25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第13章 冬の庭園

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 雪は静かに降り続いていました。  
 ヴァレンティーヌの領地にも、ついに深い冬がやってきたのです。  

 けれど、あの頃の冬とは違いました。  
 氷のように冷たかった城は、今では人々の笑顔と灯りに包まれています。  
 “氷の公爵家”と呼ばれた日々は、遠い昔の話になりつつありました。  

 窓辺で、私はカップに温茶を注ぎながら外を見ました。  
 雪化粧をまとった庭園では、薬草たちが霜の白をまといながら、冬の花のように静かに息づいています。  

「……冬でも、ちゃんと生きているのね」  

 呟いた声に答えるように、背後の扉がゆっくり開きました。  

「誰の話だ?」  

 入ってきたのはアレクシス様。  
 厚手のコートを羽織り、肩に積もった雪を払う姿は絵のように落ち着いて見えます。  
 それでも、私はもう怯えません。ただ自然に、微笑むことができました。  

「薬草たちの話です。冬でも眠らずに、生きているんですよ」  
「ふむ……お前に似ているな。どんな季節でも光を見つける」  

「まぁ……またそんなことを」  

 思わず笑うと、アレクシス様も僅かに目を細めて微笑まれました。  
 かつて氷のようだったその表情が、今はこんなにも温かい。  

 窓の外の雪景色を見ながら、彼がそっと私の肩にマントを掛けてくださいます。  

「寒くないか」  
「ええ。あなたがいますから」  

 思わず零れた言葉に、彼の手がわずかに止まりました。  
 次の瞬間、静かに私の髪を撫でます。  
 その指先は冬の風よりはるかにあたたかく、やさしくて。  

「……リリアーナ」  
「はい」  
「お前と出会ってから、この城はようやく息をした気がする」  

 低く落ち着いた声。どこか震えるような熱が宿っていました。  
 きっとこの城の冷気も、彼の孤独も、今ようやく溶けたのでしょう。  

「あなたが変わったのは、私なんかの力ではありません」  
「違う。お前が変えた。俺の季節を」  

 その言葉に胸が熱くなり、頬に触れる彼の手が雪の光を映します。  
 そして――唇がやさしく重なりました。  

 まるで雪のひとひらが溶けていくような、静かで温かい口づけでした。  

「冬は、嫌いじゃなくなった」  
「ふふっ。いいことですわ。寒さも、きっと私たちへの祝福です」  
「巡る季節の中で、来年も……こうして過ごせるなら」  
「ええ。今年も、来年も春の花を見ましょうね」  

 そう言って私は彼の胸元に身を寄せました。  
 外では雪が瞬き、青い光が世界を包んでいました。  


     ◇ ◇ ◇  


 それから数日後。  
 陽射しが柔らかくなり始めた頃、庭に芽を出した草花を眺めていると、メアの声が響きました。  

「リリアーナ様、王都からの使者が参っております」  
「王都から……? 分かりました。すぐ行きます」  

 応接室に現れたのは、古くからの商人の老人でした。  
 丁寧に頭を下げ、慎重な口調で言います。  

「……最近の王家と御実家のエインズワース家の噂を、もうお聞きになりましたかな?」  

「いいえ。何かあったのですか?」  

「はぁ……まあ、恐れながら。王都は今、ちょっとした騒ぎでしてな」  
 そう言って老人は懐から新聞を取り出しました。  

 紙面の大見出しが、部屋中の光を弾き返すように目に飛び込んできます。  

『王太子ライオネル殿下、セリーヌ・エインズワース嬢との婚約手続きを打ち切り。  
 虚偽報告および功績の横領、王立審議会による正式調査へ』  

 目を走らせるうちに、私は小さく息を呑みました。  
 嘘のようで、けれど確かに現実。  

「……殿下が、ですか」  
「ええ。あの薬の件が発端だそうでして。  
 王太子殿下と妹君が“功績を偽り報告した”とのことで、国王陛下ご自身が直ちに調査を命じられたとか」  

「……そんなことになっていたのですね」  

 老人はさらに顔を寄せ、静かに囁きました。  
「殿下は“静養”という名目で王宮から離れ、妹君――エインズワース令嬢は療養のため郊外の別邸へ。  
 どうやらそのご両親も、領地の一部を召し上げられたとか」  

 私はしばらく言葉を失い、雪に閉ざされた時期のことを思い返していました。  
 輝くばかりだった二人の姿が、遠い光のように揺れます。  

「……そうですか。人の運命というのは不思議ですね」  
 穏やかに笑うと、老人は何かを言いかけ、そっと口をつぐみました。  
 深く一礼して去っていった彼の背を見送る頃には、外の風が柔らかくなり、春の気配が混じっていました。  


     ◇ ◇ ◇  


 メアが入ってきて、お茶を置きました。  
「……リリアーナ様は、それでも何もおっしゃらないのですか?」  

 私はカップを傾け、琥珀色の液面を眺めながら答えました。  

「いいのです、メア。誰かを貶めても、心は晴れませんから。  
 きっと、心に濁りがあれば水は淀む――そうお祖母様がよく言っていました。  
 でも、正しい心で待てば、流れはきっと澄むのだと」  

 メアが頷きました。  
「本当に、リリアーナ様は強い方です」  
「強いというより……愚直なのかもしれません」  

 ふと、窓の外で雪明かりが春の光に溶けていくのを見つめました。  
 もう誰にも問わずとも、心は静かに答えを知っているように思えます。  


     ◇ ◇ ◇  


 夜――。  
 アレクシス様が書斎から戻られ、私の隣に座りました。  

「王都の噂、聞いたよ。……ひと区切りついたな」  
「はい。嵐のように騒がしかった日々が、ようやく静かになりました」  
「だが、君の名は残った。王に評価され、王国中が君の功績を語るだろう」  

 その穏やかな声を聞きながら、私はそっと彼の手を取りました。  
「私がここまで来られたのは、あなたがいてくれたからです。……ありがとう、アレクシス様」  

 彼は微笑み、指を絡めて握り返してくれました。  
「これからも隣を歩け。過去に縛られることなく、前だけを見て」  
「ええ。もう迷いません」  

 そのとき外の雪がやみ、代わりに月が顔を出しました。  
 銀色の光が窓辺を照らし、部屋の空気にほんのり花の香りが混じります。  

「お祖母様、見ていますか」  
 思わず呟いたその言葉に、アレクシス様が私の肩を引き寄せました。  

「見ているとも。君が咲かせた春を」  

 私は笑い、彼の胸に頬を寄せました。  
 音もなく降り積もる雪が、白い花のように庭を覆っていきます。  


     ◇ ◇ ◇  


 その夜更け。  
 暖炉の前で過ごす時間は、まるで永遠のように穏やかでした。  

 隣に立つアレクシス様が私の手を取ります。  
 その温もりが、まるで冬を溶かす灯火のように心強くて。  

「リリアーナ」  
「ええ?」  
「――ありがとう。二十五番目の奇跡を、信じさせてくれて」  

 不意に笑みがこぼれました。  
「わたくしは、奇跡など何も起こしていませんよ」  
「いいや。お前と出会えたこと、それこそが奇跡だ」  

 照れて視線を逸らすと、彼が指先で私の手の甲をなぞり、軽く唇を触れさせました。  

「照れるのは、俺の方かもしれんな」  
「もう……公爵様ったら」  

 二人の笑い声が、雪の音に溶けて夜空へ広がっていきました。  
 見上げれば、雪が星のように降り注ぎ、庭園を包み込んでいます。  

 真っ白な世界の中央で、寄り添う二人の影がひとつになり、  
 長い冬の終わりを告げるように、月の光がそっと降り注いでいました。
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