梅の実と恋の花

鏡野ゆう

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後日談

梅酒できました!

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「……」

 土井さんのお婆ちゃんや、お友達のお婆ちゃん達が賑やかにお喋りをしている横で、竹串を持った幸斗さんは真剣な顔をして、さっきから黙々と梅のヘタと格闘をしている。あまりにも真剣な顔をしてやっているので、何だか手術でもしているみたい。

「幸斗さん、いくら自分が摘んだ梅だからって、あまり根を詰めすぎると疲れちゃうよ?」
「……」
「おーい、聞いてますかー?」

 私の呼びかけに、ハッと我に返ったみたいで顔を上げた。

「え、なに?」
「根を詰めすぎると疲れちゃうよって言ったの。聞いてた?」
「いや、まったく聞いてなかった」
「だよねえ……」

 その様子に、お婆ちゃん達が久遠先生は真面目だからねえと笑っている。

「ああ、そうだ。久遠先生がヘタ取りをした梅と、天森さんがヘタ取りをした梅だけを使って、この瓶に詰めたらどうかしらね。ちょっと小さ目なんだけど」

 そう言って、奥で洗って乾かしていた瓶を、私達の所に持ってきた。確かに他の瓶より一回り小さいもので、持ち運びは楽そう。何で普段浸かっているものより小さいガラス瓶があるかと言えば、何もかもが大豊作のせい。今まで使っていたのは、綺麗に煮沸消毒した使い回しのガラス瓶が殆どだったんだけど、今年はどうしてもそれだけでは足りなくて、急遽新しいものを買うことになった。ところがタイミングが悪いというか間が悪いと言うか、いつもの大きさにのガラス瓶が品薄になっていたために、小さいサイズの瓶も幾つか買うことになったのだ。

「いまヘタを取ってカゴに入れている分だけで、十分足りると思うわよ」
「そうですか? だったら繭子、一緒に詰めようか」

 氷砂糖とホワイトリカーを持ってきて、二人で瓶に梅を入れることにする。それぞれの量に関しては、土井さんの経験から、こんな感じだろうという量を教えてもらいながらの作業だった。詰め終わって瓶の蓋を絞めたところで、土井さんが薄い桃色の千代紙とサインペン、それからスティック糊を持ってきた。

「せっかくだから、名前を書いて貼っておいたら? 久遠先生は始めて作ったんだし。せっかく自分で詰めた初めてのお酒が、他のに紛れちゃったら大変だものね」
「良いんですか?」
「初めての梅酒作りの記念にね。それに、たくさん手伝ってもらっているし、そのお礼も兼ねて」

 土井さんの言葉に、他のお婆ちゃん達もウンウンとうなづいた。

「良かったじゃない幸斗さん。マイ梅酒だよ、これ」
「俺、字はあまり上手じゃないんだけどなあ……」

 そんなことを呟きながら、千代紙に自分の名前と日付を書き始めたけど、何故か左の方に寄せて書いてしまっていた。これって、上手とか下手とか、そういう問題じゃないような気がするんだけれど。

「……なんでこんな端っこに書いちゃうのよ、ど真ん中にドーンと書けば良かったのに」
「ここに繭子の名前も書かなきゃ。だって一緒に梅を詰めたんだからさ」
「え、でも初めてなのは幸斗さんじゃない」
「だけど、繭子がヘタ取りをした梅も一緒に入ってるだろ? ほら、さっさと書いて。貼り付けるから」

 サインペンを押し付けられたので、仕方なく自分の名前も右側の開いているスペースに書いた。もう! サインペンみたいに滲むペンで自分の名前を書くの苦手なのに……! 字画が多すぎて中が潰れちゃうし、和紙に書いたらほら、あっと言う間に滲んできちゃってるじゃない……。

「平仮名で書けば良かった……」

 ちょっとガッカリ。

「大丈夫、ちゃんと繭子って読めるから」

 幸斗さんは、和紙の裏に糊を塗りつけてから瓶にペタリと貼った。

「土井さん、この梅酒が飲み頃になるのはいつなんですか?」

 幸斗さんが土井さんに尋ねる。

「そうねえ、来年の今頃には、飲めるようになるんじゃないかしら」
「そっか。楽しみだな、出来上がるのが」

 ラベルを指で撫でると、嬉しそうにそう呟いた。


+++++


「繭子、そろそろ開けるぞ~」
「ちょっと待って!」

 幸斗さんの声に、慌てて冷蔵庫から氷を出してグラスに放り込むと、リビングに急いだ。二人で参加した、二度目の梅の実収穫祭が終わって一段落就いた頃、幸斗さんが、診療所の一角に保管していた梅酒を持ち帰ってきた。なんで自宅ではなく、診療所に保管していたかというと、ここよりもずっと涼しい保管場所があるからだとか。ちなみに変な場所ではないことだけは、お父さんの政治生命を賭けさせて誓わせているので大丈夫だと思う、多分。

「もう、気が早い!」
「だってせっかくなんだから、早く味見したいじゃないか」
「にしても急かしすぎ」

 瓶を抱えて帰ってきたと思ったら、ただいまもそこそこに開けるぞって言い出すんだから、何も用意してなくて慌ててしまった。

「ロックで良いの? ソーダ割りのほうが好きだって、言ってなかった?」
「メインは味見だから問題ないよ」
「なら良いんだけど」

 ガラス瓶のラベルには、私と幸斗さんのそれぞれの文字で名前が書いてある。最初の収穫祭の時に、二人でヘタ取りをした梅を詰めて作ったあの梅酒だった。あれから一年が経って、飲み頃を迎えたので持ち帰ってきたらしい。去年はたまたま、土井さんのお婆ちゃんの思いつきで、私達だけが、こんなふうに手書きのラベルを貼った瓶詰めを作ったけれど、今年は私達の他にも、何人か同じことをしている人がいて、その中には、こっそりとお手伝いに来てくれた、結花ちゃんと御両親の姿もあった。お二人が仲良くラベルに名前を書いているのを見て、何だかとても微笑ましかったと同時に、すごく羨ましかった。あんな風に、ずっと仲良く夫婦生活を送れるなんて、憧れちゃうな。

「いい感じに色が出てるね。それに香りも良い感じ」

 蓋を開けて覗き込む。

「初めて繭子に御馳走になったのは、もっと色が濃かったかな」
「うん。あれはね、大家さんが作ったヤツで三年物の梅酒だったんだよ」

 この梅酒は漬けてからまだ一年で、比較的若い梅酒だから、香りも心なしか爽やかな感じだ。

「じゃあ入れるね」

 おたまですくうと、それぞれのグラスに注いだ。そして、カンパーイとグラスをカチンと合わせて一口飲む。自分達で漬けたせいか、いつものよりもずっと美味しく感じる。

「幸斗さんが、生まれて初めて作った梅酒だね。せっかくだから、結花ちゃん達にも振る舞ってあげれば良かったのに」
「ん? ああ、それは改めて飲ませてやろうと思ってるよ、両親にも」
「それが良いと思う」
「この梅酒、梅を摘み取ったのも瓶詰めにしたのも、繭子と一緒にやったことなんだよな。だからラベルにも、繭子の名前を書いてもらったんだし」

 しかも、その横には幸斗さんの名前まで書いてある。何だか相合傘みたいだねと笑い合う。

「そう言えばさ、初めて一緒に梅園に行った時のこと覚えてる?」
「そりゃ……」

 忘れるわけがないじゃない? だってあの日は、幸斗さんと初めて結ばれた日でもあるわけだし。

「あの時にさ、俺達の間で咲いた梅の花は、実をつけることが出来るのかな?って、尋ねたことは覚えてる?」
「……覚えてるわよ。気の早い誰かさんは、梅雨を待たずに実を食べちゃったのよね?」

 つまり私のことを。そう指摘すると、幸斗さんは少しだけ恥ずかしそうに笑った。

「まあ、その実はとても美味しかったわけなんだけどね。で、実際に一緒に摘んだ実も、こうやって美味しい梅酒になったわけなんだけど、これからもずっと、繭子と一緒に、美味い梅酒を一緒に作っていけたら良いなって思うんだけど、繭子はどう思う?」

 そう言いながら、幸斗さんは上着のポケットから、小さなビロードのケースを取り出して私の前に置いた。

「もちろん作りたいのは、梅酒だけじゃないんだけどね」

 ケースの蓋が開けられると、中にはダイヤの指輪が。これは世に言う、プロポーズというものなんだろうか?

「……とまあ形式上はどう?って、繭子に選択肢を与えているような話し方をしているけど、実際のところは余地なしってやつだから、諦めてもらうしかないんだけどね」
「え?」

 いきなりの言葉に頭がついていけなくて、ポカンとした顔で幸斗さんを見てしまった。

「だってそうだろ? 俺がいまさら、繭子を手放すとでも思ってる?」
「えっと……?」
「そんなの、無理に決まってるじゃないか。ねえ?」
「ねえって聞かれても……」
「あれ? まさか、NOなんて答えを口にしようとか思ってるとか?」

 幸斗さんの顔つきが不穏なものになった。

「え……それは」
「おや、返事に迷うようなことなんだ?」
「そうじゃなくて……」
「だったら仕方がないね、実力行使かな」
「はい?」

 幸斗さんは指輪をケースから取り出すと、私の手を取ってさっさと指にはめた。

「さて」
「さて?」
「新しい梅の実、作らないとね」
「へ?」
「俺と繭子の、可愛い梅の実ちゃん」
「は、はい?!」
「じゃあ頑張ろうか?」
「え、ちょっと? あの? わあ、ちょっと待って!!」

 幸斗さんは私をいきなり担ぎ上げると、寝室へ向かった。あの、梅の実ちゃんってそういうこと?!

「あのね!! いくらなんでも順番が逆なのは、やっぱり良くないんじゃないのかな?!」
「そう? それが心配なら明日にでも婚姻届出してこようか。ああ、婚姻届は二十四時間受け付けてくれるんだった。だったら今夜にでも」
「いや、そうじゃなくて……」
「だったら問題ないだろ?」
「私に聞かないで。っていうか、何でそんなにハイテンション?」

 ベッドに投げ落とされてからぼやいてしまう。

「一年前、あのガラス瓶に名前を書いて貼りつけた時に決めていたんだ。一年後、梅酒の封を開ける時にプロポーズしようって」
「そうだったの……」
「この日を指折り数えていたからね。だからこんなテンションなわけ。じゃあお喋りはおしまい。頑張ろうか?」
「えー……」


 そういうわけで、我が家に可愛い梅の実ちゃんがやって来るのは、それから九か月後のことでした。
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