【完結】黄色い花

中谷ととこ

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はじまりの朝と、十回の約束


「正直に言うと、火曜の夜の記憶がほとんどないんだ。レセプションが終わった段階で大分酔っていて、けどそれすら気付かずに、その後行った店のことは途中からわからない」

「知ってます、私その店にいたので」

「やっぱりそうか、あの店、駅裏通り沿いの」

「はい」

 店の名前も思い出せない。

「私の方が先に飲んでいたんですけど、偶然、課長を含めて三人でいらっしゃって。私途中で気づいて挨拶だけさせてもらったんです。そしたら一緒にいた課長の同期の方から声を掛けられまして、少しの時間ご一緒することになり」

 古藤と上原か、なぜ誘ったんだ余計なことを……断れないだろうが。

「……悪い、思い出せなくて」

「全然そうは見えないくらい平然と飲んでましたよ? 相当強いお酒もくいくいと何杯も、いつもと同じ調子で。だから、酔ってましたけどまさか潰れる程とは誰も思ってなくて」

「普段はそんなピッチでは飲まないよ。二軒目はノンアルに切り替えて調整するぐらいで」

 たしかに「こんなに飲んで大丈夫なのかな、明日仕事なのに」と、心配だったと言う。

「課長の同期の方達が、帰りの新幹線の時間があるから帰らなくちゃってなって。元々、時間調整でその店にいたみたいでしたし」

「……」

 言われてみれば最終で帰ると言っていたな、と思い出す。

「お二人が帰る頃にはもう、課長は眠そうにぐったりされていたので、酔いが少し醒めるまでここにいてタクシーに乗せますって、私が介抱役を引き受けて」

 醒めたのか醒めていないのか、全然醒めていなかった訳だが、自分の足で歩いてタクシーに乗ったまではいいけれどそのまま静かになったらしく、せっかちな運転手に「どうしますか? 寝られると困ります」と強く詰められて、一緒にタクシーに乗ることになったと。

「木藤課長がF町の西口に住んでいるって、私知ってたんです。ほら、二川ちゃんが一、二年前にF町に住んでたことがあったじゃないですか、だから……。でも課長、奇跡的に〝何丁目何番地〟ってちゃんと言ってましたから」

「本当に申し訳ない、迷惑をかけて」

 けれど、そこでも終わらないわけだ。


「タクシーを降りて家の中に入るところを見届けたらって思ったんですけど、課長の足取りがもう、かなりふらふらしてて、今にもその場に座り込んで寝てしまいそうで……鍵は私が開けました」

「……全く覚えてない」

「そりゃ覚えてないですよ、一番言動がおかしい時間ですもん。それで、玄関に入ったと思ったら突然服を脱ぎ出してそのまま浴室に」

「服を脱いで? ……裸で?」

「……裸で」

「やばすぎるだろ、放って逃げてくれよ」

「あはは、たしかに。すごくびっくりしました。公道じゃなくて良かったです」

 なんたる失態……。
 額に手をやり、文字通り頭を抱える。

「そうですよね、そこで帰ればよかったんでしょうね。でも、浴室で転んだとか、酔ってお風呂に入ったまま亡くなった人の話とか聞いたことあるし、心配になっちゃって」

「……面目ない、本当に」

 シャワーを浴びた後は、ちゃんとした格好で上がってきたのだろうか、はたして。

「あ、ええと、腰にタオルは巻いてました」

「最悪だ」

 思い出したのか、俺の反応がおかしいのか、クスクス笑っているが、笑い事では済まされない。若気の至りならまだしも、おっさんが! 部下の女性の前で、35にもなって!

「それでまあ、その後いろいろあって、そういう流れに……」

「いろいろって」

「あ、でも本当に、無理強いされたわけではないんです、嫌なこともされてません」

「最後まで、事に及んだと」

 言いづらそうに、黙って首を縦に振る。

「そうですね、一通り。最初から最後まで」


 あの日の朝の自分の身体とベッドの状況を見れば、二人の間に何があったか、身体の繋がりがあったことは明らかだった。やったかどうかなんて、その事実を確認するまでもなく。


「言いづらいかもしれないが、避妊は」

「してくれましたよ、酔っているのにちゃんと。でも私、生理痛の治療でピル飲んでいるので大丈夫だって言ったんですけどそれでも、ダメだって言って……。だから妊娠とかの心配はありませんから、安心してください」

「…………」


 こちらが気遣う側なのに、逆にわかりやすいくらい気を遣われている。今日ここ来たのだって、けじめというか、俺の不安を取り除く為に来てくれたのだろうか。そんな気がしてきた。
 どう言えばいいのか二の句を告げずにいると、同じ定食のお盆が二人分運ばれてきて、松島は今話していたことなどどうでもいいことのように目を輝かせた。

 いつもの見慣れた定食、魚料理。作っている料理人も同じで大幅な味の変化などないはずだが、いつもより味が感じられない。正直、食欲が湧かない。

「すごく美味しいです、この煮魚も小鉢も」
「そうか、よかった」

 どうしたもんかと考える。
 考えるのを止めて、無神経に通り過ぎた方がいいのかと、それも含めて考える。

「通っちゃいそうだな、ここ。会社からも近いし、一人でもふらっと入れそうですし」

「松島」

「はい」

 名前を呼ぶと、目を丸くして顔を上げた。

 この間も思ったけれど、とても綺麗な目をしている、切れ長で大きくて吸い込まれそうな。
 こんな風に見つめる機会はなかったが。


「責任は取る」

「え、責任ってそんな、やめてください、そんなこと言ったら私の方こそ責任取らなきゃいけなくなるじゃないですか」

「いや、責任は俺にある」

 酔っていたなんて、言い訳にならない。


 まだ半分くらいしか食べていないのに、松島は慌てて箸を置いた。食事中にする話ではなかったか。でも、自責の念で落ち着かなかった。松島が気にしていないなら別にいいかと、奥まったこの席と同じように流すことはできない。


「あの」

「ん?」

「課長は、社内でこういうことって、よくあるんですか? ワンナイト的な」

「ないよ。社内どころか、はじめてだ」

「そうですか、じゃあ私、課長のはじめてをいただいてしまったんですねえ」

「それはこっちの台詞だろう」

「……あ、そうだった」

「……」

「も、もう、謝らないでください、いいんです私は、後生大事に取っておいたわけじゃなくて、たまたま機会がなかっただけでむしろ気が楽、感謝したいくらい」

 彼女の大事なものを奪っておいて、覚えていないとかあり得ない。取り返しはつかないが、気が楽って、誰でもいいわけないだろう?

「俺が相手ではダメだろう」

「…………どうでしょう?」

 松島は少しわざとらしく首を傾げて、笑みを浮かべる。眉を動かし、何か企むように。

「課長って今、お付き合いされてる方はいらっしゃるんですか?」

「……いや、いない、三年くらいは」

「そりゃそうか、もし恋人がいたら裏切り行為になっちゃいますもんね。あ、でも三年前はいたんだ、課長にも恋人が」

「三年……、四年近くなるけど、まあ」

 お互いに仕事が今以上に多忙な時期で、結婚適齢期でもあり、すれ違いが重なって別れたという、よくある話だ。

「へぇ……そっか、そりゃ過去にはいますよね、課長モテそうですし」


 視線を逸らさず俺の顔をじいっと見て、「それなら大丈夫か」と呟く。
 なんだ、何が言いたい?


「えっと、じゃあこうしませんか?」

「ん、なに?」

「私 おひとり様が好きでいろんな場所に一人で行くんですけど、でも一人だと入りにくい店とか場所とかいくつかあるんですよ、ソロだとハードルが高いっていうか。そういう場所につき合っていただく、とかどうでしょう?」

 一人では、行きにくい場所? 

「ラーメン屋とか?」

「ふ、ラーメン屋さんは一人でいけます」

 ちょっとよくわからないが、それで、彼女の気が済むのなら。

「それは、全然かまわないけど」

 そう言うと、急にポカンとした顔をする。
 なんだよ、自分から言い出しておいて。
 冗談? 俺おかしなことを言ったか?


「い、いいんですか!?」

「ああ。ようするに、松島が一人で行きにくい場所に俺が同行するって話だろ? いいけど」

「本当に? 休日とかにですよ?」

「……一体何をさせるつもりなんだ」

「そんな、変な要求はなにも! あ、じゃあ、是非お願いします。それなら回数を決めましょう、私の行きたいリストにつき合ってたらいつまでも終わらないですから。そうだな、じゃあ十回とかどうですか? 多いです?」

「十回って、何をしたいのかよくわからんが、俺でいいのか?」

 なぜか食い気味の松島に戸惑いながら答えると、彼女はにこりと笑って、「はい、俺でいい・・・・です」と、ぺこりと頭を下げた。


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