捨てたのはあなたです。今さら取り戻せません

めめめ

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差し伸べられた手は、救済か、策略か

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王宮の廊下は、やけに静かだった。

さきほどまでの喧騒が嘘のように消え、
残っているのは重苦しい沈黙だけ。

わたくしは王家の紋章が刻まれた扉の前に立ち、
最後の書類に署名をした。

婚約破棄の正式承認。

ペン先が紙を滑る音が、やけに大きく感じられる。

「後悔は、なさらないのですか」

低い声が背後から届いた。

振り向かずともわかる。
帝国皇帝、カイゼル。

「後悔する理由がございませんわ」

わたくしは穏やかに答える。

「必要とされぬ場所に留まるほど、愚かではありません」

一瞬の沈黙。

「では、必要とされる場所へ来る気はあるか」

その言葉に、ようやく視線を向ける。

皇帝は真っ直ぐにこちらを見ていた。
試すような、しかし迷いのない目。

「帝国は、優秀な者を正当に評価する」

……なるほど。

救済ではない。
取引。

「わたくしを利用なさるおつもりで?」

「当然だ。無能な者に国は任せられぬ」

率直すぎて、笑いそうになる。

「ですが、私は断罪された女です」

「冤罪だと理解している」

即答。

「帳簿の流れ、交易の均衡、資金循環。あれは貴女の仕事だ。王子ではない」

見抜かれている。

これほど正確に。

「帝国へ来れば、貴女の才覚を縛る者はいない」

静かな誘惑。

わたくしは窓の外を見た。

城下ではすでに噂が広がっているだろう。
悪役令嬢、追放。
王子の英断。

けれど。

今頃、北方交易は完全停止。
三日後には食料価格が跳ね上がる。
一週間で貴族たちが騒ぎ出す。

王子は理解するだろう。

自分が切り捨てたものの重さを。

「条件がございます」

皇帝の瞳が細められる。

「申し上げよ」

「わたくしの侍女と、忠誠を誓う部下の安全を保証していただきたい」

「承知した」

迷いがない。

この男は、決断が速い。

「もう一つ」

わたくしは微笑んだ。

「わたくしを“哀れな女”として扱わぬこと」

一瞬、皇帝の口元がわずかに動く。

「貴女を哀れむほど、私は愚かではない」

その言葉は、真実だった。

皇帝は手を差し出す。

「来るか、セラフィーナ」

名前を呼ばれたのは、初めてだ。

王子はいつも
「公爵令嬢」としか呼ばなかった。

わたくしはその手を見つめる。

追放ではない。

選択。

そして。

——これは、復讐ではない。

正当な評価への移動。

ゆっくりと、その手を取った。

「お供いたします、陛下」

廊下の奥で、慌てた足音が響く。

「で、殿下が……! 国庫の凍結が解除されません!」

王国の歯車が、軋み始めている。

皇帝はわたくしを伴い、歩き出す。

「歓迎しよう、我が帝国へ」

背後で崩れゆく王国を、振り返ることなく。
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