サラリーマン二人、酔いどれ同伴

文字の大きさ
2 / 11

第2話 交際関係の整理、議事録は枕元から

しおりを挟む
――ちゅん、ちゅん。

鳥は先週に続き、もう一回仕事熱心。
目が覚めた瞬間、僕は「夢オチでした」という都合のいい字幕を探した。ない。現実。枕の匂いと、隣の体温。

「おはようございます、先輩」

右から、迅蛇。
声は安定、姿勢は端正。寝相まで几帳面なの、どういう訓練?

「……お、おはよう」

僕は布団の中で、貝のように丸くなる。
先週の朝の反省点を生かし、今日は先に深呼吸。吸って、吐いて。吸って、吐いて。――で、現状把握。

「先輩、まず定例の確認ですが」

「やめろ、朝から定例とか言うな」

「昨夜は、健全な泥酔からの健全な添い寝。以上です」

「そこは“以上”で締めるところじゃない」

「来週以降のためにエスカレーションフローを整備しようと思って」

「デートをバグ報告みたいに言うな」

でも、安心した。
体は軽い。記憶も、生々しいトラウマがない。
キッチンからコーヒーの匂いがして、僕はようやく布団の端をめくる。

「コーヒー、ミルク多め」

「はい、砂糖小さじ一です」

迅蛇はマグを置き、ベッドの端に腰を下ろした。
距離、近い。
でも逃げるほどじゃない。人肌のWi-Fiが届くくらいの距離。

「――で、先輩」

「うん」

「交際関係の整理、をしたいです」

来た。
逃げられない言葉。お腹にすとんと落ちるやつ。

「いきなりタイトル回収やめてもらって」

「議題は三つ。呼び方、境界、期待値」

「議事録テンプレでも持ってきたの?」

「口頭でも残せます。記憶力に自信があります」

ほんとだよ。先週のログ、秒で出してたもんな。
僕はマグを両手で抱えて、湯気の向こうで迅蛇の顔をまっすぐ見る。
彼の目は真面目だ。笑ってはいない。でも冷たくもない。

「まず、呼び方。僕と先輩は、何者ですか」

「何者……」

同僚。飲み仲間。朝チュン友達。
いや、最後のは言葉として終わってる。口には出さない。

「先輩」

「うん」

「僕は、付き合いたいと思っています」

さらっと言うな。
口内が急に砂漠。コーヒー追加を要求したい。

「……付き合う、って、ちゃんと?」

「はい。ちゃんと」

その“ちゃんと”の重さを測る秤を、僕は持ってない。
でも、逃げるのも違う。
だから、正直に言う。

「迅蛇、俺さ。まともに恋愛、してないんだわ」

「僕もです」

「いやお前は、振ったことがあるって聞いたけど」

「振りました」

淡々。
箇条書きみたいな表情で言うなや。心がざらっとする。

「……なんで?」

「相手の方は、僕を『なんでもすぐ決めてくれるから好き』と言ってくれました。けれど、僕はたぶん、決めるスピードで関係を進めすぎた。相手の迷いと歩幅を測れなくて、申し訳なさだけが溜まりました。だから、僕から“やめましょう”と言いました」

「……それ、まともに恋愛してないって言える?」

「してないです。僕は“期待を管理する”ことは得意ですが、“期待で揺れる時間を共有する”経験が薄い」

なるほどな。
その言い方、いかにも迅蛇。正直だし、容赦がない。
たぶん、相手は痛かったろう。迅蛇も痛かったろう。
胸の奥で、何かがきゅっと鳴る。

「じゃあ、次。先輩は、振られたことがある」

「ある。大学の時、三年付き合ってた子に。卒論とコミケとバイトを同時に回そうとして、人間じゃなくなってた時期」

「理由、覚えてます?」

「『あなたは楽しい人だけど、楽しい時しかここにいない』って」

口にすると、今も少し、痛い。
僕は自分の指を見つめる。
あの時、僕は“ここ”にいられなかった。相手の“揺れ”を、ちょっと面倒だと思ってた。
それが恋愛の首を絞める手だって、知らなかった。若かった。いや、今も若さで誤魔化してる。

「迅蛇」

「はい」

「お前さ、俺がうろうろしてても、待てる?」

「待てます。でも、待っている間に先輩が“待たせてる”ことに罪悪感で自滅しないように、構造化はしたいです」

「構造化、ってさ……」

「たとえば、“一週間に一回、金曜に飲んで、土曜の朝に状況をレビューする”。それ以外は、無理をしない。これをベースラインにする」

“朝チュン定例”。
名前はひどい。けど、わかる。
僕らの歩幅に合ってる気がする。焦らないフレーム。
それなら、僕も、いける。

「境界の話もします」

迅蛇は、ベッドの上で姿勢を正した。
やめて、枕元でコンプラ会議しないで。けど、聞く。

「会社では内密。これは継続。同僚には言わない。二人だけの情報で運用。――同意?」

「同意」

「飲み会は、基本セットで同伴。ただし、先輩が“ひとりになりたい金曜”を宣言したら尊重。僕はその日は帰る。――同意?」

「……同意」

「スキンシップは“きょうはここまで”の合図を決める。たとえば、先輩が僕の手の甲を二回叩いたら、そこでストップ。逆に、進めていい時は、先輩から手を絡める。僕からは勝手に進めない」

「具体的で怖い。でも助かる」

「嫉妬は、あったら言う。言いにくかったら、スタンプ送ってください。『ねたみ』って書いたアザラシのやつ」

「そんなスタンプ持ってたか?」

「送ります。ギフトで」

「やめろ、嫉妬を課金で管理するな」

でも、頬が緩む。
迅蛇は、笑わないけど、僕の顔色を見るのは上手い。
言葉の温度管理も、上手い。

「期待値の話、最後です」

迅蛇は、少しだけ深呼吸して、言った。

「僕は、先輩の“面白い”が好きです。でも、面白い時だけじゃなくて、だめな時も一緒にいたいです」

心臓が、ぎゅっと縮む。
あの大学の彼女にも、たぶん同じことを言われていたのに、僕は聞こえていなかった。
今は、聞こえる。
年齢のせいか、コーヒーのせいか、迅蛇のせいか。たぶん全部。

「俺は……迅蛇の“真顔で無茶言うとこ”が、正直、嫌いじゃない」

「評価として受け取りました」

「いや、そこは“ありがとう”でいいんじゃないか?」

「ありがとうございます」

少しだけ、口角が動いた。
貴重な差分。保存したい。脳内スクショ。

「じゃあ、呼び方、決める?」

「はい。先輩の希望は?」

「……彼氏、って言うとさ。急に“ちゃんと”になりすぎるじゃん」

「β版、というのはどうでしょう」

「彼氏のβ版ってなに」

「“仮交際”。期間は二週間。スプリントの長さと同じ。毎週レビュー。継続可否を、お互いに言う」

「アジャイル恋愛やめろ」

でも、悪くない。
無期限の“がんばろうね”は、僕らには向いてない。
短い距離を何度も踏む方が、たぶん、息が合う。

「……β版で」

「ありがとうございます」

迅蛇は、同僚に“決裁取りました”くらいの落ち着いた声で言った。
僕は枕にもたれて、頭の中でハンコを押す。電子でも紙でもいいや。印鑑登録、恋愛課。

「確認ですが、呼び方は“仮彼氏”。境界は、さっきの三つ+スタンプ。期待値は、だめな時も言う。――これで走ります」

「うん」

「あと、先輩が“受けでしたね”と言われて顔を真っ赤にする件は、からかわない努力を継続します」

「努力じゃなくて成果で示して」

「KPIは“からかいゼロ”。厳しいですが、挑戦します」

「無理な目標設定はやめろ」

笑う。
朝の空気がやわい。
会議なのに、眠気が少し戻ってきた。
でも、ちゃんと進んだ気がする。曖昧さを、うっすら輪郭づけたくらいには。

「シャワー、浴びます?」

「先に迅蛇どうぞ。俺、昨日の洗濯畳む」

「では、お言葉に甘えて」

迅蛇が立ち上がる。
僕はシーツを整え、洗濯物をたたみながら、ふと考える。
“仮彼氏”。
軽い? いや、いまの僕らにはちょうどいい。
壊さないための、仮。
本番にするかは、二週間後の僕ら次第。

――で、土曜の朝は案外長い。
洗濯をしまって、シャワー交代。
戻ると、迅蛇はキッチンで味噌汁を作っていた。
出汁は顆粒。でも丁寧。
ふたりで白い茶碗を持って、ふう、と息を吹く。
温度がちょうどよくて、胃が喜ぶ。内臓が拍手している。

「先輩」

「ん」

「冬コミ、ヘルプします。前日搬入、僕が車を出します」

「仮彼氏、いきなり有能」

「見返りに、当日のお昼ごはんを先輩が管理してください。僕は列に出ると餓死します」

「了解、弁当当番」

「ありがとうございます」

日常の細かい“頼みごと”って、なぜか親密さの筋肉になる。
たぶん、恋愛ってこういうのだ。
大事件のない、細い合意を積むやつ。

「じゃ、駅まで送ります」

「うん」

玄関で靴を履く。
迅蛇は、今日も僕の靴紐を結んでくれる。
きゅっと、でも優しく。
結び終わった指が、ほんの少し僕の足首に触れて、電気が走る。
――落ち着け、β版。焦ってバージョン上げるな。

「合図のテストをしましょう」

「合図?」

「ストップのやつです」

「……今?」

「今、やっておくと安心です」

迅蛇は、手のひらを差し出した。
僕はその甲を、指先で“とん、とん”と二回、叩く。
彼は素直に一歩、引いた。
言葉を挟まない合意。
これ、案外すごいことかもしれない。

「よし」

「よし、って言いましたね」

「言った。テスト、合格」

「ありがとうございます」

外に出る。
秋晴れ。パン屋の匂い。郵便受けのチラシ。
五分の道が、今日はちょっとだけ長い。
話題は細かく飛ぶ。
会社の案件。杉田さんの猫、やっぱり丸い。
迅蛇のカバンに入ってる常備薬。僕のスマホの古いゲーム。
どれも、どうでもいい。けど、どうでもよくない。

「先輩」

改札前で、迅蛇が立ち止まる。
人の流れは穏やか。
僕らの間だけ、空気が止まる。

「β版の間、僕、からかわない練習もします。でも、反応が面白い時は、たぶん笑います」

「じゃあ、俺は“笑わせすぎない練習”をする」

「それは難易度が高い」

「だから練習」

互いに、ちいさく頷く。
約束の形は、まだいびつ。
でも、形がある。それが今は、うれしい。

「じゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ。レビューは来週土曜の朝。朝チュン定例で」

「名前、もうちょいなんとかしような」

「検討課題として持ち帰ります」

手を小さく振る。
迅蛇も、小さく振る。
僕は改札を抜ける直前、振り返って、指先だけで合図を作る。
――とん、とん。
今度は、進んでいいよ、の方。
彼は、すぐに気づいて、目だけで笑った。

二週間、β版。
金曜、飲みに行って、土曜、朝にレビュー。
曖昧を、少しずつ薄めていく。
それなら、僕らにもできる気がする。

佐万里、二十九歳。
“まともな恋愛”の定義がわからないまま、でもちゃんと歩き始めた、土曜の朝の出来事。
ちゅんちゅん鳴く鳥よ、見てろよ。来週も、起きてるから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

赤い頬と溶けるバニラ味

hamapito
BL
在宅勤務が選べるようになっても出社し続けているのは、同期の岡野に会うためだった。 毎日会うのが当たり前になっていたある日、風邪をひいてしまい在宅勤務に切り替えた。 わざわざ連絡するのもおかしいかと思ってそのままにしていたけれど……。    * 岡野はただの同期。それ以上でも以下でもない。 満員電車に乗ってでも出社している理由だって「運動不足になりそうだから」って言ってたし。 岡野に会えるのが嬉しい俺とは違う。    *

交際0日婚の溺愛事情

江多之折(エタノール)
BL
死にたくはない。でも、生きたくもない。ふらふらと彷徨う根無し草は、世界の怖さを知っている。救いの手は、選ばれた者にだけ差し伸べられることも知っている。 だから緩やかに終わりを探して生きていた。 ──たった数回の鬼ごっこを経験するまでは。 誠実すぎて怖い人は、4回目の顔合わせで僕の夫となる。 そんな怖がりな男と誠実な男の、結婚生活の始まり。 ■現実だけど現実じゃない、そんな気持ちで読んでください。 ■家庭に関してトラウマを抱えている方は読まない方が良いと思います。

【完結】君を知らないまま、恋をした

一ノ瀬麻紀
BL
体調を崩し入院した篠宮真白(しのみやましろ)は、制限のある生活を送ることになった。 そんな中、真白は自由に走り回れるもう一つの世界を知る。 そこで過ごす時間は、思うように動けなかった真白にとって、大切なものだった。 仮想空間での出会いや経験を通して、真白の世界は少しずつ広がっていく。 そして真白が本当の気持ちに気づいた時、すべてが繋がり始める――。 ※ タイトル及びあらすじ変更しました。(2/10)

素直じゃない人

うりぼう
BL
平社員×会長の孫 社会人同士 年下攻め ある日突然異動を命じられた昭仁。 異動先は社内でも特に厳しいと言われている会長の孫である千草の補佐。 厳しいだけならまだしも、千草には『男が好き』という噂があり、次の犠牲者の昭仁も好奇の目で見られるようになる。 しかし一緒に働いてみると噂とは違う千草に昭仁は戸惑うばかり。 そんなある日、うっかりあられもない姿を千草に見られてしまった事から二人の関係が始まり…… というMLものです。 えろは少なめ。

蒼と向日葵

立樹
BL
梅雨に入ったある日。新井田千昌は雨が降る中、仕事から帰ってくると、玄関に酔っぱらって寝てしまった人がいる。その人は、高校の卒業式が終わった後、好きだという内容の文章をメッセージを送って告白した人物だった。けれど、その返信は六年経った今も返ってきていない。その人物が泥酔して玄関前にいた。その理由は……。

夜食を、君と。

立樹
BL
誠也は、アパートの隣人の藍生と、時々家に招いて夕食を一緒に食べていた。 だんだんと藍生のことが気になっていたが、パタリと藍生に会わなくなった。 「送る」と言っていたメッセージもなく、メッセージを送ろうかと悩んでいると、となりから知らない女性がでてきて、うろたえてしまう。 『オムライス』の続きです。 『オムライス』は藍生視点ですが、今回は玉川誠也視点の話です。

役を降りる夜

相沢蒼依
BL
ワンナイトから始まった関係は、恋じゃなくて契約だった―― 大学時代の先輩・高瀬と、警備員の三好。再会の夜に交わしたのは、感情を持たないはずの関係だった。 けれど高瀬は、無自覚に条件を破り続ける。三好は、契約を守るために嘘をついた。 本命と会った夜、それでも高瀬が向かったのは――三好の部屋だった。そこからふたりの関係が揺らいでいく。

処理中です...