25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第9章 毒と真実

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 王都へ着いた日、私は馬車の窓から見える街並みに、胸がざわつくのを抑えられませんでした。  
 懐かしさではなく、痛みに似た感情――ここは、かつて私が「地味すぎる」と追われた街。  
 けれど、いまの私は公爵夫人。もう、あの日の私ではないのです。

「……大丈夫ですか? 顔色が少し」  
 メアが心配そうに声をかけます。  
「ええ。少し息苦しいだけ。――王都の空気は、相変わらず濃いですね」

 城門をくぐると、かつて憧れた壮麗な白い塔が目に入りました。  
 しかし、その塔の頂はどこかひび割れ、往時の光を失っているようにも見えます。

「お姉様……!」

 名を呼ぶ声に振り向くと、そこにいたのはセリーヌでした。  
 記憶に焼きついた麗しい金髪も、頬の艶やかな色も失せ、かつて社交界を騒がせた美貌はどこにもありません。

「……セリーヌ」

 妹は、ぎこちなく笑いました。  
「ふふ、びっくりするでしょう? 王城の暮らしも、今はもう終わり。……でも、病気で倒れても誰も助けてくれなくて」

「それで私に……助けを?」

「そうよ! お姉様は薬草が得意だったでしょう? お願い、この病を治して」  
 小さな嘲りが混じった声。痛みに震えた唇をかみながらも、私は静かに頷きました。

「分かりました。――診せてください」

     ◇ ◇ ◇ 

 数時間後。  
 私は持ってきた鞄を開き、薬草を一枚ずつ丁寧に広げながら、王城の客間を見回しました。  
 壁紙にはところどころ黒い染み、家具は古びて艶を失っている。  
 王太子妃の座を夢見た妹にとっては、耐えがたい光景でしょう。

「お姉様は地味で目立たなかったけど、やっぱり頼りにはなるのね」  
 セリーヌが皮肉を込めて笑います。  
「地味でも、誰かを救えるなら、それで十分です」  
 そう返すと、少女のころの記憶が一瞬よぎりました。  
 いつも妹を羨んだ。でも、その瞳に映る私は“おまけ”でした。  

 ――だからこそ、もう比較するのはやめようと思いました。

 患部を診て、香草を混ぜ合わせながら告げます。  
「これは“夜影草”の中毒です。毒性が強く、放っておけば命に関わります」  
「ど、毒……!? まさか誰かが……!」  
「もしかすると誤って摂取したのかもしれません。でも、ご安心を。――解毒薬を作ります」

「まさか……作れるの?」

「当然です。……家族ですもの」  
 その声に、自分でも驚くほどの穏やかさがありました。

     ◇ ◇ ◇ 

 煮詰めた解毒薬を匙に取り、セリーヌの唇に近づけた瞬間――  
 扉が激しく開きました。

「おお! 薬ができたのか! リリアーナ、これで王都は救われる!」

 現れたのは、かつての婚約者・ライオネル王子。  
 装飾の取れた質素な衣服をまとい、目の下には深い隈。  
 彼の傍らで、侍従たちがささやき声を交わします。  
 「魔術顧問も去り、援助も打ち切り……」  
 そんな言葉が耳に入りました。

「殿下……」

 私の名を呼ぶ彼の声に、かつて恋い慕った面影はなく。  
 その視線は、私ではなく、机の上の薬へとまっすぐ向かっていました。

「それが凄い薬だそうだね。――王宮の名誉のため、完成の報告は私がする」

「……はい?」

「この薬は“わたしとセリーヌ”が研究を命じ、見事成功した。その筋書きでいく」

「お言葉ですが、それは――」

「地味な薬師よりも、王族の名前が上にある方が美しいだろう?」

 部屋の空気が一瞬にして凍りつきました。  
 私は、ゆっくりと匙を机に戻します。

「つまり、殿下は……わたしの研究を奪うと?」

「奪うだなんて人聞きの悪い。王族に仕えられる栄誉を与えてやると言っている」

 その瞬間、背筋を走った感情は怒りではなく、あまりにも深い“呆れ”でした。  
 何も変わっていない。  
 華ばかり追い、誠実を見ようとしない――かつて私を捨てた殿下、そのまま。

 と、背後の扉が再び開きます。  
 重い靴音とともに、冷たい気配が室内に満ちました。

「その栄誉、必要ありません」  
 低く深い声。  
 私の名を呼ぶ前に、空気が震えました。

「アレクシス様……!」

 銀の瞳がわずかに光を帯び、王子を射抜くように見据えます。  
 その背後で、グレゴールとメアが控えていました。

「我が妻が生み出した薬を、誰かの名で汚すなど許さぬ。――その薬を研究し、完成させたのは、リリアーナ・ヴァレンティーヌ公爵夫人だ」

 王子の顔色が変わりました。  
 「な、なにを……証拠はあるのか!」  
 その叫びに、アレクシス様は静かに手を上げます。

「証拠は、“成果”だ。君たちは彼女なしでは泡を煎じることもできぬだろう」

 部屋に沈黙が走り、セリーヌが小さく息をのむ音が聞こえました。  
 彼女も気づいている――姉が、もう以前とは違うことを。

「王家の威信に泥を塗る気か!」  
「威信とは、人を踏みにじることで保たれるのか?」

 アレクシス様の言葉は淡々と、けれど確実に相手を打ち据えます。  
 その声を聞いているだけで、胸の奥が熱くなりました。

「リリアーナの知識と努力は、誰の名にも奪えぬものだ。リリアーナがこの薬を創ったことを、明日、国王の面前でするつもりだから覚悟しておけ」  

 そう言い切った瞳が、ようやく私を見ました。  
 ――その瞬間、すべての怒りも不安も溶けていく気がしました。  

「公爵様……守ってくださったのですね」

「当然だ。お前は俺の妻だ」

 短い言葉なのに、それだけで心が震えました。  
 瞳が滲み、頬が熱くなる。  
 これほどの強さで、誰かに庇われたことが、いままであったでしょうか。

     ◇ ◇ ◇ 

 セリーヌは震える声で言いました。  
「……姉さま、どうして……そんなに変わったの?」

「変わったのではありません。――ようやく、自分を認められるようになっただけです」

 微笑んで答えると、妹の目から一粒の涙がこぼれました。

「姉さま……」

「いいの。あなたを憎んでなんていません。わたしを強くしたのは、家族だったから」

 その言葉に、彼女は嗚咽を漏らしました。  
 リリアーナ・エインズワースでも、地味な令嬢でもなく――  
 ただ“人を救う薬草師”としての私を、ようやく受け入れてもらえた気がしました。

     ◇ ◇ ◇ 

 全てが終わった夜。  
 王都の高台から見下ろす街の灯が滲んで見えました。  
 アレクシス様が隣に立ち、冷たい風を防ぐようにマントをかけてくれます。

「……君の薬がなければ、あの子は助からなかった」  
「でも、公爵様がいなければ、私は立ち向かえませんでした」

 そう言うと、彼の手が私の頬にかかりました。  
 指先は少し冷たいのに、その触れ方は驚くほど優しくて。

「王都の光など霞むな。――お前の灯が、一番眩しい」

 その言葉を胸に刻みながら、私は微笑みました。  
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