29 / 38
今年は一緒に飛びません!
第四話 これって先制攻撃?
しおりを挟む
一緒に行くと言う葛城さんを何とか振り切ってドラッグストアに駆け込むと目的のものを探す。
「ああ、もうっ、こういう時に限って探しているものが見つからないって何でなの」
ブツブツ言いながら商品が並んでいる棚の見ながら店内をウロウロとする。ここでもたもたしていると葛城さんがひょっこりと現れるんじゃないかと気が気じゃない。
「あの……」
在庫整理をしていたお姉さんがいたのでおずおずと声をかける。
「はい? あ、いらっしゃいませ!! 何かお探しですか?」
いやいや、元気なのは良いことだけどもうちょっと静かに応対してもらえると助かるんですが……。
「えーっと探しているものがありまして……」
「何をお探しですかー?」
そう言いながらお姉さんがジッと私の顔を見詰めてきた。そしてニパッと笑っていきなり手を握ってきてブンブンと握手をする。
「槇村ちゃんですよね?! 私、お仕事のコーナーを拝見してから大ファンなんです! 今度はいつ出られるんですか?」
……しまった。自分がテレビに出ていて顔が知られているかもしれないなんてこと全く考えずにいたよ。どうしよう、ここで検査薬なんて買ったらあっという間に噂が広がっちゃうよね?
もうここは覚悟を決めてこのお姉さんの良心を信じてみるべき?
「あ、えーと、ここしばらくは体力勝負なお仕事が多いので三輪さんにお任せして私はお休み中なんですよ……それで、ですね」
「そうなんですかー。蒲鉾作りで褒められていたから今度は和菓子あたりを紹介してくれるんじゃないかなって期待してるんですよ!」
なかなか視聴者さんは鋭い。実のところ次は京都の老舗和菓子店に取材に行こうかって話になっていて、ただいま相手のお店と交渉中なのだ。
「あ、すみません! それで何をお探しですか?」
「あの……その……を」
「はい?」
「妊娠検査薬、なんですが……」
お姉さんはこれ以上は無いといった具合に目を見開いている。うん、そうだよね、びっくりだよね、私もびっくりしてるんだよ、お姉さん。
「えっとそれは、そういうことなんですよね……あの雑誌に書かれていたことは本当だったと」
週刊誌もたまには本当のことを書くんだと呟きながら棚の間を歩いていく。そして私がそこで立ち尽くしているのに気が付いたのか振り返って無言のままおいでおいでをした。
「うちにはこれしか置いてないんですが」
「たくさんあっても困っちゃうのでそれで良いです」
「分かりました。じゃあ……」
棚から箱を取るとレジに向かう。
「あの、このことは是非とも御内密にしていただけると嬉しいんですが……」
「お任せください。あの基地の皆さんには日頃から色々と御贔屓にしていただいてますし、私も身内程ではないにしろ遠縁の親戚の御近所さんぐらいの気持ちでいますから」
立ち止まって私のことを見るとニッコリと営業スマイルではない笑みを浮かべた。
「槇村ちゃんの秘密は基地の秘密! 絶対に漏らしませんからね!」
お姉さんは両手でガッツポーズをして力強く頷いて見せた。うん、気持ちは嬉しい。だけど基地の秘密ってことは無いと思うよ、だって今のところ知っているのは医官の野々村さんだけだし。
それだけ買うのも何なのでレジ前に置いてあったレモンとソーダの飴も一袋ずつ買った。そして紙袋を渡してくれる時にお姉さんは“念のためにお医者さんには行ってくださいね”とこっそりと囁いた。
「一体なにを買ってたんだ?」
駐車場では葛城さんが車のボンネットに腰掛けてこっちを見ている。
「飴」
「それだけの為にわざわざ?」
明らかに飴とは違うものが入っている紙袋に気がついてはいたんだろうけど、深く追求しようとはせずにそのまま助手席の方に立つとドアを開けてくれた。
「さっさと座れ。また気分が悪くなったりしたら一大事だ」
「私、病気じゃないんだけど」
「槇村さんの三半規管は最弱なんだ、今日は車にだって酔うかもしれないだろ。さっさと家で落ち着くのが一番だ」
「最弱……」
「反論あるのか?」
「無いです、確かに私の三半規管は最弱かもしれない」
「かもしれないじゃなくて最弱なんだよ」
とは言え、今までの人生で車やバスで酔ったことはないんだけどなあ……。
「じゃあ最弱な三半規管持ちの私の為に安全運転でお願いします」
「了解した。さすがに車ではバレルロールは不可能だからな」
運転席におさまった葛城さんがニヤリと笑った。グルグル回ることは出来なくても変な蛇行運転は出来るよね、自転車の後ろに乗せてくれた時みたいな。まあ車でそんなことしたらあっという間にお巡りさんが飛んで来そうだけど。
+++++
そして葛城さんちにお邪魔してから検査薬を使ってみようとタイミングを伺っていたんだけど、こういう時に限ってあれこれとお世話をやきたがるパイロットさんに張りつかれて出来そうにない。
「もう、なんでそんなにくっついて回るの? 私、そこまで具合が悪いわけじゃないんだけどな」
勝手知ったるお宅ってことでお茶を煎れている時も、後ろに立ってこっちの様子を伺っている葛城さんにイラッとして軽く睨んだ。
「分かってるよ。だけど心配なんだから仕方がないだろ」
「だからって家の中でまで付いて回るなんておかしいでしょ。落ち着かないからあっち行って」
「何だよ。ここは俺の家なんだぞ、俺の好きなようにして何が悪いんだ」
人が心配しているのにとブツブツ言いながら居間の方へと引き返していく。
「だから落ち着かないんだってば。それで? 基地に戻らなくても良いの? いきなり早退なんて出来ないことぐらい私にだって分かってるよ?」
「……送ったら戻るように言われてる」
つまりはさっさと戻らなきゃいけないってことだ。
「帰りは何時?」
「何事も無ければ普通に夜には戻ってくるよ」
「だったら晩御飯にいつものイタリアンのお店でテイクアウトしてきてよ。えっとね、ラザニアとライスボールと……」
気に入っているイタリアンのお店でのテイクアウトを頼んでから無理やり押し出した。
「優、絶対にオッカサンに似てきたぞ。何か話をしたのか?」
「私は寝てただけで野々村さんとはお話してないよ。ああ、どうしてオッカサンなのかは聞いたけど」
鬼嫁まで加わって野々村さん憤慨していたよと付け加えたら葛城さんは可笑しそうに笑った。
「とにかく、ラザニアを忘れないでね。忘れたら追い出すから」
「だからここは俺んちなんだけどな」
「私の物は私の物で葛城さんの物も私の物なの!」
「なんてジャイアン理論……」
「それとジンジャーエールも追加!」
「分かった分かった。ちゃんと買ってくるから大人しくしてろよ」
そう言うと葛城さんは職場へと引き返していった。窓から外を覗いて車が敷地から出ていくのを確かめると紙袋を持ってトイレの個室に入る。そして袋から検査薬を取り出した。こんなもの初めて使うから変に緊張しちゃうよ。
「えっと判定が出るまで一分ね、なるほど」
緊張して出るものも出ないんじゃ?なんて心配だったけどさっきまで飲んでいた炭酸水のお蔭で大丈夫だった。そして私にとっては人生で一番長い一分間。トイレの便座に座りながら腕時計の秒針を見詰める。
「一分ね、一分……そして確かめると」
秒針が一周するのを確かめてから手にしている検査薬を見下ろした。
「本当に陽性だ……」
何かの間違い?もしかして夢を見ているのかも?と思いながらほっぺたをつねってみる。もちろん痛かった。ってことは夢じゃなくて本当の本当に陽性、つまりは妊娠しているってことだ。
それから葛城さんが帰ってくるまで何をしていたのかよく覚えてない。今から帰る、ちゃんとラザニアもライスボールもサラダも買った、他に何かあるか?ってメールが来てやっと我に返ったって感じ。特に無いけどジンジャーエールは買った?って普通に返信できたのが自分でも驚きだった。
しばらくして玄関のチャイムが鳴ったので鍵を開けるために玄関に急ぐ。
ドアを開けると美味しそうな匂いをさせて葛城さんが立っていた。あ、もちろん葛城さんが美味しそうな匂いをさせていた訳じゃなくて、彼が持っている紙袋から匂いが漂っていたってことね。
「おかえり。意外と早かったね」
「今日は航空祭で人出がたくさんだろうってお店の方も外に屋台みたいなのを出してたんだ。それでテイクアウトの客が捌けるのが早かったのかもな。熱いから気をつけろよ」
そう言いながら私に紙袋を差し出した。
「うん。もしかしてケーキもある?」
甘い匂いに気が付いて受け取った紙袋の中を覗き込む。
「リンゴのタルトだったかな。美味そうだったし女の子達が買っているのを見て優も食べるんじゃないかと思って買ってきたんだ」
「すっごーい。メールで返事した後にデザートも何か欲しいなって思ったから通じたのかな」
「だったらメールすれば良いじゃないか。もっと色々と買ってきたのに」
「でもリンゴタルトあるから問題なし」
ヤッホーと言いながら台所へと戻ってご飯の支度を始める。支度と言ってもパックに入っているサラダをお皿に盛りつけたりライスボールを小皿に並べる程度。葛城さんが着替えるより先に準備が終わってしまった。お皿を並べ終わると自分の気が変わらないうちにさっさと打ち明けてしまおうって決心する。
その時は別に葛城さんに先制攻撃を仕掛けようと思っていた訳じゃない、断じて。
「あのさ、葛城さん」
葛城さんが着替えている部屋を覗いた。
「どうした?」
制服をハンガーにかけていた葛城さんが振り返る。
「あのね、さっきドラッグストアで買った物の話なんだけどさ」
「ああ、飴な。それと謎の物体の紙袋だっけ? それがどうした?」
やっぱり紙袋は気になってたんだね。
「……調べたら陽性だったんだよ」
「ヨウセイ? なんのヨウセイなんだ? 鳥? 虫?」
「その幼生じゃなくて、陰性と陽性の陽性……」
「インセイって陰って字のあれか?」
宙に指で文字を描きながら首を傾げる。
「そう」
「で、陽性だった? なにが?」
「何がって私が、なんだけど」
「優が陽性…………陽性?!」
フックにかけようとしていたハンガーが制服ごと足元に落ちたけど、葛城さんはそんなことお構いなしに私のところにやってきて両手で肩をガシッて掴んだ。
「ちょっと待て。ドラッグストアで買った紙袋の謎の物体で調べたら陽性だったってことなんだよな?」
「うん、私がね」
しばらくの間があって葛城さんは今度は恐る恐るといった感じで口を開いた。
「……それってもしかしてもしかするとそういう話なのか?」
「多分ね」
「ってことは今日のことは優の三半規管が最弱のせいじゃなかったってことか」
「私の三半規管が最弱なのは変わらないと思うけど今日のことはそうなんだと思う」
しばらく私のことを見詰めながら黙っていた葛城さんが何故か変な笑いを浮かべながら口を開く。
「ってことはあれだな」
「あれとは?」
「もうあの時しかないな」
「……どういうこと?」
何を言っているのか分からなくてニヤニヤしている葛城さんを見上げる。
「俺の命中精度は凄い」
「ちょっと、どういうこと? 私にも分かるように話して」
「練度は大事、うん大事だ」
「ねえ一体どういうこと?」
こっちは、あの時かな?そうじゃなくてあの時?なんて悩んでいるのに葛城さんはまったく悩んでないのは何故? しかも本人は心当たりがピンポイントであるみたいなんだけど。
しかも聞き出そうとしてもニヤニヤするばかりで教えてくれないし何気にムカつく。
「優」
「なによ、話してくれる気になった?」
「俺の命中精度はイーグルより凄いとだけ言っておく。で、ちゃんと医者には行くんだろ? その時は一緒に行きたいから前もって知らせてくれ」
練度が大事とか命中精度が凄いとか自衛官用語で言われてもこっちは分からなんだってば! そんな文句を言っても葛城さんはニヤニヤするばかりでまったく話にならない。
「産んでも良いってこと?」
「当たり前だ。それ以外の選択肢なんて無いだろ」
そしてご飯を食べる時もお風呂に入る時も、更には寝る時も葛城さんはずっとデレデレしっぱなしだった。ああ、もちろん翌朝も!!
とまあ打ち明けた直後はちょっとばかりおかしくなっていた葛城さんだったけれど、そこからの行動の素早さといったらちょっとした見ものだった。まさにスクランブル発進を地でいく感じ。本人は喜んでくれているみたいだし、その点で安心したものの、もう少し振り回される身になってほしいと思ったのは内緒だ。
「ああ、もうっ、こういう時に限って探しているものが見つからないって何でなの」
ブツブツ言いながら商品が並んでいる棚の見ながら店内をウロウロとする。ここでもたもたしていると葛城さんがひょっこりと現れるんじゃないかと気が気じゃない。
「あの……」
在庫整理をしていたお姉さんがいたのでおずおずと声をかける。
「はい? あ、いらっしゃいませ!! 何かお探しですか?」
いやいや、元気なのは良いことだけどもうちょっと静かに応対してもらえると助かるんですが……。
「えーっと探しているものがありまして……」
「何をお探しですかー?」
そう言いながらお姉さんがジッと私の顔を見詰めてきた。そしてニパッと笑っていきなり手を握ってきてブンブンと握手をする。
「槇村ちゃんですよね?! 私、お仕事のコーナーを拝見してから大ファンなんです! 今度はいつ出られるんですか?」
……しまった。自分がテレビに出ていて顔が知られているかもしれないなんてこと全く考えずにいたよ。どうしよう、ここで検査薬なんて買ったらあっという間に噂が広がっちゃうよね?
もうここは覚悟を決めてこのお姉さんの良心を信じてみるべき?
「あ、えーと、ここしばらくは体力勝負なお仕事が多いので三輪さんにお任せして私はお休み中なんですよ……それで、ですね」
「そうなんですかー。蒲鉾作りで褒められていたから今度は和菓子あたりを紹介してくれるんじゃないかなって期待してるんですよ!」
なかなか視聴者さんは鋭い。実のところ次は京都の老舗和菓子店に取材に行こうかって話になっていて、ただいま相手のお店と交渉中なのだ。
「あ、すみません! それで何をお探しですか?」
「あの……その……を」
「はい?」
「妊娠検査薬、なんですが……」
お姉さんはこれ以上は無いといった具合に目を見開いている。うん、そうだよね、びっくりだよね、私もびっくりしてるんだよ、お姉さん。
「えっとそれは、そういうことなんですよね……あの雑誌に書かれていたことは本当だったと」
週刊誌もたまには本当のことを書くんだと呟きながら棚の間を歩いていく。そして私がそこで立ち尽くしているのに気が付いたのか振り返って無言のままおいでおいでをした。
「うちにはこれしか置いてないんですが」
「たくさんあっても困っちゃうのでそれで良いです」
「分かりました。じゃあ……」
棚から箱を取るとレジに向かう。
「あの、このことは是非とも御内密にしていただけると嬉しいんですが……」
「お任せください。あの基地の皆さんには日頃から色々と御贔屓にしていただいてますし、私も身内程ではないにしろ遠縁の親戚の御近所さんぐらいの気持ちでいますから」
立ち止まって私のことを見るとニッコリと営業スマイルではない笑みを浮かべた。
「槇村ちゃんの秘密は基地の秘密! 絶対に漏らしませんからね!」
お姉さんは両手でガッツポーズをして力強く頷いて見せた。うん、気持ちは嬉しい。だけど基地の秘密ってことは無いと思うよ、だって今のところ知っているのは医官の野々村さんだけだし。
それだけ買うのも何なのでレジ前に置いてあったレモンとソーダの飴も一袋ずつ買った。そして紙袋を渡してくれる時にお姉さんは“念のためにお医者さんには行ってくださいね”とこっそりと囁いた。
「一体なにを買ってたんだ?」
駐車場では葛城さんが車のボンネットに腰掛けてこっちを見ている。
「飴」
「それだけの為にわざわざ?」
明らかに飴とは違うものが入っている紙袋に気がついてはいたんだろうけど、深く追求しようとはせずにそのまま助手席の方に立つとドアを開けてくれた。
「さっさと座れ。また気分が悪くなったりしたら一大事だ」
「私、病気じゃないんだけど」
「槇村さんの三半規管は最弱なんだ、今日は車にだって酔うかもしれないだろ。さっさと家で落ち着くのが一番だ」
「最弱……」
「反論あるのか?」
「無いです、確かに私の三半規管は最弱かもしれない」
「かもしれないじゃなくて最弱なんだよ」
とは言え、今までの人生で車やバスで酔ったことはないんだけどなあ……。
「じゃあ最弱な三半規管持ちの私の為に安全運転でお願いします」
「了解した。さすがに車ではバレルロールは不可能だからな」
運転席におさまった葛城さんがニヤリと笑った。グルグル回ることは出来なくても変な蛇行運転は出来るよね、自転車の後ろに乗せてくれた時みたいな。まあ車でそんなことしたらあっという間にお巡りさんが飛んで来そうだけど。
+++++
そして葛城さんちにお邪魔してから検査薬を使ってみようとタイミングを伺っていたんだけど、こういう時に限ってあれこれとお世話をやきたがるパイロットさんに張りつかれて出来そうにない。
「もう、なんでそんなにくっついて回るの? 私、そこまで具合が悪いわけじゃないんだけどな」
勝手知ったるお宅ってことでお茶を煎れている時も、後ろに立ってこっちの様子を伺っている葛城さんにイラッとして軽く睨んだ。
「分かってるよ。だけど心配なんだから仕方がないだろ」
「だからって家の中でまで付いて回るなんておかしいでしょ。落ち着かないからあっち行って」
「何だよ。ここは俺の家なんだぞ、俺の好きなようにして何が悪いんだ」
人が心配しているのにとブツブツ言いながら居間の方へと引き返していく。
「だから落ち着かないんだってば。それで? 基地に戻らなくても良いの? いきなり早退なんて出来ないことぐらい私にだって分かってるよ?」
「……送ったら戻るように言われてる」
つまりはさっさと戻らなきゃいけないってことだ。
「帰りは何時?」
「何事も無ければ普通に夜には戻ってくるよ」
「だったら晩御飯にいつものイタリアンのお店でテイクアウトしてきてよ。えっとね、ラザニアとライスボールと……」
気に入っているイタリアンのお店でのテイクアウトを頼んでから無理やり押し出した。
「優、絶対にオッカサンに似てきたぞ。何か話をしたのか?」
「私は寝てただけで野々村さんとはお話してないよ。ああ、どうしてオッカサンなのかは聞いたけど」
鬼嫁まで加わって野々村さん憤慨していたよと付け加えたら葛城さんは可笑しそうに笑った。
「とにかく、ラザニアを忘れないでね。忘れたら追い出すから」
「だからここは俺んちなんだけどな」
「私の物は私の物で葛城さんの物も私の物なの!」
「なんてジャイアン理論……」
「それとジンジャーエールも追加!」
「分かった分かった。ちゃんと買ってくるから大人しくしてろよ」
そう言うと葛城さんは職場へと引き返していった。窓から外を覗いて車が敷地から出ていくのを確かめると紙袋を持ってトイレの個室に入る。そして袋から検査薬を取り出した。こんなもの初めて使うから変に緊張しちゃうよ。
「えっと判定が出るまで一分ね、なるほど」
緊張して出るものも出ないんじゃ?なんて心配だったけどさっきまで飲んでいた炭酸水のお蔭で大丈夫だった。そして私にとっては人生で一番長い一分間。トイレの便座に座りながら腕時計の秒針を見詰める。
「一分ね、一分……そして確かめると」
秒針が一周するのを確かめてから手にしている検査薬を見下ろした。
「本当に陽性だ……」
何かの間違い?もしかして夢を見ているのかも?と思いながらほっぺたをつねってみる。もちろん痛かった。ってことは夢じゃなくて本当の本当に陽性、つまりは妊娠しているってことだ。
それから葛城さんが帰ってくるまで何をしていたのかよく覚えてない。今から帰る、ちゃんとラザニアもライスボールもサラダも買った、他に何かあるか?ってメールが来てやっと我に返ったって感じ。特に無いけどジンジャーエールは買った?って普通に返信できたのが自分でも驚きだった。
しばらくして玄関のチャイムが鳴ったので鍵を開けるために玄関に急ぐ。
ドアを開けると美味しそうな匂いをさせて葛城さんが立っていた。あ、もちろん葛城さんが美味しそうな匂いをさせていた訳じゃなくて、彼が持っている紙袋から匂いが漂っていたってことね。
「おかえり。意外と早かったね」
「今日は航空祭で人出がたくさんだろうってお店の方も外に屋台みたいなのを出してたんだ。それでテイクアウトの客が捌けるのが早かったのかもな。熱いから気をつけろよ」
そう言いながら私に紙袋を差し出した。
「うん。もしかしてケーキもある?」
甘い匂いに気が付いて受け取った紙袋の中を覗き込む。
「リンゴのタルトだったかな。美味そうだったし女の子達が買っているのを見て優も食べるんじゃないかと思って買ってきたんだ」
「すっごーい。メールで返事した後にデザートも何か欲しいなって思ったから通じたのかな」
「だったらメールすれば良いじゃないか。もっと色々と買ってきたのに」
「でもリンゴタルトあるから問題なし」
ヤッホーと言いながら台所へと戻ってご飯の支度を始める。支度と言ってもパックに入っているサラダをお皿に盛りつけたりライスボールを小皿に並べる程度。葛城さんが着替えるより先に準備が終わってしまった。お皿を並べ終わると自分の気が変わらないうちにさっさと打ち明けてしまおうって決心する。
その時は別に葛城さんに先制攻撃を仕掛けようと思っていた訳じゃない、断じて。
「あのさ、葛城さん」
葛城さんが着替えている部屋を覗いた。
「どうした?」
制服をハンガーにかけていた葛城さんが振り返る。
「あのね、さっきドラッグストアで買った物の話なんだけどさ」
「ああ、飴な。それと謎の物体の紙袋だっけ? それがどうした?」
やっぱり紙袋は気になってたんだね。
「……調べたら陽性だったんだよ」
「ヨウセイ? なんのヨウセイなんだ? 鳥? 虫?」
「その幼生じゃなくて、陰性と陽性の陽性……」
「インセイって陰って字のあれか?」
宙に指で文字を描きながら首を傾げる。
「そう」
「で、陽性だった? なにが?」
「何がって私が、なんだけど」
「優が陽性…………陽性?!」
フックにかけようとしていたハンガーが制服ごと足元に落ちたけど、葛城さんはそんなことお構いなしに私のところにやってきて両手で肩をガシッて掴んだ。
「ちょっと待て。ドラッグストアで買った紙袋の謎の物体で調べたら陽性だったってことなんだよな?」
「うん、私がね」
しばらくの間があって葛城さんは今度は恐る恐るといった感じで口を開いた。
「……それってもしかしてもしかするとそういう話なのか?」
「多分ね」
「ってことは今日のことは優の三半規管が最弱のせいじゃなかったってことか」
「私の三半規管が最弱なのは変わらないと思うけど今日のことはそうなんだと思う」
しばらく私のことを見詰めながら黙っていた葛城さんが何故か変な笑いを浮かべながら口を開く。
「ってことはあれだな」
「あれとは?」
「もうあの時しかないな」
「……どういうこと?」
何を言っているのか分からなくてニヤニヤしている葛城さんを見上げる。
「俺の命中精度は凄い」
「ちょっと、どういうこと? 私にも分かるように話して」
「練度は大事、うん大事だ」
「ねえ一体どういうこと?」
こっちは、あの時かな?そうじゃなくてあの時?なんて悩んでいるのに葛城さんはまったく悩んでないのは何故? しかも本人は心当たりがピンポイントであるみたいなんだけど。
しかも聞き出そうとしてもニヤニヤするばかりで教えてくれないし何気にムカつく。
「優」
「なによ、話してくれる気になった?」
「俺の命中精度はイーグルより凄いとだけ言っておく。で、ちゃんと医者には行くんだろ? その時は一緒に行きたいから前もって知らせてくれ」
練度が大事とか命中精度が凄いとか自衛官用語で言われてもこっちは分からなんだってば! そんな文句を言っても葛城さんはニヤニヤするばかりでまったく話にならない。
「産んでも良いってこと?」
「当たり前だ。それ以外の選択肢なんて無いだろ」
そしてご飯を食べる時もお風呂に入る時も、更には寝る時も葛城さんはずっとデレデレしっぱなしだった。ああ、もちろん翌朝も!!
とまあ打ち明けた直後はちょっとばかりおかしくなっていた葛城さんだったけれど、そこからの行動の素早さといったらちょっとした見ものだった。まさにスクランブル発進を地でいく感じ。本人は喜んでくれているみたいだし、その点で安心したものの、もう少し振り回される身になってほしいと思ったのは内緒だ。
8
あなたにおすすめの小説
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる