「婚約破棄だ」と笑った元婚約者、今さら跪いても遅いですわ

ゆっこ

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 廊下に鳴り響く警鐘、遠くから聞こえる兵士たちの足音。
 公爵家は夜だというのに騒然としていた。

「リディア、お前は絶対に部屋から出てはならん!」

 父は厳しい声でそう告げると、護衛を数名呼びつけた。

「娘を守れ。公爵家の最優先事項だ。反乱勢力の狙いがリディアである以上、防衛を固める!」

「はっ!」

 兵士たちが即座に動き出す。
 だが――。

「……父上。私の部屋よりも守るべきところが他にあるのでは?」

「何?」
「反乱勢力が殿下を人質にしているのでしょう? 王宮に援軍を送らなければ――」

「それは王軍の役目だ。お前が気にする必要はない」

 父の固い声音が、かえって不安を煽る。

 アレンが横から静かに口を開いた。

「公爵様。王宮の状況はまだ不明ですが、もし反乱勢力が“内側から”動いたのなら……王軍だけでは抑えきれない可能性があります」

 その指摘に、父は眉をひそめた。

「……アレン。お前は何か知っているのか?」

「いえ。ただ……王宮に出入りする貴族の中で、以前から怪しい動きをしていた者がいます。殿下を人質にし、さらにリディア様を狙うとなれば、かなりの計画性があると考えるべきです」

「……確かに……」

 父は腕を組み、険しい顔をした。

 その間にも、外では怒号のようなざわめきが続いている。

(殿下が拘束された……それも反乱?)

 今日婚約破棄を告げられたばかりの私を狙い、同時に殿下を人質にするなど、偶然とは思えない。

(……まさか、殿下が仕組んだ?)

 いや、それはない。
 エルネスト殿下は愚かではあるけれど、そこまでの策謀家ではない。

 むしろ、彼自身も利用されたのではないか――。

「アレン。今、王宮の方向を見てどう思った?」

 私は問いかけた。

 アレンはわずかに目線を落とし、すぐに答えた。

「……反乱にしては、動きが早すぎます。まるで“機を伺っていた”かのように」

「つまり――」

「殿下が婚約破棄を宣言した瞬間を、反乱勢力は待っていた」

 全身に冷たいものが走った。

(殿下との婚約破棄は……反乱を起こすための“合図”だった?)

 もしそうなら――。

 エルネスト殿下は、自らの掌で踊っていたにすぎない。



 その時、バンッ!と扉が勢いよく開いた。

「公爵様! 敵方と思われる一団が王都側の門へ侵入! 付近で複数名の騎士が倒れております!」

「なに……!」

 父が険しい顔で叫ぶ。

「リディア様を屋敷の安全区域へ――!」

 しかし私の腕を掴んだのは、父ではなくアレンだった。

「リディア様。こちらへ!」

「アレン……!」

 アレンは私の手を強く引き、廊下を駆ける。

「あなたを守るために、まずは別室へ移動します!」

「でも――」

「大丈夫です。公爵家の警護は万全です。……それに、あなたを渡す気などありません」

(……アレン)

 その言葉に心が締めつけられる。

 アレンは幼いころから私を守ってくれたが、今日の彼はどこか違う。
 より強く、より迷いがない。



 目的の部屋に入ると、アレンは扉に鍵をかけ、剣に手を添えながら室内の警戒を怠らなかった。

「アレン……落ち着いて」

「落ち着いています。ただ……あなたを狙う者がいると思うと、どうしても冷静になれなくて」

 アレンの声音には焦りすら混じっている。

(……そんなに心配してくれているのね)

 だが、次の瞬間。

 廊下で騒音が起き、複数の足音が駆け寄ってくる声がした。

「アレン!」

「ご安心を、リディア様。ここは敵に分かりづらい場所です。すぐに追い返します」

 アレンは剣を抜き、扉の手前で待ち構えた。

 私の心臓は高鳴り、不安よりも彼への信頼で胸が熱くなる。

(アレン……どうか無事で)

 息を飲んだ瞬間――。

 ノックが一度、二度。

「リディア様、私だ」

 父の声だった。

 安堵が胸に広がる。

 アレンが剣を収めて扉を開けると、父が深刻な表情で入ってきた。

「状況が変わった。反乱勢力が……殿下を連れて、王都から脱出した」

「なっ……!」

「しかも、殿下は足を負傷しているらしい」

 父の言葉にアレンが眉をひそめる。

「足を……? 反乱勢力は殿下を“守り”ながら逃走している様子ですか?」

「いや、違う。殿下の身を守るふりをして、利用しているようだ」

 私たちは言葉を失った。

 父は椅子に腰掛け、大きく息をついた。

「そして――反乱勢力は王に、こう通達してきた」

 緊迫した空気が重くなる。

「“リディア=フォルステイルを渡せ。さもなくば王太子の命はない”」

 ……やはり。
 狙いは最初から私。

(でもどうして……?)

 私が関わった覚えのない反乱。
 殿下との婚約破棄。
 そして、私の身柄要求。

 すべてが一つに繋がるとしたら――。

(私は、反乱勢力にとって“利用価値がある”ということ)

 ぞくり、と背筋が震える。



「……父上。殿下は本当に反乱勢力の人質なのですか?」

 思わず問いかけた。

「どういう意味だ?」

「殿下自身が……裏で反乱勢力と繋がっている可能性は?」

 父は一瞬沈黙し、そしてゆっくりと首を振った。

「それはない。王宮の内部記録によれば、殿下は抵抗し、拘束されている状態だったそうだ」

(やっぱり……殿下は巻き込まれただけ)

 殿下は悪い意味で単純だ。
 ルチアに甘く、取り巻きに弱く、そして私に対しても無自覚に傲慢だった。

 でも――こんな国家を揺るがす反乱に加担するほどの野心はない。

「リディア様」

 アレンが私の手をそっと握った。

「あなたを守るためなら、私はどんな相手でも斬ります」

「アレン……でも、殿下の命が――」

「今は殿下の心配より、あなた自身の安全を優先してください。……殿下の愚かな判断が、あなたをどれだけ苦しめたか。私は知っています」

 アレンの瞳に宿る強い光。

(……こんなに真剣に想ってくれる人がいるなんて)

 胸が熱くなる一方で――
 なぜ私なのかという疑問も残る。

(反乱勢力はなぜ、私を要求するの?)

 その答えが出る前に――。

 廊下の向こうで、聞き慣れない声が響いた。

「――リディア=フォルステイル! いるのはわかっている!」

 鋭い声。
 足音がこちらへ近づく。

 アレンが即座に剣を抜いた。

「敵……!」

 父も腰の剣に手をかける。

(なぜここが分かったの!?)

「リディア様、私の後ろへ!」

 アレンが私を抱き寄せるようにして背に隠す。

 ドンッ!

 扉が強烈に叩かれた。

「リディア! 出てこい!」

 その声に、私は凍りついた。

 ――聞き覚えがあった。

(……まさか)

 ルチアの声だった。

「開けなさいよ! あなたがいなければ……殿下は私のものになるのよ!!」

 狂気じみた叫び。

 そして、続いた声に私は愕然とした。

「殿下はね、あなたがいなければ全部私のものだったの!
 だから邪魔なのよ、リディア……!」

 アレンと父が同時に気づく。

(……反乱勢力と繋がっているのは、ルチア!?)

 その瞬間、扉が破られた。

 飛び込んできたのは、短剣を握ったルチアと、覆面をした数名の男たち。

「リディア様、下がって!」

 アレンが剣を構えた瞬間――。

 ルチアが叫んだ。

「エルネスト殿下は、あんたが死ねば私のものになるのよ!!
 邪魔なのよ、昔からっ!!!」

(……昔から?)

 ルチアは私を睨みつけ、唇を歪めて叫ぶ。

「殿下はね……小さい頃から私のことを見ていたのよ!
 でも邪魔したのはあんた! あんたがいたから殿下は私を見なかったの!」

(そんな……殿下とルチアが幼い頃から?)

 初耳だった。

 ルチアは続ける。

「だから私は――殿下の周りにいた“反乱グループ”に協力したのよ!
 殿下を王にし、私は正式な后になる!
 そのために……あなたは邪魔なの!」

(……反乱グループに協力?)

 アレンが眉をひそめた。

「ルチア、お前……反乱勢力に利用されているだけだ」

「うるさいッ!」

 ルチアは短剣を構え、瞳に狂気を宿して私へ突進してくる。

 その瞬間。

 アレンの腕が私を抱き込む。

「絶対に……あなたは、傷つけさせない」

 鋭い金属音が室内に響く。

 アレンの剣が、迫り来るルチアの短剣を受け止め、弾き飛ばしていた。

「ひっ……!」

 ルチアが尻もちをつく。

 しかし背後の覆面の男たちが次々と剣を抜き、アレンへ襲いかかる。

「リディア様、逃げて!」

「アレン、危ない!」

 その時――。

 屋敷中に響き渡るような声が鳴り響いた。

「リディア!」

 振り返った先にいたのは――

 血まみれの服を着た、エルネスト殿下だった。

 足を引きずり、息を荒げ、それでも必死に私の名を叫ぶ姿。

 殿下は震える声で呟いた。

「……リディア……俺を……助けてくれ……」

 その瞬間、私の胸の奥で何かが音を立てて崩れた。

(……どうして今さらそんなことを)

 殿下の目は後悔と絶望で満たされていた。

 もう――完全に遅すぎる。
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