冷徹王子が、婚約破棄した私を今さら溺愛してきます

ゆっこ

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 ――馬を走らせる風が、痛いほどに冷たかった。
 秋の終わりを告げる風が頬を打ち、思考を凍らせる。

(殿下が、廃嫡の危機に……?)

 王太子という地位を失う――それはただの名誉の剥奪ではない。
 王国の未来を左右する立場から、一瞬で転落するということ。
 そしてその裏には、必ず“誰かの意図”がある。

「……やはり、王宮で何かが起きているのね」

 私は手綱を強く握りしめた。
 あの時、レオンハルト殿下が口にした“ミレーユの陰謀”。
 それが、まだ終わっていないということだろうか。



 王都の門に着いた頃、日はすでに落ちていた。
 懐かしい街並み。けれど、かつての私にはもう似合わないと思っていた。
 それでも――彼に会うためなら、どんな場所でも構わない。

「ごめんなさい、通していただけますか。リリアーナ・エルフォードと申します」

 門番が驚いたように目を見開いた。

「……リリアーナ様!? 殿下がお待ちでした! すぐに王宮へ!」

「……待って、いた?」

 胸の奥が小さく震えた。
 彼は本当に、私が来ると信じていたのだろうか。



 王宮に入ると、空気が張り詰めていた。
 侍女たちの顔は青ざめ、兵士たちは慌ただしく行き交う。
 その中心に――あの人がいた。

「リリアーナ……!」

 扉を開けた瞬間、彼が振り向く。
 少しやつれた顔。目の下の隈が痛々しい。
 だが、その瞳だけは、まるで私を見つけて安堵したように柔らかかった。

「来てくれたのか……」

「ええ。殿下のことを……聞きました」

 私の声に、彼はふっと微笑んだ。

「心配をかけたな。だが、俺は大丈夫だ」

「“大丈夫”な顔じゃありませんわ」

 思わず言葉が出る。
 彼の制服は乱れ、肩には浅い傷がある。
 けれど、それ以上に気になったのは――彼の瞳に宿る疲弊だった。

「……殿下、一体何があったのです?」

「王の座を狙う派閥が、俺を排除しようとしている。俺が“冷徹で無情な王になる”と吹き込まれてな」

「そんな……!」

「だが、彼らが信じた“冷徹な俺”は、もういない」

 その言葉に、息が詰まった。
 彼はゆっくりと近づき、私の手を取る。

「お前に出会ってから、俺は変わった。……いや、正確には、お前を失って初めて、変わらざるを得なかった」

 その手が震えているのを感じた。
 強くて冷たい人だったはずなのに、今はまるで――人間そのものだ。

「殿下……私、来るのが遅すぎましたか?」

「いいや。お前が来てくれた。それだけで……俺はまだ戦える」

 その瞬間、彼は私を抱きしめた。
 まるで、壊れものを包み込むように。
 胸に顔を埋めると、彼の心臓の音が確かに響いていた。

「リリアーナ。俺は……お前を失いたくない」

「……殿下……」

「廃嫡になっても、地位を失ってもいい。だが、お前だけは手放さない」

 耳元で囁く声が甘くて、苦しくて、どうしようもなく心を締めつけた。
 冷徹王子の声ではなかった。
 愛する者を求める、一人の男の声だった。



 その夜、私は彼の執務室で詳細を聞いた。

「ミレーユは国外へ逃げたが、裏で貴族派閥と繋がっている。俺を陥れる証拠を偽造し、王に提出したらしい」

「証拠を偽造……? そんなことが」

「あいつの実家の財力と人脈なら、あり得る。だが――それ以上に問題なのは、父上がその証拠を信じていることだ」

「つまり……王が、殿下を疑っておられるのですね」

「ああ。俺が“冷たい支配者になる”と……。皮肉だな。お前を冷たく突き放した自分の罪が、こうして返ってきている」

 その瞳の奥にある悔しさが痛いほど伝わってきた。
 彼はずっと、自分を責めているのだ。

「殿下。……私、何かお力になれることはありますか?」

「ある」

 その一言が、重く響く。

「お前に、俺の“潔白”の証人になってほしい。お前が知っていることを話してくれれば、きっと王も考え直す」

「わかりました。私にできることなら、なんでも」

 即答すると、彼は驚いたように目を瞬いた。

「……なんでも?」

「ええ。だって、殿下は――」

 “私を、取り戻しに来た”人だから。
 その想いを、無駄にはしたくない。

 けれど、私がそう言うと、彼は少し困ったように笑った。

「……その言葉、危険だぞ。俺のような男に“なんでも”なんて言ったら」

「へ?」

 次の瞬間、彼は私の顎をそっと持ち上げた。
 距離が一気に近づく。
 息が触れそうなほどの距離で、彼の瞳が真っ直ぐに私を見つめる。

「たとえば……今すぐ、お前を抱きしめたいとか」

「……っ!」

 顔が一気に熱くなった。
 冗談のように言うくせに、目は全然笑っていない。
 この人、本当にずるい。

「も、もう……殿下、そういうことを……!」

「冗談だ。いや、半分は本気だが」

「半分って言いました!? もう……!」

 思わず抗議すると、彼はようやく微笑んだ。
 その笑みが、昔と違って優しいことに気づいてしまって――また、心が揺れた。



 翌朝。
 王の前で証言するため、私は謁見の間に立った。

 王は厳しい目で私を見つめる。
 だが、その背後には、ミレーユ派の貴族たちの影も見える。
 彼らの狙いは明白だ。レオンハルトを失脚させ、自分たちが操りやすい王を立てること。

「リリアーナ・エルフォード。お前は、レオンハルトの人となりをどう見ていた?」

 王の問いに、私は深く一礼し、答えた。

「……殿下は、誰よりも民を想うお方です。確かに冷たく見えることもありますが、それは決して心がないからではありません。むしろ、民のために自らを律しておられるからこそです」

 その言葉に、会場がざわめく。
 貴族たちが何かを言おうとするが、王は手で制した。
 その視線の奥に、少しだけ迷いが見える。

「……そうか。ならば、我が子の真意をもう一度確かめねばならぬな」

 王がそう呟いた瞬間、殿下の表情がわずかに緩んだ。
 ほんの少しだけ、救われたように。

 ――だが。

「リリアーナ様、危険です!」

 突然、侍女が駆け込んできた。
 その直後、謁見の間の窓が割れ、黒衣の影が飛び込んでくる。

「――っ!」

 鋭い刃が、私に向かって突き出された。
 避ける間もなく、目の前に閃光が走る。

 ――ガキィンッ!

 金属音と共に、私の前に立ちはだかったのはレオンハルト殿下だった。
 剣で刃を受け止め、私を庇うように腕を広げる。

「リリアーナには指一本触れさせん!」

 その声に、会場中が凍りつく。
 次の瞬間、兵士たちが飛び込み、黒衣の男を取り押さえた。
 どうやら暗殺者らしい。

「殿下! お怪我は――」

「俺はいい。リリアーナ、無事か?」

 振り向いた彼の頬には、薄く血が流れていた。
 それでも、真っ先に私の名を呼ぶ。

「……殿下の方こそ……!」

 言葉が喉に詰まる。
 恐怖と安堵と――抑えきれない想いが溢れて、ただ泣きそうになった。

 彼はそんな私の髪を撫で、微笑んだ。

「泣くな。俺は、もう二度とお前を傷つけないと決めた」

「……殿下……」

「それに――」

 囁きながら、彼は小さく笑う。

「やっと、お前を守ることができた。今度は、俺の番だ」

 胸が熱くなる。
 あの日、婚約破棄された夜とは違う。
 今、私の前にいるのは、“冷徹王子”ではなく――私のために戦う男だった。



 その後、暗殺者の口から、ミレーユの名が再び出た。
 国外に逃げたはずの彼女が、まだ裏で糸を引いているらしい。

 王は真相を追及するため、しばらく王太子の処分を保留にした。
 だが、まだ安心できる状況ではない。

「リリアーナ。お前を王宮に残すのは危険だ。だが……俺の傍を離すことも、もうできない」

 夜の庭園で、殿下は静かにそう言った。
 月の光が、彼の銀髪を淡く照らす。

「……殿下、私は大丈夫です。もう、逃げません」

「そうか……なら、覚悟しておけ」

「え?」

 次の瞬間、彼は私の腰を引き寄せた。
 体が密着し、心臓の鼓動が重なる。

「これ以上、俺から離れようとするなら……」

 唇が、耳元に触れる距離で囁く。

「本気で、攫いに行くからな」

 息が止まる。
 顔を上げると、彼の瞳が真っ直ぐに私を見つめていた。
 甘く、熱く、どうしようもなく誠実な瞳で。

「……殿下、そんな脅し方、ずるいですわ」

「ずるくていい。お前を失うくらいなら、悪役にだってなる」

 そう言って、彼は私の手の甲に唇を落とした。
 その温もりが、夜風よりも深く心に残った。



 ――けれど、翌朝。
 王宮に新たな知らせが届く。

「ミレーユが……この国に戻ってきたそうです」

 その名を聞いた瞬間、彼の表情が一変した。
 そして私の胸にも、不安が広がる。

 再び、嵐が訪れる予感。
 けれど今度は――もう、逃げるつもりはない。

 たとえ王宮を敵に回しても。
 彼と共に、立ち向かうために。

 私は、静かに彼の手を握り返した。

「一緒に戦いましょう、殿下」

「……ああ。今度こそ、俺の隣にいてくれ」

 その瞬間、彼の微笑みが夜明けの光に溶けていった。
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