サラリーマン二人、酔いどれ同伴

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第1話 酔いどれ同伴、目覚めは小鳥のチュン

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――ちゅん、ちゅん。

鳥がやけに仕事熱心だ。
まぶたの裏で世界がカランと鳴って、僕は布団の中で石ころみたいに転がった。

頭が痛い。水。塩。ついでに昨日の記憶。

……ない。

いや、断片はある。居酒屋の赤ちょうちん。焼き鳥の塩とタレで永遠に悩む会議。カウンターで隣の客がやたらと枝豆のさやを飛ばす事件。二軒目でカラオケ行って、僕が昭和歌謡で全員を古傷ごと連れてったあたりから、記憶は霧の湖へドボン。

そして――

「先輩、起きました?」

右隣。落ち着いた声。低すぎず、高すぎず。仕事の電話を一発で片づけるタイプの音色。

僕はゆっくり視線を動かして、白い天井、カーテン、見慣れた本棚、――自分の部屋。
からの、横にいるのは。

「……迅蛇?」

「はい。迅い蛇って書いて迅蛇です。おはようございます」

後輩、迅蛇。
会社で一番クールに資料作って一番静かに定時退社する(ように見えて実は終わらせるのが早いだけ)できる男。寝起きなのに目はちゃんと起きていて、髪もそんなに乱れてないのずるい。僕はといえば、前髪が海でひっくり返ったウミウシ。

「……あのさ」

「はい」

「……え、やった?」

「やりましたね」

間。
鳥が三羽くらい増えた気がする。

「や、やったのか……」

「やりましたね」

彼は真顔で二回言う。
同じ台詞を別のイントネーションで繰り返すの、そんな器用なことしないで。僕の動悸が倍速になる。

「え、じゃあ、その……その、俺は受け? 攻め?」

「受けでしたね」

秒で答えるな。
いや、むしろ仕事の速さがここでも出てるのか? 出さなくていいよ。

「……うそだろ」

「嘘だったらよかったですか?」

「よかった、のか? よかったのかな? いや良くないわけじゃないけど、なんかこう……初回から受けって、ステージ2のボスを素手で殴りに行くみたいなさ……」

「例えがオタク領域に入ってます」

「黙秘権を行使します」

布団を鼻まで持ち上げる。
僕はごく普通と本人は思っている一般人サラリーマン。
ただし、コミケの時期に知り合いからよくヘルプを頼まれる程度のオタクだ。B2ポスターを丸める速度には自信がある。ローラーより速い。あと、薄い本は重い。腰にくる。――いや、話を戻そう。

「迅蛇、昨日のこと……どこからどこまで覚えてる?」

「一次会で先輩が『鳥は塩、人生はタレ』って言って乾杯。二次会カラオケで『木綿のハンカチーフ』を全力。三次会で先輩が『人生とは要件定義』と説教。四次会でタクシー。到着。手を洗う。水を飲む。歯を磨く。寝る前に先輩が『迅蛇、抱き枕貸して』とおっしゃる。以上です」

「最後、抱き枕じゃないやつ混ざってない?」

「混ざってますね」

真顔で言うな。
というか、僕の中の迅蛇はもっとぼんやりしてるイメージだったのに、記憶のログが完全すぎて笑える。いや笑えない。

「その……あの……ごめん」

「何をです?」

「いろいろ」

「具体性のない謝罪はバグの温床です」

「頼むから朝から仕事のフィードバックしないで」

迅蛇は少しだけ口角を上げた。
貴重な表情差分、スクショしたい。だが手は布団の中、僕は貝のように丸い。

「コーヒー淹れます」

すっと立ち上がる。
裸足で僕の部屋に慣れた足取り。――慣れてるな? 何度も来たことがありそうな自然さ。いや実際、ゲームの録画の手伝いで何度か来た。ついでにダンボールを畳んでくれた。できる男は家でもできる。

キッチンから、湯の音。
一分とかからず、マグが二つ運ばれてくる。片方はミルク多め、砂糖小さじ一。僕の好みを知っているのが地味に怖い。いや、うれしい。いや、怖い。

「胃にやさしいやつ。先輩、塩分は昨日のポテサラで十分摂ってます」

「観察力が監視カメラ」

「評価です」

コーヒーの湯気の向こう。
僕は恐る恐る、布団の端から現実をのぞく。
首筋にキスマ――いや、たぶん蚊。蚊だ。秋の蚊はしぶとい。うん。蚊。OK。セーフ。

「先輩」

「はい」

「今週末も金曜日、飲み会でしたよね」

「うん。総務の杉田さんが『ストレスは外に出してもらわないと受け止めきれない』って。会社ってなんだろうな」

「行きます」

「誰が?」

「僕が」

「また同伴?」

「はい」

即答。
この男、意思決定が早すぎる。いや仕事なら百点だよ。恋愛は、いやこれは恋愛なのか? 事件なのか? 災害なのか? ――落ち着け、佐万里。名前を確認しよう。僕は佐万里。二十九歳(たぶん)、オタク成分高め。金曜の夜にストレスから飲みに出るのが癖。良くない癖。改善の余地。PDCA。Cは反省会。Dはどうするんだったっけ。脳が砂漠。

「……で、その、迅蛇」

「はい」

「会社では、内密で」

「当然です。先輩の職場寿命を延伸するプロジェクトですから」

「プロジェクトって言うな」

「正式名称は『朝チュン維持運用計画』」

「略称のセンス最悪だな」

「AC運用です」

「やめろ、社内ツールにありそうな感じ出すのやめろ」

朝の空気に、笑いがこぼれる。
コーヒーは温度がちょうどよくて、胃にするりと落ちていく。人はこうして正気を取り戻すのか。ありがとうコーヒー。ありがとう迅蛇。いや、こういう感謝がフラグになるんだよな、ラブコメでは。気をつけろ。

――昨夜の、もっと奥の記憶。

玄関で、僕が自分の靴紐と格闘していた時。
迅蛇はしゃがんで、無言で結んでくれた。
その手つきが、仕事と同じで迷いがなくて、なぜかそこで胸がズキンとした。
「先輩、手、熱いですね」って言われて、僕は笑って、たぶん、そこで終電がどうでもよくなった。

……思い出そうとすると、鳥がまた鳴く。ちゅんちゅん。
朝だ。現実だ。優しい残酷さ。

「シャワー、浴びます?」

「いや、先に迅蛇が……」

「先輩、先にどうぞ。タオル、棚の二段目です」

完全に家人の動き。
僕は観念して、布団から抜け出した。体は普通に動く。痛いとこもない。――受けでしたね。いや、なんで大丈夫なんだ僕。アドレナリン? 若さ? いや若くない。うーん、謎。後で検索。いや検索するな。検索履歴が地獄。

シャワーの音に紛れて、頭の中で会議。
議題1:この関係、どうする?
議題2:迅蛇の本気度は?
議題3:僕の本気度は?
答えは出ない。シャワーは無言で流れる。熱い。あ、でも気持ちいい。僕は生きてる。大丈夫。たぶん。

戻ると、迅蛇は洗い物を終えて、リビングでスマホを見ていた。
画面には「定期券 次回更新」の文字。生活がある。仕事がある。日常は続く。ラブコメだろうが朝チュンだろうが、月曜はやってくる。現実、容赦なし。

「先輩、駅まで送ります」

「いや、悪いよ。歩いて五分だし」

「五分の間に先輩が反省会を始めて、電柱にぶつかる未来が見えます」

「信頼が厚いのか薄いのかわからん」

「厚いです」

玄関で靴を履く。
迅蛇が、さっきと同じ手つきで、僕の靴紐を結ぶ。
ほどけないように、優しく、でもきゅっと。
近い。近い。近い。
僕は視線を泳がせて、玄関の鏡の自分と目が合う。
眠そうな目。頬、少し赤い。――なるほど、これが今朝の僕か。大丈夫、なんか、まだ人間。

「先輩」

顔を上げたら、真正面に迅蛇の目。
真面目な光。笑っていないけど、冷たくない。

「次も、一緒にいいですか」

「……飲み会の同伴って意味?」

「それも。朝も」

喉がからからになった。
コーヒー、一杯じゃ足りなかったかもしれない。
でも、言葉はなぜか出た。

「……迅蛇が、俺の反応をいちいち楽しんで真顔で煽らないなら」

「努力します」

「今、『できる』って言わないの、ずるいな」

「可視化しづらいKPIなので」

「ビジネスから離れろ、たまには」

ふたりで笑って、ドアを開ける。
外は秋晴れ。空が高い。洗濯物が少し揺れている。街は土曜の朝の匂いがする。パン屋のあまい匂い。コンビニのホットスナック。郵便受けからはチラシ。全部が普通で、全部がやけにやさしい。

「先輩、手、冷たい」

「お前は常温だな、いつも」

「体温は平熱です」

「そういうことじゃない」

駅までの道、五分。
五分って短い。短いけど、会話はいくらでも詰め込める。
昨日の球場の話。来週の案件の段取り。杉田さんの猫がまた太った話。冬コミのサークル参加のヘルプが足りない話。迅蛇が「僕も行きます」と言って、僕が「いや徹夜はダメ」と即答して、「前日搬入します」と即座に代替案を出される。――できる男。こわい。助かる。

改札前。
人の波がわりと穏やかで、ガキンと鳴るスーツケースの音が遠くにする。
僕は呼吸を整えて、なんとなく、言う。

「ありがとな、迅蛇」

「何に対しての感謝か定義してください」

「全部だよ。コーヒーも、靴紐も、あと、その、――」

「受けでしたね、も入ります?」

「駅で言うな」

「了解です。家で確認します」

「確認するな!」

やっぱりこいつ、反応を楽しんでる。
でも、完全に悪気はない。たぶん。
それが困る。いや、救いか。

改札を抜ける。
振り返ったら、迅蛇が小さく手を振る。控えめ。周りへの配慮満点。僕は同じくらい小さく手を振って、心のどこかで決める。

――来週の金曜も、飲みに行くんだろうな、僕。

そして、たぶんまた、同じ朝を迎える。
鳥がちゅんちゅん鳴くやつ。
コーヒーが湯気を立てるやつ。
迅蛇が真顔で無茶を言うやつ。
僕が慌てるやつ。

それを、繰り返しながら、ちょっとずつ、進めばいいか。
後輩と先輩のラインを踏み外さないように、たまにわざと踏んで、笑いながら。

佐万里、二十九歳。
初めての「朝チュン」に冷静さを失い、でもコーヒーでかろうじて社会復帰した土曜の朝の出来事である。
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