虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青

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第二部

行けばいい

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 院からの帰り道、組長は俺に話しかけようとはしなかった。

 屋敷に着くと組長はそのまま部屋に篭ってしまった。多くの舎弟が院で先生と喧嘩をしたと思っていたようで皆組長の部屋には近づかなかった。

 町田は風呂に入り自分の部屋へと戻った。今日の美英の言葉を思い出す。

──三重県で暮らしませんか?一緒に……。

 町田はあの言葉を聞き、飛び跳ねたくなるほど嬉しかった。だけれど、すぐに組長の顔が浮かんだ。大人になった現在の顔じゃない……組長の両親の葬式の日の泣き顔が浮かんだ。

 院で俺たちの話が聞こえていたのだろう……カーテンの向こう側から出てきた組長の顔は泣いてはいなかったが、俺を見つめるあの瞳には見覚えがあった。

 置いていけない……。置いていけるわけがない……。あの日、約束したんだ──ずっと、そばにいるって。

 町田が布団の上で考え込んでいると光田が部屋にやってきた。その表情は硬い。

「町田さん……その、組長が呼んでます……」

「組長が?……分かった」

 町田が廊下に出ると光田が声をかける。

「組長はお部屋じゃなくて……ずっと仏間にいらっしゃいます」

「仏間……?」

 組長のご両親の仏壇が置かれた部屋だ。よほどのことがない限り組長が仏間に篭ることはない。
 町田は仏間へと急いだ。



「入れ……」

「失礼します……」

 町田が襖を閉めると仏壇の前の座布団の上で胡座をかく組長の姿があった。

 俺の方を振り返ると組長の瞳の色が暗い気がした。

「座れ」

 組長の前に座ると組長の次の言葉を待った。
 だが、いつまでたっても何も言わない。ただ、町田を見つめるだけだ。

「く、組長……あの、お昼間の件なんですが、私はその──」

「行け」

「──え?」

 組長が表情を変えることなく言い切る。

「行けばいい、好きな女の元へ行けばいい」

「く、組長……しかし……」

 組長の手には黒い数珠が握られていた。あの日、小さな手で握られていたあの数珠だ。

「俺のために、我慢をするな。あの日……お前に助けられた……あれからずっと俺のそばにいてくれた、もう、俺のために幸せを逃すな……」

 俺と出会ってから、町田は我慢の連続だった筈だ。俺のわがままに付き合い、抗争に巻き込んで怪我をしたり、毎日先生の買い物に行かせたり、頭蓋骨を変形させたり……。

 町田のおかげで俺は、寂しくなかった。

 本当に……寂しくなかった。

 両親を亡くした俺を抱きしめる町田の胸は温かかった……。あの日から町田は俺の新しい家族になった。特別な、存在だ。

 その町田が恋をした。俺に構わず幸せになってほしい──。

 組長は町田の幸せを祈った。遠く離れたとしても、町田が幸せならそれで良いと思えた。
 町田が来る前に両親にも報告した。大切な家族の門出を……。

「く、組長……それは──」

 町田の瞳から涙が溢れる。町田の肩が震え、嗚咽が漏れだす。とめどなく流れ続ける涙を見て組長の顔が歪む。 

「俺を、遠ざけないでください……俺は、俺は、組長のそばから離れるなんて、そんな事……そんな、事──」

「俺がいいと言っている! 三重に行け! 命令だ!」

 組長の怒号が飛ぶ。その瞳は揺れていた。拳はきつく握られ震えている。町田は組長に近づきその手を握る。

「すみません、組長……その命令は聞けま、せん。確かに、俺は美英ちゃんが好きです……。でも組長のそばを離れることはできません……魚が水のそばから離れることなど……ないでしょう?」

「町田……お前……」

 町田は鼻を啜り上げて、にっこりと微笑む。

「三重県なんて近いですよ、ここからたまに会いに行けばいいんです。ずっとそばにいなきゃいけない恋はないんです……心がそばにいればそれで大丈夫ですから──というか、告白もしてませんしね……早まってしまいました」

 町田が力なく微笑んだ。

「バカだな、好きな女が一緒に住もうと言うのに……」

「美英ちゃんのことは諦めませんよ。でも、それは組長のそばにいるから出来ることなんです。どうか、私を突き放そうとするのはやめてください。お願いですから……心が、痛みます──生きていけません」

 組長が大きく息を吐くと町田の手を握り返す。

「悪かった……俺が、悪かった──もう言わない……町田がいてくれて、良かったよ」

 そう言って組長はようやく笑った。その表情は子供の頃に一緒にキャッチボールをした時の表情に似ていた。


 次の日、とうとう美英が地元に帰る日が来た。
 幸は寂しそうに美英の背中を見つめている。

 町田は美英に近寄ると頭を下げる。さっき二人になった時に一緒には行けないことを話すと美英は残念そうに笑っていた。

「ごめん、せっかく言ってくれたのに……俺──」

「いえいえ、こちらこそ。私も急に一緒に住もうやなんて……よくよく考えればマンスリーの賃貸の方がええかもしれへんなって思って……」

マンスリー? 賃貸?

「それどういう……」

「え、【腎虚】の体質改善には二ヶ月は必要だって──」

「……ん?!」

「……ほう? 体質改善で三重県に二ヶ月、だと?」

 背後から組長の低い声がする。

「兄さん、また私がちょこちょここっちに来ることにしますね。大丈夫です! 三重県から【腎虚】サポートしますよ」

 美英が満面の笑みでこちらを見上げる。

「嬉しいな……心強いよ」

 美英の笑顔が眩しい筈なのに背後の組長のどす黒いオーラが気になって仕方がない。徐々にオーラが町田に迫っているのが分かる。

 町田は冷や汗が止まらない……。

「あ、そういえば、美英ちゃん……小児鍼いらない? 熊手が余ってるのよ……」

「あ、熊手? 頂きます」

 二人が仲良く奥の倉庫へと入っていった。

今はマズイ……カムバァァァック!! 二人共!!


「町田……やっぱり行ってこいよ、一ヶ月、二ヶ月、半年……いや、【腎虚】とやらが治るまであちらにいてみるか? ん?」

「あの、すみません、確かに美英ちゃんがそんなことを言っていた気がするんですが……俺、多分恋に恋して恋しちゃってたから──その……誤解しちゃって」

「そうかそうか、恋してることを……刻んでやるよ、その脳に──」

 組長の手がゆっくりと俺に近づいた──




「よし……んじゃあ後は駅でお土産を……か、って──」

 美英は続きを言えなかった。倉庫から出てくると町田がそら豆のような頭の形になっていた。偶然かもしれないが腎臓もそら豆の形をしている。

「あ、あぁ──えっと、皆さん、お世話になりました……」

 美英は何が起こっても町田の頭の形に触れない事を学習した。



◇倉庫の中にて◇

 美英は熊手を取りに幸と一緒に倉庫へとやってきた。
 ドアが閉まると大きく溜息をつく。

 やっぱり……口説かれてるんじゃなかったか。【腎虚】のためにそばにいてくれって事やな……。

 あぁ……なんやねん!紛らわしいねん!期待してもうたやん!

──俺が、帰らないでって言えば、帰らないでくれる? 俺の、そばにいてくれるの?

 つい、後先考えずに一緒に住もうと言ってしまった。あれは美英の本心だった。

 町田の言葉を思い出し美英は顔を赤らめた。
俯くと改めて大きく溜息をついた。

「……アホやな、そんなわけない。あんなええ人が……好きになってくれるわけ、ないのに」

「え?」

「あ、何もないです。すごい広いですね、倉庫」

 美英は幸の熊手を一緒に探し始めた。
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