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石榴の月 第二話⑬
石榴の月~愛され求められ奪われて~
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重箱には、岩次が今夜の残り物を詰めてれた。卵焼きや金平が入っている。岩次の理の腕は確かだ。飯屋の主人にしておくの惜しいほどだが、それもそのはず、若い時は名の知れた料亭の板前をしていたというが、喧嘩っ早いのが禍して、先輩の板前と手な喧嘩をした挙げ句、相手を殴り倒して絶させるという事件を起こし、店を辞めた。 その時、そこの料亭で働いていた仲居と帯を持ち、小さな飯屋を始めた―、それがふくの始まりである。
だが、昔は喧嘩っ早かったのかもしれなが、今の岩次はどこから見ても気の好い好爺だ。それに、岩次ほどの人がそれほどの嘩をしたのは、何らかの理由があったのだ思うと控えめに言うと、側で話を聞いていおしまが笑った。
―この人、あたしがその兄弟子の板前にしこく言い寄られてたのを見かねてさ。それでカッとなって、ガツンとやっちゃったのよ。 物陰でおしまに迫っていた兄弟子をたまま見つけた岩次が止めると、相手が逆に弟の存在で生意気なと殴りかかってきたらい。
―お前は余計なことを言うな。
岩次はいつになくムキになって、おしまたしなめたが。
おしまは嬉しそうに笑い、岩次の方は年斐もなく頬を赤らめていた。
花ふくに勤め始めたことで、また新しい逢いがあった。
たまに酔客に手を握られたり、尻を撫でれたりすることもあったけれど、お民だってもう十代の小娘ではない。言い寄ってくるは適当に受け流してあしらい、身体を触るの手は遠慮なくピシャリと叩いてやった。 むろん、初めの頃は、いきなり客に後ろら着物の裾を脹ら脛が露わになるほど捲れ、悲鳴を上げたこともあった。その声でわ何事かと岩次が飛び出してきたこともあたほどだ。
岩次もおしまも良い人たちだ。子どもにそ恵まれなかったが、人生を互いに労り合寄り添って、ここまで歩いてきたのだ。
源治と自分も歳を重ねた時、あんな風な婦になれたらと願わずにはいられない。
花ふくを出てしばらくはまだ商家が並びつ大通りをゆくが、直に四ツ辻に至る。筆と仏具屋が通りを挟んで向かい合う角を左曲がれば、もう人気のないひっそりとした道に差しかかった。
徳平店はこの道を更に先へと進み、更にう一回角を曲がらねばならない。
夜四ツ(午後十時)を回ったこの時刻、間でも人通りの少ない道は、月明かりだけ白々と乾いた地面を照らしているだけだ。民は心細く思いながら、なおいっそう早足なった。
そのときのことだ。お民はハッと我に返た。数歩距離を置いた後から、誰かが付いきている。何より不気味な追跡者の存在を示するかのように、ひたひたと地の底を這ような脚音が闇に響いていた。
「あ―」
お民は口許を片手で押さえ、思わず悲鳴零れ落ちそうになるのを我慢した。ここで怖の余り、取り乱して声を上げでもしたら相手の術中にみすみすはまってやるようなのだ。真昼間、人通りの多い大通りならとかく、こんな猫の仔一匹見当たらぬ夜道でを上げたとて、自分の居場所を徒に相手にえるようなものだろう。
そう判断し、ここはもう全速力で振り切しかないと覚悟を決めた。ここの道を突きたりまでいって角を曲がれば、もう長屋の戸口が見えている。その場所からであれば大声を上げて助けを求めれば、あるいは誰に気付いて貰えるかもしれない。
丁度、曲がり角には小さな稲荷社の祠がる。近隣の人々からは〝捨て子稲荷〟ともばれているここは、この前にしばしば赤児棄てられていることから、この名で呼ばれようになったという。実際にここで拾ったを徳平店でも子のない浪人者夫婦が我が子して育てていた。
お民自身、兵太を失った直後は、捨て子も育ててみようかと本気で思案したこともったほどだ。
あの捨て子稲荷の前まで走れば、何とかる。お民はともすれば挫けそうになる我がを奮い立たせ、一挙に勢いをつけて走った。 幸いにも十六夜の月が心強い味方となっくれる。真昼のように明るい光が脚許を照している中、お民は一心に走った。
距離にしても、たかだか知れているから走ったのはほんの一刻のことであったはだ。それでも、死に物狂いのお民にとって随分と走ったように思えた。漸く捨て子稲の前まで辿り着き、荒い息を吐きながら辺を見回した時、既に脚音はふっつりと絶えいた。
幾ら耳を澄ませてみても、不気味なあの音は聞こえない。
ホウと心から安堵の吐息をつき、その場へなへなとくずおれるように座った。
だが、昔は喧嘩っ早かったのかもしれなが、今の岩次はどこから見ても気の好い好爺だ。それに、岩次ほどの人がそれほどの嘩をしたのは、何らかの理由があったのだ思うと控えめに言うと、側で話を聞いていおしまが笑った。
―この人、あたしがその兄弟子の板前にしこく言い寄られてたのを見かねてさ。それでカッとなって、ガツンとやっちゃったのよ。 物陰でおしまに迫っていた兄弟子をたまま見つけた岩次が止めると、相手が逆に弟の存在で生意気なと殴りかかってきたらい。
―お前は余計なことを言うな。
岩次はいつになくムキになって、おしまたしなめたが。
おしまは嬉しそうに笑い、岩次の方は年斐もなく頬を赤らめていた。
花ふくに勤め始めたことで、また新しい逢いがあった。
たまに酔客に手を握られたり、尻を撫でれたりすることもあったけれど、お民だってもう十代の小娘ではない。言い寄ってくるは適当に受け流してあしらい、身体を触るの手は遠慮なくピシャリと叩いてやった。 むろん、初めの頃は、いきなり客に後ろら着物の裾を脹ら脛が露わになるほど捲れ、悲鳴を上げたこともあった。その声でわ何事かと岩次が飛び出してきたこともあたほどだ。
岩次もおしまも良い人たちだ。子どもにそ恵まれなかったが、人生を互いに労り合寄り添って、ここまで歩いてきたのだ。
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そのときのことだ。お民はハッと我に返た。数歩距離を置いた後から、誰かが付いきている。何より不気味な追跡者の存在を示するかのように、ひたひたと地の底を這ような脚音が闇に響いていた。
「あ―」
お民は口許を片手で押さえ、思わず悲鳴零れ落ちそうになるのを我慢した。ここで怖の余り、取り乱して声を上げでもしたら相手の術中にみすみすはまってやるようなのだ。真昼間、人通りの多い大通りならとかく、こんな猫の仔一匹見当たらぬ夜道でを上げたとて、自分の居場所を徒に相手にえるようなものだろう。
そう判断し、ここはもう全速力で振り切しかないと覚悟を決めた。ここの道を突きたりまでいって角を曲がれば、もう長屋の戸口が見えている。その場所からであれば大声を上げて助けを求めれば、あるいは誰に気付いて貰えるかもしれない。
丁度、曲がり角には小さな稲荷社の祠がる。近隣の人々からは〝捨て子稲荷〟ともばれているここは、この前にしばしば赤児棄てられていることから、この名で呼ばれようになったという。実際にここで拾ったを徳平店でも子のない浪人者夫婦が我が子して育てていた。
お民自身、兵太を失った直後は、捨て子も育ててみようかと本気で思案したこともったほどだ。
あの捨て子稲荷の前まで走れば、何とかる。お民はともすれば挫けそうになる我がを奮い立たせ、一挙に勢いをつけて走った。 幸いにも十六夜の月が心強い味方となっくれる。真昼のように明るい光が脚許を照している中、お民は一心に走った。
距離にしても、たかだか知れているから走ったのはほんの一刻のことであったはだ。それでも、死に物狂いのお民にとって随分と走ったように思えた。漸く捨て子稲の前まで辿り着き、荒い息を吐きながら辺を見回した時、既に脚音はふっつりと絶えいた。
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ホウと心から安堵の吐息をつき、その場へなへなとくずおれるように座った。
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