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第一章 白薔薇の丘 ― 幼き日の約束
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風がやさしく頬を撫でていきました。
朝の光に包まれた丘一面に、白薔薇の花が咲き誇っています。
小鳥のさえずりと、遠くから聞こえる鐘の音。
わたし、リリアナ=エルヴェールは、ふわりとスカートの裾を押さえながらその丘の頂に立っていました。
――今日も、彼に会える日です。
「リリアナお嬢さまーっ! 待ってください、そんなに走ったら危ないですってば!」
少し離れたところで息を切らす少年の声が聞こえます。
振り返ると、朝日を背にした黒髪の少年――アレンの姿が見えました。
彼は屋敷の執事の息子で、わたしと同じ歳。いつも屋敷の雑用をしていて、でもどんな大人よりも背筋がまっすぐで、目がきらきらしていました。
「だって、薔薇が咲いたんですもの。見たいに決まってるでしょう?」
「見たいのは僕も一緒ですよ……はぁ、ほんとお嬢さまは元気だなぁ」
汗を拭いながら追いついたアレンが、苦笑を浮かべました。
いつも泥のついた手、日焼けした頬――でも笑うと、ほんの一瞬だけ柔らかく、大人びて見えるんです。
「そんな顔しないで。ほら、見て! 25本、ちゃんと咲いたのよ」
わたしは手さげ籠に並べた白薔薇を見せました。
アレンがこの丘に薔薇を植えたのは、わたしたちが十歳の頃。
“25歳になったら一緒にここで咲かせよう”――それが、あの日の約束でした。
「ほんとだ……全部咲いたんだな」
アレンの指先が、そっと花びらをなぞります。その仕草がなぜだか大人びて見えて、胸の奥が少しきゅっとしました。
「アレンが育ててくれたからよ」
「いや、リリアナが毎日水をやってくれたから。二人で育てた薔薇だよ」
その言葉がうれしくて、ふいに笑ってしまいました。
金糸の髪が風になびいて、アレンの頬をかすめます。
その瞬間、彼は少しだけ顔をそらしました。
「あ……ごめんなさい。痛かった?」
「い、いや、違う。ただ、その……」
言葉を選ぶように言い淀むアレン。
真っ直ぐな瞳が、なぜか今だけはわたしを見られないようでした。
「もしかして……恥ずかしいの?」
「べ、別に! お嬢さまって、ほんといじわるですね」
「ふふ。だって可愛いんですもの」
わたしがくすりと笑うと、アレンは耳まで赤くなり、視線を泳がせました。
その姿がますます可愛くて、笑いをこらえるのに必死です。
空の青、風の音、白薔薇のかぐわしい香り。
すべてが――あの日の思い出として心に刻まれるのを、わたしは感じていました。
けれど、その穏やかな空気の中にも、どこか切ない影が差していたのです。
――アレンとは、もうすぐお別れになるかもしれない。
侯爵である父が、彼との交流を快く思っていないことを、わたしは知っていました。
貴族令嬢と執事の息子。一緒に遊ぶなど本来あってはならないこと。
幼いわたしでも、その境界は痛いほどわかっていました。
それなのに、アレンと過ごす時間をやめられなかったんです。
彼と話していると、わたしは“侯爵家の娘”じゃなく、“ただのリリアナ”でいられるから。
「ねぇ、アレン」
「なに?」
「もし、もう会えなくなったら……どうすればいいのかしら」
風に葉が揺れる音がして、彼は少しだけ目を伏せました。
しばらく黙って、それから小さく笑いました。
「夜空を見上げて。25番目に輝く星が、僕だから」
「……そんなの、見つけられるかしら」
「絶対に見つけられる。だって、リリアナだもん」
その自信ありげな笑顔に、胸がどくんと鳴りました。
わたしが何か言おうと口を開いたそのとき――アレンが、ふと膝を折り、籠から一輪の薔薇を取り出しました。
「リリアナ」
「え……なぁに?」
真剣な表情に驚いて、わたしは息をのむ。
彼は薔薇を胸に掲げて、まっすぐな声で言いました。
「25歳になったら、迎えに行く。君を僕の花嫁にする」
その言葉が空気をふるわせ、白薔薇の花びらが風に舞いました。
わたしは思わず口元を押さえ、笑ってはいけないと思いながらも涙がこぼれてきそうで。
「……そんな約束、してもいいの?」
「うん。約束だ」
「わたし、そのときまでここで待ってる。薔薇を25本、咲かせてね」
「必ず。どんなことがあっても」
わたしたちは小指を絡めて指切りをしました。
丘の風が花の香を運び、どこまでも澄んだ空が広がっていました。
――永遠なんて、子どもが口にするには大げさかもしれません。
でもその瞬間、わたしは、心のどこかで“本当に永遠がある”と信じていました。
その後しばらくして、わたしとアレンは屋敷で会うことができなくなりました。
侯爵の命で、アレンは庭仕事から外され、父親と共に別邸へ移されたのです。
寂しくて、窓の外を見つめる日々。
丘に続く小道を何度眺めても、もう彼の姿は見えません。
夜ごと、ベッドの上でひとり呟きました。
「25番目の星……アレン、そこにいるの?」
その星がどれなのか、本当のところはわかりません。
でも、空を見上げていると不思議と涙は出ませんでした。
彼がちゃんと生きているって、信じられる気がしたからです。
そして――今日で、わたしたちは十一歳になりました。
ねぇ、アレン。
あなたは今、どこで空を見ていますか。
朝の光に包まれた丘一面に、白薔薇の花が咲き誇っています。
小鳥のさえずりと、遠くから聞こえる鐘の音。
わたし、リリアナ=エルヴェールは、ふわりとスカートの裾を押さえながらその丘の頂に立っていました。
――今日も、彼に会える日です。
「リリアナお嬢さまーっ! 待ってください、そんなに走ったら危ないですってば!」
少し離れたところで息を切らす少年の声が聞こえます。
振り返ると、朝日を背にした黒髪の少年――アレンの姿が見えました。
彼は屋敷の執事の息子で、わたしと同じ歳。いつも屋敷の雑用をしていて、でもどんな大人よりも背筋がまっすぐで、目がきらきらしていました。
「だって、薔薇が咲いたんですもの。見たいに決まってるでしょう?」
「見たいのは僕も一緒ですよ……はぁ、ほんとお嬢さまは元気だなぁ」
汗を拭いながら追いついたアレンが、苦笑を浮かべました。
いつも泥のついた手、日焼けした頬――でも笑うと、ほんの一瞬だけ柔らかく、大人びて見えるんです。
「そんな顔しないで。ほら、見て! 25本、ちゃんと咲いたのよ」
わたしは手さげ籠に並べた白薔薇を見せました。
アレンがこの丘に薔薇を植えたのは、わたしたちが十歳の頃。
“25歳になったら一緒にここで咲かせよう”――それが、あの日の約束でした。
「ほんとだ……全部咲いたんだな」
アレンの指先が、そっと花びらをなぞります。その仕草がなぜだか大人びて見えて、胸の奥が少しきゅっとしました。
「アレンが育ててくれたからよ」
「いや、リリアナが毎日水をやってくれたから。二人で育てた薔薇だよ」
その言葉がうれしくて、ふいに笑ってしまいました。
金糸の髪が風になびいて、アレンの頬をかすめます。
その瞬間、彼は少しだけ顔をそらしました。
「あ……ごめんなさい。痛かった?」
「い、いや、違う。ただ、その……」
言葉を選ぶように言い淀むアレン。
真っ直ぐな瞳が、なぜか今だけはわたしを見られないようでした。
「もしかして……恥ずかしいの?」
「べ、別に! お嬢さまって、ほんといじわるですね」
「ふふ。だって可愛いんですもの」
わたしがくすりと笑うと、アレンは耳まで赤くなり、視線を泳がせました。
その姿がますます可愛くて、笑いをこらえるのに必死です。
空の青、風の音、白薔薇のかぐわしい香り。
すべてが――あの日の思い出として心に刻まれるのを、わたしは感じていました。
けれど、その穏やかな空気の中にも、どこか切ない影が差していたのです。
――アレンとは、もうすぐお別れになるかもしれない。
侯爵である父が、彼との交流を快く思っていないことを、わたしは知っていました。
貴族令嬢と執事の息子。一緒に遊ぶなど本来あってはならないこと。
幼いわたしでも、その境界は痛いほどわかっていました。
それなのに、アレンと過ごす時間をやめられなかったんです。
彼と話していると、わたしは“侯爵家の娘”じゃなく、“ただのリリアナ”でいられるから。
「ねぇ、アレン」
「なに?」
「もし、もう会えなくなったら……どうすればいいのかしら」
風に葉が揺れる音がして、彼は少しだけ目を伏せました。
しばらく黙って、それから小さく笑いました。
「夜空を見上げて。25番目に輝く星が、僕だから」
「……そんなの、見つけられるかしら」
「絶対に見つけられる。だって、リリアナだもん」
その自信ありげな笑顔に、胸がどくんと鳴りました。
わたしが何か言おうと口を開いたそのとき――アレンが、ふと膝を折り、籠から一輪の薔薇を取り出しました。
「リリアナ」
「え……なぁに?」
真剣な表情に驚いて、わたしは息をのむ。
彼は薔薇を胸に掲げて、まっすぐな声で言いました。
「25歳になったら、迎えに行く。君を僕の花嫁にする」
その言葉が空気をふるわせ、白薔薇の花びらが風に舞いました。
わたしは思わず口元を押さえ、笑ってはいけないと思いながらも涙がこぼれてきそうで。
「……そんな約束、してもいいの?」
「うん。約束だ」
「わたし、そのときまでここで待ってる。薔薇を25本、咲かせてね」
「必ず。どんなことがあっても」
わたしたちは小指を絡めて指切りをしました。
丘の風が花の香を運び、どこまでも澄んだ空が広がっていました。
――永遠なんて、子どもが口にするには大げさかもしれません。
でもその瞬間、わたしは、心のどこかで“本当に永遠がある”と信じていました。
その後しばらくして、わたしとアレンは屋敷で会うことができなくなりました。
侯爵の命で、アレンは庭仕事から外され、父親と共に別邸へ移されたのです。
寂しくて、窓の外を見つめる日々。
丘に続く小道を何度眺めても、もう彼の姿は見えません。
夜ごと、ベッドの上でひとり呟きました。
「25番目の星……アレン、そこにいるの?」
その星がどれなのか、本当のところはわかりません。
でも、空を見上げていると不思議と涙は出ませんでした。
彼がちゃんと生きているって、信じられる気がしたからです。
そして――今日で、わたしたちは十一歳になりました。
ねぇ、アレン。
あなたは今、どこで空を見ていますか。
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