12 / 42
第12章 25番目の奇跡
しおりを挟む
春が終わり、やわらかな緑の風がヴァレンティーヌ領を包んでいました。
王都での騒動からしばらく――。
私たちは、あの日と同じ馬車で再び領地へ戻ってきたのです。
「お嬢様! おかえりなさいませー!」
門前には、使用人たちが列をなしていました。
皆が笑顔に染まっていて、それだけで胸が熱くなります。
「ただいま。……長く留守にしてごめんなさい」
庭園からは花の香りが漂っています。
薬草園も、冬の姿が嘘のように活気づいていました。
風に揺れる薬草の群れは金色の波のようで、私は思わず息を呑みました。
「見てください、公爵様。……本当に、こんなにも」
「ああ。まるで王国がここだけ春を遅らせたようだ」
アレクシス様の低い声が、風に乗って響きます。
視線を向けると、彼の頬が柔らかく光に照らされていました。
氷のようなその人が、今は光そのもののように見えます。
ふと、彼が私の方を振り向きました。
「リリアーナ、立ち止まるな。――行くぞ」
「どこへ?」
「見せたいものがある」
そう言って差し出された彼の手を、私はためらいなく取ります。
◇ ◇ ◇
導かれたのは、薬草園の一番奥――。
そこにあったのは、見覚えのない小さな建物でした。
白い壁と大きな窓、屋根の上には花を模した風見の飾り。
「これは……?」
「研究小屋だ。お前のために建てさせた。
ここなら、雨の日でも思う存分、薬草の研究ができる」
「公爵様……これを、私に?」
「あの日、お前が言っていた。『努力は誰かを癒すためにある』と。
その言葉をずっと覚えていた。だからこれも、お前の“癒しの居場所”だ」
言葉が出ませんでした。
胸の奥が温かくて、込み上げる涙が止められません。
「ありがとうございます……!」
思わず両手で口を覆う私を見て、アレクシス様は少しだけ微笑みます。
その表情は、氷が完全に解けて流れた後に残る静かな光のよう。
「顔を上げろ。――これでは泣かれ損だ」
「泣かれ損、なんて……!」
「そんな顔を見せるな。……反則だろう」
彼は視線を逸らしながら、小さく呟きました。
それが人前なら決して見せない弱さであることを、私は知っています。
だからこそ、嬉しくて、たまらなく愛おしかったのです。
◇ ◇ ◇
夕暮れ。
二人で薬草園の中央を歩きながら、夜風に頬を撫でられました。
鳥の鳴き声も、子どもたちの笑い声も、ここでは全部優しく響きます。
「リリアーナ」
「はい、公爵様」
「25人目――。俺が数え続けた数字だ。
呪いと思っていたあの数が、こうして奇跡になるとはな」
「奇跡、ですか?」
「そうだ。……24人が去ったのは、お前に出会うためだった」
彼がそう言いながら指先で私の頬を撫でました。
指の温もりが、優しく肌に触れ、胸の奥へ染み込んでいきます。
「……同じです。私も“25番目の花嫁”になれて良かった」
「なぜだ?」
「だって、“最後”があなたでよかったから」
その言葉に、アレクシス様の手が止まりました。
そして次の瞬間、私をそっと腕の中へと引き寄せます。
肩に当たる胸の鼓動。氷のような音ではなく、ちゃんと“人の温もり”でした。
「お前が来てから、俺は初めて、季節が変わるのを楽しみに思った」
「……公爵様」
彼の腕の中で、時間がゆっくりと溶けていく――。
薬草園の花の香りと一緒に、胸の奥まであたたかな風が流れ込みます。
「25という数字、もう嫌いじゃないな」
「いいえ。むしろ、“幸運の数字”ですね」
私が笑うと、アレクシス様はわずかに眉を緩めました。
その表情に、私の心まで満たされていくようです。
◇ ◇ ◇
夜。
窓の外には星々の光が降り注ぎ、静かな薬草の香りが漂っていました。
机の上には新しい薬草学の記録本――表紙には、金色の文字で刻まれています。
《ヴァレンティーヌ公爵夫人 リリアーナの研究記録》
アレクシス様の手によって印された署名が、その下に添えられていました。
「……やっぱり、あなたは不器用な方ですね」
「何の話だ」
「こんな形で“愛してる”を伝えるなんて」
「……言葉にするまでもないだろう」
「でも、私は聞きたかったのです」
彼は一度だけ息を吐き、ゆっくり私の方へ手を伸ばしました。
髪を撫でながら囁く声は、以前の冷たさを完全に失っています。
「――愛している。25番目で、ようやく見つけられた」
その言葉に、視界が滲みました。
もう怖くありません。過去も、呪いも、何ひとつ。
私は小さく頷き、その手を握り返しました。
「私もです。何度生まれ変わっても、あなたの25番目でいたい」
外では、風が舞うように花びらを運び、夜空へと溶けていきました。
それはまるで祝福の雨のように、私たちの肩へ静かに降り注ぎます。
王都での騒動からしばらく――。
私たちは、あの日と同じ馬車で再び領地へ戻ってきたのです。
「お嬢様! おかえりなさいませー!」
門前には、使用人たちが列をなしていました。
皆が笑顔に染まっていて、それだけで胸が熱くなります。
「ただいま。……長く留守にしてごめんなさい」
庭園からは花の香りが漂っています。
薬草園も、冬の姿が嘘のように活気づいていました。
風に揺れる薬草の群れは金色の波のようで、私は思わず息を呑みました。
「見てください、公爵様。……本当に、こんなにも」
「ああ。まるで王国がここだけ春を遅らせたようだ」
アレクシス様の低い声が、風に乗って響きます。
視線を向けると、彼の頬が柔らかく光に照らされていました。
氷のようなその人が、今は光そのもののように見えます。
ふと、彼が私の方を振り向きました。
「リリアーナ、立ち止まるな。――行くぞ」
「どこへ?」
「見せたいものがある」
そう言って差し出された彼の手を、私はためらいなく取ります。
◇ ◇ ◇
導かれたのは、薬草園の一番奥――。
そこにあったのは、見覚えのない小さな建物でした。
白い壁と大きな窓、屋根の上には花を模した風見の飾り。
「これは……?」
「研究小屋だ。お前のために建てさせた。
ここなら、雨の日でも思う存分、薬草の研究ができる」
「公爵様……これを、私に?」
「あの日、お前が言っていた。『努力は誰かを癒すためにある』と。
その言葉をずっと覚えていた。だからこれも、お前の“癒しの居場所”だ」
言葉が出ませんでした。
胸の奥が温かくて、込み上げる涙が止められません。
「ありがとうございます……!」
思わず両手で口を覆う私を見て、アレクシス様は少しだけ微笑みます。
その表情は、氷が完全に解けて流れた後に残る静かな光のよう。
「顔を上げろ。――これでは泣かれ損だ」
「泣かれ損、なんて……!」
「そんな顔を見せるな。……反則だろう」
彼は視線を逸らしながら、小さく呟きました。
それが人前なら決して見せない弱さであることを、私は知っています。
だからこそ、嬉しくて、たまらなく愛おしかったのです。
◇ ◇ ◇
夕暮れ。
二人で薬草園の中央を歩きながら、夜風に頬を撫でられました。
鳥の鳴き声も、子どもたちの笑い声も、ここでは全部優しく響きます。
「リリアーナ」
「はい、公爵様」
「25人目――。俺が数え続けた数字だ。
呪いと思っていたあの数が、こうして奇跡になるとはな」
「奇跡、ですか?」
「そうだ。……24人が去ったのは、お前に出会うためだった」
彼がそう言いながら指先で私の頬を撫でました。
指の温もりが、優しく肌に触れ、胸の奥へ染み込んでいきます。
「……同じです。私も“25番目の花嫁”になれて良かった」
「なぜだ?」
「だって、“最後”があなたでよかったから」
その言葉に、アレクシス様の手が止まりました。
そして次の瞬間、私をそっと腕の中へと引き寄せます。
肩に当たる胸の鼓動。氷のような音ではなく、ちゃんと“人の温もり”でした。
「お前が来てから、俺は初めて、季節が変わるのを楽しみに思った」
「……公爵様」
彼の腕の中で、時間がゆっくりと溶けていく――。
薬草園の花の香りと一緒に、胸の奥まであたたかな風が流れ込みます。
「25という数字、もう嫌いじゃないな」
「いいえ。むしろ、“幸運の数字”ですね」
私が笑うと、アレクシス様はわずかに眉を緩めました。
その表情に、私の心まで満たされていくようです。
◇ ◇ ◇
夜。
窓の外には星々の光が降り注ぎ、静かな薬草の香りが漂っていました。
机の上には新しい薬草学の記録本――表紙には、金色の文字で刻まれています。
《ヴァレンティーヌ公爵夫人 リリアーナの研究記録》
アレクシス様の手によって印された署名が、その下に添えられていました。
「……やっぱり、あなたは不器用な方ですね」
「何の話だ」
「こんな形で“愛してる”を伝えるなんて」
「……言葉にするまでもないだろう」
「でも、私は聞きたかったのです」
彼は一度だけ息を吐き、ゆっくり私の方へ手を伸ばしました。
髪を撫でながら囁く声は、以前の冷たさを完全に失っています。
「――愛している。25番目で、ようやく見つけられた」
その言葉に、視界が滲みました。
もう怖くありません。過去も、呪いも、何ひとつ。
私は小さく頷き、その手を握り返しました。
「私もです。何度生まれ変わっても、あなたの25番目でいたい」
外では、風が舞うように花びらを運び、夜空へと溶けていきました。
それはまるで祝福の雨のように、私たちの肩へ静かに降り注ぎます。
66
あなたにおすすめの小説
ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件
ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。
スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。
しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。
一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。
「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。
これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。
結婚して5年、初めて口を利きました
宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。
ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。
その二人が5年の月日を経て邂逅するとき
“妖精なんていない”と笑った王子を捨てた令嬢、幼馴染と婚約する件
大井町 鶴
恋愛
伯爵令嬢アデリナを誕生日嫌いにしたのは、当時恋していたレアンドロ王子。
彼がくれた“妖精のプレゼント”は、少女の心に深い傷を残した。
(ひどいわ……!)
それ以来、誕生日は、苦い記憶がよみがえる日となった。
幼馴染のマテオは、そんな彼女を放っておけず、毎年ささやかな贈り物を届け続けている。
心の中ではずっと、アデリナが誕生日を笑って迎えられる日を願って。
そして今、アデリナが見つけたのは──幼い頃に書いた日記。
そこには、祖母から聞いた“妖精の森”の話と、秘密の地図が残されていた。
かつての記憶と、埋もれていた小さな願い。
2人は、妖精の秘密を確かめるため、もう一度“あの場所”へ向かう。
切なさと幸せ、そして、王子へのささやかな反撃も絡めた、癒しのハッピーエンド・ストーリー。
没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。
亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。
しかし皆は知らないのだ
ティファが、ロードサファルの王女だとは。
そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……
愛の力があれば何でもできる、11年前にそう言っていましたよね?
柚木ゆず
恋愛
それは、夫であるレジスさんと結婚10周年を祝っている時のことでした。不意にわたし達が暮らすお屋敷に、11年前に駆け落ちした2人が――わたしの妹ヴェロニクとレジスさんの兄テランスさんが現れたのです。
身勝手な行動によって周囲にとんでもない迷惑をかけた上に、駆け落ちの際にはお金や貴金属を多数盗んでいってしまった。そんなことをしているのに、突然戻ってくるだなんて。
なにがあったのでしょうか……?
※12月7日、本編完結。後日、主人公たちのその後のエピソードを追加予定となっております。
恋心を利用されている夫をそろそろ返してもらいます
しゃーりん
恋愛
ソランジュは婚約者のオーリオと結婚した。
オーリオには前から好きな人がいることをソランジュは知っていた。
だがその相手は王太子殿下の婚約者で今では王太子妃。
どんなに思っても結ばれることはない。
その恋心を王太子殿下に利用され、王太子妃にも利用されていることにオーリオは気づいていない。
妻であるソランジュとは最低限の会話だけ。無下にされることはないが好意的でもない。
そんな、いかにも政略結婚をした夫でも必要になったので返してもらうというお話です。
「君を愛することはない」と言った夫と、夫を買ったつもりの妻の一夜
有沢楓花
恋愛
「これは政略結婚だろう。君がそうであるなら、俺が君を愛することはない」
初夜にそう言った夫・オリヴァーに、妻のアリアは返す。
「愛すること『は』ない、なら、何ならしてくださいます?」
お互い、相手がやけで自分と結婚したと思っていた夫婦の一夜。
※ふんわり設定です。
※この話は他サイトにも公開しています。
うちに待望の子供が産まれた…けど
satomi
恋愛
セント・ルミヌア王国のウェーリキン侯爵家に双子で生まれたアリサとカリナ。アリサは黒髪。黒髪が『不幸の象徴』とされているセント・ルミヌア王国では疎まれることとなる。対してカリナは金髪。家でも愛されて育つ。二人が4才になったときカリナはアリサを自分の侍女とすることに決めた(一方的に)それから、両親も家での事をすべてアリサ任せにした。
デビュタントで、カリナが皇太子に見られなかったことに腹を立てて、アリサを勘当。隣国へと国外追放した。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる