モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子

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第一章 ちかづく

32 切れた鼻緒

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 結局、香子ちゃん、隼人、栄太郎、姉に俺と、ぞろぞろ連れだって駅へ向かうことになった。
 俺と隼人の身長は180センチを少し越える。香子ちゃんと姉も160センチ代半ばなので、身長だけをとっても目立つ。正直あんまりありがたくない。
 駅前に着くと、俺は香子ちゃんと隼人に声をかけた。
「先行けよ。俺たちに付き合う必要もないだろ」
「だって。どうする?」
「そりゃどうするって言われたら……私ももう一回会いたいとしか」
 隼人が香子ちゃんの言葉を受けてにっこりした。
「だって」
 だって、じゃねぇよ。予想通りだろ、それ。
 ーーもういい。勝手にさせとけ。
 嘆息しながら見渡すが、まだ人が多くて探すのに苦労しそうだ。
 和服を目印にと思っても、場所柄、和服の女性も多い。
 鎌倉駅は出口が二つ。すぐ見つかるといいが。
 俺は橘の姿を思い出しながらきょろきょろと辺りを見渡していた。
 あいつ意外と小さいんだよな。態度がデカいから気づかないんだけど。
 そんなことを思っていたら、違う顔を見つけた。中学時代の同級生、よく喧嘩した男だ。
 これだから実家の近くは嫌なんだよな。気づかれない内にさっさとーー
 思考の途中で、男が声をかけている小柄な陰に気づく。
 曖昧な微笑みで受け答えしているのは、まごうことなく、橘だった。
「あいつ……」
 小さく毒づきながら、俺は人込みを掻き分け、近づいた。
「佐伯。相変わらずだな」
 俺に声をかけられて男が振り返った。男ーー佐伯は驚いた顔をする。
 橘がほっとしたのが視界の端に見えた。
「神崎じゃん。うわぁ、会いたくなかった」
 俺もだよ。お互いさまだな。
「新年早々、寒空の下よくやるよ。悪いことは言わないから、そいつはやめとけ」
 俺はポケットに手を入れたまま肩をすくめた。
「なんだ、お前の女か」
 いちいちそういう誤解するの、やめてくれる。
 確かに2度抱いたけど。
 ってことは、俺の女というのも間違いじゃないのか?ーーいやいや。
「違ぇよ。……多分」
 なんだよ、多分て。
「多分ってなんだよ」
 心中のセルフツッコミと重なった佐伯のツッコミに、
「なんだろうな。とりあえず、用があるから貸してくれる?その後必要なら返すから」
「私はモノじゃないです」
 橘が小さく文句を言っているが、俺がギクリとしたのは背後から感じた殺気のせいだ。
 このブリザードのような冷気を出すのはこの世に一人しかいない。
 背後に立った姉は大袈裟に嘆息して見せた。
「政人。お姉ちゃんはあんたの育て方を間違ったかしら」
 姉に育てられた記憶はないが、言うなれば俺にトラウマを植え付けたのは良くなかったのではないか。そのブリザードも含めて。
「神崎先輩」
 佐伯が頬を染めている。姉は傍目には美しいので、憧れている後輩男子が多数いた。
 本性を知る俺にとっては信じられないことだが。
「佐伯くん、だったかな」
 姉の特技は人の顔と名前を覚えることだ。一度聞いたら忘れない。どちらかというと俺はそれを尊敬ではなく畏怖している。
「その女性は政人の大切な人なの。悪いけど、遠慮してもらえる?」
 美しい笑顔で微笑む姉に、佐伯はしどろもどろ頷いて去った。
 怖ぇ。後が怖ぇよ。俺、入院せずに初仕事行けるかな。
 内心頭を抱えていると、俺の黙りの解釈を違えた橘が、可憐に頬を染めている。
「大切な人……って」
 そこか。今姉さんが投下した爆弾は。
「気にすんな。はい、これ」
 パスケースを差し出しながら言う。
「悪かったな。うちの甥が」
「政人の姉の和歌子です。ごめんなさいね、うちの息子とーー弟が」
 姉ががっしと俺の肩を掴む。細い指が肩の筋肉に食い込んでなかなかの痛みだが、橘の手前何もないふりをした。
 絶対これ後で青痣になる。コートの上からこの威力、どんだけの握力してんだ。
「神崎くんの同期の橘です」
 橘が静かに腰を折る。
 姉の指先によってギリギリ音がしそうなほど締め付けられている肩を、あえて意識の外に置きながら、さっさと去ろうとしたとき、足元に栄太郎がいた。 
「お姉さん、堪忍な。俺がすぐ返さへんから、嫌な思いさせてもうて」
 しゅんとうなだれている。
 いつもいたずら小僧然とした顔しかしないが、容姿は整っているので、しおらしくすると途端に健気に見える。道中無口だったのは、彼なりに反省していたのだろう。
 俺はその頭に手を置いた。
「保護者としてついてた俺の不行き届きだ。半分は俺の責任だよ」
 栄太郎の丸い目が涙で潤んでいる。こいつもまだまだ小さいんだなぁ、とぼんやり思っていると、
「まあ、女性のことを貸すとか返すとか言ってたのに比べれば可愛いもんよ」
 背後の姉が毒づいた。
 近くにいないと思っていたのに。一番聞かれたらまずい人に聞かれてしまった。
 橘は笑った。
「神崎くんはいつもいろいろ軽口言ってるし、慣れてます。大丈夫です」
 それじゃ俺がいつも失礼なことを言ってるみたいだろ。それ逆効果だって分かってるか、橘。
 橘はしゃがみ込み、栄太郎に目線を合わせて微笑む。
「ありがとう、拾ってくれて。とっても助かったよ」
 栄太郎はほっとしたように笑った。
 立ち上がろうとした橘の足元がふらついた。俺は咄嗟に肘を掴んだが、つま先に力がかかったらしい。
 ぶちっ。
 片方の鼻緒が切れた。
「……あ」
 橘が硬直している。
「兄さん。どうかした?」
 少し遠くから様子を見ていたらしい隼人が近づいてきた。
「鼻緒が切れて」
 俺が答える横で、橘がへなへなとしゃがみ込んだ。
「新年早々、縁起が悪い……」
 膝を抱えて、力無く呟く。隼人がすぐさまきびすを返し、走り始める姿勢になる。
「俺、母さんの草履借りて来るよ。どっか座って待っててもらえば」
「いや、いいですよ、その辺で安い下駄でもビーサンでも買ってーー」
「そんな。素敵なお着物なのに、もったいないです」
 力説するのは香子ちゃんだ。俺は嘆息した。
「甘えたら。人の履物が嫌だってんなら別だけど」
「じゃあ……すみません。お言葉に甘えて」
 橘が力無く微笑んだ。
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