12 / 28
2
3 再会
しおりを挟む惣次郎に聞いてくれと言われてから、おりんはひとり悩んでいた。
清之進はというと、あのあと、もう何も言うことはないというように、ふらりと自室へ戻ってしまったのである。
――有島さまが知っているとは、どういうことだろう。
そう考えながら針を刺す手を動かし続けるも、ふたりの謎は深まるばかりだった。というわけで、あとは本人が帰ってきてから直接聞かなければならなかった。しかし来ない分にはどうしようもない。
そうして数日、おりんがひとり悶々としていた矢先のことだった。
よい秋晴れの、太陽がちょうど天で輝いていた頃。そんな本来ならば絶対に帰ってこない時間帯に、有島惣次郎は姿を現したのである。
「……ただいま戻った」
突然響いた声に、おりんは驚いた。
昼食を終え、その片付けのため炊事場にいた彼女が急いで玄関に向かうと、どこか疲れた表情をする惣次郎の姿があった。
「……有島さま!おかえりなさいませ。こんな時間にどうされたのですか?」
「ふふ。そなたに合わせたい人がいてな。急遽案内することになったのだ」
「え?」
よく見れば、有島の陰にふたりの人影が見えた。そのうちのひとりが前へ歩み出たと思えば――。
「おりん……」
「姫様!」
目の前にいたのは、改易となり消えてしまった森本家のひとり娘――千代だった。
おりんは千代とその侍従である若い男を部屋にとおして、すぐに茶の準備をする。
感動の出会いを演出した張本人はというと、仕事があると言い奉行所に戻ってしまった。なので湯飲みは三つであった。
「……おまたせしました」
目の前に差し出すと、千代は頂きます、と言い口に運んだ。その気品のある姿を、おりんはまじまじと眺めてしまった。それはもちろん、ずっと心配していた彼女の顔を、数カ月ぶりにようやく見れたからである。
お家騒動があったとはいえ、千代は相変わらず内から光を放つように美しかった。それを眺めながらおりんがひとり安堵していると、千代はその顔をくしゃっと破顔して言う。
「ああ、おりん。本当にあなたが無事でよかった。生きていてくれて……またこうして会えて本当に良かった」
「姫様、それはこちらのことばにございます。森本家の皆様のこと、あたしはずっと心配しておりました」
すると千代は顔に憂いを浮かべて口をひらいた。
「……その件もあって、ずっとあなたに会って謝りたいと思っていたのです」
「え……」
「ごめんなさい。私、貴方を利用していたのです」
そのことばは、おりんの中で闇夜を裂く稲妻のように駆け巡った。同時に、森本家の悪事を明るみにした、尊王攘夷を示すあの印籠が頭に浮かんだ。あれを千代が自分に手渡したのは、そういうことだったのだ。
「……姫様が渡して下さった、あの印籠のことにございますね」
すると、千代は目を大きくして驚いた。
「気付いていたのね」
「……はい。ずっと、おかしいと思っていたのです。あんな高価なもの、おっかさんが持っているわけないって。だから、はじめ姫さまがあたしの身を案じて、お気遣いくださったと思ったのです」
すると千代は優しく言う。
「あなたのかかさまが手に持っていたというのは、確かなのです。もしかすると、無念だったのかもしれません。だから、奴らがそれを探し始める前に回収し、あなたに持たせたのです。そうすれば、きっと有島さまの手に渡ると思ったから」
確かにあの印籠の存在が奉行所を動かしたといっても過言ではなかった。
印籠に入ったあの菊の紋は、聞けば天皇家を示すものらしい。幕府を蔑み、朝廷を崇める尊王攘夷派の間でそれを象徴のように持つものが多いことから、証拠のようなに扱われているそうだ。
だから、森本の屋敷でそれを落としたことに気付いた彼らは、ただの小娘の自分を怪しみ、追いかけて証拠を隠滅しようとしたのだ。明るみになれば、このような結末を迎えると彼らもわかっていたのである。
そう思うと、指示したのはきっと森本だと思えた。事件の後、すぐに自分を花街に売り飛ばそうとしたのも、そういうことなのだろう。
その企てに気付いた惣次郎が動きはじめて、印籠を確保し改めに入り、無事に終息したというわけだ。
「最近の倒幕運動を、おりんも存じていますね。政府は運動の中心人物である要人たちを獄へ次々と送り、抑え込もうと躍起になっている。有島さまもきっとその尻尾を掴もうと、森本の屋敷に数多く足を運ぶようにしていたのでしょう。早い段階で、怪しいと思っていたのかもしれませんね」
「そうなのですね……」
言われてみれば、有島の姿を屋敷で見るようになったのは、母の事件が起こる数ヶ月前からのことだった。
下女である自分の顔と名前を覚えていたのも、すべてはこのためだったのかとおりんは納得した。
「私は女だから、昔から政事の話は蚊帳の外でした。ただ、父様が怪しい者たちを家に招いていたのは知っていたのです。素性のわからぬものたちと世間を揺るがす倒幕運動が結びついていることに、薄々気付いてはいました。しかし、私は別世界の話と割り切って、ずっと知らないふりをしていたのです」
千代は目を潤ませて続ける。
「……そんな中で、おふみが殺されてしまった。私は許せなかった。たとえ彼らにどんな正義があろうと、掲げる未来が崇高なものであれど。罪のない人を殺して得られたものに意味があるわけない。奴らは悪人であり、父様たちも同じだった。私はそう思って、あなたに託すことにしたのです」
そのまっすぐな瞳は濡れていたものの、奥に芯の通った強さをを湛えていた。
――この方は、なんて人だろう。
どんな理由があれ、千代も大切な家族を失った身なのだ。きっとこころのどこかに悲しみを隠しているはずなのに、なぜこんなにも凛々しいのだろう――そうおりんは思った。
「……姫様」
おりんは無意識に、千代に触れたくなった。そうしてたおやかな手を包むように触れる。すると、それがまるで合図となったかのように、千代の頬に大粒の涙がこぼれた。
「おりん……危険な目に合わせてしまって、本当にごめんなさい。それにおふみのことも、本当に申し訳ありませんでした」
千代の謝罪に、おりんは何も返すことができなかった。ただひしと寄り添うように、千代の隣りで手を握り続けるだけだった。
※※※※
ふたりがひとしきり泣いて落ち着いたあとだった。そろそろお暇すると千代が言うので、玄関まで見送ることになった。
「おりん、今日はあなたの姿が見られて本当によかった。私も、嫁ぎ先でずっとばたばたしていたから。有島さまのお屋敷にいることは知っていたけれど、まさかこんなに遅くなるとは思わなくて……」
「姫様。世間がこのような状況ですから、おりんはこうして会えただけでも嬉しゅうございます。有島さまにも久しぶりにお会いすることもできましたし。近頃は本当に朝早く出て、夜遅く帰ってくるかこないかというところで……」
一応、帰っていることにしておこう――とそう思いおりんが言うと、なぜか突然千代の顔色が変わった。
「……それは申し訳ないことをしてしまったわ。お兄様の面倒を、すべておりんが見ているということでしょう?」
申し訳なさそうに返され、おりんは気付いた。
――そういえば、姫様は清之進さまのことを存じ上げていらっしゃった。
当の本人――清之進はというと、昼前に少し外出してくると言って、それっきり戻ってきていなかった。
彼のことを知る唯一の男、惣次郎は、ようやく会えたばかりだったのにすぐ奉行所に戻ってしまった。
次にいつ会えるか定かではない――そんな状況の中でおりんは、目の前に現れた信頼できる人が、目にも輝いて見えたのである。
「姫様!」
「……どうしたの、おりん。突然声を上げて」
目を見開き驚く千代を前に、おりんは深呼吸して呼吸を落ち着けてから、再度言う。
「姫様は……清之進さまのこと、どのくらいご存じなのですか?」
「……え?」
「いや、深い意味はないのです!ただ、あたしにあまり心を開いて下さらないので、もう少し近づきたいと思い、何か共通な話題があればと思いまして……」
昔千代の語った「有島の兄」と、自分の知る清之進が結びつかない今、おりんはそう聞く以外にことばが見つからなかったのである。
すると、意外にも千代はすぐに口を開いた。
「ごめんなさい。あたしはお会いしたことはなくて、知っているのは有島さまから聞いたからなの」
――有島さまが……?
おりんの中で心臓がどくんと音を立てた。
ふたりの間に存在する闇が、手に届くところまで近付いている気がした。
そんなおりんの表情に千代は気付いたらしい。ふっと微笑んで、優しく注意するように言う。
「おりんもあの方の噂をいろいろ耳にすると思うけれど、あまり信じない方がいいわ。あの若さにあの美貌で、出世街道を行く方だから、妬み嫉みもかなり入っていると思う。だから――」
「姫様っ!その話、あたしに聞かせてくれませんか?」
おりんはそう食い気味に言ってしまった。噂であれ何であれ、とにかくこの兄弟に関することは、知っておきたかったのである。
千代はため息をついてから、呆れるように口を開いた。
「……はあ。あなたにそう熱心に頼まれたら、断れないじゃない」
10
あなたにおすすめの小説
出雲屋の客
笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。
店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。
夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
田楽屋のぶの店先日記~深川人情事件帖~
皐月なおみ
歴史・時代
旧題:田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!?
冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。
あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。
でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変!
『これおかみ、わしに気安くさわるでない』
なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者?
もしかして、晃之進の…?
心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。
『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』
そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…?
近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。
亭主との関係
子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り
友人への複雑な思い
たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…?
※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です!
アルファポリス文庫より発売中です!
よろしくお願いします〜
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
2025.9〜
第二幕
『殿ちびちゃん寺子屋へ行く!の巻』の連載をスタートします〜!
七つになった朔太郎と、やんちゃな彼に振り回されながら母として成長するのぶの店先日記をよろしくお願いします!
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる