【完結】二十五の誓い ― 傷物令嬢の私と銀の騎士 ―

朝日みらい

文字の大きさ
7 / 14

第七章 燃ゆる夜 ― 絶望の淵で

しおりを挟む
 それは、婚約披露の夜のことでした。

 王都の中央にあるバセット伯爵家の大広間は、まばゆいほどの光に包まれていました。  
 燭台の炎がゆらぎ、金の装飾が天井で反射してきらめきます。  
 貴族たちの笑い声が波のように広がり、芳しい香水と音楽が空気を満たしておりました。

「まあ、お嬢さま……まるで絵画の中の女神のようですわ」  
「ふふ。ありがとう、ソフィア。でも神様になる気はありませんの」

 わたしは鏡に映る自分に、静かな微笑を投げました。  
 真紅のドレスは見事でしたが、その重さが妙に心を締めつけます。  
 見る者すべてを魅了する衣装でありながら、わたしには鎖のように感じられました。

 胸の奥で、何かが囁いている気がいたしました。  
 ――これは祝福の夜ではありません。  
 これは、自由が閉ざされる夜なのです。

「準備は整いましたか、リリアナ」

 扉の向こうから現れたロドリック伯爵が、わたしに笑顔を向けました。  
 絵に描いたように美しい人。けれど、その笑顔の奥の影を、わたしだけが知っています。  

「はい。参りましょう、ロドリックさま」  
 その人の指がわたしの手を取ります。指先の冷たさに、思わず息を呑みました。

 

 披露の時間になりました。  
 百を超える拍手の中、わたしは伯爵の隣に立ち、完璧な微笑を作りました。  
 社交界の華として、理想の令嬢として――わたしは今日、完全に役割を演じ切らなければなりません。

「見せつけてやろうじゃないか、リリアナ。完璧な未来を」

 ロドリックさまの言葉が耳に残りました。  
 未来――それが“完璧”という名の檻を意味することを、彼だけが理解しているのです。  
 杯を掲げる瞬間、王都の貴族たちは歓声を上げ、音楽が鳴り響きました。  
 けれど、わたしの胸にはひとつの違和感がありました。

 ――だれかの視線を感じます。

 その視線は冷たくもなく、好奇でもなく。  
 むしろ、とても懐かしく、まっすぐで、やさしいものでした。  
 胸の奥で心臓がとくんと跳ねました。

(まさか……そんなこと)  

 そう思いながらも、振り返る勇気が出ませんでした。  
 その時、大広間を揺るがす叫び声が響き渡ったのです。

「火だ! 館の外で火が上がっている!」  
「きゃあっ!」  

 人々が悲鳴を上げ、あっという間に場が混乱しました。  
 燭台の影に炎の反射が揺れ、間もなく扉の向こう側から煙が流れ込んできます。  

「リリアナ、こちらへ!」  
 ロドリックさまがわたしの腕を掴みました。  
 その力が強すぎて、思わず痛みに声を上げそうになりました。

「ロドリックさま、離してください。皆を避難させなければ!」  
「いいから来い!」

 わたしは引きずられるように廊下へ連れ出されました。  
 燃えさかる炎の光が、彼の横顔を赤く照らし出します。  
 その表情に、わずかな狂気のようなものを見た気がいたしました。

 やがて、誰もいない地下の扉の前で彼は立ち止まりました。  
「ここまで来れば安全だ」  
 そう言いながら、微笑むその顔がぞっとするほど冷たく見えました。  

「リリアナ。君は本当によくやってくれたよ」  
「どういう意味ですの?」  
「君という“令嬢”がいたおかげで、私の取引は順調に進んだ。  
 まさか香料の箱の中身が禁制品だとは、誰も思わない」

 わたしは息をのむしかありませんでした。  
 耳の奥で嵐が吹いているような錯覚を覚えます。  
 信じていた人が、最初から騙していたなんて。  

「ロドリックさま……あなた……」  
「君が侯爵令嬢でいてくれたおかげだよ。いい飾りだった」  

 笑みを浮かべながら、彼は背後に積まれた木箱に手を置きました。  
 蓋の隙間から、銀の粉が微かに輝いています。  
 王都で取引が禁じられている、毒性の高い魔石の粉――それをわたしも、以前読んだ本で見たことがありました。

「……これを、利用するつもりだったのですね」  
「そうだよ。だが、もう全て燃える。君も、証拠も、綺麗に消える」

 その冷たい笑顔を見た瞬間、背中に寒気が走りました。  
 逃げなければ――そう思って身を引いた瞬間、腕を乱暴につかまれました。

「君だけは逃がさない」  
「放してください! お願いです、ロドリックさま!」  
「無駄だ。君は私の証明だ。私が“全てを手にした男”であるという証だ!」

 わたしの叫びなど届かず、炎がドアを飲み込みました。  
 天井の梁が崩れ、床に倒れこみます。  
 もう息を吸うこともできません。熱くて、苦しくて――。

(アレン……)

 意識が遠のく中で、わたしはただその名を心の中で呼びました。  
 あの丘での約束の声。少年の瞳。風の匂い。  
 そのすべてが脳裏に甦ります。

「本当に、来てくれるのですか……?」

 涙まじりの声が、煙の中に消えていきました。  
 闇に沈むその瞬間――眩しい光が、扉の向こうから差し込みました。

 銀色の閃光。舞い上がる炎を切り裂くような輝き。  
 そこに現れたのは、銀の鎧をまとった騎士でした。  
 月光を背にしたその姿は、まるで光そのものでした。

「リリアナ!」

 呼ばれた声に、わたしははっと息をのみました。  
 その声を、忘れることなどできません。  

「……アレン……?」
「遅くなってごめん。今度こそ、君を迎えに来た」

 崩れ落ちる梁を一閃で払い、アレンが駆け寄ってきました。  
 その腕がわたしを抱き上げ、熱気の中を突き抜けます。  
 彼の胸の鼓動が、耳のすぐそばで鳴っていました。

「もう大丈夫です……?」  
「大丈夫だ。君は、もう絶対に離さない」

 炎の轟きよりも、アレンの声が強く響いていました。  
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】二十五歳のドレスを脱ぐとき ~「私という色」を探しに出かけます~

朝日みらい
恋愛
 二十五歳――それは、誰かのために生きることをやめて、  自分のために色を選び直す年齢だったのかもしれません。  リリア・ベルアメール。王都の宰相夫人として、誰もが羨む立場にありながら、 彼女の暮らす屋敷には、静かすぎるほどの沈黙が流れていました。  深緑のドレスを纏い、夫と並んで歩くことが誇りだと信じていた年月は、  いまではすべて、くすんだ記憶の陰に沈んでいます。  “夫の色”――それは、誇りでもあり、呪いでもあった。  リリアはその色の中で、感情を隠し、言葉を飲み込み、微笑むことを覚えた。  けれど二十五歳の冬、長く続いた沈黙に小さなひびが入ります。  愛されることよりも、自分を取り戻すこと。  選ばれる幸せよりも、自分で選ぶ勇気。  その夜、彼女が纏ったのは、夫の深緑ではなく――春の蕾のような淡いピンク。  それは、彼女が“自分の色”で生きると決めた最初の夜でした――。

【完結】氷の侯爵と25夜の約束

朝日みらい
恋愛
 雪の降る夜、平凡な伯爵家の娘セラフィーナは、義妹アデルの身代わりとして侯爵家に嫁ぐことになりました。  その結婚は愛のない〝契約婚〟。相手は王都で「氷の侯爵」と呼ばれる――ルシアン・ヴァン・ローレンス侯爵。  彼は冷たく、近づく者の心を凍らせると言われています。 「二十五夜のあいだで、私の“真実”を見抜けたら、君を妻として認めよう。  見抜けなければ、この婚姻は無かったことになる」  雪に閉ざされた白銀の館で始まる、奇妙な婚姻生活。  無口で孤独な侯爵と、臆病でまっすぐな花嫁。  互いに閉じ込めた心の扉を、少しずつ開きながら過ごす“二十五夜”とは――。

ヤンキー、悪役令嬢になる

山口三
恋愛
岸田和華(きしだわか)は異世界に飛ばされた。自分が読んでいた小説の悪役令嬢ジュリエットに憑依してしまったのだ。だが和華は短気でガサツで、中学高校と番を張ってたヤンキーだ。高貴な身分の貴族令嬢なんてガラじゃない。「舞踏会でダンス? 踊りなんて盆踊りしか知らないからっ」 一方、リアル世界に残された和華の中にはジュリエットが入っていて・・。

虎の威を借る狐は龍【完】

綾崎オトイ
恋愛
ヴィーはただの平民だ。ちょっと特殊だけど、生まれも育ちも普通の平民だ。 青春ライフを夢見て我儘を言って、やっと婚約者と同じ学園に通い始めたというのに、初日からこの国の王太子達を引き連れた公爵令嬢に絡まれるなんて。 その令嬢はまるで婚約者と恋仲であるような雰囲気で、ヴィーは二人を引き裂く悪い女。 この国の王族に愛され、貴族国民からの評価も高いらしい彼女はまるで虎の威を借る狐。 だがしかし後ろに虎がいるのは彼女だけでは無い。だからヴィーは何も気にしない。 2話完結 ◤勢いだけで書き上げました。頭空っぽにして読んでくださいな◢

【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~

白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。 国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。 幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。 いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。 これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~

紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。 ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。 邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。 「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」 そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

処理中です...