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第11章 見返しの宴
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王都の夜が春の香りを帯びるころ、公爵夫妻として招かれた夜会の日がやってきました。
大広間いっぱいに灯されたシャンデリアと花々、
数えきれぬほどの貴族たちの視線に、私は少しだけ緊張していました。
「大丈夫ですよ、お嬢様! 今日は主役です!」
背後でメアが小声で励ましてくれます。
「主役なんて、とんでもないわ。わたしはただ――」
「薬草で王家を救った英雄ですっ! ねぇ、公爵様もそう思いますよね!」
「……言葉が過ぎる、メア」
低く冷ややかな声にメアが「ひゃっ」と飛びのきました。
アレクシス様の横顔は、いつも通り凍てついたような静けさを湛えています。
けれど今日は、いつもより少し柔らかく見えるのです。
彼の腕に触れられながら、大広間へと歩みを進めました。
◇ ◇ ◇
会場には華やかな音楽と香水の匂いが満ちていました。
出迎えた貴族たちが、私たちの姿を見てざわめきます。
「……あれが“氷の公爵と、その妻”か」
「地味な令嬢だと聞いていたが……思っていたよりも――」
そんな囁きが耳に届きましたが、いまの私には不思議と恐れはありません。
隣に、あの人がいるから。
「リリアーナ・ヴァレンティーヌ公爵夫人であらせられる!」
従者の声が響き渡ると同時に、中央のダンスホールが静まりました。
王が立ち上がり、満足げに微笑みます。
「この者の功によって、王城は毒より救われた。薬草学の新しい章が開かれたのだ」
ざわ……と人々の間に感嘆が広がり、光の波のように拍手が起こりました。
――あの王都で、誰にも見向きもされなかった“地味すぎる令嬢”。
まさかこんな日が来るとは。
祝辞が終わり、貴婦人たちが次々と話しかけてきます。
「まあ素敵なご功績!」「公爵様はお幸せですわね!」
その声の裏には、以前私を蔑んだ顔も混じっていました。
それでも、私はただ笑顔で応じます。
「ありがとうございます。努力を見てくださった方たちと、支えてくれた人たちのおかげです」
――そのとき。
入り口の方でざわめきが起こりました。
「え、あれは……」
「エインズワース家の……次女では?」
現れたのは、衰えたドレス姿のセリーヌとライオネル殿下。
二人の姿を見た瞬間、空気が重くなるのを感じました。
彼らは直接の招待客ではなかったはず。
それでも、誇りを失った瞳の奥には、かすかな焦りが見えました。
「姉さま……!」
セリーヌは私を見て小さく息を飲みます。
しかしその顔にはまだ意地が残っていました。
「あなたがこんな華やかな場に立つなんて……信じられない」
「信じるかどうかは、あなた次第です。でも、努力は嘘をつきませんから」
静かにそう答えると、セリーヌは唇を噛んで俯きました。
私の隣で、アレクシス様が一歩前に出ます。
その瞬間、場の視線が彼に集まりました。
「――皆の者、この場を借りて、ひとつ告げておこう」
氷のように澄んだ声が、響き渡ります。
「この妻を“地味”だと嘲った者よ。見よ。彼女の知識と手は、国を救った。
我がヴァレンティーヌ家は、彼女を誇りとする」
ざわついていた人々が、息をのんで沈黙しました。
そして次の瞬間、拍手が再び渦をまきました。
思わず目を見開く私をよそに、アレクシス様はほんのわずかに笑います。
「……公爵様……微笑まれました、いま……!」
隅でメアが小声で叫び、グレゴールが「奇跡ですな」と呟きました。
けれど私は、もう何も言えませんでした。
ただ、心臓が早鐘を打っています。
公爵様は私の手を取り、ゆっくりとホールの中央へ導きました。
見上げると、彼の瞳の奥に微かな光が宿っています。
「踊れるか?」
「……久しぶりですが、ええ」
音楽が再び流れはじめました。
優しく背中を支えられ、回されるたび、灯りが揺れる。
これまでの冷たい沈黙とは違う、静かな熱が息づいていました。
「皆が見ています……」
「構わん。――見せてやる」
彼は低く囁くと、私の手を強く引き寄せました。
人々が見守る中、氷の公爵が笑ったのです。
「25番目の花嫁。お前が、俺を人に戻した」
「……そんな大げさなことを」
「大げさではない。……この腕を、もう二度と離さない」
彼の言葉に、胸の奥が溶けるようでした。
ざまぁと囁くような春の風が、王都のホールを通り抜けます。
音楽が終わり、アレクシス様が私を腕の中で静かに抱き寄せます。
耳もとで、低く優しい声が響きました。
「――これからも、共に立て」
「はい、公爵様」
頬を寄せたままそう答えると、彼の胸の中から微かな笑いがこぼれました。
大広間いっぱいに灯されたシャンデリアと花々、
数えきれぬほどの貴族たちの視線に、私は少しだけ緊張していました。
「大丈夫ですよ、お嬢様! 今日は主役です!」
背後でメアが小声で励ましてくれます。
「主役なんて、とんでもないわ。わたしはただ――」
「薬草で王家を救った英雄ですっ! ねぇ、公爵様もそう思いますよね!」
「……言葉が過ぎる、メア」
低く冷ややかな声にメアが「ひゃっ」と飛びのきました。
アレクシス様の横顔は、いつも通り凍てついたような静けさを湛えています。
けれど今日は、いつもより少し柔らかく見えるのです。
彼の腕に触れられながら、大広間へと歩みを進めました。
◇ ◇ ◇
会場には華やかな音楽と香水の匂いが満ちていました。
出迎えた貴族たちが、私たちの姿を見てざわめきます。
「……あれが“氷の公爵と、その妻”か」
「地味な令嬢だと聞いていたが……思っていたよりも――」
そんな囁きが耳に届きましたが、いまの私には不思議と恐れはありません。
隣に、あの人がいるから。
「リリアーナ・ヴァレンティーヌ公爵夫人であらせられる!」
従者の声が響き渡ると同時に、中央のダンスホールが静まりました。
王が立ち上がり、満足げに微笑みます。
「この者の功によって、王城は毒より救われた。薬草学の新しい章が開かれたのだ」
ざわ……と人々の間に感嘆が広がり、光の波のように拍手が起こりました。
――あの王都で、誰にも見向きもされなかった“地味すぎる令嬢”。
まさかこんな日が来るとは。
祝辞が終わり、貴婦人たちが次々と話しかけてきます。
「まあ素敵なご功績!」「公爵様はお幸せですわね!」
その声の裏には、以前私を蔑んだ顔も混じっていました。
それでも、私はただ笑顔で応じます。
「ありがとうございます。努力を見てくださった方たちと、支えてくれた人たちのおかげです」
――そのとき。
入り口の方でざわめきが起こりました。
「え、あれは……」
「エインズワース家の……次女では?」
現れたのは、衰えたドレス姿のセリーヌとライオネル殿下。
二人の姿を見た瞬間、空気が重くなるのを感じました。
彼らは直接の招待客ではなかったはず。
それでも、誇りを失った瞳の奥には、かすかな焦りが見えました。
「姉さま……!」
セリーヌは私を見て小さく息を飲みます。
しかしその顔にはまだ意地が残っていました。
「あなたがこんな華やかな場に立つなんて……信じられない」
「信じるかどうかは、あなた次第です。でも、努力は嘘をつきませんから」
静かにそう答えると、セリーヌは唇を噛んで俯きました。
私の隣で、アレクシス様が一歩前に出ます。
その瞬間、場の視線が彼に集まりました。
「――皆の者、この場を借りて、ひとつ告げておこう」
氷のように澄んだ声が、響き渡ります。
「この妻を“地味”だと嘲った者よ。見よ。彼女の知識と手は、国を救った。
我がヴァレンティーヌ家は、彼女を誇りとする」
ざわついていた人々が、息をのんで沈黙しました。
そして次の瞬間、拍手が再び渦をまきました。
思わず目を見開く私をよそに、アレクシス様はほんのわずかに笑います。
「……公爵様……微笑まれました、いま……!」
隅でメアが小声で叫び、グレゴールが「奇跡ですな」と呟きました。
けれど私は、もう何も言えませんでした。
ただ、心臓が早鐘を打っています。
公爵様は私の手を取り、ゆっくりとホールの中央へ導きました。
見上げると、彼の瞳の奥に微かな光が宿っています。
「踊れるか?」
「……久しぶりですが、ええ」
音楽が再び流れはじめました。
優しく背中を支えられ、回されるたび、灯りが揺れる。
これまでの冷たい沈黙とは違う、静かな熱が息づいていました。
「皆が見ています……」
「構わん。――見せてやる」
彼は低く囁くと、私の手を強く引き寄せました。
人々が見守る中、氷の公爵が笑ったのです。
「25番目の花嫁。お前が、俺を人に戻した」
「……そんな大げさなことを」
「大げさではない。……この腕を、もう二度と離さない」
彼の言葉に、胸の奥が溶けるようでした。
ざまぁと囁くような春の風が、王都のホールを通り抜けます。
音楽が終わり、アレクシス様が私を腕の中で静かに抱き寄せます。
耳もとで、低く優しい声が響きました。
「――これからも、共に立て」
「はい、公爵様」
頬を寄せたままそう答えると、彼の胸の中から微かな笑いがこぼれました。
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