冷徹王子が、婚約破棄した私を今さら溺愛してきます

ゆっこ

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 「――リリアーナ・エルフォード。お前との婚約を破棄する」

その言葉が放たれた瞬間、会場の空気が凍りついた。
 煌びやかな舞踏会場の中央で、冷徹と称される王太子――レオンハルト殿下が、感情の一片も見せずに告げる。

 私は微笑んで一礼した。
 ずっとこの瞬間が来ることは、予感していたから。

「……承知いたしました。殿下のご意志に逆らうことはいたしませんわ」

 そう言った私に、会場の視線が突き刺さる。
 “捨てられた令嬢”を哀れむもの、嘲るもの、好奇の目。
 だが、殿下は一瞥すらくれなかった。彼の隣には、涙目で震える侯爵令嬢――ミレーユがいた。

「リリアーナ、お前のような冷たい女では、王妃には相応しくない。だがミレーユは違う。彼女は誰にでも優しく、純粋だ」

 私は、心の奥で静かに笑った。
 ――それ、全部“演技”だというのに。

「ええ、どうぞお幸せに」

 その一言を残し、私は会場を後にした。
 背後から聞こえるざわめきも、彼の声も、もう聞く価値はなかった。

 そうして私は、王都を去った。
 そして――すべてを手放したつもりだった。



 それから一年後。
 辺境の小さな領地で、私は穏やかに暮らしていた。

「リリアーナ様、今日も市場でパンが安く売られていましたよ!」

「ありがとう、メイドのクララ。あとで行ってみますね」

 領民たちともすっかり打ち解け、私自身も笑顔を取り戻していた。
 もともと王家に嫁ぐよりも、静かな日々の方が性に合っていたのかもしれない。

 けれど――その穏やかさは、長くは続かなかった。




 ある日、領邸の門番が青ざめた顔で駆け込んできた。

「リ、リリアーナ様! と、とんでもない方が……!」

「とんでもない方?」

 私が首を傾げる間に、重々しい足音が響く。
 そして、門の向こうから姿を現したのは――

「……久しいな、リリアーナ」

 月のように白い髪。氷の瞳。
 かつて私を婚約破棄した、あの冷徹王太子・レオンハルト殿下だった。

「……殿下。まさかこのような辺境に何のご用でしょう?」

「用? 決まっている。――お前を迎えに来た」

 ……は?

「迎えに? どなたを?」

「お前だ」

 彼の言葉に、あまりのことに声が出なかった。
 それどころか、彼の瞳には一切の迷いがない。

「冗談はやめてください。婚約破棄された私を、今さら――」

「“今さら”とは言うな。お前がいなくなってから、ようやく気づいたんだ。お前がいない王城は……寒い」

 ……何を言っているの、この人は。
 王太子がそんな顔をするなんて、見たことがなかった。
 あの冷たい氷のような表情が、今はまるで――哀しみに濡れている。

「殿下、もう遅いですわ。私は貴方の婚約者ではありません。それに、私にはこの地での生活があります」

「……そうか。だが、俺はあきらめん」

 彼は一歩、近づいた。
 その距離が縮まるだけで、息が詰まる。
 こんな距離で、彼の表情を見るなんて――一年ぶりだった。

「リリアーナ。お前が笑うのを、ずっと見ていた。あの日の舞踏会で、お前が泣かなかったのが、俺には悔しかった。あの時……俺は間違っていた」

 彼の声は、低く震えていた。
 けれど、それでも私は首を横に振る。

「もう、遅いんです。殿下の隣にいるべきは、ミレーユ様でしょう?」

 その名を出した瞬間、彼の瞳が鋭く揺れた。

「……あいつとは、もう終わった」

「え?」

「あの女が、俺の政敵と通じていた。俺を陥れようとしていたんだ。……あの日、お前を罠にかけたのもあいつだと、後になってわかった」

 言葉を失った。
 つまり――あの婚約破棄は、私を陥れるための策略だったというの?

「お前が黙って去った時、俺は初めて、自分がどれほど愚かだったかを思い知った。だから、取り戻しに来たんだ。お前を」

「……っ」

 まるで、心の奥を掴まれたようだった。
 冷徹なはずの彼が、そんな言葉を言うなんて。
 でも――もう戻れない。あの頃の私には。

「申し訳ありませんが、私はもう王家とは関わりません。それに、あの頃の私とは違います」

「それでもいい。お前がどんな姿でも、俺は……」

 彼の指先が、私の頬に触れた。
 氷のように冷たかったはずの手が、今は信じられないほど温かい。
 その指が震えていることに気づいて、胸が痛くなった。

「リリアーナ……戻ってきてくれ。俺はお前を、今度こそ大切にすると誓う」

「……っ、殿下、やめてください。そういうことを言われても……」

 困るんです。
 もう、貴方を嫌いになれたと思っていたのに。

 けれど彼は、さらに距離を詰めて囁いた。

「俺は、もう“冷徹な王子”じゃない。お前を失って、ようやく人間になったんだ」

「……そんなの、ずるいですわ」

 心の中で呟く。
 ずるい人。どうして、今さらそんな顔をするの。



 それから、殿下は毎日のように私の領地に通ってくるようになった。
 まるで求婚する恋人のように。

「今日は花を摘んできた。お前の好きだった白薔薇だ」

「殿下、自分で摘んだんですか? 王太子が?」

「当然だ。お前に笑ってほしかったからな」

「……本当に、どうしてしまったんですか」

「お前のせいだ。俺をこんな風にしたのは」

 そんなことを、真顔で言わないでほしい。
 頬が熱くなるのを隠せなくて、私は視線を逸らす。

「リリアーナ、笑ってくれ。お前の笑顔をもう一度見たい」

「……殿下。私は、貴方を許したわけではありません」

「それでもいい。許されなくても、俺はお前を愛している」

 ――ああ、ほんとうに。
 どうしてこの人は、今になってこんなにまっすぐなの。

 私の心は、少しずつ、少しずつ、揺らぎ始めていた。




 そしてある日。
 彼は私の手を取って、真剣な瞳で告げた。

「リリアーナ。近いうちに正式にお前を迎えに来る。どんな障害があっても、今度は絶対に離さない」

 その言葉に、胸が跳ねる。
 でも――それを受け入れてしまえば、もう戻れない。

「……殿下。私はまだ、貴方を信じきれません。けれど……」

 その先を言いかけて、私は口をつぐんだ。
 彼の瞳が、まっすぐに私を見つめている。
 かつて私を突き放した冷たい光ではなく、今は――熱に満ちた眼差しで。

「その“けれど”の先を、いつか聞かせてくれ」

 彼がそう言って微笑んだ瞬間、胸が痛くて、苦しくて、でも――少しだけ嬉しかった。

 あの冷徹王子が、今はただ一人の女を想う男の顔をしているなんて。
 そんな日が来るなんて、誰が想像できただろう。

 私は静かに息を吐いた。
 まだ答えを出すには、早すぎる。
 けれど、この胸の高鳴りを、もう無視できないのも確かだった。






 ――そして、その数日後。

 王都からの使者がやってきた。
 封書には、王印が押されている。
 そこに記された文を読んだ瞬間、私は息を呑んだ。

「……“王太子、廃嫡の危機”……?」

 震える手で紙を握る。
 まさか、殿下が……?

 その瞬間、彼の顔が脳裏に浮かんだ。
 あの笑顔が、苦しげな瞳が。

「殿下……」

 どうして、こんなに胸が締めつけられるの。

 私は決意した。
 もう、逃げてばかりはいられない。
 彼に真実を確かめなければ――。

 馬を走らせる私の心は、混乱と熱でいっぱいだった。
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