黄色い花

中谷ととこ

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はじまりの朝と、十回の約束

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「────課長、木藤課長!」

「……はい」

「やっと気付いた~。どうしたんですか? ボーッとして」

「なんだ?」

「いや、なんだ? じゃなくて。今日の夕方の会議って、なくなったんですか?」

「……ああ、そうだった」

 営業部でアシスタント業務を担当している二川 楓ふたかわ かえでが、怪訝そうな表情で首を傾げる。
 午前中、急ぎで資料を纏めてもらったというのに肝心の会議に向かおうとしないのだから、そりゃ不思議に思うだろう。

「めずらし……常に五分前には座ってる人が、今もう五分前ですよ?」

「わかってる、ありがとう」

 直属の部下である二川に、「今週バタバタしているから疲れが溜まってるんじゃないですか?」と心配されて、きまりが悪い。すぐ近くの席に松島もいるというのに。こちらのことなど気にする素振りもなく、黙々と仕事をしているが。


 あれから二日経ち、木曜の夕方。
 何事もなかったかのようないつもの光景、そこに、何事もなかったかのように松島も収まっている。彼女からのコンタクトは、一切ない。

 気まずい様子もない。仕事上関わることもあるが、ぎくしゃくするようなことも特に。全てが、夢だったのではないかと錯覚するほど。


 会議には間に合ったものの、その後も悶々と心が落ち着かない夜を過ごして、翌日金曜日。
 今日何も話さなければ、週末で休みに入ってしまう。
 話をするなら、今日がいい。



「あれえ、松島さん、なんか今日鼻声ですね。風邪引きました?」

「あ、うん、ちょっと風邪気味みたいで」

「葛根湯飲みます? 僕持ってますよ」

「ほんとですか? いただこうかな」

 少し離れた場所から聞こえてくる、同僚と話をする松島の声。この三日間、聞くつもりはなくても耳に入ってくるようになった。
 風邪……、風邪か。

「汐里さん、木藤課長から移ったんじゃないですか? うちの課で誰も風邪引いてないのに、課長が最初ですもんねー」

「ごふっ」

「うわっ、やだ課長、何やってるんですか」

 飲んでいたコーヒーで、咽た。

 接触感染ではなく空気感染のことを言いたいに違いないが、二川、余計なことを言わないでくれ。


 松島からのコンタクトを待っていた。自分から話掛けるのが躊躇われて。
 けれど一向に話し掛けてくる様子はなく、おそらく今日も何もない、待っていても無駄だ。

 俺が、なにか思い違いをしているのだろうか? ……なにを、どう?
 いや、あれは間違いなく現実に起きた事だ。

 無かった事にしてほしいという無言のメッセージならば、そうすべきなのかもしれない。
 だけど、俺が無理だった。このまま何も無かった事にするなんて。たった三日で限界がきた。
 それまた今度って、言ってたもんな?




「夕飯、行かないか」

 昼休み、周りに誰も居ないことを見計らって松島に声を掛けると、人が近づいていたことを感知していなかったようで、びくりと肩を震わせた。急に話し掛けて驚かせてしまった。

「……あ、えっと、今お昼に行こうということではなくてですか?」

「はい、今じゃなくて」

 限られた時間で、職場で話すような内容ではない。

「迷惑なら、遠慮しないで断ってくれていい。風邪引いてるのか? 体調が悪いようなら、」

「迷惑なんて、全然、風邪も大丈夫です」

「…………何が食べたい?」

「え?」

 彼女の気が変わらないうちにと、その日の夜、二人で会う約束を取り付けた。




 待ち合わせは、俺の最寄り駅の近くにある『わが家』という居酒屋になった。
 居酒屋とはいえ和定食のメニューが豊富で、食事だけの客も多くいる、俺の行きつけの店。
 松島のリクエストが「和定食、できれば魚」とはっきりしていて、会社近くの店を避け利便性を考えると、そこしか思い付かなかった。


「あら、いらっしゃいませ木藤さん、お待ちしてました。お連れの方 いらっしゃってますよ」と、顔なじみの女将が意味ありげに微笑む。もっと何か言いたげだが、今日のところは空気を読んでほしい。
 まあ、そうなるよな。ここに来る時はいつも一人で、誰かと一緒に来店することなんてまずないのだから。

 店の奥の柱の横、周りから遮断されたような奥まった席に案内される。
 一人の時は大抵カウンター席に通されるのだが、めずらしく女性と一緒だからと気を遣ってくれたらしい。

 でも、なんというかこの席、近い。
 テーブルも他より小さく、二人でしっぽりと話し込めるような席で、俺は構わないが松島が落ち着かないのではないか。
 カウンター席もほぼ埋まっていて席を変えて欲しいとは言い出せず、とりあえずその奥の席に向かった。


「悪い、遅くなった」

「あ、お疲れ様です。私も今着いたところなので」

「この席でいいか?」

「え? なにがですか?」

「いやなんか、狭いかなって」

「狭い? ああ、たしかに密談に向いてるような感じですねえ、私は全然大丈夫ですけど」

「そうか」

 松島が気にならないなら別にいいかと思い、メニューを渡す。そうだな、今日は密談と言えないこともない。


「課長、よくいらっしゃるんですか?」

「ここは、そうだな、四、五年は通ってるか。照り焼きも、煮魚も刺身も全部美味いよ?」

「どれにしようかな……迷う、美味しそう」

「おまかせにすると二、三種類適当につくから、食べれるならそれにしようか」

「家庭料理っぽいし家から近いから仕事帰りに時々来る」と付け加えると、「ですね、たしかに近い」と頷いた。数日前の一件で、俺の自宅のある場所は知られている。


「体調は大丈夫? 平気か?」

 今日どうしても話したくて、半ば強引に誘ってしまったけれど、やはり少し鼻声だと感じた。食欲はあるようだが、食べたらすぐに帰した方が良さそうだ。

「あ……はい、大丈夫です、翌日はちょっと、筋肉痛とか身体の違和感とかありましたけど、三日経ったのでもう、平気です」

 筋肉痛、ん? 

「……あ、ああ、そうか」
「え?」
「いや、なんとなく鼻声だと思ったから、風邪の具合は、」
「あああ! そっちか、本日の、今の話ですね!? 大丈夫です大丈夫です、ちょっと風邪気味ではありますが全然平気、明日お休みですし、ええ」

 勘違いしました! と言って顔が赤くなり、しゅわしゅわと萎んでいく。
 唐突に話が始まり慌ててしまい反応を間違えた。そう、そもそも今日はその話をする為に。

「ごめん、紛らわしい言い方をして。それにその風邪だって俺が移したんだろう? あの日はちょうど、風邪を引いて薬を飲んでいたから」

「そうですけど、いやそうじゃないですけど」

 二年近く一緒に働いているけれど、こうして二人だけで食事をするのもはじめてだし、仕事以外の話をする機会もほとんどなかった。
 人当たりが良く誰とでもすぐ打ち解けるが、プライベートは元より、なにを考えているのかよくわからない。


「風邪はたしかに、もしかしたら課長からもらっちゃったかもしれないですけど、でも元気でしたよ、私は」

「……そうか。それならよかった」

「……課長は、元気なかったみたいですね……ごめんなさい」

「なんで松島が謝る、悪いのは俺だろう?」

 食事が運ばれてくるまで、まだしばらく時間がかかりそうだった。「聞いてもいいか?」と尋ねると、「はい、勿論」と、神妙な面持ちで静かに頷いた。
 
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