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第9章 毒と真実
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王都へ着いた日、私は馬車の窓から見える街並みに、胸がざわつくのを抑えられませんでした。
懐かしさではなく、痛みに似た感情――ここは、かつて私が「地味すぎる」と追われた街。
けれど、いまの私は公爵夫人。もう、あの日の私ではないのです。
「……大丈夫ですか? 顔色が少し」
メアが心配そうに声をかけます。
「ええ。少し息苦しいだけ。――王都の空気は、相変わらず濃いですね」
城門をくぐると、かつて憧れた壮麗な白い塔が目に入りました。
しかし、その塔の頂はどこかひび割れ、往時の光を失っているようにも見えます。
「お姉様……!」
名を呼ぶ声に振り向くと、そこにいたのはセリーヌでした。
記憶に焼きついた麗しい金髪も、頬の艶やかな色も失せ、かつて社交界を騒がせた美貌はどこにもありません。
「……セリーヌ」
妹は、ぎこちなく笑いました。
「ふふ、びっくりするでしょう? 王城の暮らしも、今はもう終わり。……でも、病気で倒れても誰も助けてくれなくて」
「それで私に……助けを?」
「そうよ! お姉様は薬草が得意だったでしょう? お願い、この病を治して」
小さな嘲りが混じった声。痛みに震えた唇をかみながらも、私は静かに頷きました。
「分かりました。――診せてください」
◇ ◇ ◇
数時間後。
私は持ってきた鞄を開き、薬草を一枚ずつ丁寧に広げながら、王城の客間を見回しました。
壁紙にはところどころ黒い染み、家具は古びて艶を失っている。
王太子妃の座を夢見た妹にとっては、耐えがたい光景でしょう。
「お姉様は地味で目立たなかったけど、やっぱり頼りにはなるのね」
セリーヌが皮肉を込めて笑います。
「地味でも、誰かを救えるなら、それで十分です」
そう返すと、少女のころの記憶が一瞬よぎりました。
いつも妹を羨んだ。でも、その瞳に映る私は“おまけ”でした。
――だからこそ、もう比較するのはやめようと思いました。
患部を診て、香草を混ぜ合わせながら告げます。
「これは“夜影草”の中毒です。毒性が強く、放っておけば命に関わります」
「ど、毒……!? まさか誰かが……!」
「もしかすると誤って摂取したのかもしれません。でも、ご安心を。――解毒薬を作ります」
「まさか……作れるの?」
「当然です。……家族ですもの」
その声に、自分でも驚くほどの穏やかさがありました。
◇ ◇ ◇
煮詰めた解毒薬を匙に取り、セリーヌの唇に近づけた瞬間――
扉が激しく開きました。
「おお! 薬ができたのか! リリアーナ、これで王都は救われる!」
現れたのは、かつての婚約者・ライオネル王子。
装飾の取れた質素な衣服をまとい、目の下には深い隈。
彼の傍らで、侍従たちがささやき声を交わします。
「魔術顧問も去り、援助も打ち切り……」
そんな言葉が耳に入りました。
「殿下……」
私の名を呼ぶ彼の声に、かつて恋い慕った面影はなく。
その視線は、私ではなく、机の上の薬へとまっすぐ向かっていました。
「それが凄い薬だそうだね。――王宮の名誉のため、完成の報告は私がする」
「……はい?」
「この薬は“わたしとセリーヌ”が研究を命じ、見事成功した。その筋書きでいく」
「お言葉ですが、それは――」
「地味な薬師よりも、王族の名前が上にある方が美しいだろう?」
部屋の空気が一瞬にして凍りつきました。
私は、ゆっくりと匙を机に戻します。
「つまり、殿下は……わたしの研究を奪うと?」
「奪うだなんて人聞きの悪い。王族に仕えられる栄誉を与えてやると言っている」
その瞬間、背筋を走った感情は怒りではなく、あまりにも深い“呆れ”でした。
何も変わっていない。
華ばかり追い、誠実を見ようとしない――かつて私を捨てた殿下、そのまま。
と、背後の扉が再び開きます。
重い靴音とともに、冷たい気配が室内に満ちました。
「その栄誉、必要ありません」
低く深い声。
私の名を呼ぶ前に、空気が震えました。
「アレクシス様……!」
銀の瞳がわずかに光を帯び、王子を射抜くように見据えます。
その背後で、グレゴールとメアが控えていました。
「我が妻が生み出した薬を、誰かの名で汚すなど許さぬ。――その薬を研究し、完成させたのは、リリアーナ・ヴァレンティーヌ公爵夫人だ」
王子の顔色が変わりました。
「な、なにを……証拠はあるのか!」
その叫びに、アレクシス様は静かに手を上げます。
「証拠は、“成果”だ。君たちは彼女なしでは泡を煎じることもできぬだろう」
部屋に沈黙が走り、セリーヌが小さく息をのむ音が聞こえました。
彼女も気づいている――姉が、もう以前とは違うことを。
「王家の威信に泥を塗る気か!」
「威信とは、人を踏みにじることで保たれるのか?」
アレクシス様の言葉は淡々と、けれど確実に相手を打ち据えます。
その声を聞いているだけで、胸の奥が熱くなりました。
「リリアーナの知識と努力は、誰の名にも奪えぬものだ。リリアーナがこの薬を創ったことを、明日、国王の面前でするつもりだから覚悟しておけ」
そう言い切った瞳が、ようやく私を見ました。
――その瞬間、すべての怒りも不安も溶けていく気がしました。
「公爵様……守ってくださったのですね」
「当然だ。お前は俺の妻だ」
短い言葉なのに、それだけで心が震えました。
瞳が滲み、頬が熱くなる。
これほどの強さで、誰かに庇われたことが、いままであったでしょうか。
◇ ◇ ◇
セリーヌは震える声で言いました。
「……姉さま、どうして……そんなに変わったの?」
「変わったのではありません。――ようやく、自分を認められるようになっただけです」
微笑んで答えると、妹の目から一粒の涙がこぼれました。
「姉さま……」
「いいの。あなたを憎んでなんていません。わたしを強くしたのは、家族だったから」
その言葉に、彼女は嗚咽を漏らしました。
リリアーナ・エインズワースでも、地味な令嬢でもなく――
ただ“人を救う薬草師”としての私を、ようやく受け入れてもらえた気がしました。
◇ ◇ ◇
全てが終わった夜。
王都の高台から見下ろす街の灯が滲んで見えました。
アレクシス様が隣に立ち、冷たい風を防ぐようにマントをかけてくれます。
「……君の薬がなければ、あの子は助からなかった」
「でも、公爵様がいなければ、私は立ち向かえませんでした」
そう言うと、彼の手が私の頬にかかりました。
指先は少し冷たいのに、その触れ方は驚くほど優しくて。
「王都の光など霞むな。――お前の灯が、一番眩しい」
その言葉を胸に刻みながら、私は微笑みました。
懐かしさではなく、痛みに似た感情――ここは、かつて私が「地味すぎる」と追われた街。
けれど、いまの私は公爵夫人。もう、あの日の私ではないのです。
「……大丈夫ですか? 顔色が少し」
メアが心配そうに声をかけます。
「ええ。少し息苦しいだけ。――王都の空気は、相変わらず濃いですね」
城門をくぐると、かつて憧れた壮麗な白い塔が目に入りました。
しかし、その塔の頂はどこかひび割れ、往時の光を失っているようにも見えます。
「お姉様……!」
名を呼ぶ声に振り向くと、そこにいたのはセリーヌでした。
記憶に焼きついた麗しい金髪も、頬の艶やかな色も失せ、かつて社交界を騒がせた美貌はどこにもありません。
「……セリーヌ」
妹は、ぎこちなく笑いました。
「ふふ、びっくりするでしょう? 王城の暮らしも、今はもう終わり。……でも、病気で倒れても誰も助けてくれなくて」
「それで私に……助けを?」
「そうよ! お姉様は薬草が得意だったでしょう? お願い、この病を治して」
小さな嘲りが混じった声。痛みに震えた唇をかみながらも、私は静かに頷きました。
「分かりました。――診せてください」
◇ ◇ ◇
数時間後。
私は持ってきた鞄を開き、薬草を一枚ずつ丁寧に広げながら、王城の客間を見回しました。
壁紙にはところどころ黒い染み、家具は古びて艶を失っている。
王太子妃の座を夢見た妹にとっては、耐えがたい光景でしょう。
「お姉様は地味で目立たなかったけど、やっぱり頼りにはなるのね」
セリーヌが皮肉を込めて笑います。
「地味でも、誰かを救えるなら、それで十分です」
そう返すと、少女のころの記憶が一瞬よぎりました。
いつも妹を羨んだ。でも、その瞳に映る私は“おまけ”でした。
――だからこそ、もう比較するのはやめようと思いました。
患部を診て、香草を混ぜ合わせながら告げます。
「これは“夜影草”の中毒です。毒性が強く、放っておけば命に関わります」
「ど、毒……!? まさか誰かが……!」
「もしかすると誤って摂取したのかもしれません。でも、ご安心を。――解毒薬を作ります」
「まさか……作れるの?」
「当然です。……家族ですもの」
その声に、自分でも驚くほどの穏やかさがありました。
◇ ◇ ◇
煮詰めた解毒薬を匙に取り、セリーヌの唇に近づけた瞬間――
扉が激しく開きました。
「おお! 薬ができたのか! リリアーナ、これで王都は救われる!」
現れたのは、かつての婚約者・ライオネル王子。
装飾の取れた質素な衣服をまとい、目の下には深い隈。
彼の傍らで、侍従たちがささやき声を交わします。
「魔術顧問も去り、援助も打ち切り……」
そんな言葉が耳に入りました。
「殿下……」
私の名を呼ぶ彼の声に、かつて恋い慕った面影はなく。
その視線は、私ではなく、机の上の薬へとまっすぐ向かっていました。
「それが凄い薬だそうだね。――王宮の名誉のため、完成の報告は私がする」
「……はい?」
「この薬は“わたしとセリーヌ”が研究を命じ、見事成功した。その筋書きでいく」
「お言葉ですが、それは――」
「地味な薬師よりも、王族の名前が上にある方が美しいだろう?」
部屋の空気が一瞬にして凍りつきました。
私は、ゆっくりと匙を机に戻します。
「つまり、殿下は……わたしの研究を奪うと?」
「奪うだなんて人聞きの悪い。王族に仕えられる栄誉を与えてやると言っている」
その瞬間、背筋を走った感情は怒りではなく、あまりにも深い“呆れ”でした。
何も変わっていない。
華ばかり追い、誠実を見ようとしない――かつて私を捨てた殿下、そのまま。
と、背後の扉が再び開きます。
重い靴音とともに、冷たい気配が室内に満ちました。
「その栄誉、必要ありません」
低く深い声。
私の名を呼ぶ前に、空気が震えました。
「アレクシス様……!」
銀の瞳がわずかに光を帯び、王子を射抜くように見据えます。
その背後で、グレゴールとメアが控えていました。
「我が妻が生み出した薬を、誰かの名で汚すなど許さぬ。――その薬を研究し、完成させたのは、リリアーナ・ヴァレンティーヌ公爵夫人だ」
王子の顔色が変わりました。
「な、なにを……証拠はあるのか!」
その叫びに、アレクシス様は静かに手を上げます。
「証拠は、“成果”だ。君たちは彼女なしでは泡を煎じることもできぬだろう」
部屋に沈黙が走り、セリーヌが小さく息をのむ音が聞こえました。
彼女も気づいている――姉が、もう以前とは違うことを。
「王家の威信に泥を塗る気か!」
「威信とは、人を踏みにじることで保たれるのか?」
アレクシス様の言葉は淡々と、けれど確実に相手を打ち据えます。
その声を聞いているだけで、胸の奥が熱くなりました。
「リリアーナの知識と努力は、誰の名にも奪えぬものだ。リリアーナがこの薬を創ったことを、明日、国王の面前でするつもりだから覚悟しておけ」
そう言い切った瞳が、ようやく私を見ました。
――その瞬間、すべての怒りも不安も溶けていく気がしました。
「公爵様……守ってくださったのですね」
「当然だ。お前は俺の妻だ」
短い言葉なのに、それだけで心が震えました。
瞳が滲み、頬が熱くなる。
これほどの強さで、誰かに庇われたことが、いままであったでしょうか。
◇ ◇ ◇
セリーヌは震える声で言いました。
「……姉さま、どうして……そんなに変わったの?」
「変わったのではありません。――ようやく、自分を認められるようになっただけです」
微笑んで答えると、妹の目から一粒の涙がこぼれました。
「姉さま……」
「いいの。あなたを憎んでなんていません。わたしを強くしたのは、家族だったから」
その言葉に、彼女は嗚咽を漏らしました。
リリアーナ・エインズワースでも、地味な令嬢でもなく――
ただ“人を救う薬草師”としての私を、ようやく受け入れてもらえた気がしました。
◇ ◇ ◇
全てが終わった夜。
王都の高台から見下ろす街の灯が滲んで見えました。
アレクシス様が隣に立ち、冷たい風を防ぐようにマントをかけてくれます。
「……君の薬がなければ、あの子は助からなかった」
「でも、公爵様がいなければ、私は立ち向かえませんでした」
そう言うと、彼の手が私の頬にかかりました。
指先は少し冷たいのに、その触れ方は驚くほど優しくて。
「王都の光など霞むな。――お前の灯が、一番眩しい」
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