2 / 14
第二章 秘密の庭 ― 禁じられた時間
しおりを挟む
あの日から、わたしは何度も夢を見ました。
白薔薇の丘、風の匂い、アレンの笑顔。
目を覚ますたびに胸がきゅっと締めつけられて、でも少し誇らしい気持ちにもなるんです。
だって、その夢は「約束」を思い出させてくれるから。
とはいえ現実の屋敷では、侯爵家の令嬢としての日々が待っていました。
刺繍の練習、礼儀作法の復習、昼下がりのお茶会――。
隙を見つけては屋根裏部屋から外をのぞくのが、いまのわたしの日課です。
……ええ、わかっています。
貴族の娘が使用人の息子を探すなんて、叱られるに決まっています。
でも、今日はどうしても彼と話がしたかったのです。
「リリアナお嬢さま、まさか抜け出すおつもりでは?」
「しーっ、ソフィア。声が大きいですわ」
忠実にしてちょっとおしゃべりな侍女ソフィアが、わたしの背後でひそやかに嘆息を洩らします。
彼女はわたしの年上の姉のような人で、十中八九、こうして屋敷を抜け出す時には協力者でもあるのです。
「まったく……お父上にばれたら、今度こそ勘当されますわよ」
「……少しだけ。ほんの少し庭を見に行くだけですもの」
「“庭”ねえ。庭の奥にはだーれが待っているのでしょうね?」
じとりとした視線に、思わず目をそらします。
ソフィアは呆れながらも、結局は溜息まじりにカギを渡してくれました。
「十五分だけですからね、お嬢さま」
「ありがとう、ソフィア。帰ったら紅茶を奢りますわ」
こっそり抜け出した裏廊下の向こう。
陽射しのこぼれる門扉の先に、例の“秘密の庭”があります。
広い敷地の中でも人がめったに足を運ばない場所――
アレンとわたしが子どものころによく遊んだ、逃げ場のような場所です。
足を踏み入れると、薄い光の中で花々が風に揺れていました。
白薔薇のつぼみがひとつ、またひとつ。
わたしは胸がいっぱいになり、思わず駆け寄ります。
「ほんとに……咲いてきたのね」
「リリアナ?」
驚きに目を丸くして振り向くと、そこにアレンが立っていました。
少し背が伸びて、少年らしさが抜けきれないその横顔が陽に透けています。
手には剪定用の小さな鋏と、泥のついた軍手。やっぱり働いている姿が一番似合う人です。
「アレン……やっぱり、ここにいたのね」
「僕こそ驚いた。もう来ちゃだめだって言われたのに」
「だって、あなたに会いたかったんですもの」
わたしが小声で言うと、アレンは途端に目を逸らし、耳の先まで赤く染めました。
それがおかしくて、つい笑ってしまいます。
「もう、お嬢さまってば……僕は本気で心配したんですよ」
「心配なんていりませんわ。だって、こうして無事ですし」
「でも……侯爵さまに見つかったら大変なことになる」
真面目な声音。
けれど、わたしにはその警告すら優しさに聞こえるんです。
「ねぇ、アレン。わたし、あなたと話すのが一番楽しいの。
お茶会よりも、刺繍よりも、ずっと――」
口にした途端、アレンが顔を上げました。
その瞳の真剣さに、思わず息をのみます。
「……僕も、そう思ってる」
「アレン……」
「でも――僕は平民の子だ。いずれ、君の世界とは違う場所に行く」
その言葉に、胸の奥が冷たい水で満たされたみたいでした。
アレンが視線を下げる。わたしはそっと近づいて、彼の泥のついた手に触れました。
「ダメです」
「え?」
「そんな顔しないで。アレンがいなくなったら、わたし、きっと笑えません」
唇が震えるのを感じながら、それだけを伝えました。
アレンの手が一瞬ぴくりと動き、それから――ゆっくりと握り返してくれました。
「……リリアナは、強いね」
「いいえ、全然。アレンがいないと、すぐに泣いちゃいそうです」
わたしは少し照れくさく笑って、うつむきました。
彼の手の温もり、それだけで涙が止まります。
「この庭、いつか見られなくなるのかな……」
そっと呟くと、アレンはしばらく考えてから言いました。
「きっとまた見られるよ。僕が守るから」
「ほんと?」
「約束する。――25歳になったら、もう一度ここに立とう」
25歳。
その言葉を聞くと、ふいに懐かしい痛みが胸をよぎりました。
あの丘で交わした“指切りの約束”がよみがえります。
「ふふ……またその数字なのね」
「だって、25は僕たちの数字だから」
彼が笑うと、庭の木漏れ日が揺れました。
金色の光が花びらに降り注ぎ、やわらかな風が通り抜けます。
「アレン、少しお顔が汚れていますわ」
わたしはつい手を伸ばし、指先で彼の頬についた泥をぬぐいました。
その距離が近すぎて、息がかかる距離。アレンの瞳が一瞬大きく開かれます。
「あ……すみません、手が……」
「いいんです。きれいにしておかないと、いつ侯爵が来るか……」
ふと我に返って笑いましたが、アレンは真っ赤な顔のまま固まっていました。
どうやら、わたしのほんの一瞬の仕草が、彼の心を大きく揺らしてしまったようです。
「アレン?」
「い、いや……リリアナは……ずるいです」
「なにがですの?」
「そんなふうに優しくされたら、約束を破れなくなるじゃないですか」
いつになく真剣な声でした。
その言葉が甘く響いて、胸がとくんと跳ねます。
もう何も言えなくて、ただ微笑むしかありませんでした。
その瞬間、庭の隅から低い声が響きました。
「――リリアナっ!」
振り返ると、そこに父侯爵が立っていました。
血の気が引き、わたしは咄嗟にアレンの前に立ちふさがります。
「お父様、これは……その」
「令嬢が使用人と密会とは何事だ!」
怒号が響き渡り、アレンの顔が蒼ざめました。
彼は頭を下げ、何か言いかけて……それでもわたしの方を見ました。
「リリアナ、大丈夫。僕が守る」
そう言ってわたしの手をぎゅっと握りしました。
白薔薇の丘、風の匂い、アレンの笑顔。
目を覚ますたびに胸がきゅっと締めつけられて、でも少し誇らしい気持ちにもなるんです。
だって、その夢は「約束」を思い出させてくれるから。
とはいえ現実の屋敷では、侯爵家の令嬢としての日々が待っていました。
刺繍の練習、礼儀作法の復習、昼下がりのお茶会――。
隙を見つけては屋根裏部屋から外をのぞくのが、いまのわたしの日課です。
……ええ、わかっています。
貴族の娘が使用人の息子を探すなんて、叱られるに決まっています。
でも、今日はどうしても彼と話がしたかったのです。
「リリアナお嬢さま、まさか抜け出すおつもりでは?」
「しーっ、ソフィア。声が大きいですわ」
忠実にしてちょっとおしゃべりな侍女ソフィアが、わたしの背後でひそやかに嘆息を洩らします。
彼女はわたしの年上の姉のような人で、十中八九、こうして屋敷を抜け出す時には協力者でもあるのです。
「まったく……お父上にばれたら、今度こそ勘当されますわよ」
「……少しだけ。ほんの少し庭を見に行くだけですもの」
「“庭”ねえ。庭の奥にはだーれが待っているのでしょうね?」
じとりとした視線に、思わず目をそらします。
ソフィアは呆れながらも、結局は溜息まじりにカギを渡してくれました。
「十五分だけですからね、お嬢さま」
「ありがとう、ソフィア。帰ったら紅茶を奢りますわ」
こっそり抜け出した裏廊下の向こう。
陽射しのこぼれる門扉の先に、例の“秘密の庭”があります。
広い敷地の中でも人がめったに足を運ばない場所――
アレンとわたしが子どものころによく遊んだ、逃げ場のような場所です。
足を踏み入れると、薄い光の中で花々が風に揺れていました。
白薔薇のつぼみがひとつ、またひとつ。
わたしは胸がいっぱいになり、思わず駆け寄ります。
「ほんとに……咲いてきたのね」
「リリアナ?」
驚きに目を丸くして振り向くと、そこにアレンが立っていました。
少し背が伸びて、少年らしさが抜けきれないその横顔が陽に透けています。
手には剪定用の小さな鋏と、泥のついた軍手。やっぱり働いている姿が一番似合う人です。
「アレン……やっぱり、ここにいたのね」
「僕こそ驚いた。もう来ちゃだめだって言われたのに」
「だって、あなたに会いたかったんですもの」
わたしが小声で言うと、アレンは途端に目を逸らし、耳の先まで赤く染めました。
それがおかしくて、つい笑ってしまいます。
「もう、お嬢さまってば……僕は本気で心配したんですよ」
「心配なんていりませんわ。だって、こうして無事ですし」
「でも……侯爵さまに見つかったら大変なことになる」
真面目な声音。
けれど、わたしにはその警告すら優しさに聞こえるんです。
「ねぇ、アレン。わたし、あなたと話すのが一番楽しいの。
お茶会よりも、刺繍よりも、ずっと――」
口にした途端、アレンが顔を上げました。
その瞳の真剣さに、思わず息をのみます。
「……僕も、そう思ってる」
「アレン……」
「でも――僕は平民の子だ。いずれ、君の世界とは違う場所に行く」
その言葉に、胸の奥が冷たい水で満たされたみたいでした。
アレンが視線を下げる。わたしはそっと近づいて、彼の泥のついた手に触れました。
「ダメです」
「え?」
「そんな顔しないで。アレンがいなくなったら、わたし、きっと笑えません」
唇が震えるのを感じながら、それだけを伝えました。
アレンの手が一瞬ぴくりと動き、それから――ゆっくりと握り返してくれました。
「……リリアナは、強いね」
「いいえ、全然。アレンがいないと、すぐに泣いちゃいそうです」
わたしは少し照れくさく笑って、うつむきました。
彼の手の温もり、それだけで涙が止まります。
「この庭、いつか見られなくなるのかな……」
そっと呟くと、アレンはしばらく考えてから言いました。
「きっとまた見られるよ。僕が守るから」
「ほんと?」
「約束する。――25歳になったら、もう一度ここに立とう」
25歳。
その言葉を聞くと、ふいに懐かしい痛みが胸をよぎりました。
あの丘で交わした“指切りの約束”がよみがえります。
「ふふ……またその数字なのね」
「だって、25は僕たちの数字だから」
彼が笑うと、庭の木漏れ日が揺れました。
金色の光が花びらに降り注ぎ、やわらかな風が通り抜けます。
「アレン、少しお顔が汚れていますわ」
わたしはつい手を伸ばし、指先で彼の頬についた泥をぬぐいました。
その距離が近すぎて、息がかかる距離。アレンの瞳が一瞬大きく開かれます。
「あ……すみません、手が……」
「いいんです。きれいにしておかないと、いつ侯爵が来るか……」
ふと我に返って笑いましたが、アレンは真っ赤な顔のまま固まっていました。
どうやら、わたしのほんの一瞬の仕草が、彼の心を大きく揺らしてしまったようです。
「アレン?」
「い、いや……リリアナは……ずるいです」
「なにがですの?」
「そんなふうに優しくされたら、約束を破れなくなるじゃないですか」
いつになく真剣な声でした。
その言葉が甘く響いて、胸がとくんと跳ねます。
もう何も言えなくて、ただ微笑むしかありませんでした。
その瞬間、庭の隅から低い声が響きました。
「――リリアナっ!」
振り返ると、そこに父侯爵が立っていました。
血の気が引き、わたしは咄嗟にアレンの前に立ちふさがります。
「お父様、これは……その」
「令嬢が使用人と密会とは何事だ!」
怒号が響き渡り、アレンの顔が蒼ざめました。
彼は頭を下げ、何か言いかけて……それでもわたしの方を見ました。
「リリアナ、大丈夫。僕が守る」
そう言ってわたしの手をぎゅっと握りしました。
0
あなたにおすすめの小説
行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる
春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。
夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。
形のない愛は信じない。
でも、出来立ての肉は信じてしまう。
肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。
これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。
転生バレ回避のはずが、領主の息子に見つかって恋をした。
黒蜜きな粉
恋愛
前世で遊び尽くしたRPGの世界に転生した少女ルーシ。
この世界で転生者は特別な存在として保護され、自由を奪われる。
英雄になんてなりたくない。
ルーシの望みはただひとつ──静かに暮らすこと。
しかし、瀕死の重傷を負った領主の息子アッシュを救ったことで、平穏な日常は崩れ始める。
才能への評価、王都への誘い、そして彼から向けられる想い。
特別になりたくない転生治癒師と、
彼女を見つけてしまった領主の息子の物語。
※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
悪魔が泣いて逃げ出すほど不幸な私ですが、孤独な公爵様の花嫁になりました
ぜんだ 夕里
恋愛
「伴侶の記憶を食べる悪魔」に取り憑かれた公爵の元に嫁いできた男爵令嬢ビータ。婚約者は皆、記憶を奪われ逃げ出すという噂だが、彼女は平然としていた。なぜなら悪魔が彼女の記憶を食べようとした途端「まずい!ドブの味がする!」と逃げ出したから。
壮絶な過去を持つ令嬢と孤独な公爵の、少し変わった結婚生活が始まる。
小さくなった夫が可愛すぎて困ります
piyo
恋愛
夫が、ある日突然、幼児の姿になってしまった。
部下の開発中の魔法薬を浴びてしまい、そのとばっちりで若返ってしまったらしい。
いつも仏頂面な夫が、なんだかとっても可愛い――。
契約結婚で、一生愛とは無縁の生活を送ると思っていたノエルだったが、姿が変わってしまった夫を、つい猫可愛がりしてしまう。
「おい、撫でまわすな!」
「良いじゃありませんか。減るもんじゃないし」
これまで放置されていた妻と、不器用に愛を示す夫。
そんな二人が、じれじれ、じわじわとお互いの距離を詰めていく、甘くて切ない夫婦再生の物語
※完結まで毎日更新
※全26話+おまけ1話
※一章ほのぼの、二章シリアスの二部構成です。
※他サイトにも投稿
【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。
たまこ
恋愛
公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。
ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。
※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。
【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる