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1章
夕闇の凶刃
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窓の外では、夜の静寂を揺らすように風が唸りを上げていた。
エリュシオン王国の別邸、その最奥に位置するサロン。私はゼノ様と遅めの夕食を囲んでいた。昼の「魔力が凝縮された黒焦げの物体」とは打って変わり、熟練の料理人が腕を振るった繊細な味付けのスープが、身体の芯まで染み渡る。
「ミア、もう一口どうだ。特訓の疲れも残っているだろうし、しっかり栄養をつけなければならない」
ゼノ様は赤い瞳を優しく細め、私のお皿に甲斐甲斐しく料理を取り分ける。シャンデリアの光を反射するその金髪は、まるで神話の英雄のように輝いていた。
けれどその時、邸の守護を司るはずの「音」が不自然に途絶えた。
庭に控えているはずの、あの誇り高き黒龍の気配が霧が消えるように希薄になっている。同時に、背後にある大きな窓ガラスが、外側からの圧力で激しく振動した。
「――っ、ミア、伏せろ!!」
ゼノ様が叫ぶのと、窓が粉々に砕け散るのは同時であった。闇の中から飛び込んできたのは、顔を隠した黒装束の集団だ。彼らの手には、不気味に揺らめく紫色の魔道具が握られていた。
「……バカな。アポロの結界を突破しただと!?」
ゼノ様が驚愕の声を上げる。本来、宮廷魔導師団長であるアポロが張った結界は、王都最強の防壁であるはずだ。しかし、刺客のリーダーらしき男は、手にした水晶のような装置を冷笑しながら見せつけた。
「サンクチュアリの魔導師を甘く見ないことだ。この『共振解析機』は、アポロ・フォン・ルミナスの結界周波数を完全に解析し、位相を反転させて無効化する。……そして、外のトカゲには、絶滅した『古龍の秘薬』を嗅がせておいた。今頃、泥のように眠っているはずだ」
「……実家の伯爵家め、そこまでしてミアを……!」
ゼノ様の体から、凍りつくような殺気が溢れ出した。彼は腰の剣を抜こうとしたが、足元が僅かにふらつく。
「……くっ、この空気……」
「無駄だ。この部屋には既に、感覚を麻痺させる毒香を撒いている。最強の竜騎士様も、五感を失えばただの案山子だな」
刺客たちが一斉に私へと向かってくる。ゼノ様は毒の影響で視界が霞んでいるはずだが、迷うことなく私の前に立ち塞がった。
「ミア……逃げろ。後ろの扉から……!」
振り下ろされる刺客の短剣。ゼノ様はそれを腕で受け止め、鮮血が私の頬に飛び散る。最強の騎士が、私のためにボロボロになっていく。その姿を見て、胸の奥で「何か」が熱く爆ぜた。
(嫌だ。……あんな地下室には、もう絶対に戻らない。……ゼノ様を、傷つけさせない!!)
ミアは悲鳴を上げる代わりに、震える両手を力一杯に突き出した。
温かな「幸せ」の記憶。ゼノ様と食べたタルトの甘さ、彼の手の熱、自分を「宝物」と呼んでくれたあの声。すべてを指先に集めて、魂の底から叫んだ。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ――っ!!」
次の瞬間、ミアの手元から、夜の闇をすべて塗りつぶすほどの爆発的な黄金の光があふれ出した。
「なっ……なんだ、この光は……!? 身体が、動か……な……」
襲いかかってきた刺客たちの身体が、柔らかな、けれど抗いようのない力の波動に包み込まれる。ミアの光は、彼らを破壊するためではなく、彼らが用いた「秘薬の毒」や「解析機の不協和音」、そして何より彼らの心に宿る「殺意」そのものを浄化するように広がっていく。
カラン、と。
刺客たちの手から短剣が滑り落ち、石畳の上で乾いた音を立てた。光に当てられた男たちは、戦う意欲を根こそぎ失ったようにその場にへたり込み、うわごとのように「私は……何をしていたんだ……」と涙を流し始めた。
部屋を埋め尽くしていた不快な毒香も、窓から吹き込む夜風と共に、清らかな星屑の光へと変わっていく。
「ミア……? 君、今、自分で……」
麻痺が解け、立ち上がったゼノ様が、驚愕のあまりその場に立ち尽くした。黄金の光の残滓の中で、ミアは肩で息をしながら、ゼノ様に向かって、最高の笑顔を浮かべた。
「……ゼノ様。私、守れました。私たちの、温かい夕食を」
その瞬間、ゼノ様の顔が真っ赤になった。彼は瞳を潤ませながらミアに駆け寄ると、壊れ物を扱うようにぎゅっと、骨が軋むほど強く抱きしめた。
「ミア……! ああ、なんて……なんて強い子なんだ、君は……! でも、危ないじゃないか!」
「ゼノ様……苦しいです……っ」
助けてもらった感動よりも、ミアが危険にさらされたことへの心配と、自分の不甲斐なさ、そして彼女の尊さへの愛情がごちゃまぜになり、ゼノ様は半泣きで私の髪に顔を埋めた。
「決めた。明日から護衛を倍……いや、十倍に増やす。いや、僕が一生、君の服の裾を掴んで離さないことにする!」
「それはちょっと、困ります、ゼノ様……」
そこへ、外で眠らされていたはずの黒竜が「グルゥ」と気まずそうに顔を出し、砕けた窓の縁には、冷や汗を拭うアポロ様が腰掛けていた。
「……やれやれ。僕の結界をハックするアイテムなんて、伯爵家も相当な金を積んだね。……でも、騎士の面目丸潰れだね、ゼノ? 女神様に守られちゃうなんて」
「うるさいアポロ! 貴様、結界のセキュリティを見直しておけ! 次に彼女を怖がらせたら、お前をこの魔槍で串刺しにしてやる!」
実家からの卑劣な強襲を、自らの「光」で退けた夜。
私は確信していた。もう二度と、あの冷たいお城の地下室へ戻ることはない。
この不器用で、重すぎるほどの愛を注いでくれる騎士様こそが、私の本当の「光」なのだと。
エリュシオン王国の別邸、その最奥に位置するサロン。私はゼノ様と遅めの夕食を囲んでいた。昼の「魔力が凝縮された黒焦げの物体」とは打って変わり、熟練の料理人が腕を振るった繊細な味付けのスープが、身体の芯まで染み渡る。
「ミア、もう一口どうだ。特訓の疲れも残っているだろうし、しっかり栄養をつけなければならない」
ゼノ様は赤い瞳を優しく細め、私のお皿に甲斐甲斐しく料理を取り分ける。シャンデリアの光を反射するその金髪は、まるで神話の英雄のように輝いていた。
けれどその時、邸の守護を司るはずの「音」が不自然に途絶えた。
庭に控えているはずの、あの誇り高き黒龍の気配が霧が消えるように希薄になっている。同時に、背後にある大きな窓ガラスが、外側からの圧力で激しく振動した。
「――っ、ミア、伏せろ!!」
ゼノ様が叫ぶのと、窓が粉々に砕け散るのは同時であった。闇の中から飛び込んできたのは、顔を隠した黒装束の集団だ。彼らの手には、不気味に揺らめく紫色の魔道具が握られていた。
「……バカな。アポロの結界を突破しただと!?」
ゼノ様が驚愕の声を上げる。本来、宮廷魔導師団長であるアポロが張った結界は、王都最強の防壁であるはずだ。しかし、刺客のリーダーらしき男は、手にした水晶のような装置を冷笑しながら見せつけた。
「サンクチュアリの魔導師を甘く見ないことだ。この『共振解析機』は、アポロ・フォン・ルミナスの結界周波数を完全に解析し、位相を反転させて無効化する。……そして、外のトカゲには、絶滅した『古龍の秘薬』を嗅がせておいた。今頃、泥のように眠っているはずだ」
「……実家の伯爵家め、そこまでしてミアを……!」
ゼノ様の体から、凍りつくような殺気が溢れ出した。彼は腰の剣を抜こうとしたが、足元が僅かにふらつく。
「……くっ、この空気……」
「無駄だ。この部屋には既に、感覚を麻痺させる毒香を撒いている。最強の竜騎士様も、五感を失えばただの案山子だな」
刺客たちが一斉に私へと向かってくる。ゼノ様は毒の影響で視界が霞んでいるはずだが、迷うことなく私の前に立ち塞がった。
「ミア……逃げろ。後ろの扉から……!」
振り下ろされる刺客の短剣。ゼノ様はそれを腕で受け止め、鮮血が私の頬に飛び散る。最強の騎士が、私のためにボロボロになっていく。その姿を見て、胸の奥で「何か」が熱く爆ぜた。
(嫌だ。……あんな地下室には、もう絶対に戻らない。……ゼノ様を、傷つけさせない!!)
ミアは悲鳴を上げる代わりに、震える両手を力一杯に突き出した。
温かな「幸せ」の記憶。ゼノ様と食べたタルトの甘さ、彼の手の熱、自分を「宝物」と呼んでくれたあの声。すべてを指先に集めて、魂の底から叫んだ。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ――っ!!」
次の瞬間、ミアの手元から、夜の闇をすべて塗りつぶすほどの爆発的な黄金の光があふれ出した。
「なっ……なんだ、この光は……!? 身体が、動か……な……」
襲いかかってきた刺客たちの身体が、柔らかな、けれど抗いようのない力の波動に包み込まれる。ミアの光は、彼らを破壊するためではなく、彼らが用いた「秘薬の毒」や「解析機の不協和音」、そして何より彼らの心に宿る「殺意」そのものを浄化するように広がっていく。
カラン、と。
刺客たちの手から短剣が滑り落ち、石畳の上で乾いた音を立てた。光に当てられた男たちは、戦う意欲を根こそぎ失ったようにその場にへたり込み、うわごとのように「私は……何をしていたんだ……」と涙を流し始めた。
部屋を埋め尽くしていた不快な毒香も、窓から吹き込む夜風と共に、清らかな星屑の光へと変わっていく。
「ミア……? 君、今、自分で……」
麻痺が解け、立ち上がったゼノ様が、驚愕のあまりその場に立ち尽くした。黄金の光の残滓の中で、ミアは肩で息をしながら、ゼノ様に向かって、最高の笑顔を浮かべた。
「……ゼノ様。私、守れました。私たちの、温かい夕食を」
その瞬間、ゼノ様の顔が真っ赤になった。彼は瞳を潤ませながらミアに駆け寄ると、壊れ物を扱うようにぎゅっと、骨が軋むほど強く抱きしめた。
「ミア……! ああ、なんて……なんて強い子なんだ、君は……! でも、危ないじゃないか!」
「ゼノ様……苦しいです……っ」
助けてもらった感動よりも、ミアが危険にさらされたことへの心配と、自分の不甲斐なさ、そして彼女の尊さへの愛情がごちゃまぜになり、ゼノ様は半泣きで私の髪に顔を埋めた。
「決めた。明日から護衛を倍……いや、十倍に増やす。いや、僕が一生、君の服の裾を掴んで離さないことにする!」
「それはちょっと、困ります、ゼノ様……」
そこへ、外で眠らされていたはずの黒竜が「グルゥ」と気まずそうに顔を出し、砕けた窓の縁には、冷や汗を拭うアポロ様が腰掛けていた。
「……やれやれ。僕の結界をハックするアイテムなんて、伯爵家も相当な金を積んだね。……でも、騎士の面目丸潰れだね、ゼノ? 女神様に守られちゃうなんて」
「うるさいアポロ! 貴様、結界のセキュリティを見直しておけ! 次に彼女を怖がらせたら、お前をこの魔槍で串刺しにしてやる!」
実家からの卑劣な強襲を、自らの「光」で退けた夜。
私は確信していた。もう二度と、あの冷たいお城の地下室へ戻ることはない。
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