サラリーマン二人、酔いどれ同伴

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第2話 交際関係の整理、議事録は枕元から

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――ちゅん、ちゅん。

鳥は先週に続き、もう一回仕事熱心。
目が覚めた瞬間、僕は「夢オチでした」という都合のいい字幕を探した。ない。現実。枕の匂いと、隣の体温。

「おはようございます、先輩」

右から、迅蛇。
声は安定、姿勢は端正。寝相まで几帳面なの、どういう訓練?

「……お、おはよう」

僕は布団の中で、貝のように丸くなる。
先週の朝の反省点を生かし、今日は先に深呼吸。吸って、吐いて。吸って、吐いて。――で、現状把握。

「先輩、まず定例の確認ですが」

「やめろ、朝から定例とか言うな」

「昨夜は、健全な泥酔からの健全な添い寝。以上です」

「そこは“以上”で締めるところじゃない」

「来週以降のためにエスカレーションフローを整備しようと思って」

「デートをバグ報告みたいに言うな」

でも、安心した。
体は軽い。記憶も、生々しいトラウマがない。
キッチンからコーヒーの匂いがして、僕はようやく布団の端をめくる。

「コーヒー、ミルク多め」

「はい、砂糖小さじ一です」

迅蛇はマグを置き、ベッドの端に腰を下ろした。
距離、近い。
でも逃げるほどじゃない。人肌のWi-Fiが届くくらいの距離。

「――で、先輩」

「うん」

「交際関係の整理、をしたいです」

来た。
逃げられない言葉。お腹にすとんと落ちるやつ。

「いきなりタイトル回収やめてもらって」

「議題は三つ。呼び方、境界、期待値」

「議事録テンプレでも持ってきたの?」

「口頭でも残せます。記憶力に自信があります」

ほんとだよ。先週のログ、秒で出してたもんな。
僕はマグを両手で抱えて、湯気の向こうで迅蛇の顔をまっすぐ見る。
彼の目は真面目だ。笑ってはいない。でも冷たくもない。

「まず、呼び方。僕と先輩は、何者ですか」

「何者……」

同僚。飲み仲間。朝チュン友達。
いや、最後のは言葉として終わってる。口には出さない。

「先輩」

「うん」

「僕は、付き合いたいと思っています」

さらっと言うな。
口内が急に砂漠。コーヒー追加を要求したい。

「……付き合う、って、ちゃんと?」

「はい。ちゃんと」

その“ちゃんと”の重さを測る秤を、僕は持ってない。
でも、逃げるのも違う。
だから、正直に言う。

「迅蛇、俺さ。まともに恋愛、してないんだわ」

「僕もです」

「いやお前は、振ったことがあるって聞いたけど」

「振りました」

淡々。
箇条書きみたいな表情で言うなや。心がざらっとする。

「……なんで?」

「相手の方は、僕を『なんでもすぐ決めてくれるから好き』と言ってくれました。けれど、僕はたぶん、決めるスピードで関係を進めすぎた。相手の迷いと歩幅を測れなくて、申し訳なさだけが溜まりました。だから、僕から“やめましょう”と言いました」

「……それ、まともに恋愛してないって言える?」

「してないです。僕は“期待を管理する”ことは得意ですが、“期待で揺れる時間を共有する”経験が薄い」

なるほどな。
その言い方、いかにも迅蛇。正直だし、容赦がない。
たぶん、相手は痛かったろう。迅蛇も痛かったろう。
胸の奥で、何かがきゅっと鳴る。

「じゃあ、次。先輩は、振られたことがある」

「ある。大学の時、三年付き合ってた子に。卒論とコミケとバイトを同時に回そうとして、人間じゃなくなってた時期」

「理由、覚えてます?」

「『あなたは楽しい人だけど、楽しい時しかここにいない』って」

口にすると、今も少し、痛い。
僕は自分の指を見つめる。
あの時、僕は“ここ”にいられなかった。相手の“揺れ”を、ちょっと面倒だと思ってた。
それが恋愛の首を絞める手だって、知らなかった。若かった。いや、今も若さで誤魔化してる。

「迅蛇」

「はい」

「お前さ、俺がうろうろしてても、待てる?」

「待てます。でも、待っている間に先輩が“待たせてる”ことに罪悪感で自滅しないように、構造化はしたいです」

「構造化、ってさ……」

「たとえば、“一週間に一回、金曜に飲んで、土曜の朝に状況をレビューする”。それ以外は、無理をしない。これをベースラインにする」

“朝チュン定例”。
名前はひどい。けど、わかる。
僕らの歩幅に合ってる気がする。焦らないフレーム。
それなら、僕も、いける。

「境界の話もします」

迅蛇は、ベッドの上で姿勢を正した。
やめて、枕元でコンプラ会議しないで。けど、聞く。

「会社では内密。これは継続。同僚には言わない。二人だけの情報で運用。――同意?」

「同意」

「飲み会は、基本セットで同伴。ただし、先輩が“ひとりになりたい金曜”を宣言したら尊重。僕はその日は帰る。――同意?」

「……同意」

「スキンシップは“きょうはここまで”の合図を決める。たとえば、先輩が僕の手の甲を二回叩いたら、そこでストップ。逆に、進めていい時は、先輩から手を絡める。僕からは勝手に進めない」

「具体的で怖い。でも助かる」

「嫉妬は、あったら言う。言いにくかったら、スタンプ送ってください。『ねたみ』って書いたアザラシのやつ」

「そんなスタンプ持ってたか?」

「送ります。ギフトで」

「やめろ、嫉妬を課金で管理するな」

でも、頬が緩む。
迅蛇は、笑わないけど、僕の顔色を見るのは上手い。
言葉の温度管理も、上手い。

「期待値の話、最後です」

迅蛇は、少しだけ深呼吸して、言った。

「僕は、先輩の“面白い”が好きです。でも、面白い時だけじゃなくて、だめな時も一緒にいたいです」

心臓が、ぎゅっと縮む。
あの大学の彼女にも、たぶん同じことを言われていたのに、僕は聞こえていなかった。
今は、聞こえる。
年齢のせいか、コーヒーのせいか、迅蛇のせいか。たぶん全部。

「俺は……迅蛇の“真顔で無茶言うとこ”が、正直、嫌いじゃない」

「評価として受け取りました」

「いや、そこは“ありがとう”でいいんじゃないか?」

「ありがとうございます」

少しだけ、口角が動いた。
貴重な差分。保存したい。脳内スクショ。

「じゃあ、呼び方、決める?」

「はい。先輩の希望は?」

「……彼氏、って言うとさ。急に“ちゃんと”になりすぎるじゃん」

「β版、というのはどうでしょう」

「彼氏のβ版ってなに」

「“仮交際”。期間は二週間。スプリントの長さと同じ。毎週レビュー。継続可否を、お互いに言う」

「アジャイル恋愛やめろ」

でも、悪くない。
無期限の“がんばろうね”は、僕らには向いてない。
短い距離を何度も踏む方が、たぶん、息が合う。

「……β版で」

「ありがとうございます」

迅蛇は、同僚に“決裁取りました”くらいの落ち着いた声で言った。
僕は枕にもたれて、頭の中でハンコを押す。電子でも紙でもいいや。印鑑登録、恋愛課。

「確認ですが、呼び方は“仮彼氏”。境界は、さっきの三つ+スタンプ。期待値は、だめな時も言う。――これで走ります」

「うん」

「あと、先輩が“受けでしたね”と言われて顔を真っ赤にする件は、からかわない努力を継続します」

「努力じゃなくて成果で示して」

「KPIは“からかいゼロ”。厳しいですが、挑戦します」

「無理な目標設定はやめろ」

笑う。
朝の空気がやわい。
会議なのに、眠気が少し戻ってきた。
でも、ちゃんと進んだ気がする。曖昧さを、うっすら輪郭づけたくらいには。

「シャワー、浴びます?」

「先に迅蛇どうぞ。俺、昨日の洗濯畳む」

「では、お言葉に甘えて」

迅蛇が立ち上がる。
僕はシーツを整え、洗濯物をたたみながら、ふと考える。
“仮彼氏”。
軽い? いや、いまの僕らにはちょうどいい。
壊さないための、仮。
本番にするかは、二週間後の僕ら次第。

――で、土曜の朝は案外長い。
洗濯をしまって、シャワー交代。
戻ると、迅蛇はキッチンで味噌汁を作っていた。
出汁は顆粒。でも丁寧。
ふたりで白い茶碗を持って、ふう、と息を吹く。
温度がちょうどよくて、胃が喜ぶ。内臓が拍手している。

「先輩」

「ん」

「冬コミ、ヘルプします。前日搬入、僕が車を出します」

「仮彼氏、いきなり有能」

「見返りに、当日のお昼ごはんを先輩が管理してください。僕は列に出ると餓死します」

「了解、弁当当番」

「ありがとうございます」

日常の細かい“頼みごと”って、なぜか親密さの筋肉になる。
たぶん、恋愛ってこういうのだ。
大事件のない、細い合意を積むやつ。

「じゃ、駅まで送ります」

「うん」

玄関で靴を履く。
迅蛇は、今日も僕の靴紐を結んでくれる。
きゅっと、でも優しく。
結び終わった指が、ほんの少し僕の足首に触れて、電気が走る。
――落ち着け、β版。焦ってバージョン上げるな。

「合図のテストをしましょう」

「合図?」

「ストップのやつです」

「……今?」

「今、やっておくと安心です」

迅蛇は、手のひらを差し出した。
僕はその甲を、指先で“とん、とん”と二回、叩く。
彼は素直に一歩、引いた。
言葉を挟まない合意。
これ、案外すごいことかもしれない。

「よし」

「よし、って言いましたね」

「言った。テスト、合格」

「ありがとうございます」

外に出る。
秋晴れ。パン屋の匂い。郵便受けのチラシ。
五分の道が、今日はちょっとだけ長い。
話題は細かく飛ぶ。
会社の案件。杉田さんの猫、やっぱり丸い。
迅蛇のカバンに入ってる常備薬。僕のスマホの古いゲーム。
どれも、どうでもいい。けど、どうでもよくない。

「先輩」

改札前で、迅蛇が立ち止まる。
人の流れは穏やか。
僕らの間だけ、空気が止まる。

「β版の間、僕、からかわない練習もします。でも、反応が面白い時は、たぶん笑います」

「じゃあ、俺は“笑わせすぎない練習”をする」

「それは難易度が高い」

「だから練習」

互いに、ちいさく頷く。
約束の形は、まだいびつ。
でも、形がある。それが今は、うれしい。

「じゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ。レビューは来週土曜の朝。朝チュン定例で」

「名前、もうちょいなんとかしような」

「検討課題として持ち帰ります」

手を小さく振る。
迅蛇も、小さく振る。
僕は改札を抜ける直前、振り返って、指先だけで合図を作る。
――とん、とん。
今度は、進んでいいよ、の方。
彼は、すぐに気づいて、目だけで笑った。

二週間、β版。
金曜、飲みに行って、土曜、朝にレビュー。
曖昧を、少しずつ薄めていく。
それなら、僕らにもできる気がする。

佐万里、二十九歳。
“まともな恋愛”の定義がわからないまま、でもちゃんと歩き始めた、土曜の朝の出来事。
ちゅんちゅん鳴く鳥よ、見てろよ。来週も、起きてるから。
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