モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子

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第三章 きみのとなり

105 進退

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 デスクに戻ると、もう既にランチタイムだった。
「マーシー、飯行きましょ、飯!」
 ジョーは相変わらずの明るさで、俺の肩をぽんとたたく。
「いいけど」
 精神的に消耗した俺が、ジョーと話すのはいい気分転換になるだろうと応じると、ジョーは俺の腕に腕を巻付けた。
「きゃー、マーシーとランチデート、嬉しーぃ」
「キモいから放せ」
 そのままぐいぐいとエレベーターホールまで連れていかれ、他の社員は驚きつつ距離を置いている。
「次は男に手を出したとか噂立ったらどうしてくれんだ」
「俺、マーシーなら抱かれてもいいっす」
「何、真顔で答えてんだよ。やめろよ」
 むしろ腕の力を強めたジョーを、引きはがそうと押しやる。
「何やってるの?」
 ジョーがきゃあきゃあとおかしな声をあげていると、橘が現れた。珍しく、赤い金属フレームの眼鏡をかけている。さらりと揺れるストレートヘアとよく合っていて、またしてもついつい見惚れかけ、悔しくなって目をそらす。
 ジョーは俺の肩に頭を寄せて答えた。
「マーシーとランチデートなんですー」
「あはは。仲良しだね」
「妬けます?」
「そうねぇ。妬いてほしい?」
「どうでもいいです。アーヤも外でランチですか?」
「ううん。朝、ちょっとぼんやりしてたらご飯買う時間なくなっちゃって。外で買ってデスクで食べるつもり」
 二人の会話のキャッチボールはやたらと軽やかに過ぎていく。
「一緒に行ってきはったら?電話番するで」
 次いで現れたのは手洗いから出てきた名取さんだ。
「ヨーコさぁん」
 俺の腕に纏わり付いていた犬ーーもとい、ジョーがぱっと離れていく。俺はやれやれと思いながら軽くなった腕を軽く振り、スラックスのポケットに手を突っ込んだ。
「ヨーコさんは?ヨーコさんも行きましょうよー」
「うちは昼買ってあるし。アーヤと同じ案件持ってるさかい、どっちか残ってた方が都合がええんよ」
「えー」
 ジョーが目に見えてがっかりする。橘が苦笑した。
「ヨーコちゃん、逆に私が残るから行ってきたら?」
 名取さんは橘と俺の顔を見やってから微笑んだ。
「アーヤ、行ってやり。噂のプリンスはお疲れのようや」
 その表現に俺が顔を歪めると、名取さんは楽しげに笑った。

「で、どーだったんですか?人事の事情聴取」
 まるで俺が犯罪者になったような言い方に悪意を感じ、ジョーをちらりと見やると、興味深々という目で俺を見ている。
「お前、もしかしてちょっと面白がってない?」
「え?もしかしなくても面白がってますけど」
 まったく悪びれずにジョーが答える。
 俺は嘆息した。
「ったく。人が進退まで迫られてるっていうのに」
「え、マジっすかー!?」
 大ウケするジョー。お前な、とあきれて頭をこづく。
「……そんな深刻?」
 橘が心配そうに俺の表情をうかがっている。
「まー、途中で腹立って切り上げたからな」
「うっわぁ」
 ジョー、ウケすぎ。
 腹を抱えて笑うジョーに白い目を向けつつ、俺は目の前のハンバーグを一切れ口に運んだ。
「どうすんすか、それ。もし辞めろとかなったら」
「まー、辞めるかな。そこまで必死に残る気にはなれん」
「そっすよねー。俺でもそうするだろうな」
 転職するなら何がいいっすかねぇ、と言いながら、
「ま、マーシーならどっか見つかりますよ、アパレル系とかどうですか。ブランドの店舗販売員。社割で安く買わせてください」
「どこまでも自分の利に聡いな。そこまで行くと尊敬に値する」
「マーシーに尊敬されちゃうなんて光栄でっす」
 ジョーは笑って言うと、自分のハンバーガーにかじりついた。
「でも、そうですねぇ。そうなると、どうなんですか?」
 問いは橘へのもの。
「どうって?」
 橘はロコモコ丼を掬い上げながら首を傾げる。
「マーシーが無職になっちゃったら。アーヤ的には」
 橘は途端に眉を寄せた。俺とジョーの顔を見比べてから視線を泳がせる。言葉を探しているらしい。一度開きかけた口をまた考え直したように閉じる姿を見ていられず、俺は目線を手元に下げた。
 橘が改めて口を開くより先に、
「それはお前には関係ない話だろ」
 俺の声は小さかったが、やたらと低くなった。
 黙ったままランチを口に運ぶ。
 ジョーは肩をすくめて謝った。
 橘が驚いたように俺の横顔を見ているのが分かったが、そちらを見る勇気はなかった。
 ーー橘が何を言おうとしたのか、確認する勇気も。

 言葉少なに昼食を終え、オフィスに戻る途中、橘が俺の袖を引っ張った。
「今日、夕飯行こう」
「残業は?」
「定時で上がる」
 その顔に確固たる意思を見て、拒否権はないらしいと気づく。
「分かった」
 答えると、橘はにこりと微笑んだ。

 その日の午後、阿久津から社内チャットが入った。
【シンのおかげでまた一波乱、面白いことになる予感。乞うご期待】
 どうせろくでもないことだろうと期待もせずにそのメッセージを受け取った俺は、会社を出る頃にはすっかりそのことを忘れていた。
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