ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓

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Episode.03

動画を撮影していたヒト

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 日がずいぶんと高くなってから、鷹也はようやく目を覚ました。
 着替えて、リビングに降りるが、誰もいない。
 見回すと、ダイニングテーブルに、ジャスミン茶のペットボトルを重しにして、メモ書きが残されていた。
 『昼すぎには戻る
 冷蔵庫の好きなもの、食べて待っていて』
 行き先等の記入はない。
 そういえば、と、鷹也は、スマートフォンの画面を見た。メッセージが大量に届いているとの通知。
 アプリを開いて確認をすると、美耶と信彦、そして、澄人からの、鷹也を心配するメッセージが大量に入っている。が、裕二のものも、彼の行き先を推測できるようなものも、見当たらなかった。

 ジャスミン茶を冷蔵庫へ戻すついでに、その中を確認する。高そうなケーキやプリン、ラップをかけられたサンドイッチなどが目に入った。が、食指は動かない。
 少し迷ったが、コンビニでジャンクフードを買うと決め、鷹也は、気分転換を兼ねて外に出ることにした。


 昨夜、裕二は、翔と瞬と、短いメッセージを交換した後、大学で会う約束を交わしていた。鷹也には、このことは伝えていない。それは、裕二は、鷹也抜きで2人に聞きたいことがあり、2人も、裕二に直接会って伝えたいことがあるから、だった。

 大学の総合図書館棟には、複数人で使える自習室や談話室がある。その一室、狭い談話室で、裕二は翔と瞬に会うことにした。そこなら、危険なく、会話ができると判断したためだ。

 談話室には、翔と瞬が先に入っており、中で裕二を待っていた。
 挨拶代わりに、再度、互いに謝罪をする。
 「運命ではなかったけれど」
 「僕らは彼が、タカシが幸せなら、あきらめられるから」
 翔と瞬は、自分より上位のアルファには敵わない、と正直に心情を吐露した。それは逆に、2人揃ってAmという高ランクアルファである、という自信の現れなのかもしれない。食堂で会ったときの刺々しい雰囲気も、診察室にやってきたときの所在無げな表情もなかった。

 その2人が、裕二に礼儀正しく話しかける。
 「僕らがタカシ、…三ツ橋くんを見つけた動画で気がついたことがあって」
 そう、翔が言って、瞬がタブレットを差し出す。
 タブレットには、同期がSNSで探し当てたという、大学近くの学生向けアパート火災の動画が映し出された。裕二は、初めて見る動画だ。
 「現場にいた人物が撮影した動画で、ニュースで流れた上に、転載されまくっていて、大元を見つけるのに時間がかかってしまって」
 動画投稿SNSの、フォローなし、フォロワー1桁のアカウント。バナーとアイコンは未設定、ユーザー名とアカウントも、デフォルトのアルファベットと数字の羅列のままだ。
 そこに投稿されている動画は、火災の動画と、翌日の現場検証の様子だけ。
 その、現場検証の動画を瞬が再生する。
 「ここ」
 翔の声で、瞬が動画を静止した。それから、画像の一部、パトカー左後部座席の窓ガラスを拡大する。
 フードを深くかぶった人物が、スマートフォンで現場検証を撮影する姿が、ガラスに反射して映っていた。
 反射なので、少し歪んでいるが、フードのかぶり方、背格好に見覚えがある。部の新入生歓迎会の後で、鷹也らを送った時に見かけた人物だ。
 裕二の表情を読んで、翔が尋ねる。
 「この人、知ってるんですか?」
 「火災の数日前に、アパート近くのコンビニで見た気がする」
 やっぱり、と翔と瞬が顔を見合わせる。
 「たぶん、彼です」
 瞬が、別アプリを開き、制服姿の男子高校生の写真を呼び出す。それは、卒業アルバムの転載だろう、表情の暗い、澱んだ目つきの男性の正面顔の写真。
 「友人からもらった、2年前の写真です」
 そう前置きして、2人が知る、写真の人物の詳細を、翔が語り始めた。

 その男性は加藤謙人、ランクCmのアルファで、翔と瞬と、佐々木貴志の、中学校の同級生だった。
 その中学では、同学年のアルファは翔と瞬と謙人の3人だけ、オメガは貴志だけ。
 おそらく、謙人が初めて会ったオメガが貴志だったのだろう。彼は貴志に執着して、ことあるごとに翔と瞬を排除しようとしていた。

 オメガの人口が減りつつある昨今、相手が運命ではなくても、初めて会ったオメガに執着するアルファが多くなってきた。特に、男性アルファは、そのオメガが自分より高ランクだった場合、執着し、手に入れるために苛烈な手段に出る者もいるほどだった。

 「…それから……」
 言葉を濁した翔の代わりに、瞬が続ける。
 「当時の、昨日までの僕たちも知らなかったこと、なんですが」

 昨夜、裕二と連絡を取り合ったあと、翔と瞬は久しぶりに実家に電話をかた。文字メッセージ交換の不得手な母親に、佐々木貴志に再会したと告げ、当時、何があったのかを聞き出すためだ。
 そこでわかったのは、翔と瞬に黙っていただけで、両親は事件の詳細を知っていた、ということだった。しかも、母親は、貴志の家族がマンションを退去する際に、別れの挨拶を交わしていたのである。

 それは、貴志と親しく、『番になる』と明言していた翔と瞬を傷つけないために、被害者と加害者の人権を守るために、学校と地域の醜聞を広げないために、隠されていた話。


 彼らが中学生になったばかりの頃、最初の夏休み。
 翔と瞬は、父親の実家に長期帰省をして、マンションを留守にしていた。貴志も、旅行を兼ねた帰省を控え、先に宿題を片付けるため、同級生らと図書館通いをしていた。

 その日、図書館の前で同級生たちと別れ、自転車で帰ろうとした貴志の前に、謙人が現れた。
 自分の話しかしない、2人きりで人目のないところへ行こうとする謙人が、貴志は苦手だった。
 いつもなら、翔と瞬が、彼らがいなくても、同級生の誰かが間に入ってくれるのだが、その日は貴志ひとり。
 仕方なく、自転車を挟んで歩き始めた貴志と、その自転車のハンドルを掴んで離さない謙人。
 並んで歩き始めてすぐ、厚い雲がかかり、雷の音が聞こえ始めた。
 「ゲリラ豪雨、来そうだから」
 急いで帰ろうと、自転車に乗ろうとする貴志を、謙人が引き止める。
 「一緒に雨宿りをしよう」
 「それは」
 貴志が柔らかく断っても、謙人はハンドルを握る手を離そうとしない。
 すぐに、大粒の雨が落ちてきた。何度も、断ろうとする貴志の声をさえぎって、雷の轟音が響いた。


 「ずぶ濡れになって、自電車を挟んでもめている2人を見ていた上級生がいたそうです」
 「図書館の近くには、人通りの少ないJRのガードがあって
 そこで、刺された、腹にナイフが刺さった状態で、見つかったそうです
 見つけたのは、その上級生で、雨が上がったので、気になって、様子を見に行ったんだそうです
 ただ、電車の音が大きくて、悲鳴は聞こえなかった、と」
 翔に続く瞬の言葉で、裕二が拳を強く、握りしめた。

 ずぶ濡れだったため、服が脱がすことができず、性的暴行には至らなかった、とも。
 「拒否した腹いせ、暴行できなかったせい、だろう、と聞きました」
 「それから、母は、引っ越し先も、連絡先も、聞かなかったと言っていました
 加害者の関係者が来たら怖いから、どこから知られるかわからないから、誰にも教えられない、と言われて」
 転院して治療し、その後、もう一度引っ越しをする、と聞いた、と。
 その会話で、2人の母親が、今でも鮮明に覚えている言葉があるという。
 『これで、ベータの男子になったのだから、
 これ以上、不幸なことは起きないわ きっと』


 「2年前、ハガキが届いたそうです」
 海外の消印で『元気になりました』とだけ書かれた、現地の風景が印刷された絵葉書。2人の母親はそれを大切に飾っている。

 昨夜、鷹也が見せた大きな傷跡は、この時のものなのだと、裕二は納得した。
 謙人に刺され、オメガの子宮を摘出した痕、だ。

 身体に大きな傷跡が残り、ショックで記憶を失い、改名と引っ越しを余儀なくされた『佐々木貴志』に対し、加藤謙人は、通学は続けられなかったものの、そのまま中学に在籍し、卒業をした。その後、少し離れた高校へ進学している。
 2人とも中学の同級生だったこと、謙人がアルファで貴志がオメガだったことで、謙人は嫌疑不十分、成人の不起訴処分相当、となった。
 翔と瞬へ、卒業アルバムの写真を提供してくれた友人によると、謙人は高校で友人は作らず、出席日数はギリギリだが、試験点数は上位。高校卒業後の消息は不明、進学した様子はない、とのことだった。

 裕二は確信した。
 おそらく、あのフードの人物は加藤謙人だ。彼は、鷹也を探して大学周辺にいる。あの、アパートの放火現場にいたのも、鷹也を探して居合わせた、というより、彼が火を放ったと考えるべきなのかもしれない。
 そして、セキュリティのしっかりした自分のマンションに同居させてよかった、とも思った。
 独りで出歩かないように注意しておかないと、とも。
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