笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~

虹湖🌈

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第7話 涙パンの味と、頑固者の弟子入り許可(仮)

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「フィオナ……もしかして……」
 ルーカスが息を呑む。マルセルも、いつもは冷静沈着なその顔に、珍しく期待の色を浮かべてフィオナを見つめている。
 フィオナは、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げ、それでも精一杯、ぎこちないながらも誇らしげに微笑んでみせた。
「ええ……見て。私の、初めてのパンよ。た、食べられるはず……だと思うわ」
 最後の一言で途端に自信なさげになるのが、いかにもフィオナらしかった。

 ルーカスは、恐る恐るというより、もはやこれまで数々の「フィオナ製・謎の物体X」を口にしてきた歴戦の勇者のような面持ちで、差し出されたパンの一片を手に取った。
「よし、フィオナ。万が一のことがあったら、私の墓には君の……いや、やっぱり普通のパンを供えてくれ」
「不謹慎なこと言わないでちょうだい!」
 フィオナが頬を膨らませる横で、マルセルは恭しくパンを受け取ると、まずはその香りを確かめ、次に断面の気泡を真剣な眼差しで検分し、そして、ほんの少しだけ口に含んだ。
 その瞬間、マルセルの眉がピクリと動き、目がカッと見開かれた。
「こ、これは……!お嬢様っ!」
 普段の彼からは想像もつかないほど大きな声だった。
「お、美味しいですぞ!素朴ながら、小麦の味がしっかりとしていて、噛めば噛むほど甘みが……!こ、これが本当にお嬢様おひとりで?!」
 マルセルのあまりの興奮ぶりに、フィオナもルーカスも目を丸くする。
 ルーカスも、マルセルのただならぬ様子に促されるように、恐る恐るパンを口に運んだ。そして、数秒間、咀嚼する動きが止まった。
「……ん?……あれ?……うまい……ぞ?」
 まるで信じられない奇跡を目の当たりにしたかのように、ルーカスは自分の舌が正常に機能しているか確認するかのように、もう一口、さらにもう一口とパンを食べ進める。
「フィオナ!やったじゃないか!これは正真正銘、パンだ! しかも、結構イケる!」
 これまでの失敗作(別名:凶器、あるいは実験廃棄物)とのギャップに、ルーカスは感動のあまりフィオナの肩をバンバン叩いた。
「い、痛いじゃない、ルーカス!」
 それでも、フィオナの顔には満面の笑みが――いや、笑顔というよりは、嬉しさと照れくささで顔全体がくしゃっとなったような、彼女なりの最大級の喜びの表情が浮かんでいた。

 そのパンの半分は、あっという間に三人の胃袋に消えた。残りの半分を、フィオナは大切そうに新しい布で包む。
「これを、ブランシュールさんのところに……」
「ああ、それがいい! あの頑固オヤジの度肝を抜いてやれ!」
 ルーカスは自分のことのように興奮している。

 かくして、フィオナは人生初の「自信作(?)」を手に、ルーカスと共にレオンのパン屋「ブランシュール」へと向かった。店の扉を開けるフィオナの手は、期待と不安で微かに震えていた。
 相変わらず仏頂面のレオンは、小麦粉まみれのエプロンで手を拭きながら、じろりと二人を一瞥する。
「……あん? また来たのか、嬢ちゃん。と、そっちの坊主も。何の用だ? 冷やかしなら帰んな」
「ブ、ブランシュールさん! これを、見ていただきたくて!」
 フィオナは、布包みを解き、まだほんのり温かいパンをレオンの前に差し出した。
 レオンは、訝しげな目でその不格好なパンを見下ろした。そして、鼻をひくつかせて匂いを嗅ぎ、次にパンを手に取って重さを確かめ、おもむろにそれを二つに割った。
 その瞬間、レオンの眉がピクリと動いたのを、フィオナは見逃さなかった。
 彼は何も言わずに、パンの一片を口に放り込む。そして、長い長い時間をかけて、じっくりとそれを味わうように咀嚼した。その間、フィオナとルーカスは固唾を飲んで彼の反応を見守る。

「……ふん」
 やがて、レオンはパンを飲み込むと、ぶっきらぼうに言った。
「……まあ、カラスのエサくらいにはなるかもしれんな」
「カラスの!?」
 フィオナはショックで叫びそうになる。ルーカスも「おい、オヤジ!」と詰め寄ろうとした。
 だが、レオンはそれを手で制すると、もう一口パンを食べ、そして、ボソリと付け加えた。
「……いや、待て。うちのカラスはグルメだから、これじゃ文句を言うかもしれん。……だがまあ、腹は壊さんだろう。薪窯の無駄遣いも、少しはマシになったみてえだな」
 それは、彼なりの最大限の賛辞なのだろうか。フィオナには判断がつかなかった。
 しかし、レオンはパンから目を離さずに続ける。
「……こいつは、てめえ一人で焼いたのか?」
「は、はい! もちろんです!」
「ふん。ま、奇跡ってのはたまには起こるもんだ。だがな、嬢ちゃん。パン屋ってのは、奇跡を一日に何百回も起こし続けなきゃならねえんだ。それができるか?」
 厳しい言葉。だが、その声には、ほんの僅かだが、からかいと…そして、興味のようなものが滲んでいる気がした。

 フィオナは、ぐっと唇を引き結び、まっすぐにレオンを見つめた。
「やってみせます。私、本気ですから」
 その時、店の奥からレオンの細君らしき、ふくよかで人の良さそうな女性が顔を出した。
「あらあら、おじいさん。若い方がこんなに一生懸命なのに、そんな意地悪ばかり言って。ねえ、お嬢さん、良かったらうちの残り物だけど、スープでも飲んでいかない?」
「お、おい!余計なことを言うな!」
 レオンが慌てて細君を制する。そのやり取りに、フィオナとルーカスは思わず顔を見合わせて吹き出しそうになった。頑固職人の意外な一面だ。

 しばらくの沈黙の後、レオンは大きなため息をつき、そして、まるで仕方がないというように言った。
「……まあ、いいだろう。明日から、店の掃除と薪割りだ。それが満足にできなきゃ、パン窯には一生触らせんからな。覚悟しとけよ、お嬢様」
「え……?」
 フィオナは目を丸くする。
「それって……つまり……」
「勘違いするな。弟子にすると決めたわけじゃねえ。ただ、うちの薪が最近質が悪くてな。力仕事のできる若いのが一人くらいいても、罰は当たらんだろうと思ってな。それだけだ」
 そう言って、レオンはそっぽを向いてしまった。耳が少し赤いように見えるのは、気のせいだろうか。

 フィオナの胸に、じわじわと喜びが込み上げてきた。それは、涙色のパンを焼き上げた時とはまた違う、温かくて、くすぐったいような感情だった。
「はいっ!ありがとうございます、ブランシュール親方!」
 勢い余ってそう呼ぶと、レオンは「誰が親方だ!」と顔を真っ赤にして怒鳴ったが、その声にはもういつものような刺々しさはない。

 こうして、フィオナ・ヴィルヘルムの、パン職人への道は、頑固で口の悪い(でも、もしかしたら少しだけ優しいのかもしれない)師匠(仮)のもとで、ようやく本当のスタートラインに立ったのだった。
 もちろん、その道のりは掃除と薪割りから始まるのだが。
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