1 / 14
第一章 白薔薇の丘 ― 幼き日の約束
しおりを挟む
風がやさしく頬を撫でていきました。
朝の光に包まれた丘一面に、白薔薇の花が咲き誇っています。
小鳥のさえずりと、遠くから聞こえる鐘の音。
わたし、リリアナ=エルヴェールは、ふわりとスカートの裾を押さえながらその丘の頂に立っていました。
――今日も、彼に会える日です。
「リリアナお嬢さまーっ! 待ってください、そんなに走ったら危ないですってば!」
少し離れたところで息を切らす少年の声が聞こえます。
振り返ると、朝日を背にした黒髪の少年――アレンの姿が見えました。
彼は屋敷の執事の息子で、わたしと同じ歳。いつも屋敷の雑用をしていて、でもどんな大人よりも背筋がまっすぐで、目がきらきらしていました。
「だって、薔薇が咲いたんですもの。見たいに決まってるでしょう?」
「見たいのは僕も一緒ですよ……はぁ、ほんとお嬢さまは元気だなぁ」
汗を拭いながら追いついたアレンが、苦笑を浮かべました。
いつも泥のついた手、日焼けした頬――でも笑うと、ほんの一瞬だけ柔らかく、大人びて見えるんです。
「そんな顔しないで。ほら、見て! 25本、ちゃんと咲いたのよ」
わたしは手さげ籠に並べた白薔薇を見せました。
アレンがこの丘に薔薇を植えたのは、わたしたちが十歳の頃。
“25歳になったら一緒にここで咲かせよう”――それが、あの日の約束でした。
「ほんとだ……全部咲いたんだな」
アレンの指先が、そっと花びらをなぞります。その仕草がなぜだか大人びて見えて、胸の奥が少しきゅっとしました。
「アレンが育ててくれたからよ」
「いや、リリアナが毎日水をやってくれたから。二人で育てた薔薇だよ」
その言葉がうれしくて、ふいに笑ってしまいました。
金糸の髪が風になびいて、アレンの頬をかすめます。
その瞬間、彼は少しだけ顔をそらしました。
「あ……ごめんなさい。痛かった?」
「い、いや、違う。ただ、その……」
言葉を選ぶように言い淀むアレン。
真っ直ぐな瞳が、なぜか今だけはわたしを見られないようでした。
「もしかして……恥ずかしいの?」
「べ、別に! お嬢さまって、ほんといじわるですね」
「ふふ。だって可愛いんですもの」
わたしがくすりと笑うと、アレンは耳まで赤くなり、視線を泳がせました。
その姿がますます可愛くて、笑いをこらえるのに必死です。
空の青、風の音、白薔薇のかぐわしい香り。
すべてが――あの日の思い出として心に刻まれるのを、わたしは感じていました。
けれど、その穏やかな空気の中にも、どこか切ない影が差していたのです。
――アレンとは、もうすぐお別れになるかもしれない。
侯爵である父が、彼との交流を快く思っていないことを、わたしは知っていました。
貴族令嬢と執事の息子。一緒に遊ぶなど本来あってはならないこと。
幼いわたしでも、その境界は痛いほどわかっていました。
それなのに、アレンと過ごす時間をやめられなかったんです。
彼と話していると、わたしは“侯爵家の娘”じゃなく、“ただのリリアナ”でいられるから。
「ねぇ、アレン」
「なに?」
「もし、もう会えなくなったら……どうすればいいのかしら」
風に葉が揺れる音がして、彼は少しだけ目を伏せました。
しばらく黙って、それから小さく笑いました。
「夜空を見上げて。25番目に輝く星が、僕だから」
「……そんなの、見つけられるかしら」
「絶対に見つけられる。だって、リリアナだもん」
その自信ありげな笑顔に、胸がどくんと鳴りました。
わたしが何か言おうと口を開いたそのとき――アレンが、ふと膝を折り、籠から一輪の薔薇を取り出しました。
「リリアナ」
「え……なぁに?」
真剣な表情に驚いて、わたしは息をのむ。
彼は薔薇を胸に掲げて、まっすぐな声で言いました。
「25歳になったら、迎えに行く。君を僕の花嫁にする」
その言葉が空気をふるわせ、白薔薇の花びらが風に舞いました。
わたしは思わず口元を押さえ、笑ってはいけないと思いながらも涙がこぼれてきそうで。
「……そんな約束、してもいいの?」
「うん。約束だ」
「わたし、そのときまでここで待ってる。薔薇を25本、咲かせてね」
「必ず。どんなことがあっても」
わたしたちは小指を絡めて指切りをしました。
丘の風が花の香を運び、どこまでも澄んだ空が広がっていました。
――永遠なんて、子どもが口にするには大げさかもしれません。
でもその瞬間、わたしは、心のどこかで“本当に永遠がある”と信じていました。
その後しばらくして、わたしとアレンは屋敷で会うことができなくなりました。
侯爵の命で、アレンは庭仕事から外され、父親と共に別邸へ移されたのです。
寂しくて、窓の外を見つめる日々。
丘に続く小道を何度眺めても、もう彼の姿は見えません。
夜ごと、ベッドの上でひとり呟きました。
「25番目の星……アレン、そこにいるの?」
その星がどれなのか、本当のところはわかりません。
でも、空を見上げていると不思議と涙は出ませんでした。
彼がちゃんと生きているって、信じられる気がしたからです。
そして――今日で、わたしたちは十一歳になりました。
ねぇ、アレン。
あなたは今、どこで空を見ていますか。
朝の光に包まれた丘一面に、白薔薇の花が咲き誇っています。
小鳥のさえずりと、遠くから聞こえる鐘の音。
わたし、リリアナ=エルヴェールは、ふわりとスカートの裾を押さえながらその丘の頂に立っていました。
――今日も、彼に会える日です。
「リリアナお嬢さまーっ! 待ってください、そんなに走ったら危ないですってば!」
少し離れたところで息を切らす少年の声が聞こえます。
振り返ると、朝日を背にした黒髪の少年――アレンの姿が見えました。
彼は屋敷の執事の息子で、わたしと同じ歳。いつも屋敷の雑用をしていて、でもどんな大人よりも背筋がまっすぐで、目がきらきらしていました。
「だって、薔薇が咲いたんですもの。見たいに決まってるでしょう?」
「見たいのは僕も一緒ですよ……はぁ、ほんとお嬢さまは元気だなぁ」
汗を拭いながら追いついたアレンが、苦笑を浮かべました。
いつも泥のついた手、日焼けした頬――でも笑うと、ほんの一瞬だけ柔らかく、大人びて見えるんです。
「そんな顔しないで。ほら、見て! 25本、ちゃんと咲いたのよ」
わたしは手さげ籠に並べた白薔薇を見せました。
アレンがこの丘に薔薇を植えたのは、わたしたちが十歳の頃。
“25歳になったら一緒にここで咲かせよう”――それが、あの日の約束でした。
「ほんとだ……全部咲いたんだな」
アレンの指先が、そっと花びらをなぞります。その仕草がなぜだか大人びて見えて、胸の奥が少しきゅっとしました。
「アレンが育ててくれたからよ」
「いや、リリアナが毎日水をやってくれたから。二人で育てた薔薇だよ」
その言葉がうれしくて、ふいに笑ってしまいました。
金糸の髪が風になびいて、アレンの頬をかすめます。
その瞬間、彼は少しだけ顔をそらしました。
「あ……ごめんなさい。痛かった?」
「い、いや、違う。ただ、その……」
言葉を選ぶように言い淀むアレン。
真っ直ぐな瞳が、なぜか今だけはわたしを見られないようでした。
「もしかして……恥ずかしいの?」
「べ、別に! お嬢さまって、ほんといじわるですね」
「ふふ。だって可愛いんですもの」
わたしがくすりと笑うと、アレンは耳まで赤くなり、視線を泳がせました。
その姿がますます可愛くて、笑いをこらえるのに必死です。
空の青、風の音、白薔薇のかぐわしい香り。
すべてが――あの日の思い出として心に刻まれるのを、わたしは感じていました。
けれど、その穏やかな空気の中にも、どこか切ない影が差していたのです。
――アレンとは、もうすぐお別れになるかもしれない。
侯爵である父が、彼との交流を快く思っていないことを、わたしは知っていました。
貴族令嬢と執事の息子。一緒に遊ぶなど本来あってはならないこと。
幼いわたしでも、その境界は痛いほどわかっていました。
それなのに、アレンと過ごす時間をやめられなかったんです。
彼と話していると、わたしは“侯爵家の娘”じゃなく、“ただのリリアナ”でいられるから。
「ねぇ、アレン」
「なに?」
「もし、もう会えなくなったら……どうすればいいのかしら」
風に葉が揺れる音がして、彼は少しだけ目を伏せました。
しばらく黙って、それから小さく笑いました。
「夜空を見上げて。25番目に輝く星が、僕だから」
「……そんなの、見つけられるかしら」
「絶対に見つけられる。だって、リリアナだもん」
その自信ありげな笑顔に、胸がどくんと鳴りました。
わたしが何か言おうと口を開いたそのとき――アレンが、ふと膝を折り、籠から一輪の薔薇を取り出しました。
「リリアナ」
「え……なぁに?」
真剣な表情に驚いて、わたしは息をのむ。
彼は薔薇を胸に掲げて、まっすぐな声で言いました。
「25歳になったら、迎えに行く。君を僕の花嫁にする」
その言葉が空気をふるわせ、白薔薇の花びらが風に舞いました。
わたしは思わず口元を押さえ、笑ってはいけないと思いながらも涙がこぼれてきそうで。
「……そんな約束、してもいいの?」
「うん。約束だ」
「わたし、そのときまでここで待ってる。薔薇を25本、咲かせてね」
「必ず。どんなことがあっても」
わたしたちは小指を絡めて指切りをしました。
丘の風が花の香を運び、どこまでも澄んだ空が広がっていました。
――永遠なんて、子どもが口にするには大げさかもしれません。
でもその瞬間、わたしは、心のどこかで“本当に永遠がある”と信じていました。
その後しばらくして、わたしとアレンは屋敷で会うことができなくなりました。
侯爵の命で、アレンは庭仕事から外され、父親と共に別邸へ移されたのです。
寂しくて、窓の外を見つめる日々。
丘に続く小道を何度眺めても、もう彼の姿は見えません。
夜ごと、ベッドの上でひとり呟きました。
「25番目の星……アレン、そこにいるの?」
その星がどれなのか、本当のところはわかりません。
でも、空を見上げていると不思議と涙は出ませんでした。
彼がちゃんと生きているって、信じられる気がしたからです。
そして――今日で、わたしたちは十一歳になりました。
ねぇ、アレン。
あなたは今、どこで空を見ていますか。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】二十五歳のドレスを脱ぐとき ~「私という色」を探しに出かけます~
朝日みらい
恋愛
二十五歳――それは、誰かのために生きることをやめて、
自分のために色を選び直す年齢だったのかもしれません。
リリア・ベルアメール。王都の宰相夫人として、誰もが羨む立場にありながら、 彼女の暮らす屋敷には、静かすぎるほどの沈黙が流れていました。
深緑のドレスを纏い、夫と並んで歩くことが誇りだと信じていた年月は、
いまではすべて、くすんだ記憶の陰に沈んでいます。
“夫の色”――それは、誇りでもあり、呪いでもあった。
リリアはその色の中で、感情を隠し、言葉を飲み込み、微笑むことを覚えた。
けれど二十五歳の冬、長く続いた沈黙に小さなひびが入ります。
愛されることよりも、自分を取り戻すこと。
選ばれる幸せよりも、自分で選ぶ勇気。
その夜、彼女が纏ったのは、夫の深緑ではなく――春の蕾のような淡いピンク。
それは、彼女が“自分の色”で生きると決めた最初の夜でした――。
【完結】氷の侯爵と25夜の約束
朝日みらい
恋愛
雪の降る夜、平凡な伯爵家の娘セラフィーナは、義妹アデルの身代わりとして侯爵家に嫁ぐことになりました。
その結婚は愛のない〝契約婚〟。相手は王都で「氷の侯爵」と呼ばれる――ルシアン・ヴァン・ローレンス侯爵。
彼は冷たく、近づく者の心を凍らせると言われています。
「二十五夜のあいだで、私の“真実”を見抜けたら、君を妻として認めよう。
見抜けなければ、この婚姻は無かったことになる」
雪に閉ざされた白銀の館で始まる、奇妙な婚姻生活。
無口で孤独な侯爵と、臆病でまっすぐな花嫁。
互いに閉じ込めた心の扉を、少しずつ開きながら過ごす“二十五夜”とは――。
ヤンキー、悪役令嬢になる
山口三
恋愛
岸田和華(きしだわか)は異世界に飛ばされた。自分が読んでいた小説の悪役令嬢ジュリエットに憑依してしまったのだ。だが和華は短気でガサツで、中学高校と番を張ってたヤンキーだ。高貴な身分の貴族令嬢なんてガラじゃない。「舞踏会でダンス? 踊りなんて盆踊りしか知らないからっ」
一方、リアル世界に残された和華の中にはジュリエットが入っていて・・。
虎の威を借る狐は龍【完】
綾崎オトイ
恋愛
ヴィーはただの平民だ。ちょっと特殊だけど、生まれも育ちも普通の平民だ。
青春ライフを夢見て我儘を言って、やっと婚約者と同じ学園に通い始めたというのに、初日からこの国の王太子達を引き連れた公爵令嬢に絡まれるなんて。
その令嬢はまるで婚約者と恋仲であるような雰囲気で、ヴィーは二人を引き裂く悪い女。
この国の王族に愛され、貴族国民からの評価も高いらしい彼女はまるで虎の威を借る狐。
だがしかし後ろに虎がいるのは彼女だけでは無い。だからヴィーは何も気にしない。
2話完結
◤勢いだけで書き上げました。頭空っぽにして読んでくださいな◢
【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~
白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。
国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。
幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。
いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。
これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~
紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。
ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。
邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。
「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」
そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる