【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉

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 惣次郎に聞いてくれと言われてから、おりんはひとり悩んでいた。
 清之進はというと、あのあと、もう何も言うことはないというように、ふらりと自室へ戻ってしまったのである。

 ――有島さまが知っているとは、どういうことだろう。

 そう考えながら針を刺す手を動かし続けるも、ふたりの謎は深まるばかりだった。というわけで、あとは本人が帰ってきてから直接聞かなければならなかった。しかし来ない分にはどうしようもない。

 そうして数日、おりんがひとり悶々としていた矢先のことだった。
 よい秋晴れの、太陽がちょうど天で輝いていた頃。そんな本来ならば絶対に帰ってこない時間帯に、有島惣次郎は姿を現したのである。

「……ただいま戻った」

 突然響いた声に、おりんは驚いた。
 昼食を終え、その片付けのため炊事場にいた彼女が急いで玄関に向かうと、どこか疲れた表情をする惣次郎の姿があった。

「……有島さま!おかえりなさいませ。こんな時間にどうされたのですか?」

「ふふ。そなたに合わせたい人がいてな。急遽案内することになったのだ」

「え?」

 よく見れば、有島の陰にふたりの人影が見えた。そのうちのひとりが前へ歩み出たと思えば――。

「おりん……」

「姫様!」

 目の前にいたのは、改易となり消えてしまった森本家のひとり娘――千代だった。

 
 おりんは千代とその侍従である若い男を部屋にとおして、すぐに茶の準備をする。
 感動の出会いを演出した張本人はというと、仕事があると言い奉行所に戻ってしまった。なので湯飲みは三つであった。

「……おまたせしました」

 目の前に差し出すと、千代は頂きます、と言い口に運んだ。その気品のある姿を、おりんはまじまじと眺めてしまった。それはもちろん、ずっと心配していた彼女の顔を、数カ月ぶりにようやく見れたからである。
 お家騒動があったとはいえ、千代は相変わらず内から光を放つように美しかった。それを眺めながらおりんがひとり安堵していると、千代はその顔をくしゃっと破顔して言う。

「ああ、おりん。本当にあなたが無事でよかった。生きていてくれて……またこうして会えて本当に良かった」

「姫様、それはこちらのことばにございます。森本家の皆様のこと、あたしはずっと心配しておりました」

 すると千代は顔に憂いを浮かべて口をひらいた。

「……その件もあって、ずっとあなたに会って謝りたいと思っていたのです」

「え……」

「ごめんなさい。私、貴方を利用していたのです」

 そのことばは、おりんの中で闇夜を裂く稲妻のように駆け巡った。同時に、森本家の悪事を明るみにした、尊王攘夷を示すあの印籠が頭に浮かんだ。あれを千代が自分に手渡したのは、そういうことだったのだ。

「……姫様が渡して下さった、あの印籠のことにございますね」

 すると、千代は目を大きくして驚いた。

「気付いていたのね」

「……はい。ずっと、おかしいと思っていたのです。あんな高価なもの、おっかさんが持っているわけないって。だから、はじめ姫さまがあたしの身を案じて、お気遣いくださったと思ったのです」

 すると千代は優しく言う。

「あなたのかかさまが手に持っていたというのは、確かなのです。もしかすると、無念だったのかもしれません。だから、奴らがそれを探し始める前に回収し、あなたに持たせたのです。そうすれば、きっと有島さまの手に渡ると思ったから」

 確かにあの印籠の存在が奉行所を動かしたといっても過言ではなかった。
 印籠に入ったあの菊の紋は、聞けば天皇家を示すものらしい。幕府を蔑み、朝廷を崇める尊王攘夷派の間でそれを象徴のように持つものが多いことから、証拠のようなに扱われているそうだ。
 だから、森本の屋敷でそれを落としたことに気付いた彼らは、ただの小娘の自分を怪しみ、追いかけて証拠を隠滅しようとしたのだ。明るみになれば、このような結末を迎えると彼らもわかっていたのである。
 そう思うと、指示したのはきっと森本だと思えた。事件の後、すぐに自分を花街に売り飛ばそうとしたのも、そういうことなのだろう。
 その企てに気付いた惣次郎が動きはじめて、印籠を確保し改めに入り、無事に終息したというわけだ。

「最近の倒幕運動を、おりんも存じていますね。政府は運動の中心人物である要人たちを獄へ次々と送り、抑え込もうと躍起になっている。有島さまもきっとその尻尾を掴もうと、森本の屋敷に数多く足を運ぶようにしていたのでしょう。早い段階で、怪しいと思っていたのかもしれませんね」

「そうなのですね……」

 言われてみれば、有島の姿を屋敷で見るようになったのは、母の事件が起こる数ヶ月前からのことだった。
 下女である自分の顔と名前を覚えていたのも、すべてはこのためだったのかとおりんは納得した。

「私は女だから、昔から政事まつりごとの話は蚊帳の外でした。ただ、父様が怪しい者たちを家に招いていたのは知っていたのです。素性のわからぬものたちと世間を揺るがす倒幕運動が結びついていることに、薄々気付いてはいました。しかし、私は別世界の話と割り切って、ずっと知らないふりをしていたのです」

 千代は目を潤ませて続ける。

「……そんな中で、おふみが殺されてしまった。私は許せなかった。たとえ彼らにどんな正義があろうと、掲げる未来が崇高なものであれど。罪のない人を殺して得られたものに意味があるわけない。奴らは悪人であり、父様たちも同じだった。私はそう思って、あなたに託すことにしたのです」

 そのまっすぐな瞳は濡れていたものの、奥に芯の通った強さをを湛えていた。

 ――この方は、なんて人だろう。

 どんな理由があれ、千代も大切な家族を失った身なのだ。きっとこころのどこかに悲しみを隠しているはずなのに、なぜこんなにも凛々しいのだろう――そうおりんは思った。

「……姫様」

 おりんは無意識に、千代に触れたくなった。そうしてたおやかな手を包むように触れる。すると、それがまるで合図となったかのように、千代の頬に大粒の涙がこぼれた。

「おりん……危険な目に合わせてしまって、本当にごめんなさい。それにおふみのことも、本当に申し訳ありませんでした」

 千代の謝罪に、おりんは何も返すことができなかった。ただひしと寄り添うように、千代の隣りで手を握り続けるだけだった。


※※※※


 ふたりがひとしきり泣いて落ち着いたあとだった。そろそろお暇すると千代が言うので、玄関まで見送ることになった。

「おりん、今日はあなたの姿が見られて本当によかった。私も、嫁ぎ先でずっとばたばたしていたから。有島さまのお屋敷にいることは知っていたけれど、まさかこんなに遅くなるとは思わなくて……」

「姫様。世間がこのような状況ですから、おりんはこうして会えただけでも嬉しゅうございます。有島さまにも久しぶりにお会いすることもできましたし。近頃は本当に朝早く出て、夜遅く帰ってくるかこないかというところで……」

 一応、帰っていることにしておこう――とそう思いおりんが言うと、なぜか突然千代の顔色が変わった。

「……それは申し訳ないことをしてしまったわ。お兄様の面倒を、すべておりんが見ているということでしょう?」

 申し訳なさそうに返され、おりんは気付いた。

 ――そういえば、姫様は清之進さまのことを存じ上げていらっしゃった。

 当の本人――清之進はというと、昼前に少し外出してくると言って、それっきり戻ってきていなかった。
 彼のことを知る唯一の男、惣次郎は、ようやく会えたばかりだったのにすぐ奉行所に戻ってしまった。
 次にいつ会えるか定かではない――そんな状況の中でおりんは、目の前に現れた信頼できる人が、目にも輝いて見えたのである。

「姫様!」

「……どうしたの、おりん。突然声を上げて」

 目を見開き驚く千代を前に、おりんは深呼吸して呼吸を落ち着けてから、再度言う。

「姫様は……清之進さまのこと、どのくらいご存じなのですか?」

「……え?」

「いや、深い意味はないのです!ただ、あたしにあまり心を開いて下さらないので、もう少し近づきたいと思い、何か共通な話題があればと思いまして……」

 昔千代の語った「有島の兄」と、自分の知る清之進が結びつかない今、おりんはそう聞く以外にことばが見つからなかったのである。
 すると、意外にも千代はすぐに口を開いた。

「ごめんなさい。あたしはお会いしたことはなくて、知っているのは有島さまから聞いたからなの」

 ――有島さまが……?

 おりんの中で心臓がどくんと音を立てた。
 ふたりの間に存在する闇が、手に届くところまで近付いている気がした。
 そんなおりんの表情に千代は気付いたらしい。ふっと微笑んで、優しく注意するように言う。

「おりんもあの方の噂をいろいろ耳にすると思うけれど、あまり信じない方がいいわ。あの若さにあの美貌で、出世街道を行く方だから、妬み嫉みもかなり入っていると思う。だから――」

「姫様っ!その話、あたしに聞かせてくれませんか?」

 おりんはそう食い気味に言ってしまった。噂であれ何であれ、とにかくこの兄弟に関することは、知っておきたかったのである。
 千代はため息をついてから、呆れるように口を開いた。

「……はあ。あなたにそう熱心に頼まれたら、断れないじゃない」
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