モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子

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第三章 きみのとなり

104 思惑

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 人事課に指定された会議室へ行くと、二人の男がいた。胸元の名札を示しながら名乗る。
「人事課の矢原です」
「ダイバーシティ推進室の勝田です」
 ーーダイバーシティ推進室長補佐。
 名札を見てわずかに眉を寄せる。これが桑原さんの同期ということか。
 ダイバーシティ推進室は、規模は課レベルだが、権限は部と対等の扱いということになっている。が、人事課を掌握している総務部の部長が室長を兼任しているので、目の前の勝田という男が実質上のトップということになる。
「今日はお時間いただきありがとうございます」
 人事課の矢原さんは俺よりやや年下と思われる、柔らかい雰囲気の持ち主だった。
「こちらこそ」
 俺が応じると、矢原さんは苦笑する。
「ええと。もう、一つ二つはお聞き及びと思いますが」
 ーーそんなに色々あんのか。
 矢原さんが案件を記載したのであろう書類をぱらぱらとめくりながら言うのを聞きつつ、脱力感を覚える。江原さんがちらっと言っていた、今までの俺の振る舞いを脚色しているというのはそのことか。
「私たちは、あくまで中立の立場で事実確認をさせていただきたいと思っていますので、ご自身の認識の通りお答えください。各種ハラスメント問題は互いの認識の相違によることも多いので」
 矢原さんの説明に頷く。
「そうですね、古いものを挙げるよりも、段々遡る形にしましょうか」
 矢原さんが気を使っているのが分かるが、遡るってどれくらい遡るんだと既にうんざりしている。そんなに気が長い方じゃないので途中で面倒くさくなりそうだ。
 内心思いながら頷く俺の前で、勝田さんがふんと鼻を鳴らしたのが見えた。
 ーーこっちもこっちで、ただの阿久津と江原さんの勘繰りだけじゃなさそうだな。
 思いながら気持ちを入れ替え、椅子に座り直した。

 話は例の未成年連れ込み疑惑から江原さんへのセクハラ疑惑、財務部忘年会でのそれと遡ったが、そこから先はオマケみたいなものだった。というか、よくもまあそこまで捏造したなと感心してしまうようなもので、目が合うと孕む等という噂まであると聞いたときには思わず、
「すげぇな俺。そのうち目からビーム出せそう」
「そうですよね。俺もさすがにそれ聞いたときには笑いそうになりました」
 ついつい和やかな雰囲気になる俺たちを、勝田さんが睨みつける。矢原さんは肩を竦めて苦笑した。
「まあ、その辺りの話については事実確認という訳ではなくてですね。ここまで様々に、色事に関する噂が立つ社員というのもいないものですから、それ自体がどうなんだと、そういう意見もある訳ですよ」
「火のないところに煙は立たず。君が女性の目を引く容姿だということは分かるが、本当にただそれだけかな。これだけ多種多様な噂が立って、社内の風紀を乱すだけでなく、取引先にまで影響するようでは、ゆくゆく社会的な信用にも関わりかねない。そうなれば我が社の信用にも関わる。それをただの個性として捉えてよいものかーー私は、その個性を危険因子として主張している」
 勝田さんが淡々と言った。俺はその目を静かに見据える。
「つまり、俺をこの会社に置いておくこと自体危険だと?」
「ことによっては」
「まあ、それは極端な話ですけど」
 ぴりぴりとした空気を宥めるように、矢原さんがフォローの言葉を口にする。
「取引先のお孫さんは、社内にいる方ではないので簡単に話を聞く訳にいかない。そうなると、神崎さんの話と、近くにいた同僚の話から判断するしかない訳です」
 それはそうだろうと頷く。
「そんな事実はないとーー確実には、ないと言える人がいない一方で、実際に神崎さんの家に少女が出入りする姿を見たと証言する人がいる」
 ヒカルが俺の家に出入りしたのは事実だ。俺は嘆息した。
「……家に出入りしたら、当然身体の関係があるはずだと言うんですね」
「部屋の中で何があったかは、さすがに当人たちにしかわかりませんから……そこは神崎さんの話や人柄から判断するしかないです」
 まあ、そうなるか。ーーとはいえ。
「俺からしたら、そんな卑猥な想像しかできない人間の良識を疑いますが」
「夜、少女の肩を抱き抱えながら部屋に入って行ったそうじゃないか」
 ふんと鼻で笑うのは勝田さんだ。
 ヒカルが俺の家に来たのは三度。自転車で転んだ時、俺が関東に戻ると聞いた時、そして、川田に襲われかけた時。
 ーー見られたのは、三回目だ。
 そう確信する。
 俺がどこに住んでいるかは、具体的には阿久津と江原さんしか知らない筈だ。発言者が誰だかは分からないが、顔色を変えて家に帰った俺に、ついて来ていたのかもしれない。
 小さくうずくまるヒカルの姿を思い出して爆発しそうになる怒りを、目をつぶってやり過ごす。
「……肩を抱きながら、か」
 奥歯を噛み締めながら、呟く。
 ーー傷ついた少女を、他にどうやって支えられただろう。
 それが誰であれ、俺に対する悪意の目が、ヒカルにまで及んでいるのが腹立たしくて仕方ない。
「彼女のプライベートに関わることなので事情は言えませんが、肩を抱きながら部屋に入ったのは事実です」
 ーーこんなくだらない茶番、これ以上付き合いたくもない。
 苛立ちに任せて腰を上げつつ、
「俺が言うべきことはもう言いました。あとはそちらのーー中立の立場での判断、というやつにお任せします」
 自己都合のまみれた大人の汚い思惑に、ヒカルをこれ以上汚されたくなかったーー本人の知らないところとはいえ。
 矢原さんが困惑する。
「神崎さん、落ち着いてください。私たちはーー」
「心当たりがあるから、そうして投げやりに終わらせようとするんだろう。ーー橘も馬鹿な奴だ。こんなろくでもない男にひっかかって」
 勝田さんの言葉に、一瞬動きを止めてその顔を見やる。
 橘は今までの話の中に一度も出てきていないーー逆に不思議なほどに。
「君の言う通り、我々で判断させてもらう。ーー君の進退も含めて」
 勝田さんは俺を見ることもせず、さっさと席を立った。矢原さんも慌てて書類を整える。勝田さんが先に部屋を出たとき、矢原さんがドアノブに手をかけたまま言った。
「僕、一度、神崎さんをお見かけしたことがあるんですよ」
 曖昧な笑顔を浮かべながら、
「2年前かな。アーヤが新人研修の担当だったとき、資料の打ち合わせに来たでしょう。総務部に」
 俺は言われて少し考えた。そんなこともあった気がする。
「総務部の女子、みんな大興奮でーーあれが噂のマーシーかって、入れ代わり立ち代わり見に来て。派遣やバイトの子も含めて。上司が仕事しろって文句言ってました」
 矢原さんはくすくすと笑う。俺が反応に困っていると、
「橘はいるかって声かけられて、僕が案内したんですけど、打ち合わせが終わって帰るとき、わざわざお礼言いに来てくれたんです。うわー、この人ただ見た目がいいだけじゃないんだって。イケメンってこういうことかって。ついつい、ほうっとしてたらアーヤからどつかれました。男が見惚れてどうするって」
 矢原さんは照れ臭そうに笑いながら、
「僕にとって、アーヤも神崎さんも憧れの先輩です。アーヤはあのときも男性社員に人気があったから、色々ひがみもあるでしょうけど、応援してます」
 そして最後に、ごくごく小声でちなみに、と付け足した。
「アーヤが総務部にいたときのチーフが、勝田さんです」
 矢原さんの言葉に、俺の顔が引き攣る。
 矢原さんはそれ以上何も言わず、意味深な笑みをたたえたまま、廊下へ繋がるドアを開けた。
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