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中編 決闘とその後
しおりを挟む「それにしても、ミオ兄さんと二人でどエライことをやってしまったなあ」
ローゼン兄様からしみじみとそう言われて、僕は唇を噛んで下を向いているしかなかった。昨日の夜から、僕は、自分の部屋から外に出ることを禁止されている。
「僕のせいでごめんなさい。本当に申し訳ないと思ってる……、ミオ兄様にもシリウス兄様にも、お父様とお母様にも。みんなにも」
「いや、俺等はべつに大丈夫だけど。それにしてもシリウス兄様があんなに荒れてるところを見るのは初めてだったなあ」
夕べの夜、ミオ兄様と結婚を約束した。
まだ、お互い知らないことはたくさんある。僕にとってミオ兄様はシリウス兄様の親友という印象が残っていて、たぶん、ミオ兄様にとっても僕は親友の弟だ。
でも、こうするしか方法はなかった。一緒にいるためには、結婚したいくらいお互いのことを思いあっているのだとわかってもらうしかない。
「……全部が済んだら必ず迎えに行くから、どうか俺のことを信じて待っていて」
ミオ兄様は僕を部屋まで送った後、もう一度だけ頬に口づけしてからお父様とお母様とそれからシリウス兄様に話をしてくるのだと言っていた。
「まあ、ユリアーネスはあの場にいなくて正解だったな。みんながゾロゾロ帰っていった後、いきなりミオ兄さんがやってきて、『ユリアーネスを愛している。どうか結婚させていただきたい』だもんな。騎士が三人がかりでシリウス兄様を止めに入ってたよ」
ミオ兄様の言葉を聞いたシリウス兄様は激昂し、大変な剣幕で怒鳴っていたらしい。「貴様、私の気持ちを知っていて裏切ったのか!? こっちへ来い、今すぐ殺してやる」と。
「あの、義姉様と子供達は……」
「ああ、部屋に戻ってたからそっちは安心しな。結局どこで騒ぎをかぎつけたのか、ヴァレン伯爵が慌ててミオ兄さんを連れて帰ったけど……。シリウス兄様が剣を持ってたら危なかったな、たぶん、ヴァレン伯爵もミオ兄さんも斬り殺されてたよ」
騒ぎを聞いた時は目の前が真っ白になって、息が出来なかった。そして僕はシリウス兄様からの命令で部屋に閉じ籠っている。お父様からは「お父さんも話しはしてみた。お前が閉じ込めたとしても閉じ込めなかったとしても、ユリアーネスの気持ちはたぶん変わんないよ? ってことを。うん……」と言われた。
お父様とお母様は「特別可愛がっていたユリアーネスが結婚すると言って、一時的にシリウスは気が立っているだけ。あなたは気にせず普段通りでいなさい」と言われているけれど、僕は自分の意思でシリウス兄様の言うことを聞いている。
ずっと面倒をみてくれたシリウス兄様に嫌な思いをさせてしまったことを後悔しているし、言うことを聞かなかったらミオ兄様が……という気持ちもあったからだ。
そのまま何も変わらずに数日が過ぎた。
シリウス兄様とはあの夜からは一言も口をきいていないし、ミオ兄様が城へ来た、という話も聞かない。じいやが「ユリアーネス様、どうか、一口でいいのです。お食事だけは召し上がっていただかないと……このままでは死んでしまいます」と泣くのは悲しいけど、食事が喉を通らない。
このままずっとこの部屋の中で、一生を終えるのかなあ。
そんなことを考えたら夜も眠れなくなった。ミオ兄様に会いたい。それだけが僕の望みだった。
「ユリアーネス様! お手紙が……! ヴァレン伯爵のご子息、ミオ様からのお手紙ですぞ!」
もうどのくらい部屋に閉じ籠っているのかわからなくなった頃。そう叫びながらじいやが僕の部屋に飛び込んできた。
「ほ、本当……?」
「ええ、ええ! 正真正銘本物ですぞ!」
宛名も何も書かれていない真っ白な封筒はヴァレン伯爵が直接城へ持ってきたのだと言う。何かお父様と話し込んでいたようだったけど、険悪な雰囲気ではなかったとじいやは興奮気味に僕に伝えた。
「あ……」
手紙を開いた瞬間、確かに本物だと僕には一目でわかった。
『ゆりあ ねす
かなしい おもいを させて ごめん
きみを だれよりも あいしている
もうすぐ むかえに いく
えんじん ぶれ き はんどる ばつてり
あいを こめて みお』
いったいこの文章を書くのに、便箋を何枚使ったのだろう。そっと触れると、紙のあちこちに文字の跡がある。きっと、百枚綴りの便箋を買って、失敗しては上から破いては捨てを繰り返したのだろう。
この世界の文字を読むことも書くことも出来ないミオ兄様にとってどれだけ大変なことだったか。あの日、二人で作った設計図の僕が書いた文字。それを一生懸命書き写したミオ兄様の文字は、どんな愛の言葉よりも僕の胸を打ち、大粒の涙へと変わった。
「諦めてはいけません。ユリアーネス様……」
「うん……」
そうだ。信じて待っているってミオ兄様に約束した。元気を無くしていたら、迎えに来てくれたミオ兄様がビックリしてしまう。
「僕、もう泣いたり落ち込んだりしない。勇気を出してみようと思う……」
ごしごしと涙を拭ってから、僕はミオ兄様へ返事を書いた。書きたいことは山ほどあるけれど、ミオ兄様に伝わらなくては意味がない。だから。
『みお にいさま
あいしています
ぼくの こころは いつでも みお にいさまの そばに
ゆりあーねす』
とだけ書いた。きっともうすぐ会える。残りの思いは会った時に直接伝えよう。なんだか前に進めたような気がした。
◇◆◇
決闘すんだってよ、と僕に教えてくれたのはローゼン兄様だった。
「決闘?」
「ああ。シリウス兄様とミオ兄さんが明日の夜に決闘して、ミオ兄さんが勝てば結婚を認めるらしい」
「そんな……! どうしてそんなこと……!」
二人の剣や武術の腕は互角で、どちらもかなりの実力だと聞いたことがある。そんな二人が闘ったらどちらかが死んでしまうかもしれない。オロオロして吐きそうになっている僕の側でローゼン兄様は首をコキコキと鳴らしながら言う。あの二人がそれでいいって言ってるんだからいいじゃないか、と。
「ミオ兄さんが長らくユリアーネスを迎えに来られないのも、やっぱりシリウス兄様にはわかって欲しいって気持ちがあったからだとよ。……ま、さすがに死ぬまではやりあわないだろ。どっちもいい大人なんだから」
「うん……」
「まったく、シリウス兄様は妻子ある身で何をやってんのかねえ……」
ローゼン兄様の話では、素っ気ないではあるものの二人とも仕事上では今までと変わらずに協力しているらしいということだった。ミオ兄様は無事なんだ。そう思うだけで、身体の力が抜けていくようだった。
死ぬまではやりあわないとローゼン兄様は言うけれど、僕はミオ兄様にもしものことがあったらと思うと気が気じゃなかった。ミオ兄様は命懸けでシリウス兄様にぶつかろうとしている。弟の僕がこのまま部屋に籠っていていいわけがない。
僕も、変わらなきゃ。いつまでも逃げちゃダメだ。
そう決心した僕はその日の夜、シリウス兄様の部屋に向かった。
「……部屋にいろと言ったはずだが」
机でお仕事をしていたシリウス兄様は、僕の顔を見て深いため息をついていた。
「シリウス兄様に、お話があって、来ました……」
「そうかい。だが、私にはお前と話すこと等何もないよ。あいにく今日は妻子の元へ戻る時間だ。ユリアーネス、出ていきなさい」
「シリウス兄様、少しでいいのです。どうか、どうか僕の話を聞いてください……!」
鋭い視線と冷ややかな口調に僕の膝は震える。それを見抜いているのか、ハッとシリウス兄様は僕を嘲笑った後、椅子から立ち上がった。
「わかった。そこまで言うのなら話を聞こう。……来なさい、もっと私の近くに」
来なさいとシリウス兄様が指を指す先には大きなベッドがあって、思わず僕は自分の目が写す光景を疑いたくなった。
いつものように身体に触れられて、そして、叱られるのだということはわかってる。他には何もわからない。でも、あそこに行くのは嫌だ、行ってはいけないと僕の心が叫んでいる。
「……そ、そこには行けません」
「なぜ? 私は寝る前に可愛い弟の話をゆっくり聞いてやりたいと思っているだけだ。何をそんなに怖がっている?」
「無理です、嫌だ、いや……行きたくない……」
シリウス兄様に今まで一度も嫌だなんて言ったことはなかった。許されるのなら子供のように泣きじゃくってしまいたいと思うほど怖い。だけど、ミオ兄様のために変わりたいという気持ちが僕をなんとか支えてくれている。
「……ここで何をするかどこで覚えた? アイツがお前に教えたのかい? ユリアーネス」
薄暗い部屋の中で、ランプの明かりに照らされたシリウス兄様のお顔はスッと伸びた鼻筋の影が頬に落ちている。肌と影のくっきりしたコントラストは兄様の深い怒りを表しているようだった。
「な、何も……、僕は何も知りません。ただ、僕はミオ兄様を愛しているだけです……」
「愛しているだって? ……お前は本当にバカな子だ。お前が城の外を、アイツを、求めるのはなぜだかわかるか? 安全な場所で私に守られているからさ。城を出ればお前はすぐに気がつくだろう。いかに自分が恵まれていて、愚かだったかと」
「……わかっています。シリウス兄様に守られていないと、自分が、何も出来ないことくらい……。でも、でも。ミオ兄様と生きていくと自分で決めたのです。僕は、絶対に後悔なんかしません」
シリウス兄様がつかつかと歩いてきて僕の腕を掴んだ。ぶたれるか、引き摺られてあそこへ連れていかれる。初めて僕は身を捩って抵抗した。そのまま兄様と僕の身体はもつれあうようにして床へ倒れ込んだ。
「やめて……! 離して、嫌だ! 嫌だ! 兄様やめて!」
「聞きなさい。ユリアーネス。お前は外へ出たって何も出来ない。それは自分がよくわかっているだろう? ミオは足手まといのお前にすぐ愛想を尽かすさ」
「違う、ミオ兄様は僕の字を、僕が書いた字を特別だって……」
「……お前の書いた文字がなんになる? それは金になるのかい? 金も稼げないでどうやってミオの足を引っ張らずにやっていくつもりだ? ん? いざとなったら下品で野蛮な男共に身体を売ってでも生きていく覚悟がお前にあるか? ないだろう。どうせお前は泣いて私の元へ戻ってくる。だったらどこにも行くな。永遠にな……」
うつ伏せで倒れ込んだ僕の身体をシリウス兄様が上から押さえつけてくる。押し潰された胸が苦しい。肺が潰れてしまいそうだと思う程乱暴なことをされているのに、時折シリウス兄様は僕のうなじに音を立てて唇で触れた。まるで愛している人へ思いを伝えるみたいに。それが恐ろしくて、とうとう僕は泣いてしまった。
「やめて……、僕はミオ兄様を愛しています……愛しているのはミオ兄様だけです……」
「……私の方がアイツの何倍もお前を愛しているよ」
抵抗すればする程押さえつける力が強くなっていく。それでも僕は諦めなかった。一瞬でも力を緩めたらもっと恐ろしいことをされるような気がして、「嫌だ」と全身で訴え続けた。やがて。
「……私の方がお前のことを愛しているのにどうして」
ふっと身体が楽になった後、シリウス兄様が弱々しい声で呟くのが聞こえた。
「……兄様には感謝しています。でも僕は、自分の心に正直に生きようと思います。決して兄様にはご迷惑をおかけしません。それから……お城を離れたらどんなことをしてでも生きていくつもりですが、ミオ兄様が悲しむことはしません……」
身体は微かに震えていて、あちこちが痛むけれど、涙はもう出なかった。項垂れたまま座り込んでいるシリウス兄様にそれだけを伝えてから僕は部屋を出た。
「お前が弟でなければ、私はこんな苦しみを知らずにすんだのに」と呟くシリウス兄様は泣いていた。
◇◆◇
決闘の夜は一晩中雨が振り続いていた。
どこにいるのかもわからない二人を探しにいって止めようと部屋を飛び出した俺のことをローゼン兄様が止めた。
「いい大人が双方納得して決めたことを外野が止めちゃマズイだろ」
「でも……!」
「いいんだ。シリウス兄様みたいに難しいことばっかり考えてるお方は、ミオ兄さんみたいな丈夫な人と思いきりやりあって時々ガス抜きをするぐらいがちょうどいいんだ」
寝て明日が来れば嫌でも結果がわかるさとローゼン兄様は言っていたけれど、僕は一睡もせずに部屋の窓から外を見ていた。
そして翌日、全身が赤と青の痣と切り傷だらけになった二人が戻ってきた。ひどい状態だった。よろよろと歩いてきて城の門をくぐった瞬間に揃って二人は倒れたと門番はいう。
決闘の結末がどうなったのかは二人とも言わなかった。けれど、シリウス兄様がミオ兄様を連れて帰って来たということは僕を迎えにいくことを認めたのだろうと。そんな結論になった。
そのまま二日間、二人とも医師の付きっきりでの治療が必要だったため僕はミオ兄様にもシリウス兄様にも会うことが許されなかった。「いい大人が何をやってんのかねえ」と呆れる兄弟達の側で、このまま二人は死んでしまうのかもしれないと僕だけが泣いていた。
決闘から三日後の朝、先に目を覚ましたのはミオ兄様の方だった。
「……丸二日間眠っていたらしい。いやー、本気でアイツに殺されるかと思った、全力でやらないと太刀打ち出来なかったんだ。それでこんなことになって、久しぶりにいろいろな人から怒られたよ。大人になってから怒られるってキッツイな。もう二度とごめんだ。……ごめんな、ユリアーネス、長いこと待たせて」
医者は「驚異的な回復力」と言っていたけれど、包帯が巻かれた手足や切れてしまった目蓋と口の端が痛々しい。
「み、ミオ兄様……」
ミオ兄様が生きている。いつもと同じように笑ってくれて、僕の名前を呼んでくれる。それだけで僕は十分だった。
「ん、おいで」
片腕を少しだけ上げてミオ兄様がベッドの側に座っている僕を呼ぶ。本当にいいんだろうか、と躊躇していると「大丈夫。ただしゆっくりな」とミオ兄様が笑う。まだあちこち傷だらけで横たわっているミオ兄様の身体に、寄り添うようにして僕は上体だけをそっとくっつけた。
「眠っている間、何度もユリアーネスの夢を見た。堂々としている兄弟達の中でいつも自信がなさそうにして隠れているユリアーネスが可愛くて、気が付いたら俺はいつも君を目で追っていた。叶わない思いだと思っていた。けれど、シリウスとの決闘で思ったんだ。命を懸ける程愛していたのなら、ユリアーネスへもっと早く気持ちを伝えていればよかったって……」
指先まで包帯が巻かれたミオ兄様の左手が僕の背中をゆっくりと撫でる。思えば、ミオ兄様はいつだって僕を見つけてくれた。失敗をしたり叱られたりして、一人で落ち込んでいる時も「どうした?」と側へやって来て、なかなか理由を話そうとしない僕を急かさずに大丈夫だって励ましてくれた。あの時から僕の心は自由に触れていたのかもしれない。僕に優しさを与え、ずっと寄り添ってくれていたミオ兄様を思っていた時からずっと。
「不安そうな顔で見つめられると、なんだか放っておけない……。そういう夢を俺は見ていたけど、今、思った。これからはユリアーネスの笑った顔がたくさん見たいって。喜んだりはしゃいだり、ユリアーネスのそういう姿を見るためなら俺はきっとなんだって出来る。だから俺と結婚しよう。家を出て俺の家族になって欲しい」
涙で濡れた顔を上げるとミオ兄様と目が合う。「お返事をいただけますでしょうか」と照れたような口調で言われて、僕は何度も頷きながらミオ兄様の手を握った。第五王子という地位を捨てた僕を愛してくれる人なんてどこにもいないんじゃないかと思っていた。でも、今僕はミオ兄様の温もりに包まれている。ミオ兄様の側にいたい、この温もりを手放したくない。唯一の望みが叶ったこの時を僕はきっと忘れない。
◇◆◇
それから一ヵ月が経ち、無事僕はミオ兄様と結婚した。
王室を離れるから、という理由で派手なお祝いの場は設けずにお互いの家族だけを呼んだ結婚式でミオ兄様と愛を誓い合った。式にシリウス兄様は来なかった。というか、あの夜以来シリウス兄様とは何も話せていない。
「……式には来なかったけど、仕事場では元気にやっているから」
結婚式の後、ミオ兄様はそう言って僕を励ましてくれた。
完全に元通り……とまではいかないけれど、ちゃんと必要なことは話しているし相談もしている。お互いそうやってキビキビ働いているから、仕事のことについては二人ともなんの問題もないのだとミオ兄様は言っていた。それを聞いて僕はぼんやりとしか頷くことしか出来なかった。僕とは二度と会わないとしても、シリウス兄様が自分の家族や仕事を大切にして、毎日元気でいてくれるのならそれでいいと思っている。
「ありがとうございます。ミオ兄様とシリウス兄様が二人でこれからもお仕事が出来るのなら、僕も、嬉しいです。すごくホッとしています……」
「それならいいけど……。今日は朝からずっとバタバタしていて疲れただろう? 新居にも式の後で慌ただしく転がり込むみたいになっちゃったな」
ヴァレン伯爵の領地の一角にあった真っ白い小さな家を「ここで暮らそう」とミオ兄様が買ってくれた。家の大きさのことでお父様であるヴァレン伯爵からは「こんな小さい家でユリアーネス様と暮らすつもりなのか」とミオ兄様は叱られたと聞いている。大きな家で離れ離れになるのは寂しいです、と言った僕のわがままのせいだ……と落ち込んだけど、「いいんだ、俺もユリアーネスと離れるのは嫌だから」とミオ兄様は明るく笑っていた。
「式は緊張したけど、僕、全然疲れていません。この家で、今日からミオ兄様と一緒にいられるのだと思うと、嬉しくて、ワクワクして、眠れなくなりそうです」
「可愛いこと言うなあ。俺も、ユリアーネスが側にいる幸せがまだ現実なのか信じられないでいるよ」
大きなベッドを目の前にしてもとうてい眠る気にはなれなくて、僕はベッドの上にぺたりと座ったまま枕を抱き締めた。真っ白なサラサラとしたシーツやカバーが気持ちいい。
建物も家具も何もかもがピカピカなのにどこか木材の温もりも感じられる。まだ部屋の隅には開けきれていない贈り物の箱が積まれているけど、それも僕達が今日ここへ引っ越してきた証のように感じられて、なんだかくすぐったいような気持ちになった。
一つだけ、贈り主の名前がわからないプレゼントがある。一目で高価なものだとわかる、銀で出来た、宝石の埋め込まれたブローチ。ついていたカードには「ユリアーネスへ 永遠の愛をこめて」というメッセージが書かれていただけ。もしかしてこのブローチは……。
「……考え事?」
ぼんやりしていると思われたのか、後ろから僕を抱き締めていたミオ兄様が僕の顔を覗き込む。
「なんでもない……。少しぼーっとしてしまって」
「そうかー……。大事なことを考えているように見えたけど。……時々妬けるよ、ユリアーネスの心の中のアイツに」
「えっ……」
アイツ、という言葉に胸がずきりと痛くなる。きっと僕とミオ兄様は同じ人を思い浮かべている。
ミオ兄様は「冗談だよ」と笑った後、僕を抱き寄せて身体を密着させた。冗談という言葉にホッとしていると、頭を撫でられた。ミオ兄様に触れられていると心が落ち着くし安心出来る。結婚するまで同居はダメだとミオ兄様から言われていたから、ちゃんと二人きりで過ごすのだって今日が初めてだ。
「ん?」
「えっと……」
愛する人と一緒にいるのはこんなにも幸せなのですね。そう伝えようと思ったのに、いざ振り返るとミオ兄様の僕を見つめる優しい瞳や整った顔に緊張してしまって、何も言えなくなってしまう。ただ黙ったままニコニコしているだけの僕を見てミオ兄様は一瞬苦しそうに顔を顰めた後、僕の肩へ顎を乗せてきた。
「あっ、ミオ兄様……」
「……好きだよ、ユリアーネス。君のことを思う気持ちは誰にも負けない」
僕をベッドへ寝かせた後、ミオ兄様が覆いかぶさってくる。大きく開いた胸元にミオ兄様が手を滑り込ませてきて僕の身体はビクリと反応した。スベスベした僕の寝巻は前の方で結んでいる紐を解いたらすぐに脱げてしまうものだ。結婚式の日の夜に必ず使うはずだからって、メイド達がこっそり持たせてくれた。お風呂に入った後、着替えて出てきた僕を見てミオ兄様はビックリしていたみたいだけど、すぐに「可愛いよ」って言ってくれた。
「君の心を俺でいっぱいにしたい。ユリアーネス、俺だけを見てくれ……」
「ん、ぅ……」
ミオ兄様の手はゆっくりと僕の胸を撫でた。頭を撫でてくれたり手を繋いだり、そういうことは子供の頃から何度もしてきたけれど、ミオ兄様からこんなふうに触られるのは初めてだった。
寒くもないのに肌の表面がぞわりと粟立つ。この感覚を表現する言葉が「くすぐったい」しか思い浮かばないのに僕の知っているゲラゲラと笑いたくなるようなくすぐったさとは違う。知らない感覚に息を殺して声が漏れるのを我慢しているのにやめて欲しくない。その先をもっと知りたいとさえ思ってしまう。
「ミオ兄様……」
これって、なんなのですか? ミオ兄様にもっと触って欲しいと思うのは普通のことですか? そう聞きたくてミオ兄様の腕を掴んだ時に、僕は自分の手が汗でびしょびしょに濡れていることに気が付いた。
「あ、ごめんなさい……」
「いいよ。……ふー。よくよく考えてみたら恋人としての時間を過ごさずにいきなり初夜って言うのもなんだか妙だな。ごめん、俺が急ぎすぎていた」
ミオ兄様からは何をするのかちゃんと知っているのかどうか聞かれた。必要ない、という理由で僕はそういう勉強を受けさせてもらえなかったから、実は結婚して最初の夜に何をするのかほとんど知らないでいる。たぶん、これは大人としてあまりよくない事なんだろう。ミオ兄様を困らせてしまうかもしれない。だけど、嘘をつくわけにはいかず黙って首を横に振るしかなかった。
「そっかそっか。……なあ、ユリアーネス。さっきも言ったように俺達っていきなり結婚しただろ? だから、今から少しずつ、恋人どうしがするみたいにお互いのことをもっと深く知っていこう。……こうやって触れ合ったりすることだけじゃなくて、話したいことも連れて行ってやりたいところもたくさんあるんだ。ゆっくりでいい、ユリアーネスの気持ちが俺には何よりも大切だから」
ミオ兄様は大事なものをしまうみたいに僕の乱れた寝巻を整えてから、髪を撫でてくれる。他の人が聞いたら、結婚しているのになんて子供っぽいことをやっているんだろうと思われるかもしれない。でも、僕には痛いくらいに、ミオ兄様が僕を思う気持ちが伝わっていた。
「はい。僕もミオ兄様のことをもっと知りたいです。ミオ兄様ともっと触れ合ったらどうなるのかも知りたい……」
汗で濡れた手をゴシゴシと拭いてから、ミオ兄様の大きな手を両手でぎゅっと握った。頬に口づけてから「任せろ」とミオ兄様が僕のことを抱き締めてくれる。
前にミオ兄様が、僕の喜んだりはしゃいだりしている姿が見たいと言ってくれたけど、あの気持ちが今はすごくよくわかる。僕もミオ兄様には喜んでほしいし、幸せでいてほしいと思う。まだ、気持ちが通じ合ったばかりでわからないことの方が多い。だけど、焦らなくてもいいのだと結婚して一番最初の夜に、ミオ兄様が僕に教えてくれた。
◇◆◇
それから数ヵ月穏やかな日々が過ぎていった。
家族やじいやとは時々会っているし、じいやとは何度も長い長い手紙を交換している。離れても、大切な人とは繋がっていられる。僕はずっと、一人ではなかったのだと今さらながら思う。
いんふら、の整備のお仕事でミオ兄様は毎日すごく忙しい。今後は百年計画で電気と通信に力を入れるのだと言っていた。「異世界からたまにやってくる技術者の力を借りればもっと早く計画を進められるかもしれない」と話すミオ兄様は心の底からウキウキしているようだった。
ミオ兄様ほど忙しくはないけれど、僕も仕事を始めた。安全だからという理由で王立図書館内での仕事を薦められたけど、それはどうしても気が進まなかったから断って、今は、ヴァレン伯爵の領地内の水道に関わる仕事を手伝っている。あちこちの水道を捻って水を集めたり、川へ水を汲みにいったりして水が汚れていないかを調べたり、古くなった水道管があればその修理の予定を考える仕事だ。
お城にいる頃もわかったようなつもりでいたけれど、僕がこうやって毎日を暮らせているのはたくさんの人々の働きがあってなのだと日々改めて感じる。僕もその一員に加われているのかなあ? とまだ自信はないけれど、頑張って続けていきたいと思う。
ミオ兄様は家でもお仕事をする。その時は僕を「側に来て欲しい」と呼ぶ。はじめは大事なお仕事の最中に僕なんかが近寄ってもいいんだろうかって、少しだけ怖かった。仕事の部屋には勝手に入ってはいけない、仕事の邪魔をしてはいけないと教えられてきたからだ。
だけど、ミオ兄様は「家でリラックスしている時にこそ、アイデアは湧くんだ」と言い、僕に触れながらいろいろなことを話してくれる。僕は紙と鉛筆を持ってきてそれを書き留める。ミオ兄様が後で思い出した時にすぐ取り出せるように。
「インフラ整備に時間がかかりすぎて、車までは全然手が回らないな」
「車……いつか走っているところを見てみたいです」
「うん……。きっとこの国の景色が変わる。違う、この国の景色を変える美しい車を作りたい。ただ走るだけの機械じゃダメだ。だから、時間がかかる、すごく」
「きっと素敵でしょうね。ミオ兄様の大切な夢」
「ありがとう。……一番大切なのはユリアーネスだけど」
「……」
「あ、今のも書き留めたな?」
「ふふっ……」
忙しい日々の中で僕との時間をミオ兄様はすごく大切にしてくれる。休日は「恋人っていうのはデートに行くんだ」と僕のことをあちこちへ連れて行ってくれた。船に乗って小さな島へ遊びに行ったこともあるし、市場というものに行くのも僕にとっては初めてのことだった。外を歩く時はミオ兄様は必ず僕と手を繋いでくれる。
「ミオ兄様、僕……汗が、すごくて、嫌じゃないですか?」
「んー?」
俺の汗かもよ? とミオ兄様はニヤリと笑ってから、そのまま歩くのをやめない。
「ユリアーネスは俺の手が汗で濡れていたら嫌?」
「全然。全然嫌じゃないです」
「俺も一緒」
僕は手に汗を掻きやすいから、嫌な思いをさせてしまうんじゃないかって時々不安になるけど、ミオ兄様は僕のそういった気持ちを一つ一つ無くしてくれる。「昔、社交場でも手の汗のことを気にしていたよな。あの時落ち込んでいたユリアーネスのことが、本当は可愛くてしかたがなかった」と言われて、なんだかあの頃一人ぼっちで悩んで落ち込んでいた僕の心も救われたような気持ちになった。
二人きりでいたいから僕たちの家にお手伝いをする人はいない。今まで身の回りのことは周りの人にお世話をしてもらっていたから、僕にとって家のことは何もかもが初めてだった。でも、それはミオ兄様も同じで、僕達は二人で協力しながら出来ることを少しずつ増やしていった。買い物ももう一人で行けるようになったけど、危ないからってミオ兄様は必ず付いてきてくれる。
「これ好き?」とミオ兄様に聞かれる時、僕は幸せを感じる。自分で選ぶって難しいけど面白い。買い物に慣れていなくて、市場の端から端までを回りたがる僕をミオ兄様は優しく見守ってくれる。
ミオ兄様が連れて行ってくれる市場やお店に行けばたいていの物は買えたけど、ローゼン兄様が言っていた「薄い本」だけはどこにも売っていない。これはすごく貴重な本なんだ、とローゼン兄様が言っていたゲンジツの世界から持ち込まれた本。ミオ兄様のお仕事で必要な「いんふら」とか「車」に関係することも書かれているかもしれない、と僕はいろいろなお店を覗いてみるけどなかなか見つからない。
仕方がないから「薄い本ってなんですか? どこで買えますか? ミオ兄様は見たことがありますか?」とミオ兄様に聞いた時は、どこで知ったんだってすごくビックリしていたけど、隠さずに全部を教えてくれた。……全部ではないけれど、ゲンジツの世界の、「漫画」とか「あにめ」の人達が、み、淫らな事をしている様子が描かれているなんて知らなくて、僕は本屋のお婆さんに「薄い本ってありますか?」と聞いていた自分が恥ずかしくなった。
「……ゲンジツの世界の人は、表現をすることがお好きで、得意なのですね」
「なるほど。そう言われてみたらそうかもしれないな……というか、何を知ってもユリアーネスはユリアーネスなんだな」
例えそれがどんなものであったとしても、性的なものは絶対に見てはいけないとシリウス兄様からお城にいた時はキツク言われていた。本当は質問しちゃいけないことだったんだって焦ったけど、ミオ兄様は「隠していたって、いつかは知ることになるだろうし、べつにもう大人なんだから恥ずかしいことじゃないさ。……あ、縁があってどこかで買えたとしても、外で読むのはダメだからな」と言うだけだった。
きっと僕にはまだまだ知らない事はたくさんある。時々失敗したり間違えたりするかもしれないけれど、ミオ兄様と全部を知っていきたい。全部を。
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