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陽だまりのアトリエと、小さな麦の穂 〜守り神と育む、家族のレシピ〜
第90話 心の勝利と、王都一の合格宣言
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審査員長は、フィオナの「陽だまりブレッド」を、まるで失われた宝物のように両手で大切に抱えていた。彼の目元には、先ほど拭い去ったばかりの涙の跡が、未だ乾いていない。
彼は、静かに、しかし威厳のある声で、大広間に集まった全ての人々に向かって語りかけた。
「ドクター・ヴァーノン氏のパンは、人類の飢餓を救う『資源』として、確かに優れている。その科学的技術は、疑いようもなく未来を約束するものです」
審査員長は、そこで言葉を切ると、フィオナのパンを見つめた。
「だが、フィオナ・フォン・シルフィード殿のパンは、その『資源』とは、根本的に価値を異にする。それは、一口食べた者に、自己の最も温かい記憶を呼び覚まし、分け合う喜びと、生きる力を与える」
彼の視線は、壇上のフィオナへと注がれた。
「食とは、ただ栄養を摂取する行為ではない。それは、心に灯る火であり、孤独を癒やす温もりである。貴殿のパンには、その全てが詰まっている。貴殿がこのパンを通じて証明したのは、『管理された秩序(科学)』ではなく、『家族の愛と絆』がもたらす、自由な生命の輝きの勝利である」
審査員長は、その場で恭しく頭を下げた。
「よって、我々審査員団は、フィオナ・フォン・シルフィード殿が焼き上げたこのパンに、本催しの最高の栄誉である『王家特別賞』を、満場一致で授与いたします!」
大広間は、一瞬の静寂の後、堰を切ったような万雷の拍手に包まれた。それは、フィオナが過去の屈辱の舞台で、悪役令嬢の汚名を、王都一のパン職人の誇りによって、完全に清算した勝利の喝采だった。
---
「ば、馬鹿な!ありえない!感傷などという非科学的なものが、我々の完璧な理論を凌駕するなど――!」
ドクター・ヴァーノンの完璧な理知の仮面は完全に崩壊し、彼は血の気の引いた顔で、自らの敗北を信じられないといった様子で立ち尽くした。
そのヴァーノンの背後から、一人の男が、まるで影のように壇上へと上がってきた。グレイ・ベルモンド。かつて、娘を失った悲しみから、アルトの力を「人類の未来の礎」として奪おうとした、逃亡科学者だ。彼は、ヴァーノンの敗北を見届けに来たのだろう。その瞳は、科学的敗北に対する怒りと、自身の深い「喪失」の影で、悲壮に歪んでいた。
「フィオナ・ヴィルヘルム! 貴様は、自分の幸せのために、世界から目を逸らしているだけだ!理不尽に奪われた命を、君は結局、救えないだろうが!」
グレイの悲痛な叫びが、広場の歓喜を切り裂いた。
その時。フィオナの腕の中で、アルトが、グレイをじっと見つめていた。アルトは、グレイの全身からあふれる「深い悲しみと、泣いている心」を、誰よりも純粋な共感力で感じ取っていた。
アルトは、フィオナの胸元に抱かれていた、試食の残りである不格好なパンのひとかけらを、小さな手で掴んだ。そして、グレイの前に、おそるおそる差し出した。
「……おじちゃん。これ、あげる。かなしい、かなしいの、ね?」
アルトの幼く、しかし残酷なまでに真実を突く言葉と、その不格好な「家族のパン」に、グレイの全身を支えていた復讐の狂気が、音を立てて崩れ落ちた。彼は、その場で膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らした。
---
「グレイ・ベルモンド氏の件は、後に改めて裁きを下す」
玉座から、国王陛下に促されたライアス王太子が、ゆっくりと立ち上がった。彼の碧眼は、フィオナと、そして泣き崩れるグレイを、交互に見つめた。
ライアスは、かつてフィオナに婚約破棄を宣言した、あの冷酷な王太子ではない。彼は、深呼吸をすると、壇上へ歩み寄った。そして、フィオナの目の前で、跪き、深く頭を下げた。
「フィオナ・ヴィルヘルム。いや、フィオナ」
その呼び方は、親しみを込めた「フィオナ」に変わっていた。
「私は、君の尊厳を、そして誇りを、かつて踏みにじった。その罪は、償いきれるものではないと分かっている。だが、ここで、公の場で、君の勝利を承認する責務がある」
ライアスは、アルトを見つめた。
「アルト君の『生命活性化能力』は、確かに人類にとって大きな力だ。だが、それは資源ではない。そして、君の家族の絆は、いかなる王立アカデミーの管理下にも置かれない」
ライアスは、大広間全体に響き渡る声で、力強く宣言した。
「ヴィルヘルム公爵家元令嬢、フィオナ・ヴィルヘルム。そして、彼女のパン屋『アトリエ・フィオナ』は、王都一のパン屋として、文句なしの――合格だ!」
それは、かつて婚約破棄の場で、フィオナの全てを否定した王太子が、今、彼女の新しい人生の全てを、王国の権威をもって承認した瞬間だった。
---
「お嬢様、この度の快挙、誠におめでとうございます!」
フィオナは、馬車の中で、マルセルが用意した温かいハーブティーを口にした。隣では、エリィが興奮しきって、フィオナの胸元にあるお守りを握りしめている。
「これで、アルト様はアカデミー強硬派の支配から完全に解放されました。そして、グレイ・ベルモンド氏は、アカデミーの管理下で、生命を『救う』ための研究に生涯を捧げることが決定したそうです」
「よかった……」フィオナは、心から安堵した。グレイの悲しみが、報われる道を見つけられたのだ。
路地裏のパン屋への帰還。フィオナは、王家からの爵位や莫大な褒賞の提案を、全て丁重に辞退するつもりだった。
彼女の宝物は、この王宮の冷たい輝きの中にはない。それは、夫ルーカス、息子アルト、そして守り神ホズネが待つ、あの路地裏の陽だまりにこそあるのだ。
馬車が揺れるたび、フィオナの胸の中では、愛と絆の証である「陽だまりブレッド」が、温かい生命の香りを放ち続けていた。彼女の人生は、この日、新たな希望の光に照らされ、大きく、そして温かく動き始める。
彼は、静かに、しかし威厳のある声で、大広間に集まった全ての人々に向かって語りかけた。
「ドクター・ヴァーノン氏のパンは、人類の飢餓を救う『資源』として、確かに優れている。その科学的技術は、疑いようもなく未来を約束するものです」
審査員長は、そこで言葉を切ると、フィオナのパンを見つめた。
「だが、フィオナ・フォン・シルフィード殿のパンは、その『資源』とは、根本的に価値を異にする。それは、一口食べた者に、自己の最も温かい記憶を呼び覚まし、分け合う喜びと、生きる力を与える」
彼の視線は、壇上のフィオナへと注がれた。
「食とは、ただ栄養を摂取する行為ではない。それは、心に灯る火であり、孤独を癒やす温もりである。貴殿のパンには、その全てが詰まっている。貴殿がこのパンを通じて証明したのは、『管理された秩序(科学)』ではなく、『家族の愛と絆』がもたらす、自由な生命の輝きの勝利である」
審査員長は、その場で恭しく頭を下げた。
「よって、我々審査員団は、フィオナ・フォン・シルフィード殿が焼き上げたこのパンに、本催しの最高の栄誉である『王家特別賞』を、満場一致で授与いたします!」
大広間は、一瞬の静寂の後、堰を切ったような万雷の拍手に包まれた。それは、フィオナが過去の屈辱の舞台で、悪役令嬢の汚名を、王都一のパン職人の誇りによって、完全に清算した勝利の喝采だった。
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「ば、馬鹿な!ありえない!感傷などという非科学的なものが、我々の完璧な理論を凌駕するなど――!」
ドクター・ヴァーノンの完璧な理知の仮面は完全に崩壊し、彼は血の気の引いた顔で、自らの敗北を信じられないといった様子で立ち尽くした。
そのヴァーノンの背後から、一人の男が、まるで影のように壇上へと上がってきた。グレイ・ベルモンド。かつて、娘を失った悲しみから、アルトの力を「人類の未来の礎」として奪おうとした、逃亡科学者だ。彼は、ヴァーノンの敗北を見届けに来たのだろう。その瞳は、科学的敗北に対する怒りと、自身の深い「喪失」の影で、悲壮に歪んでいた。
「フィオナ・ヴィルヘルム! 貴様は、自分の幸せのために、世界から目を逸らしているだけだ!理不尽に奪われた命を、君は結局、救えないだろうが!」
グレイの悲痛な叫びが、広場の歓喜を切り裂いた。
その時。フィオナの腕の中で、アルトが、グレイをじっと見つめていた。アルトは、グレイの全身からあふれる「深い悲しみと、泣いている心」を、誰よりも純粋な共感力で感じ取っていた。
アルトは、フィオナの胸元に抱かれていた、試食の残りである不格好なパンのひとかけらを、小さな手で掴んだ。そして、グレイの前に、おそるおそる差し出した。
「……おじちゃん。これ、あげる。かなしい、かなしいの、ね?」
アルトの幼く、しかし残酷なまでに真実を突く言葉と、その不格好な「家族のパン」に、グレイの全身を支えていた復讐の狂気が、音を立てて崩れ落ちた。彼は、その場で膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らした。
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「グレイ・ベルモンド氏の件は、後に改めて裁きを下す」
玉座から、国王陛下に促されたライアス王太子が、ゆっくりと立ち上がった。彼の碧眼は、フィオナと、そして泣き崩れるグレイを、交互に見つめた。
ライアスは、かつてフィオナに婚約破棄を宣言した、あの冷酷な王太子ではない。彼は、深呼吸をすると、壇上へ歩み寄った。そして、フィオナの目の前で、跪き、深く頭を下げた。
「フィオナ・ヴィルヘルム。いや、フィオナ」
その呼び方は、親しみを込めた「フィオナ」に変わっていた。
「私は、君の尊厳を、そして誇りを、かつて踏みにじった。その罪は、償いきれるものではないと分かっている。だが、ここで、公の場で、君の勝利を承認する責務がある」
ライアスは、アルトを見つめた。
「アルト君の『生命活性化能力』は、確かに人類にとって大きな力だ。だが、それは資源ではない。そして、君の家族の絆は、いかなる王立アカデミーの管理下にも置かれない」
ライアスは、大広間全体に響き渡る声で、力強く宣言した。
「ヴィルヘルム公爵家元令嬢、フィオナ・ヴィルヘルム。そして、彼女のパン屋『アトリエ・フィオナ』は、王都一のパン屋として、文句なしの――合格だ!」
それは、かつて婚約破棄の場で、フィオナの全てを否定した王太子が、今、彼女の新しい人生の全てを、王国の権威をもって承認した瞬間だった。
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「お嬢様、この度の快挙、誠におめでとうございます!」
フィオナは、馬車の中で、マルセルが用意した温かいハーブティーを口にした。隣では、エリィが興奮しきって、フィオナの胸元にあるお守りを握りしめている。
「これで、アルト様はアカデミー強硬派の支配から完全に解放されました。そして、グレイ・ベルモンド氏は、アカデミーの管理下で、生命を『救う』ための研究に生涯を捧げることが決定したそうです」
「よかった……」フィオナは、心から安堵した。グレイの悲しみが、報われる道を見つけられたのだ。
路地裏のパン屋への帰還。フィオナは、王家からの爵位や莫大な褒賞の提案を、全て丁重に辞退するつもりだった。
彼女の宝物は、この王宮の冷たい輝きの中にはない。それは、夫ルーカス、息子アルト、そして守り神ホズネが待つ、あの路地裏の陽だまりにこそあるのだ。
馬車が揺れるたび、フィオナの胸の中では、愛と絆の証である「陽だまりブレッド」が、温かい生命の香りを放ち続けていた。彼女の人生は、この日、新たな希望の光に照らされ、大きく、そして温かく動き始める。
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