13 / 28
2
4 惣次郎の秘密
しおりを挟む帰り際に呼び止めてしまったので、また屋敷の中へとおりんはふたりを案内した。
千代は日の入る縁側を好んだので、もう一度淹れ直した茶を手渡し、おりんも隣りに座る。護衛の男が部屋の奥に控えるなか、庭を眺めながら千代は口を開いた。
「有島さまのお家は、代々続く譜代大名でいらっしゃったの」
「譜代の…………お侍さま?」
譜代大名の存在をおりんも知っていた。
足軽など下使えの武士ではなく、大小はあれど藩を持ち支配する、れっきとしたお殿様である。
「そうなの。それも旗本である森本の家より数倍大きくて、参内して幕府中枢に関わるようなお家だったの。父様――森本新右衛門がただの同心である有島さまを無下にできなかったのも、それが理由みたい。徳川家に仕えて闘ったのなんて数百年も前の話だけれど、そういう格みたいなものが、未だ残っているのかもしれない」
――だから、今もこんなお屋敷に住んでいらっしゃるんだ。
おりんはひとり納得した。しかしふと疑念がわき上がる。
関ヶ原の戦い以前から徳川家に使え、幕府を支えるものたちならば、江戸幕府の始まり以降功績を称えられ、幕府の要職に就いているはずなのである。
いまの有島は同心ではあるが、それではあまりに低すぎる職なのだ。またそこから遥かに位の高い町奉行ですら、譜代大名としては劣ってしまう。
そんなおりんの顔を、千代は読み取ったらしい。こくりと一度頷いたあとで――。
「ええ。いま、おりんが疑問に思っていることに答えましょう」
そうして、ふうと深呼吸したあとでこう言った。
「有島家は……謀反の疑いをかけられて改易となってしまったの」
おりんはそのことばに衝撃を受けた。
改易とは、罪を犯した大名に対する領地の没収と、首謀者への死罪を意味する。ということは、有島の家族の誰かが、処されているということである。
不意にあのふたりだけの寂しい屋敷が思い浮かび、おりんは目に涙を浮かべた。
「……これは、噂でも何でもない本当の話なのです。今から十五年も前のこと。有島家の当主である有島衆顎さまと、ご子息の有島上総守豊光さまが、謀反を企てたということで捕らえられたのです。おふたりは屋敷に現れた改めに対し、暴れもせずに連れて行かれたそうです。そして斬首となり領地は没収され、残された母様は自害し、お兄様はそのときの悲しみで狐憑きのようになってしまった。……以来、有島さまがおひとりでお家を支えているのです」
「……狐憑き」
確かに、そう言われればそうかもしれないとおりんは思った。
普段の清之進と、剣を握った後の彼では、性格や雰囲気がまるで違う。だから惣次郎が間違ったことを言っているとは、一概に言えなかった。
千代は真剣な眼差しをこちらに向け、続けた。
「……だから、そんな有島さまのことを格好いいという人もいれば、強欲だという人もいるのです。ときには、どんな手を使ってもという強い顔もお見せになりますから」
そのことばに、おりんはどきりとした。
そんなことなど知らず、千代は淡々と言う。
「……森本の家もそうだったでしょう。あの方が手段を選ぶことはありません。だから、おりん。あなたも知らず知らずのうちに巻き込まれているかもしれませんよ。ここで世話になっているというのなら、なおさらです」
そうして強い視線を向けられ、おりんは反射的に言ってしまう。
「ですが……最近は全然会えていませんし、あたしみたいな小娘を有島さまが巻き込むなんて――」
そう言いながら、おりんはふと気付いた。
森本家を飛び出して、有島に出会い助けを乞うたとき。有島は始めここに泊まれと言って、地図を書いてくれた。そのときは思わなかったものの、よくよく考えてみれば違和感があった。
――なぜ、有島さまはわざわざそうしたのだろう。
すぐに自分の屋敷に連れて来ず、彼は遠くに借りているという空き家を案内した。それはまるで、餌を泳がせているみたいではないだろうか。
また、その直後襲われたところを助けてくれたのは、出歩かないはずの兄――清之進だった。
――そんな偶然……ある?
あまりにも都合が良すぎるのではないか――おりんはそう思いながら、有島の冷たい瞳を思い出していた。
「おりん、どうしたの?」
千代に心配そうに聞かれ、おりんは口ごもりながら説明した。すると千代はあごに手を当て厳しい表情で言った。
「その場所……本当にあるやも怪しいわね」
「……姫様も、そう思われますか?」
「ええ。私もあの方を、完全に信用しているわけではないの。ふとした時に、昏い目をするときがあるから。それに、今ならあの方の気持ちも、少しだけわかる気がするから」
「それは……改易のことでしょうか?」
「ええ、そう。今回のことで、私は誰が父を誑かしたのかって思ってしまった。その人を見つけて、とっちめてやりたくなった。お前のせいで家族はって。とくに有島さまの父上の時代は、倒幕運動がこんなに活発ではなかったはずだから。有島さまも受け入れられていないかもしれない。おふたりが誰かに唆されたと、思っている可能性だってある」
おりんの中で、当人のそのことばは強く響いた。
有島のあの昏い眼差しの理由が、家族がばらばらになった理由を探しているというのなら、腑に落ちたのである。
「……あたし、有島さまが行けと言ったあの空き部屋に行ってみます。姫様、長くお引き止めして申し訳ありませんでした」
そう謝ると、千代は微笑みながらこう返した。
「何言ってるの。私とそなたのなかでしょう。それに、ここまで来たら私も付き合います」
「……え?」
千代はなぜか目をらんらんと輝かせた。それは、かつて屋敷をふたりで抜け出すときの表情とまるで同じだった。
「大丈夫。ほら、ここに護衛もいるでしょう?さあ、おりん。急いで仕度をするのです!」
21
あなたにおすすめの小説
出雲屋の客
笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。
店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。
夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
田楽屋のぶの店先日記~深川人情事件帖~
皐月なおみ
歴史・時代
旧題:田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!?
冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。
あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。
でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変!
『これおかみ、わしに気安くさわるでない』
なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者?
もしかして、晃之進の…?
心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。
『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』
そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…?
近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。
亭主との関係
子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り
友人への複雑な思い
たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…?
※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です!
アルファポリス文庫より発売中です!
よろしくお願いします〜
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
2025.9〜
第二幕
『殿ちびちゃん寺子屋へ行く!の巻』の連載をスタートします〜!
七つになった朔太郎と、やんちゃな彼に振り回されながら母として成長するのぶの店先日記をよろしくお願いします!
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【読者賞受賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
☆ほしい
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞受賞(ポイント最上位作品)】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる