自分の職務に誇りを持っているってことよね。糧食班って懲罰人事でやってくる隊員もいて、やる気のない人もいるらしいって話を聞いたことがあったけど、彼女に限ってはその話は当てはまらないみたいだ。

「じゃあ俺はあっちに戻るとするよ。後は頼めるかな」
「信吾さん達がここに迎えに来てくれるって言ってたから、六時頃まではいてあげられると思うわ」
「助かる」

 そして渉は自衛官の顔に戻ると美景さんを見下ろした。

「……退院できる日になったらちゃんと迎えに来るから、それまではおとなしくしていろ。これは命令だからな。それとくれぐれもこの人を困らせるな、こう見えても医者なんだから」
「こう見えてもって失礼ね、これでも医者歴は渉君の人生より長いんだけど」

 渉の言葉にちょっと憤慨してしまったのは言うまでもない。


+++


「牛乳たくさん飲んだら早くつながるでしょうか?」

 しばらくして美景さんがそんなことを言った。

「さあ、どうかしら。だけどさっきも言った通り、自衛官は普通の人よりも治癒までの時間が短いように思うから、言われているよりも早く治る可能性は高いわね。……ああ勿論きちんと安静にしてリハビリをしていたらの話よ?」
「あの、その比較データは一体どこから?」
「うちの旦那様。折れたと思ったらいつのまにかギプスを外して普通に生活していたんだもの。ビックリよね。良い機会だし、この際だからゆっくりと体を休めたら良いと思うわよ? ご飯作りって朝も早いし大変だって聞いたから」

 働き盛りで食べ盛りな隊員が大勢いて、その人達の朝昼晩のご飯作りをするんだもの、かなりの重労働よね。

「自分で望んでやってる仕事なので大変とは思わないんですよ。皆が美味しいって食べてくれるのを見ているのは楽しいし」
「確かに豪快な食べっぷりを眺めるのも楽しそうね」

 窓際にある椅子をベッドの横に引っ張ってくると、そこに座って美景さんと話をすることにした。最初に会った時は、目の前で行われている訓練展示の説明がほとんどで個人的なことを尋ねる機会が無かったんだもの、せっかく時間があるのだから渉が話したこと以外にも色々と聞いてみたかったことを質問してみよう。

「美景さんの御実家はどちらなの?」
長野ながのです。陸自の松本まつもと駐屯地の近くでして父も元陸上自衛官なんです」
「まあそうだったの。じゃあ、お父さんの姿を見て自分も自衛官になろうと思ったのね」
「それが実のところちょっと違ってまして……」

 そう言いながら恥ずかしそうな顔をして説明を始めた。美景さんの話によると、彼女が自衛官を目指すきっかけになったのは、昔見た古い映画の影響なんだそうだ。そこに出てくる主人公がコックさんで、元特殊部隊の隊員の凄く強い人。その人に憧れて自分も料理人になりたいと思ったらしい。なんだか美景さんらしいって気がするは何故かしら。

「だからと言って無茶はダメよ? そんな超人みたいなコックさんなんて映画の中にしかいないんだから」
「それは分かっているんですけど……やっぱり早く戻りたいです」

 渉から私を困らせるなと申し渡されているせいか美景さんは遠慮がちな声でそう付け加えた。

「ところで……渉とはどういったきっかけでお付き合いすることになったの?」
「えっと、当然のことながら食堂でなんですが、森永三尉が食器を遅くに返却しにきたのがお話をするきっかけで」
「糧食班ですものね、当然よね。それで?」

 そこからは不定愁訴外来で長年培ってきた経験を活かして彼女から情報を引き出した。話を聞いているうちに渉はなかなかお似合いのお嬢さんを見つけたものだと嬉しくなる。言い合いにしろなんにしろ渉に負けてないところなんて素晴らしいと思う。ここで仕入れた情報を信吾さんに話すのが今から楽しみだ。

「なんだか申し訳ありません、せっかくのお休みに」
「いいのいいの。息子と付き合っている子なんだもの、身内も同然でしょ?」

 そう言うと美景さんが顔を赤くした。

「あ、あの、別にまだ結婚とかそういう話はまったくないわけですから」
「分かってる。それ以上に息子の性格もね」
「それってどういう……?」
「ところで明日からのリハビリのことは先生から聞いた?」

 その質問には答えずに現実的な問題へと話題をうつす。

「え? ああ、怪我をしていない方の足やら手やらを動かすって言ってました。どういう理屈でそれをするのかいまいち理解できませんでしたけど」
「簡単に言えば血流をよくするってやつね。そのことで治癒のスピードが速くなるの。それほどきつくないメニューだと思うから、気長に続けていってね」
「なるほど。良い機会ですから筋力アップのトレーニング代わりになるようなメニューがないかどうか理学療法士のスタッフさんに聞いてみます」
「そう言えば目標は戦う料理人さんだっけ?」

 つまり憧れたのはコックさんの部分だけじゃないのよね、美景さん。こういうところが渉にお似合いだと思うところだ。なんだかこれから二人のやり取りを眺めるのが楽しくなりそうな予感。

「そんなことまで二尉はお母さんに話したんですか? まったくもう……」
「言ってたわよ? そのうちどうして女性隊員はレンジャーに行けないんだとか言い出すんじゃないかって心配しているって」
「あー、なるほど、そこまでは考えてませんでした、でも確かに覗くだけでも覗いてみたい気はします、後学の為に」
「あら、藪蛇だったかしら。余計なことを言うなって息子に叱られちゃうわ」

 それからしばらくあれこれ雑談をしているうちに夕飯の時間になった。ベッドの備え付けのテーブルにご飯を置いたところで病室のドアがノックされる。振り返ると信吾さんが立っていた。

「思っていたより酷いのよ、可哀想に。三ヶ月ぐらいですって」
「災難だったね。事故を起こしたのは釜屋かまやの娘だって? たかが鍋蓋だと軽く見て下手に事故を揉み消したりするなと釘を刺しておいたから、きちんと対処してくれるだろう。音無君は安心して養生しなさい」

 もしかしたら自衛官らしく「そんなの怪我のうちに入らないからさっさと戻れ」とか言ってもらえると期待していたのかしら? 美景さんは信吾さんにそう言われて「分かりました」と返事をしながらも心なしかしょんぼりとした顔つきなる。

「じゃあ私はこれで失礼するわね。何か必要なものがあったら息子に言付けてくれたら届けるから遠慮なく言ってね?」
「ありがとうございます……あの!!」

 病室を出ようとしたところで美景さんが声をあげた。

「なあに?」
「あの、このまま連れ出して駐屯地に送り届けてもらえませんかなんてお願いしたら駄目ですよね……?」

 こういう時は私より信吾さんの方が正しい対処ができそうなのでお願いできる?と目で頼んだら信吾さんは直ぐに理解してくれたらしく微かに頷いた。

「自分が君の立場だったらどうだろうと考えれば、送ってやりたいのはやまやまなんだが諦めてもらうしかないな。二週間我慢すれば少なくとも駐屯地には戻れるんだ。それまでは我慢するように。それに今無理をしたら後々ずっと後遺症に悩むことになる。この後も自衛官として働くつもりだったら、今は治療も任務のうちと思って専念することだ」
「……分かりました。今日は色々と有り難うございました」
「退院するまでにまた顔を出すから頑張ってね」

 そう言ってしょんぼりしたままの彼女のことを気の毒に思いつつ部屋を後にした。

「ねえ信吾さん、釜屋さんて誰?」

 エレベーターを待つ間に質問する。

「音無三曹の怪我の原因を作った隊員の父親で陸自の一佐だ」
「事故を揉み消しそうな人なの?」

 その質問に信吾さんはそんなことはないと答えつつ首を傾げる。

「陸自の一佐とは言え人の親だからな。自分の子供が困った事態になるかもしれないと分かっていて何もしないのは難しいだろう。だから釘を刺した」

 エレベーターが来たので乗り込む。これ、信吾さんのことを知らない人だったら、息子と付き合っている女性隊員の怪我のことだから口を出したんだろって思うところなんだけど、実際のところ信吾さんの思いはそこじゃないところにある。つまり、信吾さんは釜屋さんが息子さんだか娘さんだかのために思い悩んでモヤモヤしないように、先回りしてわざわざOBの強権発動で釘を刺したってやつなのよね。

「それっていつの間に調べたの?」
「ま、陸自にはまだそれなりに俺の情報網が残ってるってことだな」

 その顔つきからして情報源はつかさ君かな。ここは我が家の平和のために聞かない方がない方が良さそうだ。

「それで? 奈緒なおはどうなんだ?」
「私? もちろん渉が話してないことを色々と聞き出してきたわよ。聞きたい?」
「三人で飯でも食いながら奈緒の戦果を聞かせてもらおうか」


 そんなわけで私と航、そして信吾さんとで久し振りに外食としゃれこんだのだった。
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